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35 スカイデッキにて。


 めありぃ号、スカイデッキ――。

 有り体に言えば、屋上のようなものです。船の最も高いところからあたりを見回せるスポット。

 そこへ続く階段の前にわたしたちは立っていました。

 足元には「立ち入り禁止」と書かれた看板が置かれています。アナウンスがあったからか、このあたりにはお客がいません。四時から始まるコンサートに向かっている頃合いでもあるでしょうね。

 ……見張りらしい影はありますが。どうやらわたしたちは招かれし客人のようで、あちらからは何もしてきません。無視で良いでしょう。


「行こうか」


 天野さんはそう言うと、ためらいもなく上がっていきます。感情がなくても警戒ぐらいはしてほしい。

 慌てて泉原さんが、その後ろをわたしが追っていきます。


「気を付けてください。スカイデッキは柵があるとはいえ最も高いところです。そこから落下したら――ずっと下のデッキに落ちるか、運が悪ければ海に落ちます」


 どうして今そういうことを言うの……!?

 わたしめちゃくちゃ海嫌いだから足が竦んでしまうのですが。

 しかし警告を聞いて損なことはありません。心に刻んでおきましょう。

 スカイデッキへ入るガラスドアの前にたどり着きました。色のついた曇りガラスで、向こうの様子はまるで見えません。

 天野さんが真鍮製の取っ手に手をかけて「いい?」と聞いてきます。わたしは頷きました。

 キィ…と、微かな音を上げてドアが開かれます。

 その隙間から顔を覗かせて、目の前に広がる光景をなるべく早く判断することに努めます。


 ――立っている人は10名、伏している人は4名。合計14名。

 手前には支配人、奥にはオーナーがいました。その他8名の内訳として、手前側に5名、奥に3名。

 オーナー側が劣勢というところでしょう。

 ひとりふたりならどうにかなりますけれど、こんなに人数がいると時間がかかりますね。その間にオーナーが襲われる可能性が高くなります。

 ドアを開けた音に気がついて支配人が振り返ります。


「やあ、海花。少し遅かったね?」

「支配人さま……いいえ、叔父さん、これはどういうことですか?」


 前に行こうとする泉原さんを押しとどめます。支配人が何しでかすか未知数なので。


「こういうことだよ、海花。いわゆる下克上ということかな?」

「明智光秀でももう少しうまく事を運べたはずですよ、支配人さん」


 天野さんがのんびりと口を開きました。


「ところで怪我は傷みませんか? ボールペンの刺し傷って結構痛いですよね」


 支配人は口を歪めました。わずかにですが、左足を後ろにずらします。

 重心が偏っていますね。そちらを怪我したのでしょう。


「……なんのことです? 私には身に覚えが――」

「やめにしましょう、三文芝居は。時間を無駄にしますから」


 にこにこと笑いながら天野さんは小首を傾げます。


「舞台も役者も揃った。観客はどうだか知らないけれど――そろそろ締めに入りましょう、オーナーさん」


 柵にもたれかかっているオーナーに向けて、天野さんは話を振ります。

 彼女は一瞬目を見開いたあとに快活に笑います。周りでうめき声をあげて倒れている人が居る中、とても楽しそうに。

 対して支配人は面白くなさそうな顔です。いえ、それ以上に憎悪に塗れた表情をしていました。


「締め? 締めだと?」


 わなわなと震える声で彼は叫びます。


「お前らが死んで終わる、それだけだ!」


 それを合図に、支配人側の黒服たちが襲い掛かってきました。

 せめて解決パートぐらい聞けばいいものを、せっかちな! 眼鏡の小学生が出てくる漫画だって犯人はもう少し話を聞いてくれますよ!

 真っ先に向かってきた黒服の足を払います。バランスを崩した彼の腹に拳を捩じりこみました。

 左から殴ろうとして空振りした黒服2の腕を抱え、そのまましゃがみ込むようにして体勢を前のめりにします。わたしの背中を通過し、黒服2が床に身体を強かにぶつけます。

 周りを見ると泉原さんが黒服3に応戦しています。わたしは短い距離を跳躍し、黒服3の脇腹に肘を叩きこみました。

 ああもう、わたし、誰かを守りながら立ち回りするのが本当に苦手なんですよ!

 でも彼らを守らないと、ここまでの努力がすべて水の泡です。

 なによりもこの状況を脱さないと、先生に会えないどころか彼にも再び危機がふりかかってしまいます。

 天野さんは大丈夫かとそちらに意識を向けた時、後ろでスタンガンの音がしました。


「あっ!」


 泉原さんの短い悲鳴。そして、倒れる音。

 振り向こうとした時を狙われ、黒服4に顔面を殴られました。そのまま胸倉を掴まれます。

 横目で彼女のほうを見れば支配人が彼女の傍に立っていました。手にはスタンガン。

 ――この船、スタンガン愛用者が多いのではないでしょうか!?


「身内には手を上げられないのか。優しいね、海花は」


 嘲りに答えられないぐらい泉原さんは悶絶していました。当たり前です、あれはひどく痛いものなのですから。

 わたしは訓練を何十何百としてきたので耐性はありますが一般人なら数分は起き上がれない代物です。

 とにかく、ここでぼんやりしていると泉原さんが殺されてしまう。わたしは黒服4の小指を折ろうと手を伸ばします。

 そこへ――わたしと黒服の間に、天野さんが飛び込んできました。黒服4の顎に頭突きを食らわせます。手の力が緩み、わたしは解放されました。


「天野! 後ろに下がれッ!」


 わたしが叫んだと同時に、黒服4の拳が天野さんの側頭部を殴ります。

 ゴン、と空洞を叩くような音がしました。彼は人形のようにこてりと倒れ、……動きません。

 完全にそちらに思考が飛びました。黒服4の手がわたしの首を掴み、押し倒されます。ギリギリと指が食い込んでくる感触。

 心臓がまるでそばにあるかのように、どくどくと血が巡る音が。


「かわいそうに」


 支配人の、安っぽい、憐れんだ声が、視界の端から聞こえます。


「つまらない探偵ごっこなどするからこうなる。大人しく海に落とされていればよかったものを」

「叔父さ……ん……が、天野さんを……海に……どうして……」

「邪魔で目障りで仕方なかったからさ。だから私直々に殺そうとしてあげたのに、抵抗してあまつさえ刺してくるんだから」


 殺害失敗したことをここまで上から目線で言える人、そうそういないですよ。

 恥ずかしくないんですか。


「海花はもうすこし生きていてもらわないと困るが、そこの二人は居ても仕方がない」

「やめ……て……! 殺さない、で……、叔父さん……!」

「大丈夫だよ海花。船から降りた後に失踪したことにすればいい、伝手はあるんだ」


 やり取りを聞きながら天野さんに目を向けます。彼は、動きません。海風に髪を撫でられて、彼の顔が露わになります。

 穏やかに寝ているようにも見えました。生きているのかはここからでは判断できません。


 息が詰まります。

 物理的なものなのか、精神的なものか、判断が付きません。

 チョーカーがぶつんと音を立てて切れました。ああ。先生に買ってもらったのに。


「海に消えてもらうとしよう」


 ああ――。


 ――ザァザァと耳の奥がうるさくなる。

 わたし、海、嫌いなんだよな。

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