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33 いい加減にしなさい。

 泉原さんが掠れた声で表示された記事を読み上げました。

 呪文でしょうか。


「聞き覚え、ある?」

「……」


 天野さんの言葉に泉原さんは沈黙で返します。


「幾多の入退院を繰り返し、実際には起きていない病気に罹っているように見せている。彼女はこれに近い気がするんだけど、どうかな」

「……ええ」


 なんの話ですか?

 わたしにはまったくついていけない話です。眉間にしわを寄せていると、気づいた天野さんがディスプレイをなぞります。


「ここ読んで貰えば分かると思う。こことか、あと」

「……悪い」


 言葉を遮って頭を振りました。


「日本語、読めないんだ」

「……え? 花園さん、それはどういう……」


 まあそうなりますよね。

 識字率が高い国において、国の言葉を読めないというのは色々と目立ちます。

 わたしは周りの目を気にしつつボソボソと言いました。


「わたし、フィリピン人の母と、日本人の父の、ハーフだ。ずっと、フィリピンに、いたから……あまり、読み書き、できない」


 小さい頃に――売られる前に少しだけ聞いた話なので血筋については断言できませんし、訓練のために転々と拠点を移していた時期もあったので嘘なのかどうか自分でも分からない説明をします。

 スピーキングとリスニングは厳しく叩き込まれましたし、仲間のうちに日本オタクがいたからわりかし流暢に話せてますが読み書きは習いませんでした。殺しにはいらないとのことで。

 あと日本オタクの語尾が「ござる」だったのでそれが日本のデフォルトだと思っていた時期もありましたね…。

 それはどうでもいいとして、天野さんをちらりと見ると彼は黙って聞いています。逆に怖い。


「そうだったのですね……」

「なるほど」


 あまり興味もなさげに天野さんは流しました。

 自分に素直ですね。一周回って羨ましい。


「ざっくり説明すると、軽い病気を深刻な病気のように言ったり、嘘を言ったりして周りから同情とか気を引いたりしようとする精神疾患――心の病気。わざと強い薬を飲んで体調をおかしくさせたり自分から感染症になろうとする」

「……仮病?」

「仮病とはまた違うけど、今はそんな認識でいいよ」


 理解はできますけど……それがどう繋がるのかちんぷんかんぷんです。

 ……天野さんがなんとかしてくれますよね。してくれ。頼む。

 彼は背伸びをして立ち上がり、「出ようか」と声をかけてきました。本当に調べ物だけでしたね、滞在時間五分ぐらいですよ。

 スマホで調べろとも思いますが、海上って電波が不安定なので船に備え付けの機器の方がまだ安定しています。いやでもそのぐらいならスマホで調べろ。持っているところ見たことありませんが。

 フリーラウンジを出ます。……まだいますね、つけてくる人。どこで接触しましょう。


「…ミュンヒハウゼンを知って、どうするつもりですか? たしかにそのような節はありますが、事件に関係はないと思います…」


 人がまばらな場所に差し掛かり、泉原さんは小声で天野さんに尋ねました。

 問いただしている、と言う言葉の方が正しいかもしれません。

 ミュなんとかが正しいかどうかは別に、義母のマイナスな部分をほじくられて泉原さん的には面白くないでしょう。


「そうするとこれまでの行為に得心がいくんだ」


 被害者役を名乗ったこと。

 殺されると分かって船に乗ったこと。


「殺される自分に焦がれているのかもね」


 そんな変態な望み持ってるバカ、いてたまりますか。

 ですが暗殺者時代にあった数々の変態依頼を思い返して、まあまあまともな類かな……と思ってしまいます。ターゲットの人皮が欲しいとかありましたもん。


「そっ……そんなことを……!」

「怒らないで海花さん。どうせこれから確かめられるんだから、ね」


 あ、あま、天野ォォォ!!

 人でなしさが露呈してきてるぞ! これまで被っていた猫はどこにやったんだアホ!

 泉原さん今回の一番の被害者ですよ! 多少は思いやりを持て! あと僅差で二位がわたしになります。

 もう一回ビンタされても文句は言えないのではないかと。彼女もそう思ったようで、ぴくりと利き腕が動きましたが天野さんの顔のけがを見てやめました。優しいですね。


「問題はあの二人が目を覚まして僕らを血眼で探していないかってことなんだけど」

「しばらく、起きない」


 むかし、仲間が大喧嘩している時にわたしは言葉での仲裁はできなかったので物理で止めていました。

 あれぐらいの打撃なら一時間ほどで意識が戻るはずです。


「なら平気そうだね。よかった」

「こちらはよかったとしても、あちらは平気ではなさそうですが……」


 あばらは折っていませんがヒビは入れたので激しい運動を出来ないでしょう。

 それでも尚、わたしたちに襲い掛かってきたら次はありません。正当防衛として腕の骨を折ります。


 正当防衛と言えば……。

 後ろに意識を集中させます。いる。まだいる。わたしを見張っています。

 ああもう、うざったい。

 キッカケがあればすぐにでも叩いてやろうと思いましたが、もう我慢できません。わたしを襲う隙を狙っているなら永遠に来ませんよ。

 わたしの削られていくメンタルを守らなければ。よってこれは正当防衛です。

 今は昼食の時間なので人は少なく、いい機会と言えるでしょう。


 ――わたしは前を歩く二人に黙ってくるりと後ろにターンした。

 同時にわたしに向けられていた視線が消える。否、逃げ出したか。逃がすわけがないだろう、間抜け。

 恐らく直前までいたであろう場所にたどり着き、あたりを見回した。少し離れた曲がり角を誰かが走って行くのが見える。

 写真撮影に興じる船客の間をすり抜けて追いかけていく。――いた。ラストスパートとして足に力を込める。

 坊主頭の男を追い抜かし、空中で半回転。立ちふさがる。突然現れたわたしに驚いたもののもう勢いは落とせない。

 わたしは、胸元を狙って頭突きをした。


「んぶぉぼあっ!」


 妙な悲鳴を上げて男は悶絶しながら倒れる。


 …ふう。

 周りに人が居なくてよかったです。ヤバい人として見られるところでした。

 暗殺者モードちょっと出ちゃったし。


「花園さんっ! どうしたんですか!?」


 泉原さんが追いついてきました。早かったですね。 そして倒れた男を見て驚きます。


「客室乗務員の制服……。花園さん、彼はいったい?」


 わたしが知りたいぐらいですよ。なんなんですか、この方は。


「ち、ちがう! 待ってくれ!」


 あ、なにも言われていないのに口を開いてくれた。

 よかった、質問する手間が省けました。

 鳩尾を押さえてみっともない体勢で、口角から泡を吹きながら彼は叫びます。


「オレは殺してはいない!」

「あれ、なに、その人?」


 息を切らしながら天野さんが到着しました。

 全然体力ないですね……。

「さあ……。いきなり『殺してはいない』とか言い出しまして……」

「もうすでに殺されていたんだ!」


 戸惑う泉原さんの言葉に被せて重大なことを言い出しましたよ。

 天野さんは荒い息を抑えつつ「誰のこと?」と問います。


「あ、麻場勝って、オレの同僚だ…。あいつは、オレが部屋に入った時にはもう、死んでて……」

「部屋? どこの?」

「柏尾とかいう男のいるA客室の…」

「それで、死体はどうしたの?」

「も、燃やした…」


 わたし達は顔を見合わせます。

 その犯人は画家ですが、被害者は天野さんが予想をしていた麻場という人物で、燃やしたのはこの人ということですか。


「どうして燃やしたの?」

「だ、だって! あの部屋にいる男を殺せって言われて、オレは見張りで、後から行ったら麻場は死んでて、よくつるんでいたのがオレだから、疑われるだろうが!」


 キレるな。

 まとまった文ではありませんが、言いたいことは理解できました。

 先生を殺そうとして、麻場という人は実行役でこの人は見張り役。後から部屋に入ってみたら麻場が死んでいたと。

 ふぅん。


「すぐ誰かなのか発覚しないように燃やしたと。なるほどねぇ」


 ようやく息が戻ったらしい天野さんはカットバンに触れながら何か考えているようでした。

 って、待ってください。『殺せと言われた』?


「誰に、言われたんだ」

「……」

「答えろ。なんなら爪を一枚ずつ剥がしてもいいんだ。ゆっくりとな」

「ひ、ひとがいるだろうが! 周りにひとが!」

「なら場所を移そう。お仲間が死んだ場所の方がいいか?」


 低い声で語りかけます。

 よくも先生に迷惑をかけてくれましたね。人前でなければ指の骨を折っていましたよ。

 先生は先生で画家vs麻場に巻き込まれなかったようで何よりですが。


「パーティーのあとに……」


 もしかして、支配人と画家の話を聞いたとか?

 そんな予想はすぐ崩れました。


「井草という女が、やれって……。バレないからって……。うまくデータを手に入れたら、金をくれると、オレ達に提案してきたんだ……」


 …え?

 井草?


「でもさ、海に捨てるほうが確実だろ!?」


 わたしたちの沈黙に耐えきれなくなったか、彼は叫ぶように言います。


「だけど死体は残せって言われて、仕方ないからああいう道しかなかったんだよ…! な? オレだけの意思じゃないって分かってくれたか?」

「あなたは……っ、いったいどれほどの罪を犯したか分かっているのですかっ!」

「オレだけじゃないんだぁっ! オレだけでは!」


 相手の胸ぐらを掴む泉原さんが、ひどく遠くのことのように見えます。

 わたしは腕をつねり、その痛みでどうにか正気を保ちます。わたしまで雰囲気に飲み込まれてはいけません。皮膚に爪が突き刺さりジワリと血が滲むのを意識の端で認識しました。

 先生を、先生を……ちっぽけなデータチップのためだけに殺そうとして、それから死体を弄ぶような真似をして、ああ、頭がおかしくなりそう。最悪です。

 おそらくここまで、わたしたちの動向を追っていた井草さんはゲーム感覚でこの事件を楽しんでいるのでしょうか。


「君にとって大切な人を殺そうとした人間を、許せる?」


 わたしの耳に顔を近づけて、天野さんは囁きます。

 首をじわじわと締め上げられているような――逃げ場のない感覚。


「大葉舞子は要因で、大葉暁人は悪で、井草道子は元凶だ。ね? ノバラさん、許してはいけないよ」


 ……。


「全部刈り取ろう。ノバラさんにはそれが難しくはないはずだ、そうでしょ?」


 そう。わたしには難しくない。

 なにも手こずらない。失敗もしない。

 だから。

 だから、わたしは……まずは……

 天野さんにアッパーをかましました。


「いぎっ」


 彼はそのまま後ろに倒れます。舌は噛んでませんし、頭も打っていないので大丈夫そうですね。なら心配しなくていいか。

 いきなりのことに泉原さんが驚いてわたし達を見ています。アッパーしただけなのでそんなに見ないでほしい……。


「天野」


 しゃがみ込み、彼へ低い声で話しかけました。


「しつこい。殺人教唆をするな」

「でも、楽だよ。その方が」


 そうなんですけど。

 いや、まあ、そうなんですけど。

 なんなんだ、開き直るんじゃない。

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