5 合流しないでください。
どのくらいたったでしょうか。一時間のようにも一週間のようにも思えます。
気づいたら退室して、ふらふらと船上プールの場所まで来ていました。女子B客室からだいぶ離れてしまいましたね…。
「どういうことだろう」
ぎゃあああ!?
まだいたのこの人!?
「ノバラさんはどう思う?」
しかも話しかけてきました。
わたしは帰りたい、その思いしかないですけども。
「他言無用って言われたことについて、思うところがあるんじゃない?」
めちゃくちゃありますけど、それ天野さんに言わないと駄目ですか?
ひどい仕打ちだと思います。
こういうことを泣きっ面に蜂というのではないでしたっけ。
「……むかついている」
「だろうね」
デッキのフェンスに寄りかかり、天野さんは水平線の先を眺めます。
「普通に考えれば、今すぐにでも近くの港まで行って警察を呼ぶべきだ。だけどあの人たちはそれをしようとしない」
何事もなかったようにクルーズを続けようとしていますからね。
「それに、犯人はノバラさんの雇い主――梶尾さんだけを殺して終わるとは限らないよ。ここから無差別殺人事件が起きるかもしれない」
発想が恐ろしい。
同じことを思っていましたけど。
「……呑気だよな、あの井草は。探偵に、事件を解決だなんて、夢、みすぎだ」
「そこだよね」
どこ?
「そのことを聞いてさ、ノバラさんの言葉を思い出したんだ。柏尾さんは『同業者がいる』と言っていたんだよね?」
わたしは頷きます。
「その同業者は探偵だろうと思ったんだ。僕自身も探偵だしね」
ああ、確かに。先生は危ない橋を渡りまくっていますが、職業的には探偵です。
天野さんがわずかに黙ります。わたしは少しだけ、彼の目を見ました。
海が凪いでいるように、天野さんの瞳はどこまでも静かでした。情動が存在していないかのように。
「――探偵が意図的に船に集められている」
彼はわたしを見て小首を傾げます。
「どういうことなんだろうね?」
……さあ。
わたし、ミステリーもサスペンスも苦手なので。
○
わたしたちは今、フリーラウンジと呼ばれる広い部屋に来ています。
いわば、ドリンクバー付きのネカフェみたいなものです。
夢も希望もないですね。わたしに語彙力を期待する方が間違えています。
わたしは早く部屋に帰って先生との思い出で枕をしとどに眠りたいのですが、うまくいきませんでした。
人の目を気にしつつ部屋の隅のテーブルで、わたし、天野さん、泉原さんが座っています。
ん? わたし、天野さん、泉原さ――泉原さん!?
うわぁぁぁ合流してきているぅぅぅぅ!! なんで!? 泉原さん仕事は!?
「私、午後から休みなので」
わたしの言いたいことをくみ取ったのか、シレっと言いました。
――このような経過があり、応接室での話を天野さんが簡単に彼女へ説明していました。その間わたしはずっと黙っていました。ええ。
「…オーナー様が体調不良ですか」
「気になるの?」
「まあ多少は。従業員ですからね、上の人が倒れたら心配になりますよ」
「それで――その探偵が集められた理由はなんですか?」
「分からないんだよね」
「分からないのですか……」
あからさまにがっかりしなくても。せっかくここまで天野さんが説明をしてくれたというのに…。
おそるおそる天野さんの顔色をうかがいますが、何とも思っていない表情でした。おおらかですね。
「それは後にして、今は柏尾さん殺しの犯人について考えたいな」
待って、天野さんすごく無神経!
ここにいるのは被害者の身内やぞ! 死んだの発見して間もないんですけど!
と、わたしの胸の中での大暴れが聞こえるはずもなく会話は普通に進んでいきます。
「柏尾さまは、誰かに恨まれている可能性はあるのですか?」
「それがかなりあるようなんだ。だから特定が難しい」
天野さんが勝手に話してくれるのは有り難いですね。
あと恨んでいる人間が多すぎて犯人の特定ができないというワード、あまりにも酷いですね。
「なるほど…。歓迎パーティーが昨日ありましたよね。出港以後、最初に船客たちが集まる時です。その際にトラブルは?」
おや……。泉原さん、かなり優秀です。えらいで賞をあげたいです。
そうでした。直近のことをどうして考えなかったのでしょうか。
昨日の夜は歓迎パーティーがありました。
ドレスコードがあり、先生は燕尾服、わたしは灰色のパーティードレスを着たのです。『暖色を着ればいいのに』と散々先生に言われましたが、わたしは目立ちたくなかったので暗い色にしました。
その際に、なにか…。なにか……。
先生にしては珍しくトラブルを起こさなかったなあ…。
あっ。でもなぁ~、これはなぁ~。
「何か思い出しましたか、ノバラさん」
そういうところは過敏ですね、天野さん。
はぐらかそうとしましたが、残念ながらわたしにはそんなスキルはありませんでした。
「…お酒を、わたしから、奪い取って、呑んでいた」
ひどいことするものです。
おいしそうなお酒だったのに。
「お酒? ノバラさん、今何歳?」
「え? 20歳だが」
「ノバラさん成人なの?」
「嘘! 私、高校生だと思ってました! ごめんなさい!」
「僕もそのくらいかと。びっくりした」
おっと、ここで第二の殺人事件発生ですかね?
我を失うまえに素数を数えませんと。1、3、なんだっけ。
まあいいです。予想外の反応に、わたしは眉間にしわを寄せながら続けます。
「あれが、まさか、人体発火作用の、あるお酒とは、思えないが」
「どんなお酒でした?」
「苺のお酒。ピンク色で、果実が、グラスの縁にあった」
会場の隅に他のお酒に紛れてちょこんと置かれていました。
可愛かったんですけどね、あれ。
「ピンク色のお酒…?」
天野さんが首をひねります。
「僕もカクテルを飲んだけど、見た覚えがないな。カシスではなく?」
「色、違う」
「私も、当時裏方を手伝っていましたが…用意されたリキュールに苺はないはずですよ」
えっ、なにそれこわい。
わたしは何を呑もうとしていたんですか。
「苺のショートケーキみたいなものはいいんですが、一見して分かりにくい苺の加工品はないはずです」
「なぜ?」
「オーナー様がアレルギーなので担当者が配慮して除いているのですよ」
ははぁ、アレルギー。
たしかにこの船にオーナーが乗っていますけど、そこまでしますか。
スピーチにはいましたけど、その後S客室ならともかくA、B客室も集う歓迎パーティーに参加まで?
大金持ちなのは考えなくとも分かりますが、そんな殿上人が庶民クラスの人たちに混じってお酒を呑んだりするんですかね。考えたとて、わたしには関係なさそうですが。
いるであろう物々しいボディーガードも、特に見た記憶はありませんし…。如何にもな雰囲気は出していないにしても。。
「配膳に友人がいるので聞いてみましょう」
少し話が進んだみたいですね。
しかしこれ先生の死の真相に関わるのでしょうか。
とはいえ溺れるものは藁をも掴む、些細な情報も欲しいです。いやでもなぁ、ストロベリーリキュールがあってもなくても、どちらにしろ泉原さんが今後も話しかけてくるのかぁ……。
わたしの苦手なタイプといいますか、大胆不敵に正義を振りかざす感じがちょっと苦手なんですよね。悪い人ではないと思いますけど。
「そのお酒を飲んで、柏尾さんの様子が変わったとかは?」
天野さんが言います。ちなみに、柏尾というのは先生の今回の偽名なのでちょっと反応が遅れますね。