日常からの没落
「おい、牧野。こいつの利息まだ受け取ってねーぞ。しっかり徴収しとけ。なんたってこいつらは俺らの収入源なんだからな」
佐川俊明は自分の運営する会社「Your life」の少し狭い雑居ビルの事務所にて、部下である牧野浩二に軽口を叩くように指示をする。
「へいへい、わかってますよ。しゃちょーに言われなくてもね」
社長である佐川は高級感の溢れる黒いスーツをビシッと着こなしていて、手入れのされた眉に細めの目、高い鼻、薄い唇をしていて、平均より少し大きな顎をしていて、百八十五センチ近い身長が威圧感を放っているように見えるが、性格は社交的で頼り甲斐のある良き社長であった。
それに比べ牧野は二歳年下であり、安っぽい黒いスーツを着崩していて、タレ目でいつもだるそうな顔をして、だるそうな口調だが、言われた仕事は面倒くさがりながらもこなす。そんな部下であった。
「チッ。こいつ電話に出ねーぞ。ったく、電話無視して、金返せと言われてもどうせ弁護士雇えばどうにかなると思っていやがる奴らばっかだなぁ。自分から金借りにきたくせによぉ」
牧野が文句を言いながら受話器を戻す。
「てことでしゃちょー。もうこんな時間なんで、この件は明日にでも片しましょうよぉ。この後たまには二人で飲みに行きやしょうや」
佐川はふと壁に掛けられた時計に目をやった。
すでに二十三時を回っていた。
「まあ、そうだな。と言いたいところだが、明日はでかい面談があってな。ちょいと有名な政治家の奥さんが来ることになってんだよ。新規のくせに大金借りようとしててな。だから利息の件は忙しくならないうちに片したかったんだけどな」
「へぇ。その奥さんなんでそんなに金が必要なんですかね。政治家の妻なら金なんて余るほどありそうなのに」
「調べたところによると、その奥さんホストに通ってるらしい。そこでお高いものをいろんな男に貢いでるらしいぜ」
「バカな女ですねぇ。貢いでも質屋かネットで売られて金にされているだろうに」
「そのおかげで俺らが儲かるから気にすることはねぇよ」
「それはそうですねぇ。で今日は帰っていいですか」
荷物をまとめ、椅子から立ち上りながら牧野が言う。
「バカ言え、どうにか回収してこい。こんな利息でも回収しとかないと舐められちまうからな」
「はいはい」
牧野は「じゃあとりま、こいつの家行くかぁ」と独り言をブツブツと呟きながら、先ほどまとめた荷物を手に事務所を出ようと部屋のドアノブにかけたところで、思い出したかのようにカバンから小さい袋とじの菓子のようなものを出した。
「あ、しゃちょー。これ先週旅行行った時のお土産です。いやぁ、渡そうとなんども思ってたのに忘れてて今日になってしまいましたけど、どうぞ受け取ってください」
そう言って、牧野が佐川の机まで来て差し出す。
「おいおい、もう一週間経ってるけど腐ってんじゃねぇよな。明日、腹壊したら許さないぞ」
「大丈夫ですよぉ。賞味期限は多少過ぎても大丈夫らしいんで」
「ああ、そうかい。ありがたくいただくよ」
そして牧野は「じゃ、行ってきます」と言葉を残し、事務所を出て行く。
一人になった佐川は明日のスケジュールをもう一度確認しながらもらった菓子を口に放り込むと、部屋の角にある金庫をスーツの胸ポケットにある鍵で開けて十分な金があるか確認する。
「よし、ちょうどだな」
佐川はきちんと明日の金はあったのを確認し、金庫に戻し鍵をする。そして、鍵をしまい、自分の椅子に戻ろうとすると、急に足に力が入らなくなった。ふらつきながら壁に手をつき、体勢を立て直そうとしても安定せず、床に倒れこんだ。胸が締め付けられるかのように苦しい。
「ぐっ。きゅ、救急車、呼ばないと…」
佐川は震える手でズボンの前ポケットから携帯電話を取り出して、救急車を呼ぼうとしたが、横から伸びてきた手に携帯電話を取り上げられる。伸びてきた手の先を見ると、いつの間にか事務所に入ってきた牧野であった。
「いやぁ、よかったよかったぁ。あなたがもし家でお土産食べてたら、面倒臭かったんでね。ここで食べてくれて仕事が減りましたよぉ」
牧野は嬉々としながら佐川を見下ろす。
何が起こっているのか。何を言っているのか。何がそんなに嬉しいのか。佐川には何もわからなかった。わからないほど、苦しくて混乱していた。
「な、にを、しているん、だ。ま、きの。きゅ、うきゅう、しゃ、ぁ」
佐川は手を伸ばして牧野に縋るかのように足を掴んだ。
「やめてくださいよ、しゃちょー。しぶといですねぇ。ほとんど仕事を僕に任せておいて体なんてほとんど動かしてないくせに、生命力だけはお強いんですねぇ」
牧野は佐川の手を乱暴に振りほどいた。そして、佐川の携帯電話を鞄にしまって、ポケットから新たな携帯電話を取り出して誰かに発信する。
「もしもし。牧野です。……ええ、終わりましたぁ。場所は事務所です。……はは、今回は少し面倒でしたよぉ。………逃げませんよぉ。金はしっかり山分けって約束でしょ。じゃあまた」
牧野はもう動かなくなった佐川のスーツの胸ポケットから鍵を奪い取った。そして、金庫から金を取り出し、持ってきていた紙袋に入れると、事務所を立ち去った。
数日後、「Your life」のあったビルは大きな炎に包まれており、次の日の全国の新聞の一面を飾っていた。そして、奇妙なことにどの新聞でもビルにいた人は全員避難が完了しており、死亡者はゼロ人と記載されていた。