十一話 怒らせても駄目だった
人手不足というのは本当なようだ。こうして城内を一人で歩いていても、誰ともすれ違わない。
エイシュケル王国では忙しなく動いている侍女や、警備にあたっている騎士、官僚などがそこらへんを歩いていた。
「こっちのほうが落ち着くからいいけど」
お母さまが寝こんでからはずっと一人で過ごしてきた。
それでもお母さまに話しかけながら過ごしていたので、いざという時に言葉に詰まることはないけど、どうしても人の多いところは慣れない。
「まあでも、今のうちだけだろうなぁ」
そのうち、ここも人が溢れる日が来るだろう。城下の賑わいを考えれば、士官してくる者も増えるに違いない。
「……それよりも、今は庭園に行かないと」
帝国が今後どのように発展していくのかを考えるのは私の役目ではない。
庭園じゃなくても、毒になりそうなものがどこかにないか探すのが、今の私がやるべきことだ。
毒の調合をしている時が、一番心が安らぐ。
そうして当てもなく歩いていた私の目に、一際高い木が飛びこんできた。
窓の向こうに凛と立つ大樹は緑に色づいた葉を枝にまとわせている。そして、桃色の花が合間合間に咲いていた。
私の暮らしていた森にはなかった木。
「あれは毒になるかな」
すべての草花が毒になるわけではない。それでも、少しでも可能性があるのなら手を伸ばさずにはいられない。
どうにか取ろうと窓を開けて体を乗り出す。
「……駄目かぁ」
だけど、木の葉の先に指を掠めることすらできない。諦めて体を引き、また当てもなく廊下を歩く。
階段を見つけた先から降りて、ようやく一階まで降りれたのを確認して、窓から外に出た。扉を探すのが億劫だったからだ。
「なんで、こんなに広いの」
こぢんまりとした小屋で生活していた身には、あまりにも広すぎる。しかも階段は連続しているわけではなく、一階降りるたびに別の階段を探さないといけなかった。
幸いなのは、誰とも会わなかったことだ。思わず心配になるほど、城内には誰もいない。
使われていなさそうな廊下には微妙に埃が被っていたりと、アドフィル帝国の人手不足は尋常じゃなく深刻なようだ。
ぱちんと頬を叩いて気を取り直し、さっき見た大樹のもとに向かう。
雄々しく聳える大樹は、木の枝だけでなく花までも高い位置にある。手を伸ばしても届きそうにない距離に、私は袖をまくった。
木を登るのには慣れている。森でも、毒になる木の実を求めて何度も登った。
そして引っかかりに足をかけようとして、気づく。
「このドレス、邪魔だなぁ」
きらびやかなドレスは袖だけでなく、丈も長い。私が持ってきた服はルーファス陛下との朝食にはふさわしくないからと却下され、城にあったドレスを与えられた。
元は誰が使っていたのかは、考えないことにした。
ドレスが誰の遺品かはともかく、丈の長いドレスでできるほど、木登りは甘くはない。
そして毒と羞恥心、どちらが大切かと聞かれれば、私は迷いなく毒を選ぶ。
即決即断の勢いでドレスを脱ぎ、太ももまでの長さがあるつなぎの肌着姿になってようやく、私はあらためて引っかかりに足をかけた。
太い枝を伝い、花まであと少しで指が届く。そんな時だった。
「何をしているんだ!」
怒鳴るような声に、伸ばしていた指先まで震えた。
恐る恐る下を見ると、そこにはルーファス陛下がいた。眉間に皺の寄ったしかめ面は、不機嫌ですと書いてあるようだ。
「は、花を」
「そんなことはどうでもいい!」
何をしているのか聞かれたから答えようとしたのに、さらに怒られた。
理不尽だ。
「そんな恰好で木に登るなど、何を考えている! 誰かに見られたらどうするつもりだ!」
「人なんてほとんどいないじゃないですか!」
怒鳴るルーファス陛下に負けじと怒鳴って返す。
ここに来るまで誰にも会わなかったのだから、木に登っていようと踊っていようと、誰かに見られるとは思えない。
人手不足すぎて、木の上にまで気を回せる人なんているはずがない。
「俺に見つかっているだろうが!」
「夫婦なのですから、肌着だろうと裸だろうと構わないでしょう!」
「構うに決まっているだろう!」
間髪入れずに返ってくる怒鳴り声にむむむっとなりながらも、心のどこかでほっとしていた。
怒られることには慣れている。優しくされるよりも、こちらのほうが落ち着く。それに怒らせれば、私のことを殺してくれるかもしれない。
肌着で木に登っていたからという理由は少々情けなくはあるけど、この際贅沢は言っていられない。
呼べば足を止めて、こちらを真っ直ぐに見て、答えてくれる。そんな、慣れない環境にこれ以上身を置いていたくはなかった。
「気に食わないのでしたら、あなたの持つその剣で、私の首を刎ねたらいかがですか!」
「なっ……」
ルーファス陛下は目を見開き、固まった。そんな反応を期待していたわけではない。ならば殺してやろうと、剣を抜いてほしかった。
「いいから、降りてこい」
それから少しして静かに紡がれた言葉に、私は小さく息を吐く。やはり、殺してはくれないのか。どうすれば、彼は私を殺してくれるのだろう。
「いいえ、降りません」
「強情な……」
「花が、まだです」
殺してくれないのなら、毒を作るしかない。私を殺せる毒が作れるかはわからないけど、それでも何もしないでいるよりはマシだった。
手を伸ばして、枝に咲く花をもぎ取る。手の平に収まる程度の大きさの花にほっとひと息つく。
これで毒を作れるかもしれない――そう安心したのが、駄目だったのだろう。
ずるりと滑った体が落下する。高所から落ちた程度で死ぬことはないが、痛みはある。常人よりは治りが早いとはいえ、傷を負いもする。
どの程度の傷を負うのかわからず、衝撃に備えて固く目を瞑った。
だけど、想像していた衝撃は訪れなかった。
「お前は、馬鹿か!」
代わりに、怒鳴り声が耳をつんざいた。




