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28 契約しますか?


 胃液を吐くのってなんでこんなに辛いのでしょう。

 ようやく吐き気が収まりわたしはトイレのレバーを引きます。

 くるくると回る水の渦を脱力感とともに眺め、重い身体を立ち上がらせました。

 手洗い場所で口をゆすぎ、うがいをします。流石に1日に二回も嘔吐しているからか口の中はまだ酸っぱいし、喉はひりつきます。総合的に言いますと、最悪。


「よく吐くね」


 げっそりしながらトイレが出てきたわたしに天野さんが声をかけてきました。

 人の心ってもんがないのか。

 好きで吐いているわけではないのですよ。


「腹を探るのは、苦手だ」

「だろうね。ノバラさん、完全に目が泳いでいたし」

「…おまえが、質問、すればよかったのに」

「君のほうが警戒されにくいかと思って。同性だし初対面ではないだろう?」


 それにしたって、わたしを頼るのはどうかしていません?


「それに、質問していないほうは動作や視線に意識ができるしね」

「嘘が分かるのに?」

「何食わぬ顔して大嘘ついている人間はあまりよろしくないと思うし、きょどきょどしながら本当のことを言う人間はまだ裏があると分かるじゃないか」


 ……天野さん、もしかしたらまともな人間が周りにいなかったのでしょうか……?

 ほぼ疑いをかけて人を見てますよね。人間不信に近いといいましょうか。

 だというのに初対面の人ともにこやかに話しをすることができるんですね。怖いなぁ……。


「それにしても気持ち悪いねえ、ああいう人」


 爽やかに言い放ちましたね。


「僕も甘かったとはいえ、YESかNOで答えてほしい質問すべてをはぐらかされた。最初は無意識かなって思っていたけどあれはわざとだったんだよ。気付くのが遅かった、僕の負けだ」


 そもそも戦っていたのかどうかすらわたしにはさっぱりですけども……。質問を考えるのに必死過ぎて他のことに気がまわらなかったです。

 彼は前髪に手を差し込み、掻き上げました。その様が一瞬先生に見えてドキリとします。


「彼女は、僕たちにヒントを与えにきたんだ。いや、宣戦布告かな」


 ヒントですって? わたしは首を傾げます。


「『そろそろ犯人も被害者も分かっただろ、止めてみせろ』――ってことだと僕は受け取ったよ」

「待て。井草にはこちらがどこまで把握しているか知らないだろう。泉原にも支配人のことは言っていないのに」

「……観ていたんだよ」


 天野さんは無表情で上を指さしました。

 わたしも釣られて上を見ます。天井――それと。


「防犯カメラ…」

「うん。なにも犯罪者だけ映せって決まりはない」

「だがそれは最初、『画面が不鮮明で犯人が分からない』って…」

「元暗殺者なのにこういうのは気にしないの?」


 や、やかましい。

 一般人にそんなこと言われるの腹ただしいですね。


「……殺すまで気づかれなければいいんだ。大抵は顔を隠しているし、戸籍もないから探せない。少なくともわたしのいた国ではな」

「そっちの国で通じても日本では通じないんじゃ?」


 でしょうね。アメリカや中国ほどではないにしても、高性能な防犯カメラが街中に取り付けられています。

 足取りも、顔も、すぐに分かってしまうでしょう。

 だけど組織の幹部たちはそれを気にしませんでした。わたしたちは、特にわたしは捨て駒だったので。日本という異国でどこにも頼る場所もなく、戻る方法もなく、首のバーコードを焼いて自害するまでが描かれたシナリオだったのでしょう。

 あー、腹が立ってきました。組織爆発してないかな。


「今はカメラの話だろ……」

「うん。――間抜けだったよねえ、僕も今になってようやく気付いたよ。あまりに普通の景色として捉えていた」


 それはわたしもです。

 では、先生 (仮)が誰なのかも、画家さんを殺した人を断定することも、すぐわかったはず。

 わたしたちがこんなに動き回ることは、なかったはずで。


「恐らくオーナー様方はずっと観ているんだ。だから、大葉舞子もずいぶん真っ直ぐに僕らのもとに現れたし、井草道子も昨日だけでなく今日も現れた。僕らの動きは全てカメラによって筒抜けだったというわけかな」

「すべて……」

「防犯カメラがあるんだから、殺人事件を解決する探偵なんかいらない。僕らは踊らされていただけ」

「……」

「気に入らない。手のひらで転がしていることを自覚させてなおも、お遊びに付き合わされるのは耐え切れない」


 これまで何度も彼は同じようなことを口にしています。よっぽど嫌なのでしょう、他人の操り人形になることが。

 天野さんが明確に表した負の感情は、ひどく冴え冴えとした恐ろしさを纏っていました。

 わたしよりも暗殺者に向いているのではないでしょうか。


「天野…」

「ねえ、ノバラさん」


 静かな潮の音がこだまする中で、天野さんは囁きます。


「いっそ、僕と君でオーナーを殺そうか」

「……」


 わたしは、小さく微笑みました。

 笑っているつもりですがどうなのでしょう。うまく表情筋が動いているといいのですけど。

 二本の指を立てて天野さんに突きつけます。


「前払金で、200万円」

「え?」

「成功時の報酬で600万円。訂正、著名人だから1000万にしよう。ボディガード一人につき100万追加。いずれも現金で一括だ」


 天野さんは黙ります。

 気にせずにわたしは続けました。


「仕事に関しては矜持を持っている。いささか安くしてしまったが、これがわたしの暗殺者としてのプライドだ」


 ブランクがありますから現役時代と同じ値段は吹っかけられませんけど。

 妥当な値段ではないでしょうか。わたし、頭は良くありませんが暗殺に関しては優秀だったので。

 もっとも報酬は高くとも上がほとんど掻っ攫われていくらも手元には来ませんでしたが……。ブラック会社なんだよなぁ……。


「君は暗殺者をやめたんじゃないの?」

「たしかに仕事はやめた。だが、ボランティアで請け負うつもりも一切ない」


 しかも洋上のクローズド空間ですよ。

 防犯カメラが張り巡らされ、多くの人の目があり、逃げ道も限定されている。こんな厳しい条件を無料ではやりたくありません。

 考えるだけでも疲れます。それにわたし、今回の旅用に新しい服をおろしているので汚したくないのです。


「おまえ一人でやるならどうぞご自由に。わたしは先生がどこにいるのか考えるだけだ」

「もしかして、自信がないから逃げるの?」

「当たり前だ」


 自信なんて元々ないですよ。

 天野さんは「挑発のつもりだったんだけど」と呟いていました。そんなこと言われても今まで敵に散々煽られたりしましたから耐性あるんです。


「契約すなわち金だ。責任と期待を金で視認化している。簡単に言えばモチベーションが上がらないんだよ」

「なるほどね…」

「仕事だってだいたいそうだろう。それでどうする、天野陽月。契約するのか?」


 天野さんは両手のひらを見せて降参の意を表しました。

 わたしは喋りすぎて喉はイガイガしますし酸欠ですし死にそうです。

 あと先生に「お前、前職のことが絡むと早口になるよな」と言われたことも思い出しました。そんなアニメを語るオタクみたいな言い方しなくてもいいではありませんか……。


「ノバラさんならやってくれると思ったのに。僕も一緒なら値段下がるの?」

「素人と動きたくない。一度に成人男性三人相手にして勝てるならいいが」

「見事にボコボコにされた記憶しかないや」


 いや、相手にしたことあるんかい。なにしてるんですかこの人。

 まあ多分、言わなくてもいいような余計なこと言ったんでしょうね……。


「じゃあ大人しく探偵ごっこを続けるしかないんだね」

「そうなる」


 非常に不本意ですが。


「あ、そうだノバラさん。前払金いくらだっけ」


 うん? 払うあてがあるのでしょうか。やだなあ。

 わたしは指を二本立てます。


「200万だが……」


 ふ、と天野さんが笑いました。

 えっ、怖い。何の笑みですか。先生助けて。


「それ、ピースしてるみたいでかわいいね」


 ……。

 …………。

 一気に顔に熱が集まります。顔が真っ赤になっているはずです。

 ああああー!! うわああああー!!

 もうやだー! ノバラお家帰るー! 生き恥ばかり増えてくのもうやだー!!


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