何もかも魔法頼みじゃ愛しい彼女は振り向きません
謀事はやっぱり露呈するもので。
学園での噂が王弟殿下の耳にも入ってしまった――
「間違っていたと思うか?」
呼び出されての問いに暫く悩んだ後。
そうは思っていない、と首を振った。
取った選択自体は、間違っていないと思うから。
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学園が短期の休みに入ると"子育ての一環"が始まる。
王家所有の森の中。
朝早く連れ出されたのは側近二人とーー
「ご機嫌麗しゅうございます」
涼やかな声の、ベルクアード。
今回はベルクアードも受ける側だ……。
微笑を崩さない、表情の裏側はどうなのか?
考えて身震いする――目を合わせてはいけない、絶対に。
ーー逃げ惑えーー
やっぱり、愉しそうにしか聞こえない。
王弟殿下の声が響くと同時に、全力で走る。
何かが背後から迫ってくる。
獰猛な何かの息づかいまでが、側近くに聞こえて。
隣を走る人影に、二手に分かれる相談をしようと話しかけたらーー
「ガアァァァ」
それは人ではなく熊だった――!
(他の三人は?)
一瞬。最悪の事態を想定してしまい、震撼する……が。
「オクタール公爵令嬢と思えば嬉しいのではないか?」
そうだな、と微かに聞こえる話し声に"心配するんじゃ無かった"と後悔した。
リリアルはもっと淑やかだろう? 私を追い掛けるなんて……夢の記憶の私なら? いや、現実を見ろ。
落ち込む私の事などお構いなしに。物凄い速さで二足歩行の巨大な熊が追い掛けてくるーー!
木々の間を縫うように駆け回るけど、意外に小回りも利くようで撒くことも出来ない。
(仕方無いな)
すらり、と剣を引き抜き構える。
魔法は禁止。その代わりの佩剣だ。
背面で急所をと思ったのに。
「がぶり」
熊が剣に噛みついて離れない……。
怪我をするから、止めた方が良いのに。判らない熊に。
「怒らないで貰えるか?」
と手を離す。
反動で大きく身を反らす熊がーー
「ごっっ!」
運悪く、大木に頭部を強打して逆上。
グオオオ! と叫ぶ姿に"だから怒らないでくれと言ったのに"と呟いても伝わらない、か。
最終手段の拳を握り締めると、
――くらり。突然目の前が暗くなる?
連日悩みすぎの睡眠不足が祟ったのか。目眩がする。
ぶんっ、と爪が振り下ろされる間際、
「呆けている場合か!」
襟首を掴まれて。引き摺るのはアーク。
「自分が相手を」
間に割り込むのはカイン。
鞘に籠めたままの剣を前に構えて――引き抜く勢いのままに、斬る。
ずどーん、と木々や枝を巻き込みながら、熊が倒れていく……。
相変わらずの見事な剣技に見惚れそうだとか。
発想がおかしいのは、脳内の空気が足りないからだろう。
首、絞まってるよ……アーク。
早く放してくれないかな? お礼も言えないんだけど。
「クロムナード王子殿下――」
此方を、とベルクアードが剣を拾い上げて渡してくれる。
? 随分と気が利く――?
と、また声が響いて。
ーー追加だーー
"喜べ"と全く検討違いな"心遣い"をしてくれる王弟殿下に、恨み言を言いたくなったのは私だけでは無いだろう。
背中に担いでいたものを「よっ、」と此方側に放ってくる――?!
(あんなに巨大な熊を自分で捕まえてきてたのか!? あの人の身体能力どうなってるの??)
流石は怪力揃いの王族。王弟殿下。
そしてあの執事の。あの親にしてとは……納得だよ。
逃げようとしてはたと気づく。
熊は逃げようとする相手に向かってくるものだ。
追い掛けられた先刻は、熊と知らずに逃げたから――
では動かずにいようと。微動だにしなかった、のに。
「ガアァァァ」
何故か、私に向かって一直線なんだけど!
結局また全力で逃げながら思い当たる。この中で"私だけだ"と。
まさか……熊は、優男を好むのか?
髪を切っても優男感が抜けない自分を呪いたく……なった。
「グアァァァ」
側近二人が私を庇ってくれるが、まさかの横からもう一体。
何故か、最初の熊が起き上がってきた――!
"本当は斬りたくない"とか言ってる場合じゃない。
側近達だってこのままでは怪我をするかも。
そう思ったら、その甘さを自覚した。
(私がしなければ、側近がやる)
側近達は私を護る側だから。護れなければ、その時はーー
考え事をしていた事と、やっぱりくらくらと目眩がして。木の根に足元を掬われてしまう。
転倒しても転がりながら逃げていたけど、大木に阻まれた。
剣も手から離れてしまっていて……僅に届かない。
これは、熊と接近戦か――?!
(熊相手に寝技とか……勘弁して欲しい……)
迫り来る熊に、拒否反応が出そうなところで。
「シュリリリリィ」
風を斬る程速い剣捌きの音の後。
目の前すれすれに、熊が崩れ落ちた。
「ご無事に御座いましょうか?」
涼しげな微笑が、熊の影から見える。
……剣技も秀でているとか、超人だろうか。
「命を奪う躊躇は解りますが。王弟殿下はそれもご承知のようですしね」
何の躊躇いも無く剣の刃に触れながら言うベルクアード。
危なくないか? と目を丸くしていたらーー
「切れておりませんよ」
手を見せるように差し出してくる。
嵌めていた筈の手袋が無いな、と思いながらも見ると切れてはいない?
手元の剣を確認すると、刃が潰されていて切れないようになっていた。だから、カインに斬られた筈の熊が起き上がれたのか。
あのカインに斬られたら、例え巨大な獣でも怪我では済むまい。
本当に、何も見えていなかった。
側近達のことも。叔父上の気遣いも。
「お気付きで無いようなので……僭越ながら申し上げます」
器用に熊を縛り上げながら言うベルクアード。いやもう解ったんだけど。
「走る者を追う習性もそうですが。熊は、強い臭いに寄って来るもの」
ーーその剣に塗られた塗料のような、でございます。って?!
確かになんだか気分が悪くなるほどの臭いがすると思ったら、剣か!
「三度目は、ございません」
そう言うベルクアードはしたり顔。
誰の仕業なのかは瞭然だろう。
――流石はリリアル専属腹黒執事!
と、心の中で叫んでいたーー
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「リュイ」
帰りの馬車の中、叔父上が私に封書を二通差し出して。
「お前が持っている方が良いだろう」
と言う。
中を見ると幼い文字。
アークとカインのものらしい。
――誓約書だ。
表書きの文字が、直筆で辿々しく綴られている……命を賭ける、誓約。
書字も覚束無い程以前から、命懸けで付き合ってくれていたのか。
「預かったのは、側近候補に二人が挙がった間も無くの頃だ」
学園の生徒達に、その身を賭すのは王族として当然だが――
「うっかりで命を落とすなよ? 忘れてやるな。側近達は、お前に命を預けている」
そう言って、
ぐしゃり。
私の髪を乱して嗤う。
――男振りは上がったんじゃないか? と。





