007 ― ドヴェルグの姫、異形を名付けける ―
―――ピチョン、ピチョン……。
「ん、ぅむ……」
顔に滴り落ちる水滴でようやく妾、『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』は目を覚ました。
ここはいったい。
確か妾はあの化け物ムカデに放り投げられて……。
うぅむ、うまく思い出せん。
頭がガンガンするのは急激な気圧の変化のせいじゃろうか?
「……ッて! そうじゃ! 確か放り投げられて大穴に落ちそうになって、それから」
そうやって自分に降りかかった災禍を少しずつ思い出そうとしとった時じゃった。
『ギチギチギチチィィッ!』
何度聞いても身の毛のよだつあの化け物ムカデが、『得体の知れぬ何か』と取っ組み合いの激闘を繰り広げておったのじゃ。
『それ』は妾が生きてきた中でも見たことの無い奇怪な出で立ちをした大男じゃった。
『ギキキィィィッ!!』
そ奴が妾と化け物ムカデの間に城塞のように立ちはだかり、その巌のように隆起した筋肉でもって化け物ムカデの突進を易々とねじ伏せておった。
万力のような両腕で、猛毒を注入せんとその身に迫る二本の牙をガッシリと掴み、それ以上の進行を阻んでいる姿は【鉱亜人種】の叙事詩に登場する巨人『ユミル』のようでもあった。
しかし化け物ムカデもさるもので、その体にゾロゾロと生えた足を使って一歩、また一歩と少しずつ、大男の咽喉元に毒の牙を突き立てんと迫る。
牙がその大男の咽喉元に迫ろうとした矢先、
「グオオオオオォォォッ!!」
大男が雄叫びをあげたかと思うと、大男の腰からニョロリと生えた尻尾、その先端にある山刀のような部分が化け物ムカデの頭部から数節ある外殻を、比較的やわらかい腹側から突き刺した。
突き上げるように鋭利な尻尾の先端を突き入れられたムカデの外殻は、まるで初めから硬くなかったかのように簡単に穿たれてしまいおった。
この時点で既に勝敗が決したしたと本能で理解した化け物ムカデは、最初の威勢など何処にいったのか、目の前の鬼神のごとき大男から、全身をくねらせ必死に逃げようともがいている。
じゃが、万力のような膂力で頭を固定されている現状で逃走など不可能であった。
「ハァア……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!」
さらに大男が咆哮を上げて力を強めると、化け物ムカデはバキバキと音を立てて、頭の一つ後ろから縦に真っ二つに引き裂かれてしまいおった。
下手な武具をも通さぬといわれる程の堅牢無比な外殻ごと裂き割るとは、なんという剛腕の成せる所業か。
あれほど脅威と思っておった化け物ムカデを、まるで斧を使って薪を割るがごとく素手で引き裂きおった大男は、ゆっくりと息を吐いて呼吸を整えておる。
後ろにいてその様子を一部始終見ていた妾ではあったが、不思議と恐怖は湧いてこんかった。
その大男の所業にはある種の神々しさすら感じとったほどなのじゃから。
妾がその大男の行動をつぶさに観察していた矢先、不意にその男がこちらを振り向いた。
まるで鬼神もかくやというような顔面。
眉に当たる部分からニョッキリと角のようなものが数本生えている。
【角鬼亜人族】に似ているような気もしないでもないが、【角鬼亜人族】にこれほど筋骨隆々な腕が四本もついているはずもない。
そうやって妾が観察している間に、気がつけばその大男が妾の目の前に、こちらを見下ろす形で立ちはだかっておった。
「お主、先ほどのムカデ退治……。もしや妾を助けてくれた、のか?」
「……?」
妾がぽつりと口にした言葉に大男が首をかしげる。
まるで市井の稚児がやるような行動に可笑しさが込み上げてくる。
『抱腹絶倒』とはよく言ったものじゃ。
その厳しい外見とは裏腹な行動に、気づけば妾は声を出し腹を抱えて大笑いしておった。
妾のその予想外の行動にさらに不思議さを感じたのか、大男が胡座をかいて座り込みながら腕を組んでその様子を不思議がって見ておった。
一通り笑いまくった妾はこの者と話がしてみたく思い、いくつか尋ねてみた。
この大男、言葉を喋るのがすごく下手クソなのか、妾の口にした単語を何度も反芻してばかりで、はじめの内は全く会話すら出来んかった。
それでもどうにか妾と意思の疎通を図ろうとしている節が見受けられた。
妾がいくらか言葉を紡いでやって、ようやく言葉らしい言葉を話すまでに至った。
おそらく、生まれてこのかた、これほどまで妾の方に話させたのはあとにも先にもこ奴のみじゃろうて。
時おり行なう催事の数百倍は話してやったハズじゃ。
「さて、会話らしい会話もできるようになったことじゃ。まずは自己紹介から始めねばの」
「ジコ、ショーカイ……」
「そうじゃ。どんな会話をするにしても相手の名前くらいは知っておかんとな。妾はこの【ドリュアタイ地下帝国】に住まう者で、名を『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』という。発音できそうかえ?」
「『ゾフィー……レアテミス……ド・ヴェルグ』?」
「うむ。きちんと綺麗に発音できるようじゃの。次はお主の番じゃ。お主、名前は何というのじゃ?」
「ナ、マエ? 私、ノ?」
「そうじゃ。いかに化け物退治ができるお主であっても、木石でないのであれば名前くらいはあるのであろう?」
「…………私、名前、ナイ」
数巡したのちの返答に、思わずずっこけそうになった。
「なに!? お主、本当に名前がないのか!?」
「完全二、名ガ無イ、ジャナイ。タダ、私ノ、種族、決マッタ名前、名付ケル、習ワシソノモノガ、無イ。……ムゥ、改メテ考エルト、説明、難シイ」
そう言って大男はウンウン唸って考え込んでしまった。
「なんと。随分と不便な種族もあったものじゃ。ならばお互いを呼ぶ時にさぞ困ったのではないか?」
「ソンナ事、ナイ。私、種族、誰モガ『魂ノ言葉』、持ツ」
「『魂の言葉』?」
「ソウ。タダ、コレ、決マッタ、『音』デシカ無イ。ダカラ、『名前』ト言ウニハ、程遠イ」
ちなみにどういったものか発音もしてもらったが、本当に『ただの音』でしかなかった。
なんでも、『コユーシンドースー』なるものなんじゃとか言っておったが、詳しくは説明されてもよう分からんかった。
「う~む。となると、お主を呼ぶのに妾が苦労しそうじゃな。何か特別な呼ばれかたなんぞされてはおらなんだか?」
「特別ナ、呼バレカタ…………ア」
何かを思い出したのか、大男がポンと手を打つ。
「お! 何かあるのか? 申してみい!」
「ズット昔、私、慕ウ『若キ者』、呼ンダ『呼ビ名』、幾ツカ、アッタ。タダ……」
そこまで言って大男が言い淀んだ。
「えぇい、まどろっこしい! ただ、なんじゃ!?」
妾が声を荒げ身を乗り出すと、大男はびっくりしたように後ずさった。
こヤツ、デカい図体して気の小さい奴じゃの、まったく。
「この際じゃ。皆からなんと呼ばれておったのじゃ? いくつもあるのなら全て申してみい!」
「……『終焉ヲ呼ブ者』」
「……へ?」
「『命ヲ刈リ取ル者』、『終ワラセル者』、『魂ノ収穫者』、『傍ラニ終ワリヲ連レテ歩ク者』、『告死ノ……」
「待て待て待て待て待て待てええぇぇいいッ!!!」
「……?」
妾が大声を出したことで、大男はキョトンとした顔つき――実際、顔の殆んどを占める部分が『兜』のようなもので判別しづらくはあったが――で、再び首をかしげておった。
「なんじゃ、その物騒極まる呼び名はッ!? 殆んど『死の象徴』扱いではないかッ!」
「事実、ダ。ソレニ、年老イタ者、治ラナイ病気、治ラナイ怪我、持ツ者達。沢山ノ仲間達、看取ッタ。コノ手デ、『終ワラセ』モ、シタ」
「終わらせ……そうか」
片言のなりにも慣れない言葉で自分の内心を表現しようとする大男の表情にどこか哀愁のようなものを妾は感じておった。
何ということはない。
この男の周りにはそれだけ『死』が存在し、この男の傍らには常に『死』が共にあったのだ。
「つまり『死神』呼ばわりされても間違いではない、と。お主はこういうわけか?」
「私、『神』、チガウ。デモ似テイル」
「なるほどのう。……よし、分かった!!」
「?」
そういって妾がすくっと立ち上がるのを大男が不思議そうに見つめる。
「ただでさえ妾は仲間とはぐれてしまって困っておる! これ以上湿っぽいのはナシじゃ! お主、これから妾が言うことをよおぉーっく聞け! 良いな!」
「ハ、ハイ……」
胡座をかいていた大男がモソモソと佇まいを正す。
「これから妾がお主に『新しい名』を付けてやる!」
「新シイ、『名前』?」
「そうじゃ! 先ほどお主が列挙した名前も悪くはないが、どうもしっくりくるものが無いように感じた、いや無かった!!」
「ナルホ、ド?」
「そうじゃの。……死神、いや『鎌を持った死の精霊』か、死、鎌……よし! 今からお主の名は『リーパー』じゃ!」
「ッ!!」
その単語を耳にした大男が目を見開いたような気がした(やはり、顔の殆んどを占める『兜』部分のせいで判別しづらくはあった)。
「『鎌』であれば縁起が悪いばかりではなくなるし、『収穫』という行為はむしろ実りが多いということじゃから縁起も良かろう! 第一、【鉱亜人種】という鍛冶職人の種族が名付けてもおかしい名前でも無かろうしな! どうじゃ、喜んでくれるかえ?」
多少強引ではあったが、初めての『名付け』に内心ドキドキものじゃった。
「リー、パー……、リーパー。ハハハッ、『リーパー』ッ!!!」
「のわッ!?」
口の中で幾度かその単語を転がしておった大男、いや『リーパー』が突然妾の脇に手を入れると、鳥の羽のように軽々と妾を持ち上げおった。
「な、なんッ! なんじゃ!? そんなに気に入ったのか!?」
「気ニ入ッタ! リーパー、リーパー、リーパー! 懐カシイ、響キ、持ッタ言葉!!」
市井の母親がよく赤子をあやすときに高く上げる、俗にいう『高い高い』じゃった。
完全に気を良くしたのか、リーパーは妾を抱き締めたり、クルクルその場で回ってみたり大はしゃぎじゃった。
う~む、近くで見ると此奴中々の強面じゃのぅ、それに気持ちが昂ると顎が左右に開く仕組みになっておるのか。
なんとも面妖な顔をしておる……………ッと、何を妾は良いようにされておるのじゃッ!!
「えぇい、いい加減落ち着かんかッ! そして妾を下に下ろすのじゃッ!!」
全く、名付けくらいで大の男が大はしゃぎしおって。
「妾はこれでも『【鉱亜人種】の姫』なんじゃぞ? それを子供のように扱いおって……(ブツブツ」
「シ、失礼シタ。謝罪シタイ、許シテ欲シイ」
スッと妾を地面に下ろした男、リーパーはゆっくりと座り直すと妾に向かって深々と頭を下げた。
「あー、もうよい! 許してやるから頭をあげい!」
こうやって妾がどういった立場にあるのか分かった途端、態度を変えられるのが嫌いじゃから敢えて『地下帝国の者』と言うたのに、こちらの意図がまるで伝わっておらん。
「アリガトウ」
それにしても本当、此奴と一緒におるとどうも調子が狂う。
場の空気の一新もかねて妾が一つ咳払いをする。
「コホン……。先だって、移動せねば。いつまでもこんな虫の死骸がある場所にいとうなど無い」
「分カッタ」
リーパーがおもむろに立ち上がると、先程自分の腕力で真っ二つに引き裂いた化け物ムカデに歩み寄る。
「何しとるんじゃ?」
「コイツ、退治シタ証、必要。ソノ方ガ話シ合イ、短クナル、思ウ」
「確かにな。ただそれ全部はさすがに持っていけんぞ?」
なんせこの化け物ムカデ、『スコロスカベンジャー』は体駆がとにかくに長い。
じゃからそんなものを持って歩くなんぞ単なる苦行でしかない。
それに死骸のニオイに誘われて他の捕食者が出て来んとも限らん。
「ナラ、コノ部分ダケ、スル」
リーパーが指定し、ザクザクと切り分けたのはスコロスカベンジャーの頭部であった。
奴の頭部は他の燻った黒い外殻とは別に、燃え盛る焔のように真紅の色を湛えている。
「確かにそれならば退治した証拠にもなるし、お主の武功にもなる。ならばこれを振りかけておくがいい」
妾は腰のアイテムポーチの中から小さな瓶をリーパーに投げ渡す。
リーパーが持つと瓶の小ささが更に際立つのう。
「? コレハ?」
「『清水華』と呼ばれる匂い消しの香じゃ。それを使えば洞窟を抜けるくらいの時間、ある程度の死臭は防げるじゃろう」
「ソレハ、有難イ。使ワセテモラウ、シヨウ」
瓶のフタを開けると、中に封入された香の清涼感漂う爽やかな香りが洞窟内へ爆発的に広がった。
リーパーにもその香りの強さが理解できたようで、スコロスカベンジャーから剥ぎ取った『戦利品』の一番損傷の酷い部分に数滴付けただけでキッチリ瓶にフタをし、妾に返してよこした。
妾はそれを受け取るのと同時に、こやつが先ほどの『戦利品』に紐の様なものを通し一つにまとめて腰にぶら下げたのを確認した。
「さて、まずは見知った通路まで戻ることを第一としよう。ついてまいれ」
「分カッタ」
これが『【鉱亜人種】の姫』である妾『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』と、『常識外』である『リーパー』との出会い、その一部始終じゃった。
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