37 答え合わせです。
その場にいた、意識のある全員が声の方を振り向いた。
視線の先にオールバックの男がジーパンのポケットに手を突っ込んで立っている。色の濃いサングラスを掛けているために表情が読みにくい。
今まさに来たばかりだと示すように、彼の後ろで曇りガラスのドアが閉まった。
「せ、せんせ、い……?」
わたしは口の中でつぶやく。
あれほどまでに会いたかったはずなのに、いざ目の前に現れるとどんな反応をしていいかが分からなくなってしまう。
先生は辺りをぐるりと見渡したあとにわたしを視線を向けた。泉原さんにしがみつかれ、怯える支配人を前にしている様を見て納得したように数回頷いた。
「ははぁ。ノバラ、これは? おまえがやったのか」
近くにいる伸びた黒服を指差して聞いてきた。
「あ、え、何人かは、わたしじゃないです」
「何割ぐらいおまえだ」
「その、うーんと、七割ぐらい…」
「ほとんどおまえじゃねえか」
ぐうの音も出ない。
先生は特に黒服たちを避けず、遠慮なく踏んづけながらわたしのところに近寄ってくる。皆が彼の挙動を見守り身動きすらしない。
そうして棒立ちのわたしの額へデコピンをした。
痛かった。
「瞳孔開いてる」
もう一回デコピンされた。痛い。
「俺言ったよな? 『普通の人間らしく振る舞え』って」
わざとらしい大きいため息を漏らし、先生は首を振る。
「振る舞えたか?」
「た、多少は」
「振る舞えてないから言ってるんだよ」
チョップを頭に食らった。さらに痛い。
「普通の人間は場を制圧とかしないんだよ。七割の成人男性を沈めないの。まさかステゴロとは言わないよな?」
「です」
「バカ」
拳を脳天に叩き込まれた。非常に痛い。
――いや、ボッコボコに殴られているんですけどわたし!?
どうしてですか!?
理由を考えてみますが、心当たりしかないのでやめました。
泉原さんはわたしたちのやり取りを見てへなへなと座り込みます。危機は去った、と思ったのでしょうか。
まあ先ほどまで殺意に満たされていた女がゲンコツ食らってるところを見たらそうなりますよね。多分わたしも緊張が緩んでしまうでしょう。
支配人はと見ればお小水を漏らしていました。膀胱の筋肉まで緩めてどうするんですか。
態度が変わらないのは先生が来てからもずっと静観を決め込んでいるオーナーだけです。護衛はまだわたしを厳しい目で見ていました。
……っ、そうだ! 天野さん!
気づくと同時にわたしは彼の元に駆け寄ります。
呼吸はしており、瞳孔も正常に動いています。頭をペタペタ触って確認すると、殴られた箇所はたんこぶになりかけていました。
死んでいない…。よかった。
庇うつもりだったのかは知りませんけど、あのまま死んでいたら夢見が悪すぎます。
安堵するわたしの背中から、先生が驚いたように呟きます。
「マヒル?」
「え?」
どこかで聞いたような名前ですが……なんでしたっけ。
ああ、確か天野さんのお母様。
何故その名前が?
「……いや、なんでもない」
先生にしては歯切れの悪い言葉に首を傾げながらも、わたしは天野さんの肩を叩きます。
わたしはわたしの出来ることをしましたからね! 天野さんにも、もう少し仕事してもらいますよ!
ばしばし叩いているとようやく目をあけました。
「……ノバラさん?」
わたしです。
「僕が……生きているってことは、事件は終わったのかな?」
「答え合わせはまだだ」
「そっか」
ゆっくり上体を起こした彼は先生に気づいて見上げます。
わずかに目を細めました。
「あなたがノバラさんの"先生"ですか?」
「俺のことはどうでもいい」
えっ、初対面でどうしてピリピリしだすんです? お腹が痛くなってきました。
早く終わらせてほしいのですが……。
一刻も早くここから離れたいと思い始めた時、ガラスドアに気配を感じました。誰かいる? わたしが気配を探っていると先生は同じところを見、つまらなさそうな顔をしました。
「天野って言ったか? さっさとここまでの成果を話してやれよ。ババアどもがウキウキしながら待ってんぞ」
なんでババアに複数形が付いているんですか。
「そこにいちゃつまらねえだろ、バアさん。特等席で見たいんじゃねえの?」
ドアに向かって先生が話しかけます。いったい誰がいるのでしょうか。
疑問に答えるように、ゆっくりとドアが開きます。そこから現れたのは――
「叔母さん……どうしてここに」
泉原さんが困惑しています。
わたしたちの前では井草道子と名乗っている女性でした。
彼女はドアを後ろ手に閉めると先生に向かって柔和な表情で口を開きます。
「貴方が死んでいれば、もう少し面白かったはずですのに」
「クソ脚本家が演者に文句を垂れてんじゃねえよ。仮に俺が死んでたら命ねえぞ、ババア」
まあその、その点についてはあまり突っ込まないでほしいです。先生が声をかけてなかったらどうなっていたことか考えたくないので。
天野さんが頭を押さえながら立ち上がりました。
「柏尾さん。僕が話していいんですか」
「おまえらの方が事件に近かったはずだ。ノバラに説明させたら夜になる、天野がやれ」
いや、事実ですけどあまりにも酷くないですか。
散々なことを言われましたが、この場の主導権を天野さんに渡すことは賛成です。
当の本人である天野さんは殴られた箇所をさすりながらわたしに尋ねてきました。
「その前にノバラさん、『指は何本に見える』ってやつやってもらっていい? 吐き気はないけど強くやられたから一応ね」
なにを……なに?
理由あってのことでしょうが、その理由が不明です。
「脳しんとうチェックだよノバラ。ほら天野、何本だ」
困惑するわたしの横で先生が指を一本立てました。中指で。コラ!
「一本。あと、へし折っていいですか?」
「は? 自分の折れよ。頭大丈夫か?」
「おかげで大丈夫だと確認できました。ありがとうございます」
喧嘩しないでください!
どうして!? ファーストコンタクト最悪すぎませんか!?
天野さんがさわやかな笑顔で、先生が口元に胡散臭い笑みを浮かべて言葉を交わしているのが更に胃痛を強めていきます!
わたしはただ黙って見守るしか出来ません。
いや、無理だもん。止めるの。
すぐに気は済んだのか、天野さんは咳払いを一つしてオーナーに身体を向けます。井草さんも気になるようですが、離れて立っているので同じ視界に入らないのです。
先生はじっと井草さんを眺めていますが……。なぜなのかはあとで聞きましょう。
「まず、第一の事件。柏尾さんが焼死体で見つかったところから始まりました」
いますけどね、ここに。ミディアムの焼死体になったはずの人が。
サングラスを掛けているので表情は伺えません。
「ですが、柏尾さんの死体は柏尾さんではありませんでしたし、殺した人間と燃やした人間は違う人でした」
実にややこしい。
「死体を燃やした人は、結局なんて名前だった?」
いきなり話を振られましたがわたしは答えられません。
どう読むか分かりませんでしたし、実はローマ字も得意ではないので……。
「小鳥遊です」
泉原さんがフォローしてくれました。
「ありがとう。――まず柏尾さんを殺そうと来室した麻場さんを、画家の石谷さんが殺した。後から様子を見にきた小鳥遊さんが麻場さんの死体を見つけ、燃やした。その死体を僕らは柏尾さんだと誤認してしまった。これが第一の事件」
ここで気になるのは、と天野さんは先生をちらりと見ます。
「柏尾さんのほうが詳しそうですよね。あなた、どこにいたんですか?」
「ベッドの下」
ケロリと先生は答えます。
確かに頑張れば潜り込めそうな空間がありましたね。
「ノバラと決めた合図抜きでドアをこじ開ける音がした。俺だって伊達に修羅場を潜り抜けてきたわけじゃない」
依頼イコール修羅場みたいなものばかりですからね、うちの事務所……。
「クローゼットはバレる。ベッド下しかないだろ」
先生、敵多いですからね。何が起きるかわからないのが日常なので。
オートロックでも一応と合図は決めてました。それが功を成したみたいです。
わたしが襲撃者なら全ての家具に一発ずつ弾を撃ち込んで回りますけど。
「そこで一部始終を見ていたのだな?」
オーナーがにこにこと問います。
こうしてみると井草さんに笑い方が似ていますね。
「聞いていた、のが正しい。襲撃者一人目が俺を探してあたりを物色している間に二人目が来た。オートロック外してな」
「ふふふ、どんな堅牢でも開けられてしまえばセキュリティなどゴミクズになってしまう。悲しいことだ」
口ぶりがまるで悲しんでいませんけれど。
先生は無視しました。
「仲間だと思ったのか一人目は生返事で棚を探っていた。これ幸いと二人目は殴り殺し、死体を漁った後に逃げた。そしたら三人目だ。やっぱり死体を漁ったあと、燃やして逃げた」
うわぁ。災難過ぎやしませんか。
「スプリンクラーが作動してすぐ消されたから良かったけどな。一緒に死ぬかと思った」
「消防法に感謝だ」
「ウゼェよババア。このまま死んだことにした方が狙われないで済む。だから俺の腕時計を死体につけた」
だから燃えた感じがなかったのですね。
あれ? でも時間は止まっていました。電池を外す時間なんてあったのでしょうか?
先生はわたしの言わんとしていることを読み取ったようです。
「固いところにぶつけて壊して止めた。それだけ無事なのも目立つから」
あなたそれ前に友人にもらった大事なものって言ってませんでした!?
命を優先したにしても、結構大切に扱っていましたよね!? 良かったのですか壊して! そういうところたまに分からない!
「で、しょうがないから同船していた同業者の知人のとこに匿ってもらっていた。以上」
あとでその知人さんに菓子折りもって謝りに行かなきゃ……。
同業者が多いと言ってましたけど、あれは仕事での顔なじみが多いってことだったのですね。それはそうか、顔に探偵なんて書いてありませんから。
「画家は支配人さんが、麻場さんと小鳥遊さんを裏で手引きしていたのは、井草さんだと聞きました」
井草さは微笑んだままでしたが、支配人はひどく狼狽えた様子を見せました。
もしかしてこの中で一番何も知らなかったの、支配人では?
「第二の事件。画家が殺されました。支配人さんが一番知っていますよね? 雇った二人の従業員に口封じをさせた。最初の事件に比べればあっさりとしたものでした」
「ま、待て、何か証拠はあるのか!?」
悪あがきしてますが色々手遅れですよ、支配人。
「ノバラさんがわざと誘拐されて聞き出してくれました」
「わたしの発案ではない」
「お前らなにしてんの?」
わたしが! 聞きたいです!




