33 時間つぶしです。
「私、支配人様とお話をしてきます」
売店でパンを買い、サンデッキに並ぶ椅子に座って軽い昼を食べている時のことです。
泉原さんが急に大変なことを言い出しました。
「泉原、早まるな」
「それはバカだよ」
「バカ丸出し」
「そんなに……!?」
畳みかけるような罵倒に泉原さんは頭を抱えます。
「なんて言うつもりなの?」
「『黒幕ですか』と聞くつもりですが…」
「それはバカだよ」
「バカ丸出し」
「そこまで…!?」
それを聞かれて「はい」と答える犯人、いないと思いますけども。
いたとしても直後に口封じされるのがオチなのでは。犯人の正体に気づいて強請りをかけた人が翌日死体となって発見されるようなお決まりの展開です。わたしはメジャーな漫画とか小説を読んで詳しいから分かります。
気づかれ始めているという焦りもあるでしょうし、なにより大葉舞子の養子にそんなことを言われたら――冷静さを保てないでしょうね。
「シラを切られたらそれで終わりだよ、海花さん。決定的な場面に立ち会わなくちゃ」
泉原さん本人の心配はしないのですね、この人……。
なんというか天野さん、先ほどから泉原さんを煽っているような気がしてならないのですが。
「決定的な場面? それは例えば、どういう……」
彼は答えずにただ笑むばかりです。
困り果てた彼女はわたしに視線で助けを求めてきますが、わたしも首を横に振って分からないとジェスチャーを送ります。
……。本当は、分かりますけど。
オーナーが殺されるその瞬間――というわけでしょう、天野さん?
彼がいったい泉原さんに何を期待しているのか知りませんけれど、事態を悪化させることは間違いがないです。
この人本当に犯人を見つければどうでもいいんですね。そこからあとがどうなっても気にすることはないのでしょう。
……いえ、それはわたしもですね。善意で犯人を見つけたいわけではないので。
「その時が来たらおのずと分かるよ。今はリラックスリラックス。ずっとピリピリしていたら疲れるだろう?」
真っ当なことのように聞こえますけど、朝一で殺されかけた人が言っても何の説得力にもならないんですよ!?
むしろあなたはもう少し危機感を持ったほうがいい。
わたしはひっそりと息を吐きだします。自分のことも気にかけないといけないですね。
慣れない人付き合いを続けているため、気持ちが高ぶっているのです。落ち着くまでに時間がかかりそうです。むしろしばらく一人にならないと治らないんじゃないかな。
でも今一人になると、その間に天野さんが何を泉原さんにそそのかすか未知数ですから見張っておかないと……。
昨晩わたしにオーナー殺しをそそのかした人ですよ、なにもしないという保証がない。
わたしたちは目の前の海を見つめてしばらく黙りました。
何人かのお客がわたしたちの前を通り過ぎています。殺人事件があったなんて夢にも思わない、楽し気な顔で。
まあ……殺人事件に巻き込まれていなくても、果たしてあんなふうに楽しめていたのかは疑問ですが。たまにこの性格が嫌になります。楽しいことは全力で楽しみたいのですよわたし、これでも。
もう少し人と関わる力があって周りとの順応性があったら……わたしはまだ、仲間と一緒に仕事をしていたのでしょうか。
……やめましょう。もしもの話は、辛くなるだけです。
「そういえば今日、夕方からイベントがあるんだっけ?」
「はい、有名なバイオリニストとピアニストの演奏会がありますよ。それを目当てに乗船されるお客様もいます」
「結構な人気なんだ」
「ええ。大規模なイベントごとは、大体のお客様が参加されます。人気のないプログラムはそもそも作りませんしね」
「そうかそうか、なるほど」
天野さんは立ち上がり、軽く伸びをします。
「夕方になるまで何をしようか。カジノでも行ってみる?」
「できるのか」
「多少はね。カードゲームぐらいなら」
心理戦とか得意でしょうね、あなた。
「えっと、演奏会に行くのですか?」
「んーん。むしろその逆、参加しない」
「え?」
「第三の事件を起こすなら、犯人にとってその時間帯が狙い時だと思ってさ」
お客の大部分が一か所に集まるということは、他は空くという事。
その間に何かが起きると予想しているということですかね。そんなうまく行くでしょうか。
この船、大きいんですよ。ピンポイントに狙った事案と遭遇するのは難しいです。
「場所の、目星、ついて、いるんだな?」
「心配しなくてもあちらから呼んでくれるよ。探偵役を求めているんだから仲間はずれにはしないはずだ」
ね? と彼は大げさに首を傾げます。
「願わくば、夕飯までには解決できると良いんだけど」
天野さんが小さく鼻歌を歌いながら先を歩きます。なんの歌でしょう、聞いたことがありません。
彼の中では終わりが見えたから気が楽になったのでしょうか。今までこれといって切羽詰まった様子はありませんでしたけど。
何だかんだ吐きまくったわたしの苦しみを八割ぐらい味わっていただきたいですが、この人もあわや殺されかけていますから二割にしておきます。
「……楽しそうだな」
わたしがぼそりと皮肉を言うと、よそ行き顔の天野さんがにこっと笑いました。
「そう見えるなら良かった。自分にとってプラスに事態が動いている時は歌いたくなるって母さんが言ってたから、真似してみたんだよ」
なるほど、模倣しただけですか。
なぜ今?
「今が一番歌いたい時だと思うんだよね」
やっぱり二十割ぐらい苦しみを味わってください。
あと、多分お母様の想定する事態と今の事態、全然違いますからむしろ見えない敵への挑発にしかならないんですけども。
「仕草は、母親、譲りか」
「まあ、身近な人間と言えば母さんだからね。あの人は周囲に好感を持たせやすい人らしいから参考にしてる」
過去形の話し方ではないのでまだ存命しているんですね、天野さんのお母様。いやなんか想像しにくくて……この人の家族。
一方の泉原さんは物思いに沈んでいるのか表情が冴えません。義叔父が黒幕と聞いてしまったのでそのことが彼女の心を重くさせているのでしょう。
対極的なふたりを見比べながらわたしは後ろの気配に神経を尖らせます。誰かつけてきていますね…船から降りる前にわたしをつけていた人ですかね。結局未だ正体知れずですが。
そろそろ、暴きますか。
さすがにわたしもイライラしています。慣れないことをしすぎて余裕がなくなっているのです。
そんなことを考えていると天野さんが足を止めました。ここは……さっき後にしたはずのフリーラウンジではありませんか?
「調べ物があってさ」
わたしの無言の疑問に答えるように彼は言います。
「調べ物ですか?」
「そ。大して重要ではないけど、うろ覚えですっきりしないから。時間もあるし暇つぶしにはちょうどいいだろう?」
第三の事件が起こるかもしれないというのに緊張感のかけらもないですね、この人。
返事を待たずに彼はさっさとパソコンエリアに向かいます。先程よりは空きましたけど、人がいるから嫌だ…。
席に座り、検索エンジンに素早く入力します。それからヒットした結果欄の一番上――ウィキペディアを開きました。
「…ミュンヒハウゼン症候群…?」




