たい焼き
「おい、俺のたい焼きは」
「たい焼きはあったけど、いっぱい並んでたから一個しか買ってこなかった」
「えええええ、どういう理屈、それ。どうせ並んでんなら俺の分も頼むよ」
「自分で買ってきたら」
「はあああ、お釣りは」
目の前の少女はポケットから花柄の財布を取り出す。
「はい」
俺は左手に持っていた傘を手渡した。
「これ持っといて」
「了解」
「行ってくる」
俺は屋台4個分ほどの行列の最後尾についた。気が利かない…というよりもわざとらしくも見える。
長いな…。長蛇の列に並んでいる際、途中で目当てのものへの意欲が薄れてしまう時がある。これほどの行列の最後尾となると匂いも屋台も遠く、感じることができなくなってしまうが、それがない。列を割って、前を横切る男の小脇に抱えた小袋から、香ばしい匂いが通り過ぎて鼻を優しく刺激し、この長い長い列の先への期待を高める。別に腹が空いているわけではないから、口に唾が溢れるような感じではない、不思議な感じだ。これを別腹というのだろうか。これなら並んでいるのも楽しみで、期待が持続するものだ。
「まんぼく」は今並んでいるたい焼きの屋台の名前だ。隣にそう書いてある旗が立っている。如何にも身が詰まっていそうで美味そうな名前だ。
「あっっ」
「あっち」
それにしても先頭で情けない声が聞こえるが…。
「おお、おおお!」
目の前の鉄板でとタイが揚げられた直後で、下が熱いわと言わんばかりにぴちぴちと跳ねる。たい焼きだが。不満が爆発しているのを体現しているように見える。
「おっ」
何か服に飛んできた。あ、また…。
「っって、あっち」
尾びれから水滴が、いや油なのだろう。顔に飛んできた。先頭はこれにやられてたのか。
「兄ちゃん、ごめんね」
たい焼きをひっくり返している元気そうなおじいさんが全く申し訳なくなさそうに言った。
「いや、凄いっすね。」
目の前のたい焼きがひっくり返される。と、途端に体をくの字に折り曲げたかと思うとばねの様にして跳ねだした。
「だろう!何匹欲しいんだい?」
「一匹、いや二匹で」
「毎度!ありがとう!」
茶色の紙袋を抱えて戻る。手を袋の中に突っ込んだ。あったかい。
少女は暇そうに石に尻を付け足を遊ばせていた。
「びっくりした!なんじゃありゃ。見たの?あれ」
「うん」
「教えてくれてもいいじゃん、凄かった。思わず二つ買ったよ」
「でしょ」
「なんで自慢げなの」
たい焼きは頭から食べる派である。尾の方は尖っており、このカリカリのが好きだから後に取っておくのだ。さて、一つ目を食べ終わり、もう一つを半分に分けようか一人で食ってしまおうか迷っていたが…
「なあ、この頭の方やるよ」
やはり分けることにした。割くのに失敗して半分どころか3分の2程になった頭の方を差し出した時だった。
「あっ」
「えっ」
獣のような何かが間を縫うようにすり抜けっていった。
「何だったんだ」
「さあ」
「あ、たい焼き」
手にははみ出したあんこと、無理やり引きちぎられてからであろう気持ちばかりの生地が残った。