03
「まただよ、また! 信じられる?」
「信じるも何も、実際に見聞きしたわけじゃないからな」
「まあ、桃慈はそうだろうけどさ、でも、よりによって彼氏がいる子ばかりだよ? これはもう、狙ってるとしか思えないよ」
「そうだな」
「今適当に返事したでしょ?」
「そうだな」
「もう……」
語気も鼻息も荒く美智が語るのは、例の藤咲という男の話だった。なんでも、今度は違う友達の友達の彼女が寝取られたらしい。友達の友達なんてもうほとんど他人じゃないかとは前から思っていたのだが、きっと美智は、友達から伝え聞いたままを俺に伝えているのだろう。その言葉に込められた、感情すらも。他人には意外とドライな男だが、懐に入れた人間には、とことん甘いのだ。
「じゃあ、俺あっちだから」
「ああ、またな」
怒りの感情を引き連れたままの美智と別れ、購買へと向かう。いつもは美智と共に昼食をとっているのだが、用があるらしく、今日は別なのだ。美智以外に友人のいない俺に、一人で食べる以外の選択肢はなく、食堂に行くのも面倒なので、今日は購買で済ませるつもりだ。美智曰く、美味しいと話題の菓子パンがあるらしいので、実のところは少し、楽しみでもある。
昼休みは人通りも多く、すれ違う生徒も多い。ぶつからないように細心の注意を払いながら歩いていると、正面から短い、しかし確かにこちらに向けて発せられた声が聞こえた。
「あ」
視線を向ければ、俺の進行方向で足を止める男がいた。こちらを向いているようにも見えるが、きっと俺の後ろに知り合いでもいたのだろう。特に顔を確認することもなく、避けるように方向を変え、進んでいく。
「ちょっと待て」
男の横をすり抜けようとしたその時、突然肩を掴まれ、真横でわりと大きな声を出される。びくりと跳ねた身体と心臓に、一瞬息を詰まらせながら、何事だとそちらを向けば、どこかで見たような顔が俺の方を見ていた。
「な、なんでしょう……?」
恐る恐る口を開きながら、男の顔をまじまじと見る。どこか見覚えのあるような整った顔立ち。しかし、名前は浮かばない。知り合いではないということだろうか。考えらえる可能性は、服にタグが付いているのを親切に指摘してくれる、とか、俺が何か落としたのを丁度見ていた、とか。それとも、知らぬ間に何か俺が仕出かしてしまったのだろうか。
「この前、カリュクスにいただろう?」
「え、どうしてそれを……あ」
出された名前に、記憶が引きずり出されていく。「カリュクス」とは、あの美味しいチーズケーキの店の名前だ。そしてこの男は恐らく、あの時、ぶつぶつと不満を漏らす彼女を一括していたイケメン彼氏。
「あの時の……」
「それに、BFPにもいただろう?」
「BFP……? あぁ、そういえば」
「BFP」とは、少し前に行った、分厚くてとろけるようなパンケーキの店だ。確かに、言われてみれば、隣の席に座っていたカップルの彼氏の方が、同じような顔をしていた気がする。
「なんだ、同じ大学だったのか……」
「あの、それで、俺に何か用でしょうか?」
「ああ、次に会ったら話したいと思っていたんだ。今、時間あるか?」
「これから購買に寄って、昼食をとるところですけど」
「だったら、一緒に行ってもいいか?」
「一緒に? いやまあ、別に、いいですけど……」
「じゃあ行こう」
流されるまま、イケメンと肩を並べて歩く間、俺の頭はフル回転で働いていた。確かに、二回とも目が合っていたような気がするが、俺たちの間に会話は全くなかったはず。つまり、顔を見たことがあるだけのただの他人だ。この男との間に話すようなことなど、一切浮かばないのだが、一体どういうことだろうか。例えば、あの時連れていた彼女は浮気相手で、そのことがバレるとまずいから口外しないでほしい、とか。あり得る。
「あの時のことなら、誰にも言いませんけど」
「どういう意味だ?」
「いや、あの店に女性と二人で行っていたのを、知られると困る人がいるのかなと」
「別に、そういうわけじゃない。まあ、言いふらされたらされたで、自分も連れていけと集られそうではあるが」
「集られ……」
つまり、女の子と二人で出掛けたことを言いふらされると、私も連れて行ってという女の子が何人も出てくるということだろうか。次元の異なる話に、言葉が出てこない。
「そういえば、何年生だ? 普通にタメ口を使ってしまったが……」
「二年生です」
「同い年か。よかった。俺にも敬語はいらないから、そう硬くならないでくれ」
「あ、うん」
購買に寄り、昼食を調達する間に交わした会話はそれくらいで、あとはほとんど無言だった。彼は既に済ませて来たらしく、完全に俺が付き合わせている形になっているのだが、俺にしたい話とは、そこまで重要なことなのだろうか。
外でもいいか? と尋ねられ、特に断る理由もなかった俺が頷けば、屋外にあるカフェテリアへと連れ出された。一見おしゃれな場所なのだが、周囲を囲む緑のおかげで虫も多く、特に女子生徒はあまり寄り付かない場所となっているのだ。
席に着くと、食べながらでいいと言われたため、手を合わせてから遠慮なく、メロンパンをちぎって食べる。中にホイップクリームとカスタードクリームが入っているそれは、地元のパン屋さんがお昼の時間に合わせて毎日配達しているらしい。流石にもう温かくはないけれど、外はサクサク、中はふんわりと、理想的な食感に満足する。
「いつも一人で行っているのか?」
「いつも、とは?」
「ああいう、ケーキとかを出す店に」
「そうだね。友達、いないし」
言ってから、しまった、と後悔する。本人は悲観的に言ったつもりはないが、捉え方によってはかなり後ろ向きで、同情を誘うような言葉になってしまう。事実を口にして何が悪い、とも思うのだが、例え本当のことでも、あまりそんな風に言うものじゃないと、美智にもよく怒られているのに。
「……好きなのか?」
「何が?」
先ほどからすんなりいかない言葉のキャッチボールに、もしやこのイケメン、会話が苦手なのではないかと察する。人間とは単純な生き物で、つい先ほどまでは自分とは違う世界の生き物だと思っていた癖に、弱点がちらついた途端に、謎の親近感が湧いてきた。
「その、甘いものが」
「甘いもの? ああ、大好きだ」
俺の言葉に、男の目がわずかに見開かれる。
「そうか」
呟くように零れた言葉には、気のせいでなければ、驚きだけではなく安堵のようなものも含まれているような気がした。
「俺も、好きなんだ。スウィーツが」