15 え!?
……いや、待ってください。どうしてわざわざ豪華客船に乗ってまでデータのやり取りを行わなくてはいけないのです?
そもそも――誰の手から始まったものなのでしょうか?
「データの持ち主、誰だ」
「え? 持ち主? ああ、データの元の持ち主は誰かってことかな」
自分で喋っておいてなんですが、わたしの断片的な言葉にもすぐ理解できるのはすごいですね。
先生にはよく叱られます。「歓楽街の裏路地にいるキャッチでももう少しマシな言葉使うぞ」とか。
意味は良く分かりませんが非常にひどい悪口を言われてはいるんでしょうね。
「今僕らが持っている情報だけではぜんぜん見当もつかない。犯罪を起こさせる魔性のモノなのは確かだよ」
まあ、早急に謎を解くものではないでしょう。後回しにしておくべきです。
「オーナーに関わっていることだとは思うけど」
「どうなんだ、泉原。お前、データについて何か知らないのか」
先ほどから寝たふりをしている泉原さんに話しかけます。
少し前から意識が回復していているのに気づいていました。タイミングが掴めないのか、盗み聞きしたいのか定かではないのでここは起こしてあげましょう。
「……起きてたんだ?」
気づかなかったんですか、天野さん。
あらゆることに万能な人ではないという事ですね。なんとなくそんな印象を持ってしまっていたので、人間らしくてほっとしました。
「どこから聞いてたの、海花さん」
気まずそうに目を開けた泉原さんは気まずそうに口を開きます。
「感情がほとんどないというあたりから……」
あ、そこから。
「海花さんにはもう少ししてから話すつもりだったんだけどな」
意外ですね、なんだかんだ泉原さんはまだ親しくないつもりみたいです。
まあ犯人の疑いをかけられていますから仕方ないとは思いますけれど。
「恥ずかしいね」
彼は小首を傾げつつ言いました。
顔色一つ変わらない彼が本当に恥ずかしく感じているのか、聞くことは出来ませんでした。
深い意味はなくて単純にわたしの性格上の問題です……。
泉原さんはゆっくりと身体を起こし、頭を押さえます。
「大丈夫?」
「まだ眩暈が…でも動くのには支障ありません」
いえ、眩暈ってあなどると結構怖いですよ。
階段とかから足踏み外したりする危険性があるって聞きますし。
まあそんなことはいいとして。
「それで…なんでしたっけ?」
「データ」
「そうでしたね、データ…。お役に立てなくて申し訳ないのですが、私、あなた方に会うまで知らなくて…」
わたしは天野さんに視線を送ります。
小さく頷き返してきました。嘘ではないようです。
「そっか。ならそれは後回しで良いね。それが手に入ったところでさらにトラブルが起きても困るし」
「それどころか探偵ごっこもやめたほうがいいでしょう。今私たちがすべきことは、警察を呼ぶことですよ」
はっきりとした口調で彼女は言います。
強がっていることがありありと分かりました。
「だって、こんな、人が死んでばかりなんですよ? 次に殺されるのは、自分だってあり得ます」
言葉尻が震えています。
ああ、これが普通の反応なのですね。
明日は我が身と、確かに思いながら生きてきました。眉間に銃口を向けている自分が、明日には逆転しているかもしれない。いえ、数分後だって生きているか分からない。いつだって生の保証はありませんでした。
でも、怖くはなかったのです。前の職場はわたしの人権と殺しに必要のないものを取り上げました。名前はもともとありませんでした。残ったものはわずかです。
日本に来てから少しずついろんなものを手にしましたが、失ったものは永遠に戻ってきません。
こうやって泉原さんのように、悲しみだとか怒りを滲ませるような立ち振る舞いが出来たのなら、もう少しわたしは違った人生を歩めていたでしょうか。
……花園ノバラには花園ノバラという生き方しかできません。
やめましょう。くだらない自問自答はやめて、今を見なければ。
「オーナーは警察を呼ぶ気ではないみたいだけど」
天野さんは冷静に返します。
同情もいたわりも含まれていないその言葉は、絶望に突き落とすような響きをもっていました。
「これすら織り込み済みなら、警察は呼ばれず、死体は消えるはずだ。僕ら個人で警察に通報しても、船が対応するんだからいたずら電話か何かだと理由をつけられて揉み消されてしまうだろうね」
でしょうね。同意見です。
「終了条件はぼんやりだけど見えている。『オーナーの死亡』だ」
「……そうすると、この船はまるでオーナーを殺すための棺桶みたいだな」
あ、心の声が独り言になっていました。
しかも我ながらうまいこと言った気がします。
「そうかもね」
ちょっとうきうきしていたわたしの横で、ぞっとするほど冷たい声が出されます。
思わずそちらの方を見ましたが、天野さんしかいませんでした。
彼から発せられたなんてすぐに気づかないぐらいの、あまりに温度差のある言葉。
わたしは思わず黙ってしまいました。いやだいたい黙っていますけど。
「作戦会議をしよう」
天野さんは一度カーテンの外側を見ます。
看護師さんたちがいることを確認すると、わたしたちを見ます。
「まずはここを出てからだ」
心配した看護師さんたちにもう少し安静にと引き留められていた泉原さんでしたが、きっぱりと断って部屋を出ていきました。
なんというメンタルの強さか。わたしならまず何も言いだせずベッドの上でぼんやりしていたと思います。
救護室から出た天野さんは無言で歩くので、わたしたちも置いて行かれないようについて行きます。
どこに行くかと思えばフリーラウンジでした。皆出払っていて静かです。
出入り口から死角になる場所に座り、一息ついたところで彼は言います。
「まず、僕らの目的を明確にしよう」
「目的?」
「オーナーを生かすか、殺すか」
「……」
「……」
もう少しワンクッション置いてほしかったです。
選択肢が重いのでは?
人の生死を、ここで決めるなんて――あまりにもひどいものではないですか。
「さっき港を見たよね。あそこにパトカーはなかったし、救急車も見当たらなかった」
そんな考えを持って見ていたのですね……。
わたしはせいぜい「人多くてやだなあ」ぐらいにしか考えていませんでした。
ほんと観察力云々の前に発想が足りませんね、わたし…。自分でも呆れてしまいます。
「僕は船内をパニックにしたくないという側面があると考えていた。でも、違うみたいだ。――僕が思っている以上に隠蔽されているんだね」
なにごともなく、豪華客船めありぃ号は予定されていたイベントを続行しています。
無関係の人たちは、まさか乗客の一人が殺されて焼かれていたなんてことを夢にも思わないでしょう。
平然と、平静に、船は進み続けているのです。
船がついても警察が乗り込んでくる気配はありませんでした。せめて死体の回収ぐらいはしてもいいでしょう。
いいえ――。
この旅を止めてもいいぐらいなのに。
「そのぐらいの力と覚悟を持って、見えない誰かはなんとしてもオーナーに死んでもらう気だよ。どうしてなのかは知らないけど」
だから、と彼は言います。
「僕たちは関係者になってしまった。見て見ぬ振りをするか、それとも――誰かのシナリオに反するか」
……。
先生。どうすればいいのですか?
わたしは知らない人の人生をいくつも壊してきました。
だけど、この――生かすか殺すかなんて選択はしたことがありません。すべて殺すの一択のみ。
オーナーのことだってわたしの世界には一切関係のないことです。そう、誰が死んでも同じこと。
…だけれど泉原さんの悲痛な表情に何も思わないというのは嘘になります。
唇を噛み、俯いて、まるで自分の生死が関わるかのような神妙な表情でした。
オーナー様と言っているぐらいです、よほど忠義心があるのか、お世話になった存在なのでしょう。
多分、わたしも表情豊かであったら先生 (仮)の死体を見たときこんな顔をしていたのではないでしょうか?
そうか、泉原さんはわたしと似たような立場になるかどうかの分岐点なんですね。
大切な人を失うか否かの……。
「あの……」
「どうしたの、海花さん?」
「……大事なことを言い忘れていました。オーナー様が殺される予定だという、この話を――」
彼女は顔を覆います。
「――私は、オーナー様本人から聞かされていたんです」
一瞬、時間が止まりました。
「え?」
「は?」
ん? ちょっと待って…?
殺される予定の人から、聞いた? なんですかそれ?
天野さんを見ればどうやら彼女の言葉は嘘ではなかったようで、驚愕の表情をしています。
すごい、感情が希薄な人をこうまでさせるんだ。
「オーナー直々の言葉?」
「…はい」
「待って、今整理するから」
これまでいっそ機械的に冷静な面持ちで推理をしていた天野さんが頭を抱えました。わたしもその横でこめかみに手を当てます。
状況を整理しましょう――。
オーナーの命を狙うものがいる。先生 (仮)はおそらくとばっちりで殺された。そして、船の主要な人々はその事実を知っている。
未来の被害者たるオーナーも、分かっている……。
分かった上で、船にいる!?
なんということでしょう!
なんですかこれ! なんなんだこれ!
先生! 教えてくださいなんですかこれは!
だというのに犯人は不明で、探偵に推理してもらいたいと。
犯人も仕込みではないのかと思いましたが、現に画家は死んでますし昨日の夜の会話を聞く限りオーナーの手を離れているような気がします。
恐ろしい結論にたどり着きそうで、口の中がカラカラになりました。
わたしは何度か言葉に詰まりながら、彼女に聞きます。どうか間違えていてほしいと願いながら。
「オーナーは、"わざと"殺されるためにこの旅を企画したということ?」
――どうか違うと言ってくれという願いは届かず、泉原さんは無言でうなづきました。
よほど心の中で葛藤があったのでしょう。はらはらと涙を流しながら。
それを聞かされたわたしたちも心中穏やかではないのですが。
「はい…なにを思っているかは分からないです。船に乗ってからは、私、オーナー様に直接お話しができていませんし…」
きっと意図的にオーナー側から避けているはずです。
鈍感な私でも分かります。だって、邪魔ですもの。計画の反対をする人は。
船に乗ってからは、ということは――陸にいたときに告げられたのですよね。それなのに計画に反対している人を乗せるだなんて、相手は何を考えているのでしょう? 思わぬ邪魔をされないとも限らないのに。
不安要素は限界まで消しておくべきではないですか。
「だけど、だけれど、あの人がどう思っていたって――殺されるべき命なんてありはしません。そうでしょう?」
泉原さんの言葉は、図らずも過去のわたしの罪を責め立てるようでした。
反省も、後悔も、なにもしていませんけれど。でも、そう、殺されていい命なんてなかったはずです。