初めての異世界での生活と悲劇
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「ワトシア、おはよう!今日はいい天気よ。外を見てごらんなさい」
ワトシアの母、シルアは抱きかかえていた赤ん坊のワトシアに呼びかける。
シルアは若々しく茶髪の髪に大きい目で整った顔をしている。唇も薄く美人だ。
シルアに言われた通りにワトシアがガラスの無い窓から外に目を向けると確かに快晴で雲ひとつ見当たらなかった。
そして、外にあるのは文明の進んでいるとは冗談でも言えないほどの田舎とも呼べる村。
ん、なんだ?ここはどこなんだ。ワトシア?と思っていたのも一ヶ月前。
シルアという母から生まれた男の子に父であるワトソンとシルアはワトシアと名付けたが、中身は三十路近い、オッサンに片足を踏み込んだ地球生まれの佐川俊明だった。
佐川ことワトシアは既に自分の状況を飲み込み始めていた。
自分はなぜか死んだ?はずなのに赤ん坊になって新たな人生を歩みだそうとしていること。
それも、地球では無さそうなところに。
地球では無いと思ったのもいくつか理由がある。
それは明らかな文明の違いである。窓もないボロボロな家に生まれて外を見れば、同じような家ばかり。村は森に囲まれていて、地面は舗装もされておらず、首輪の無い野良犬らしき犬も住みついている。そして、両親を含む村人たちは薄汚れた服装をしていた。
これくらいならば、まだ地球にあってもおかしく無いと思う人がいるかもしれないが、いささかおかしいのは言うまでもない。
しかし、確定的なものを見てしまったのだ。
それは貨幣であった。
見たのは銅のような金属が歪な円形にされて変な模様がつけられているものをシルアが果物と交換していたのだ。
これを貨幣と言わず何と見る。という話だ。
加えてたまに商人を名乗る馬車が村に来たり、魔物が来たとか作物のほとんどが税で持ってかれたやら、王様が騎士が王国が…という風に地球外要素を散々聞いたのだ。
ここまで聞けば誰でも地球では無いことに気づくだろう。
とりあえず、今は気ままに生きていきたいところだが、前世について気になるところはある。
自分は本当に死んだのだろうか。……牧野に裏切られて。
正直いうとかなりショックだった。何度も飲みに行ったし、酒に酔いながらたわいも無い話をしたもんだった。一緒にクラブやキャバクラに行ったこともあった。牧野は高校の頃の後輩だったし、なんなら家も近所だった。そんな長い付き合いだったのにあんな平然と裏切られるなんて。
そんなことを思っていると、シルアがこっちをじっと見ていることに気がつく。
こっちは話せないので、なんだ?と思いながら負けじとじっと見つめ返してみる。
「なんでワトシアは泣かないんだろう。隣の家の子はきちんと泣いてるらしいのに。ワトシアがお腹空いてるかもわかりにくいんだよなぁ」
シルアは心配した顔でこっちを見つめる。
なんだ、そんなことか。
地球で長い間過ごしてきて、人間としてそれなりの感情は抑えられるものだ。申し訳ないが自分が赤ん坊だとわかっていても恥ずかしさの方が上回って泣く気分にはならない。
例え、お腹が空いていても。
そんな生活が続き、五年の月日がたった。
そんなある日、五歳になったワトシアは父であるワトソンに狩りのやり方を教わっていた。
父であるワトソンは一重の目に高い鼻。そして凛とした眉を持つ強面のような顔をしていた。
「ワトシア、弓はこうやって持つんだぞ」
そんなことを言いながら、ワトソンは自分で弓を引いて構えてみせた。
「こうか?親父」
ワトシアはワトソンを真似て同じように引いてみせる。
「だから、俺のことはお父さんと呼べと言っているだろう!この村ではお前だけだぞ、お父さんを親父と呼ぶのは。ったく、どうやって覚えたんだその言葉!」
「別にいいだろ。だいたい同じ意味だろうに。細かいことは水に流すのが男だろ?」
「しかも生意気ときたもんだから、どうしようもないね。男として水に流してやるから、今日はしっかり狩りの仕方は覚えるんだぞ。それと弓の持ち方なんて言ってたが、俺にも弓の正式な持ち方は知らんからな。とりあえず、矢が飛ばせて獲物に当たればそれでいい」
呆れたように言って説明を終えると、近くにある森に行く支度をし始める。
そんな説明でいいのか、と思いながらもワトソンの支度を横から見つめる。初めて森に行くのだから何を持っていけばいいのかわからないのだ。
「まあまあ、元気があっていいことじゃない。怪我のないように気をつけるのよ」
「ああ、わかったよ。お袋は心配しないで待ってろよ」
そんなことがありながらも、親父と一緒に狩りへと出発した。
そして森へと入ると、親父はこれは薬草だとか、見分け方はだとか先輩風を吹かしながら先へ進む。
態度は少々気に食わないが、これから使うかもしれない知識なので割と真面目に覚えていく。
そしてどんどん先に進んでいると、親父は動物のフンを見つけた。
「これは運がいいな。イノシシのフンのようだ。しかも新しい。この辺にいるようだぞ」
「そうなのか。でも見当たらないぞ。どこに行ったんだ」
「ははは、少しは考えろ。ここはよく見ると道みたいになっているだろ。獲物がよく通っている証拠だ。そして、かすかに足跡が見える。あっちに行ったようだな」
親父が道の先を指し示す。
言い方は腹が立つが言っていることは正しいので、文句は言わずに先に進む。
すると少し進んだところで水が流れているような音が聞こえてくる。
「水の音がしてきただろ。そこで水でも飲んでるかもしれないな」
そんな会話をしながら少し進むと、小さな川が見えてきた。
そしてこっちに尻を向けて水面に顔近ずけてイノシシが水を飲んでいるだろう姿が確認できた。
まあまあでかいな。見た感じ畜産場で見る豚より一回り大きいようだ。
本当に弓だけで仕留められるのか少し不安になる。
「いたようだな。水を飲んでいて、警戒心が薄くなっているようだが、音に敏感だから、静かにしてろよ」
と声を抑えて言う。そして、ゆっくり音がならないように近づく。
ある程度イノシシと距離をつめたところで親父は弓を番える。
「よく見てろよ、最初だから俺が仕留める。だからやり方を見ておけ」
数秒後、親父は弓を放った。
一直線に放たれた矢は、イノシシの左の後ろ足に刺さる。
「フゴッ!フゴゴー!」
驚いたイノシシは大きな鳴き声をあげながらこっちを振り向く。
こちらの姿を確認したイノシシの目は既にこっちに敵対の目を向けていた。
「まずは相手の機動力を奪うことを意識しろ。後ろからじゃ相手の急所を狙うことは難しいし、正面から顔とかを狙っても気づかれてしまうかもしれない上に一発で仕留められなかったら、反撃を食らうかもしれないからな」
そう言いながらも真剣な顔になった親父は次の弓を番える。
イノシシは一本の足を引きづりながらも、牙をむき出しにしてかなりのスピードで迫ってくる。
そして親父は矢を放ち、前の左足に矢が刺さる。
するとイノシシは盛大に転んだ。
「どんな状況でも焦ったらダメなんだ。外してしまったら、こっちが怪我をしてしまうことになるかもしれない。こっちも向こうも命がかかってるんだ。だからイノシシも必死に抵抗してくる。そんな時に外すわけにはいかねぇのさ」
イノシシは左側の足の両方に矢が刺さってしまっているため、立ち上がろうとしてもなかなかいまくいかないようだ。
「フゴォ、フゴォ」
絶対絶命であるイノシシは依然として倒れながらも鼻息が荒くして、こちらを睨みつけるように見つめてくる。
少しかわいそうな気もしてきた。平和な国で育ってきた人のまともな感情である。
しかし、自分の新しく生まれた村ではそんな生易しい感情は捨てなければならないのだろう。
いや、抑えるべきなのだろう。
そんなことを思っていると、親父はこっちに目を向け腰に差していたナイフを取り出す。
「ほれ、やってみろ」
軽々しく言うが目は真剣だ。
こんなことを五歳児にやらそうとするのは日本との世界観の違いか。
この世界では当然の出来事なのかもしれない。
親父からナイフを受け取る。
ゆっくりとイノシシに近づくと、イノシシは鼻息を荒くして鳴き声をあげながらこっちを睨みつける。
「足を怪我しているとはいえ、足以外は元気なようだから怪我をしないように気をつけろ。母さんに怒られるからな」
後ろから注意を促す親父の言葉を聞き流すくらい、イノシシの命を奪うのに言い表せないような感情に支配されていた。
一番近い感情なのはやはり、かわいそうと言う感情なのかもしれないが、他にも恐怖や、緊張、そしてなぜか高揚感にかられていた。
以前の自分には到底できないような所業、と言うべきなのか。超えてはいけないような気のする一線、と言うべきなのか。
イノシシの目と鼻の先まできたワトシアはイノシシの反撃に気をつけながら、片手でナイフを振り上げる。
イノシシは最後の抵抗とばかりに、ひときわ大きい鳴き声を放ちもがく。
しかし、足に深くまで刺さった矢によってうまく動けない。
そして、もう一つの片手を自分の手に重ねて両手持ちにし、一発で仕留められるように力を込める。
狙いを定め、首を狙って。
振り下ろした。
鮮血が舞う。
しばらくもがいていたイノシシはだんだん動かなくなって絶命した。
殺したのだ。イノシシを。
ナイフを抜いて親父を振り返った。
すると、親父は満足そうに、そしてどこか物足りなそうな顔をしていた。
「イノシシがかわいそうだよぉ。とか言って、いつも生意気なお前の情けない顔が見たかったんだがなぁ。だが、お前の顔を見るに何か思うところはあったんどろうな。たまに動物でも殺せない人がいるんだけどある意味安心したぜ」
やっぱりこの世界でも命を奪うのに抵抗感を抱く人はいるんだな。
「はぁー。すー」
今まで緊張感のせいで息を吸えてなかったらしい。こんなにも葛藤があるなんて。たかがイノシシに。
一気に緊張感がなくなった。
「五歳児にしてはよくやった方だよ。お前は五歳児には全く見えないけどな」
「そんな慰めの言葉なんていらねぇよ。だけどなんか吹っ切れた感じがあるな」
「そりゃ、一回命奪ったからな。でもいつになっても俺は狩りを作業だと思ったことはない。何年も狩りをしてきたけど、いつも緊張するし、失敗を恐れるし、うまく狩りができたら死んでくれた獲物に感謝するのさ」
「お前もたまにはいいこと言うんだな」
「はっ、言ってろ」
さてと、と親父はつぶやきながら死体を見る。
そして獲物を担ぐと村の方向へ歩き出す。
「おい、行くぞ。村は近いからな。腐る前にとっとと帰ってこれ食おうぜ」
「おう」
そんな二人で歩き出した瞬間だった。
後ろの方でガサリと枯葉を踏むような音がした。
なんだと思って振り返ると緑色した二体の子供くらいの身長をした人型の生物がこっちを見ていた。
手には混紡なようなものを持っている。
「親父、あれは…」
と口に出した時にはもう親父はワトシアを後ろへ突き飛ばすように引っ張った。そして弓を番える。
「おい、ワトシア!ありゃゴブリンだ!村への道はわかるだろ。先に戻ってろ。お前にはまだ危険だ。くそっなんでこんな近くまで接近を許しちまったんだ。急げワトシア」
「え、なんなんだあいつらは。あんな動物見たことねーぞ」
「ありゃ動物じゃねぇ!魔物だ!」
「は?」
「だから危険だから逃げろってんだよ。たまには俺の言うことをきけ!」
そして番えていた矢を放つ。
矢は一匹のゴブリンの顔に命中し絶命させる。
しかし、その間にもう一匹のゴブリンが素早く接近してきて、飛び跳ねながら棍棒を上段に構え、親父に殴りつける。
とっさに親父は弓でガードしたため弓は壊れ、殺しきれなかった勢いの棍棒が親父の頭部に当たる。
「ぐはっ」
「親父!」
頭から血を流した親父はよろめきながら、地に伏した。
そんなゴブリンは親父を見てもう抵抗はできないと踏んだのか、獲物を見るような目でこちらを見た。
イノシシを倒した時のナイフをまだ持っていたため、それを構えるが、ゴブリンはそれでも自分の優位は変わらないと踏んだのか、ニタニタと笑いながらゆっくりと近づいてくる。
逃げても追いつかれるだろうし、死ぬんだったら最大の抵抗をしてやる。むしろ奴を仕留めてやる。
そんなことを思いながらナイフを構え、ゴブリンを睨む。
ゴブリンが動く。
素早く接近し、親父にやったように飛び跳ねて頭部を狙ってくる。
もとより受けるつもりはない。
防ごうとしてもどうせ力負けするだろうし、ナイフが壊れる可能性もある。
そして、仕掛けるならかわした後だ。佐川は前世では結構荒くれ者で、喧嘩もなんどもしたし、なんども勝ってきた。
しかも、これはいわゆるタイマンだ。
自慢じゃないがタイマンならほとんど負けたことがない。
最初に一発でかいのを入れてやれば形勢は逆転するだろう。例え体格差はあっても。
「グギャ!」
空中で勝ちを確信した顔のゴブリンは棍棒を振り下ろす。
それをワトシアは前に転がるようにして回避する。
そして体制を素早く立て直し、こちらに背を向けているゴブリンの足にナイフを思いっきり突き刺す。
頭部を狙って仕留めようと思ったが、ナイフを振りかぶる時間もないし、今の筋力じゃ頭蓋骨を貫通するのかも疑問だ。
それに、狩りを教えてくれた親父も言っていた。
それゆえに足を狙って機動力を削ぐ。
「グギャアアアア」
痛みに耐えかねてか足を抑えたゴブリンが叫ぶ。
形勢が逆転した。
ゴブリンは地面に倒れて暴れるように痛みに抗っている。
とりあえず機動力を削いだが、近づくのは危険だ。
しかし、このまま叫び続けられても何を呼び寄せられるかわかったもんじゃない。
ふと近くの地面を見ると、ゴブリンの落としたと見られる棍棒があった。
少し重いが持てないことはない。
ちょうどいい。
その棍棒を両手で持ちゴブリンを警戒しながら近づく。
ゴブリンはワトシアの接近に気付くも、足が使い物にならないが故にただ睨みつけていた。
ワトシアはゴブリンにされたように笑みを浮かべながら棍棒を上段に構える。
「じゃあな。お前の油断に助けられたよ」
そう、あの時ゴブリンがワトシアを少しでも警戒し、戦っていたならば勝負はわからなかった。
飛びかねながら棍棒を振る必要はなかったのだ。
それは明らかなゴブリンの油断であり、敗因だった。
そしてワトシアはゴブリンの頭部に狙いを定めて振り下ろした。
ためらいは一切なかった。
鈍い音がした。
それはゴブリンに命中した音であり、戦い終了のゴングであった。
そして足に刺さっていたナイフを回収した。
それから親父に近寄り、脈を確認すると弱々しいが小さな脈動を確認できた。
「よかった。まだ生きてる」
そしてその瞬間ワトシアは油断してしまった。
気づかなかったのだ。
後ろから近づくゴブリンに。
最初に矢で仕留めたはずのゴブリンが生きていたことに。
矢が頭蓋骨をギリギリ貫かなかったことに。
死んだと思っていたが気を失っていただけであったことに。
背中から鋭い痛みを感じた。
「グギャギャ」
嘲笑うかのようにゴブリンが額に刺さっていた矢でワトシアを突き刺していた。
「くそっ!」
こんなんじゃ終われねぇ。
いや終わらせねぇ。
もう死にたくねぇ。
そんな気持ちを胸に素早く振り返って、今度は突き刺して油断をしているゴブリンに手に持っていたナイフで首を切りつけた。
「グ!?グギャ!」
ゴブリンは首元に手をやり、血を抑えようとしていたが出血量が多く、倒れて次第に動かなくなった。
それを確認してから自分の容態を確認する。
この感じ、おそらく矢は内臓に達している。
足に力が入らなくなりうつぶせに倒れる。
多分、助からない。
ああ、また死ぬのか。
せっかくの二度目の生というチャンスを無駄にしてしまったのか。
なんてついてない男だ。
ごめんお袋。
親不孝ものでさ。
そんなことを考えていると意識が遠のいていく。
ドクドクと血が流れていたから、体から血がなくなってきたのだろう。
そして視界はブラックアウトした。