三十三話 天使3
「あなたたち、私にこんな真似をしてなんのつもり?」
客人用に整えられた部屋の中で、困惑に満ちた声が響く。
声の主はエイシュケルの姫――アルテシラ。彼女の細い両腕は背中に回され、鉄の鎖で縛られている。
彼女は妖精の血をひく者であり、特別な存在だ。縛られた経験などないのだろう。怒りよりも驚きが勝っている様子から、彼女がいかに愛されて育ってきたかがうかがえる。
「エイシュケル王は我が国に弓を引きました。であらば、敵国の姫君を捕らえるのは妥当な判断かと」
アルテシラの形のよい眉がぴくりと動き、その下で輝く妖精眼が揺れる。何を言っているのか、まったく理解できていないのだろう。
ヴィルヘルムはそんな彼女を見下ろしながら、小さくため息を落とした。
「我が国の妃に危害を加えたとのこと。生国とはいえ、他国に嫁いだ者を勝手に罰すれば、それ相応の報いはあって当然でしょう」
「妃ってまさか……ライラのこと? あんな子のためにこんなことをしていると言うの?」
「あなた様が我が国の妃にどのような感情を抱いていようと、ライラ様は正式に我が国の妃となっております。故に、あんな子と愚弄するのは我が国を愚弄しているようなもの。和平交渉を進めておりましたが、立場は同等……いえ、我が国のほうが有利なのだということを理解されていなかったのですね」
呆れたように零したため息に、アルテシラが不快そうに顔を歪めた。
「さて、ご自身の立場は理解していただけましたか?」
「わかるわけがないでしょう。私を誰だと思っているの。あなたたちが気安く触れてよい立場ではないわ。たとえ何があろうと、私に触れていい者は、私が選んだ者だけよ」
特別な血を持つ者は、自身を特別な者だと自負している。しかも愛されて育ったとなれば、たしなめられた経験も数少ないだろう。
だからこそ、彼女と話す役目も、拘束する役目もヴィルヘルムが担った。
妖精の血は頑丈さが特徴だ。生半可なことでは傷つかない体と、些細なことで傷つく体。たとえ相手が華奢な少女であろうと、がむしゃらに暴れられたら被害が出るのは目に見えている。
だが天使を血をひくヴィルヘルムであれば、難なく捕らえることができる。何しろ、天使の血の特徴は怪力だ。
アルテシラは抵抗することなく縛られたので、その怪力を発揮する場面はなかったわけだが。
「理解されていないようですね。なら、王の補佐としてではなく、天使の血をひく者として話そうか」
そして話す役目を担ったのは、彼女が唯人を矮小な存在として認識しているときのために。
怪力を発揮できなかったので、ヴィルヘルムが何者かを彼女は知らない。古代の遺物である眼鏡を外し、星の瞬く瞳をアルテシラに向けると、彼女は拘束されたとき以上の驚きを移り変わる瞳に乗せた。
「あなた……まさか、どうして……唯人に仕えているの。あなたこそが、王になるべき存在でしょうに」
「その話はもういいし、僕と彼の間では終わった話だ」
正確には、ヴィルヘルムの中では終わっている。ルーファスが諦めていないだけで。
「僕は元アドフィル王国第一王子ヴィルヘルム。天使の血をひく者。どうして僕の始祖が天使と呼ばれているか、君にわかるかな。天とはすなわち神。神に最も近いと称されたからだよ。高く飛べない種族が、僕相手に触れるなとは、よく言えたものだ」
今の世において飛べる者はいないが、かつての栄光は色あせていない。それは、はるか昔にいた種族の末裔が王を担っている現状が物語っている。
「妖精の血の特徴が執着であるのなら、天使の血の特徴は貪欲。欲するものを得るためには、手段を選ぶことはない。まあ、そのせいで僕の父や祖先は堕とされたわけだけど、先人に倣うなんて考えは僕たちには備わっていないからしかたないね」
始祖の血にはそれぞれ違った特徴がある。だがその中で唯一共通していることがあるとすれば、傲慢。
体の中に流れる血が、自らを特別だと理解させる。他者を顧みることはないのだと語ってくる。
「羽虫ごときが、僕の前に立ちはだかるな」
「は、羽虫ですって!? よくものこの私にそんなことを言えたものね。天使の血をもちながら唯人に仕えることを選んだ存在のくせに……!」
アルテシラもまた、ヴィルヘルムと同じく特別な血をひく者。その中に備わる傲慢さは、相手がなんであろうと、状況がどうであろうと変わらない。
見下されることを、この体に流れる血は許さない。
ただの話し合いであれば、平行線のままだっただろう。だがヴィルヘルムは話す役目を担いはしたが、話し合うつもりはなかった。
「我が国における捕虜の扱いは過酷だよ。なにしろ、他国に攻め入るような狂った王が決めたものだからね。さて……傷を負ったことがない君に耐えられるかな。もちろん、唯人に罰せられるなんて君のプライドが許さないだろうから、僕が担当してあげるよ」
妖精の血をひく者の体は頑丈だ。たとえ天使の血をひくヴィルヘルムであろうと、殺すことはできないだろう。
だが、それでいい。目的は殺すことではない。優しい世界で生きてきたであろう彼女の心を踏み砕くことにこそ、意味がある。
ちぎることはできずとも、折ることはできる。
抉ることはできずとも、潰すことはできる。
握れば潰れ、曲げれば折れる。そんな当たり前のことに、それぞれの血を引く者は顔色を変える。
そんな当たり前のことが、これまでの彼らにはなかった。
「ああ、すごいね。本当に妖精の血は頑丈だ。唯人とだけという制約がなければ僕が娶りたかったかも。まあでも、友の幸せを願うのが、友人というものだよね」
味わったことのない痛みに息も絶え絶えなアルテシラに、ヴィルヘルムが嬉しそうな笑みを向ける。
そして、アルテシラの腕に絡まる鎖を外し、代わりに白く細い首にかけた。
「さあ、我が王がお待ちだ。特別に僕が引率してあげるから、感謝するといいよ」
拘束を外されたが、アルテシラは手をつき立ち上がることもできない。そんな彼女に遠慮することなく、ヴィルヘルムは鎖を片手に歩きはじめた。
その様は、まるでペットの散歩のようだ。鎖の先に繋がるのが、手や足が折れ曲がり、ひきずられている少女でなければの話だが。




