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1 先生が死んでいます!

 ……わたしはどうも、赤みのある肉が嫌いなのです。

 おそらく昔、生肉を食べてお腹を壊したからだと思います。ですから焼肉に行くとわたしは焦げる寸前まで火を通します。

 心配性で結構。わたしは常に危機を避けたいのです。どんな時でも。


 ――ですから、今、目の前で「先生」と呼び慕う方が全身丸焦げでブスブスと煙を開けているのを見て真っ先に思うことは「きっと中まで火は通ってないんだろうなぁ」でした。


 って、し、死んでるんですけど――!?


 先生というのは探偵事務所を持つ、同業者の中では「不謹慎のかたまり」「死神」「恥知らず」「閻魔が見逃している悪人」などと不名誉な二つ名を欲しいままにしている男性です。

 有り体に言えばクズです。

 正直、彼が死んだことで悲しむ人は非常に少ないでしょうが、わたしにとっては恩人であるのです。

 そしてその人は、わたしの前で無残に死んでいました。

 ショックのあまりに声を出せません。出すとしても、何を言おうとするのか自分でも分からないですが。


 どうして先生がこんな目に?

 いえ、こんな目に遭ってもおかしくない悪行を死ぬほどしてきたのでどちらかといえば「やっぱり?」と思うのですが。でも、人間は殺されるために生きてはいないのです。

 冷静である部分と動揺している部分が交互にわたしの思考を揺らします。

 わたしはどうにかして落ち着こうと目を閉じました。


 整理しましょう。

 ……ここは豪華客船、めありぃ号。

 わたしと先生はここに招待された客です。正確には先生だけで、何をしたのかわたしの分のチケットまで取ってきたので同行せざるを得ませんでした。海は怖いから嫌だと騒いだのですけれど、ダメでした。

 この船のオーナーからの依頼が舞い込んできたそうです。

 どうしてこんなクズに?と思ってしまいましたが実際のところ先生の腕は確かです。

 内容は――『起きる事件を解決してほしい』。ただそれだけだったとのこと。

 珍妙な依頼にわたしは首を傾げましたが、先生は変わらず楽しげな笑みを浮かべて船に乗り込みました。


 だというのに二日目の朝、こうして先生は死んでしまいました。

 ひどくないですか。世渡りも愛想も良くないわたしが、この豪華客船でひとりきり――しかも先生を殺した犯人とともに生活していかねばならないなんて。

 これは先生を頼りきっていた罰なのでしょうか? 家事とかわたしが全般的にしてたんですけど?


「君、大丈夫?」


 ぐるぐると纏まらない思考と感情に翻弄されていると、いつのまにかわたしの横に立っていた青年が話しかけてきます。

 顔を覗きこんできていたので思わずのけ反りました。

 ウワッ、わたしのパーソナルスペースが! パーソナルスペースが侵されています! 先生助けて! あっ死んでた!


「……な、なんの用だ」


 わたしはなんとか言葉を絞り出しました。

 自分のことながら本当にガラが悪い話し方ですね。直そうと思ってもなかなか直せないもののひとつです。

 周りにざっと視線を走らせると、何人かの従業員がドアから部屋の中を覗きこんでいます。

 というのも今は船内でのレクリエーションの時間で、客は思い思いに時間を過ごしていてほとんどキャビンにはいません。わたしは二人で決めた集合時間になってもまったく来る気配のない先生を呼びに来て、この惨状を目の当たりにしたのです。


「この人と君は親子なの?」

「……」


 少しだけ考え、首を振ります。


「雇い主」


 本当に人と話すのが苦手なので単語でしか返せません。ごめんなさいお兄さん。

 話をスムーズにするためにも親と言ったほうがいいとも思うのですが……先生を親と仮定するとちょっと拒否感が出てしまうので……。


「そっか。とりあえず、いつまでもこのままなのは見苦しいね」


 パーソナルスペースにめっちゃ侵入してきてさらに失礼な事言ってきたんですけどこの人。言い方ってものがあるでしょうに。しかし反論する気力もないわたしはただ頷くしかできません。

 ああ……先生を弔う前に、やっておくことがあります。

 お兄さんが従業員さんと話しているのを横目に、先生の死体に近寄ってそばにしゃがみました。

 そしてまじまじと全体を観察し、おかしいことがないか注意しながら見渡していきます。


 『遠目で見ただけで分かった気になるな』と、まずは観察しろと、なんども言われました。こんなことになってもなお、先生の教えを守ろうとするわたしはバカなのでしょう。

 でも先生の助手です。このぐらいは、せめて、させてほしいのです。

 どのようにして死んでしまったのか、どのように死んでしまったのか、知る権利はわたしにあるはずですから。


 まずは顔を見ます。溶けた皮膚と焦げた衣服が癒着し境目がわかりません。

 眼球は蒸発し、口は固く結ばれ覗けません。喉仏が辛うじて見え、筋肉は萎縮しいわゆるファインディングポーズを取っていました

 そして、手首には――愛用の腕時計が、針を止めていました。まるで先生が死んだことを突きつけるように。


 あれ? でも妙ですね。腕時計だけ燃えているようには見えません。ガラス部分は割れていますが。耐火性に優れていると聞いたこともありませんし……。

 わたしが首を捻っていると、女性の客室乗務員の方がそっと肩に触れてきました。ぞわわってしました。あまり触らないでほしい。

 さきほどから背後で気配はありましたが、ようやく声を掛けるタイミングが来た、といったところでしょうか。


「お客様、その……ご愁傷様です。お辛いでしょう、少し別室で休まれませんか?」


 一瞬、このまま放っておいてほしいと言いそうになりました。ですが死体の前で立ち尽くしていてもなにも進みません。

 先生は死んでしまって、わたしはひとり残された。だったら、ここから先わたしはどうすればいいのかを落ち着いて考えなければなりません。

 小さく頭を振り、一度だけ振り向いて乗務員さんと部屋を後にしました。


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