40 小休止。
◇
A級客室の一室。
ベランダに続く窓は広く、今は暗闇で埋め尽くされているが朝や昼間であれば美しい青が広がっているだろう。
リラックスして海が見えるように設置された一人用のソファが丸テーブルをはさんで二つ置かれており、男と少女が――柏尾とノバラがそれぞれに座っていた。
ノバラは背もたれに身体を預け、腕組みをして眠っている。片方の腕には真っ白な包帯が巻かれていた。
緩やかに寝息を繰り返す彼女の前で、行儀悪く丸テーブルに両足を乗せて柏尾は本を読んでいた。その表情からは面白い内容なのかどうか不明だ。
ページのめくれる音のみがする室内にチャイムの音が響いた。
ぴくりとノバラの瞼が動きうっすらと開く。灰色の目には警戒の色が灯っていた。
「俺が出る」
「了解した」
寝ぼけているのか妙に硬い返答をしたあと、ノバラは再び目を閉じた。
柏尾は本を丸テーブルに置き立ち上がるとドアに近寄っていく。片目を閉じてドアスコープを覗いた。
「……」
そこに立つ人物を見て少し悩むような顔をしたあとに、柏尾は深く息を吐いてから来客を出迎えた。
「こんばんは」
天野だった。顔の半分を覆うようなカットバンに加え、保冷剤を側頭部に当てている。
片手には袋が下げられており、中に入っているのは土産屋で買ったであろうクッキーだ。
無の表情で柏尾をわずかに見上げている。
「お世話になったのでお礼をと思いまして」
「立ち話もなんだ。入れ」
「いいんですか。僕、あなたを殺すかもしれないのに」
「俺だっておまえを殺すかもしれないんだぜ」
数秒、ふたりは視線を交わし――最初に目を背けたのは天野だった。
柏尾に促されて天野は部屋に入る。
「ほかの部屋にしてもらえたんですね」
「さすがに人が死んで燃えた部屋で寝泊まりはしたくねえよ」
「確かに」
化粧台の椅子を指し示し、柏尾は先ほどと同じソファに座った。
ノバラは気配に気づいて身じろぎをしたが眠気には勝てなかったようでそれ以上は動かない。
天野が座りつつ彼女を気にするようなそぶりをする。
「うちの部下が世話になったようだな」
視線に気づいてか、柏尾はそう切り出す。
「さぞかし扱いが難しかったと察するが」
「いえ。……あなたはご存じなんですよね、彼女が暗殺者だったという事を」
「むしろ知らずに雇っていたとでも思ったか?」
「どうやって出会ったのですか」
「成り行きだ、他人様に話すことはない」
言葉に含まれているのは拒絶だ。
口元を歪めて笑いながら、柏尾は青年を観察する。
「天野。おまえ、結局あの場所でどうしたかったんだ」
「あの場所?」
「スカイデッキでの騒動だよ。泉原海花とかいう娘を動かしてババアを殺そうとしていたが、本当はどうしたかった?」
「まさか殺そうだなんて。僕はただ、このままでいいのか聞いただけですよ」
「ダウト」
にやにやと笑いながら柏尾は言う。
「ノバラに話を聞いた。何度も殺人を唆したんだって?」
「提案しただけです」
「御託はいい。 言うことを聞いてくれないから仕方なく泉原海花にシフトした印象だったがーーもともとはノバラにやらせたかったんだろ?」
「……」
「こいつが暗殺者だからか? 違うよな。おまえは『花園ノバラ』にさせたかった』
天野は、小さく笑った。
いたずらがバレた子供のように。
「少し違います。最初は『暗殺者』としての彼女にお願いしたつもりですよ」
「二回目と三回目は?」
答えずに、天野は肩をすくめてみせた。
「いやめちゃくちゃ腹立つ」と柏尾はつぶやく。
「……意地悪しました。人を殺せるのに、人を殺さないなんて。自我が薄いように見えてそこだけはしっかり自分を持っていた。だから、それを崩したくなってしまった」
「ふうん」
「だからスカイデッキでのことは、あなたが現れさえしなければあともう一歩だったのに」
「泉原を唆したのは当てつけか?」
「いいえ。母親のピンチに遭遇した彼女を後押ししてあげただけですよ。守りたいという気持ちが強かったようなので」
「ダウト。物は言いようだよな」
ふと天野は化粧台に置かれているぬいぐるみに気づく。
緑色のバースデイベア。腹は今はきちんと縫われていた。菓子箱の箱についているリボンで首元が飾られている。
「柏尾さんは何故、ノバラさんに人を殺すなと指示をするのですか」
「俺が雇ってるのは探偵助手であって、暗殺者ではない。だから人殺しなんてしなくていいだろ」
「もしノバラさんが誰かを殺したらどうするんですか」
「どうしようかね。その時考えることにする」
部屋に置かれた小さな冷蔵庫がモーター音を出し、氷を作り始めた。
それが静まるまで二人は口を開かなかった。
「天野、お前さ」
「何ですか?」
「ノバラが好きなんだな」
――天野は、目を見開いた。
まるで予想もつかなかったというようにひどく驚いた様子で。
「好きな女の子にちょっかい出すクソガキと同じだぞ、今のお前」
「……僕が?」
「初対面でやけに俺に突っかかっていたのも、ノバラが俺のために動いていたのが気に入らなかったからか」
「……」
「幾度の殺人教唆も気になる女の子が自分の言うことを聞いてくれないからヤキモチしていた、って置き換えると理解がスムーズな気がする」
「……そうなんですか?」
「知らん」
まるで責任のない言葉だった。
動揺する青年に対し、眠っている部下を一瞥してからつまらなさそうに男は言う。
「もっと言えば、一目惚れだったんじゃねえの?」
◇




