08
「待て!」
店内から立ち去ろうとした俺の腕をセイが力いっぱい掴んだ。痛いくらいに込められた力は、セイの余裕のなさを俺に伝えた。
「ここの店、ずっと来たかったんだろう? だったらせめて、食べてから行け。ここで逃げたらきっと、おまえは一生この店に来れなくなる。なんだったら、俺の方が出て行くから」
「……わかった。でも、セイが出て行く必要はない」
俺を呼び止めるセイの目は酷く真剣で、そして必死だった。どうして俺にそこまで気を遣ってくれるのかはわからなかったけれど、セイの気持ちを無下になんてできなかった。
「ありがとう」
「お礼なんて……」
言われる筋合いはない。そう続けようとしたけれど、セイが浮かべた表情に驚き、最後まで言うことはできなかった。ほっとしたような、嬉しそうな、そんな表情。わからない。俺のことが嫌になったのでは、ないのだろうか。
掴んだ鞄を元の位置に戻し、再び席に着いた。セイは何やら店員と話し、他の席へと移動していった。隣に居ては俺が気まずいと思ったのだろう。セイだって、気まずいはずだ。それでも店をあとにしないのは多分、俺を気遣ってのことだろう。そんな風に、あまり良くしないで欲しかった。期待して、一人で落胆したくはない。このままきっとセイだって、他の人間と同じように、俺から離れていくのだから。
結局、チョコレートケーキだけを食べることにした俺は、いつものようにじっくりと眺めてから写真を撮り、手を合わせ、いただきますと告げてから、ひとくちずつ、ゆっくりと口にしていった。生地に練り込み、さらに上からコーティングするように、チョコレートを贅沢に使われたケーキは、頬が落ちるほど美味しいと評判で、しかし、今の俺には味なんて、全然わからなかった。全部、セイのせいにしてしまえればよかったけれど、あいつはなにも悪くない。ここで彼と会ってしまったのは偶然で、言うなれば悪いのは俺の方だろう。未練たらしくこの店を、選んでしまった俺の方だ。
時間をかけ、半分ほど食べ終えた時、離れた席に座るセイが立ち上がり、レジへと向かう姿が目に入った。気にしないようにしつつも、やはり目が向いてしまう。テーブルの上には、空になった皿とフォークが置かれていて、セイも同じ、チョコレートケーキを食べたらしいことがわかった。こちらを一瞥もせずに会計を済ませ、店を出て行ったセイに、つい、寂しさを覚えてしまう自分がいた。けれどそれと同時に、少し安堵したのも、事実だった。
楽しみだったはずのチョコレートケーキを、きちんと味わうことはできなかったけれど、最後のひとかけらまで完食し、俺も店を出ることにした。気持ちが落ち着いたら、もう一度来よう。そう、心に決めて。扉を開き、ありがとうございましたという店員の声を聞きながら店を出ると、数メートル先に、何やら人が集まっていた。人数は三人。二人は女性で、一人は男性。ちょっといないくらい整った顔立ちのその男は、数分前に出て行ったはずの、セイだった。