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072 ― ワクガイ、嵐の前のひと時を堪能す ―

垂直跳びの運動エネルギーが減衰し、この星の重力に従って自然落下したのち、私の身体は地面に大きなヒビを残して無事着地(今度は激突じゃなかったよ、やったネ!)。


地表に膝下まで突き刺さった両足を引き抜きつつ、ある程度の周辺情報が把握できたと私の中で確信が持てた時、不意にヘルメットのバイザー内の『音源情報表示機能』に反応が現れる。


「この反応は、近くに水源があるのか?」


その仮説が頭をよぎったとき、考えるよりも先に私はその方向に向かって駆け出していた。


地下世界では衛生管理の観念はあったものの、基本的に体の清潔さを維持するには事前に【法術(ほうじゅつ)】で用意したお湯や水につけて絞った荒い目の布で拭く程度で済ませていた。


普通ならば、そこら辺から湧いて出る水を活用すればいいと思うかもしれない。


だが事はそう単純ではないのだ。


というのも、地下水には地上の湧き水と違って、複数の含有物が多く含まれているからである。


代表的な例を挙げるならば、ウォラやプレナ、その他多くの鬼族が住んでいる【蓄法石(ちくほうせき)】の砦横の下層を流れていた強塩基性の川が最たるものだろう。


以前、私とウォラが対峙した際、両者が落下しかけた地点の高さですでにPh値十四を示していた。それは【向こう側(人間であった時)の世界】における水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)と同値であることを意味している。


タンパク質で構成された生物の皮膚に付着すれば付着部分をたちまち融解・炎症させ、適切な処置を行なわなければ失明すら起こりうる危険物だ。


どんなバカや自殺志願者とて、アルカリ(塩基)性漂白剤をジュース代わりに、固形石鹸をオヤツ代わりにかぶりつく奴はいないだろう。


もし仮に『こちら側の世界』でそんなものを飲料すれば、治癒能力に長けた【醜鼻鬼族(トロール)】でさえまず命の保証はない。


加えて、【鉱亜人種(ドヴェルグ)】側でも水資源の問題は十分理解しており、安全配慮に関しては徹底していた。


レアテミス嬢から耳にした話ではあるが、帝国が保有する数多くの鉱脈では、掘削途中に水や沸騰泉が噴出してくることが度々起こっていたという。そういった鉱山近くの水には、ヒ素やフッ素、硫黄といった生き物にとって非常に有害な物質が含まれているケースが高く、とても生活用水には適さないのである。


【鉱亜人種(ドヴェルグ)】たちはそのこと長年の経験と知識で理解していたらしく、ちょっとした飲料水や軽い沐浴程度には自分たちで生成した【法術(ほうじゅつ)】の水を使っていた。


―――というか、そもそもの話。


かれら【鉱亜人種(ドヴェルグ)】には『湯に浸かる』、というか『入浴』という概念がなかった。


これは私にとってはかなりの衝撃であった。


『向こう側(人間であった時)の世界』で私(松本)が読みふけった数々のファンタジー小説に登場する、『こちら側の世界』でいうところの【鉱亜人種(ドヴェルグ)】の立ち位置である『ドワーフ』たちは大地からあふれ出る源泉をかけ流した大浴場を作り、高度な技術力でもって含有されている有毒物質を取り除いていた。


対して、『こちら側の世界』の【鉱亜人種(ドヴェルグ)】たちは、【法術(ほうじゅつ)】で作り出した貴重な水を酒樽のような桶に満たし、地熱が発生している場所に設けられた室のような部屋へと設置。そこから柄杓(ひしゃく)ですくった水を赤々と焼ける岩へと掛けることで水蒸気に変化させる、いわゆる蒸し風呂方式をとっていた。


汗とともに排出された体内の毒素と、その日の仕事で付いた体表の汚れを専用の器具でこそぎ落とし、最後はこれまた【法術(ほうじゅつ)】にて頭上に作り出した冷水の塊を自身の頭目掛けて一回ないしは二回バシャンと落として終わり、というものだった。


余談ではあるが、以前私が帝国の郊外のとある場所で温泉が湧いている施設と勘違いして久しぶりの入浴を堪能しようとした時、入り口に立っていた【鉱亜人種(ドヴェルグ)】の兵士たちから「ここは鉱山から排出された猛毒――おそらく鉛や重金属が含有しているのだろう――を含んだ極めて危険な場所で入浴なんてもってのほかだ」と思いっきり怒られてしまった。


私はてっきり彼らを公衆浴場の警備員程度に思っていたのだが、予想以上に厳重な施設であったようだ。


このように風呂ひとつとっても、世界がまるごと違えば文明の発展度や地域の文化も大きく異なるということを、私は改めて痛感させられた。


まぁ、それだけ綺麗かつ無害な水資源の存在が貴重であるがゆえに、当たり前といえば当たり前ではあるのだが。


つまり長々と話してきて結局何が言いたいかというと、『綺麗且つ無害な水』というのはそれを必要とする生物にとって生きてく上で重大な死活問題なのである。


さて、だいぶ話が逸れてしまったが、私がその音源に向かってひた走っているのは、その音源がかなりの水量を有したものの音に他ならないからだ。


もしかしたら二メートルを超えるこの体躯を沈めても余りある水量かもしれないと、レアテミス嬢のところですらも実現が叶わなかった水浴びができるかもしれないと、そんな淡い期待に胸を弾ませてしまっても致し方ない事であろう。


鬱蒼(うっそう)と生い茂る、人の手の入っていない原始の巨木が立ち並ぶ隙間をパルクールのごとく高速かつ鮮やかに駆け抜けることなど、この『レプティノイド』の肉体をもってすれば造作もない。


「見える、私にも隙間が見えるぞっ!」


どこぞのロボットアニメに登場するライバルキャラじみたセリフを吐きながら、木々の隙間に降り積もった雪を巻き上げて爆走すること十数分。


突然視界が開けたかと思うと、そこにはまさに今の私が予想していた光景が広がっていた。


そこは山の支流がいくつも集まって形成された結構な広さを持つ渓流であった。私の背丈よりも頭三つ分は高いと思われる段差から、清涼感溢るるかなりの水量が下流へと流れ落ちている。


「いいねぇ~。このいかにもマイナスイオン出てますって感じ。おじさん好きだなぁ~!」


思わず独り言が口から洩れてしまうくらい、ご満悦な私は目の前の景色に見とれてしまっていた。


「よし! せっかく走ってまでここに来たんだ。目的を果たさなくっちゃあ、だな……! っと、その前に……」


私は音を上げて流れる川岸にしゃがみこむと、水に指先を浸してみる。


すると、フルフェイスヘルメットのバイザー部分に、この水の成分表が事細やかに表示される。


飲料可能かということはさることながら、鉱水か否か、Ph値は酸性か塩基(アルカリ)性か。果ては動物の排泄物とともに体外に排出された寄生虫の有無などなど。


まぁ、一言で言えば水質検査ってやつだ。


(いくら水浴びしたいからって、動物のたちの垂れ流しと一緒はさすがに嫌だからなぁ……)


指一本水に浸しただけでここまでの情報が表示されるのだから、腐っても緊急用という謳い文句を名乗るだけはある。


もっとも、他の機能のほとんどは完全にオミットされているため、本当の意味で最低限の生存機能しか備わっておらず自身の身の安全は他ならぬ私の戦闘力頼みなわけだが。


さて、これらの情報をもとに判断するに、目の前の渓流は特殊装甲(パワードスーツ)の水質基準を見事クリアしたことになる。


動物の垂れ流し無し、飲料OK、水浴びOKの三拍子揃った正真正銘『安全な水』が流れている訳だ。


「そうと決まればやることは一つっ!」


ここまで走ってきたことで身体は十分温まるっている。今更ウォーミングアップの必要はないだろう。


「ィヒヤッホォォォウ! 最高だぜぇぇぇぇ!!」


特殊装甲(パワードスーツ)の防御面積を最低限に変化させつつ、パンツァーハイを起こした理髪店の少女のごとく、童心に帰った私は川の真ん中近くまで跳躍すると身体を丸めてそのまま勢いよく川の中へとダイブ。


川は私の思った通り、いや、それ以上の水深があった。おそらく私が直立しても水面に顔を出すことはできないだろう。


(おぉ! こいつはかなり深いな……。いくらこの体が超人的な力を秘めているといってもこの惑星には【法術(未知な力)】も存在することだし、油断はしないようにしよう……)


『向こう側(人間であった時)の世界』でもそうだったが、河川というのは一見して穏やかそうに見えるが決してそんなことはない。


むしろ海よりも危険なポイントがいくつも存在する。


まず、水の透明度が海とは違うため、水深を誤認する可能性だ。光の屈折率などの関係で浅く見えたと思って入って見たら想像以上の深さだった、なんてことはざらである。


特に淵と呼ばれる場所では川底まで十~二十メートルもある場合があるため大変危険だ。


次に水中の流れが複雑であるという点。


これは岩場などのゴツゴツした場所に多く見られ、場所によっては川底に引きずり込むような見えない強力な縦回転の渦が発生している場所がいくつも存在する。


さらにそのような岩場には多くのコケや藻が付着している場合があり、その滑(ぬめ)りに足をとられて流されるといった事例もよく耳にしていた。一般的な成人男性でも水嵩(みずかさ)が四十センチを超えると足を掬(すく)われやすくなるのだ。


極めつけは水温が低く、海よりも浮力が少ないという点だ。山は海と違って気温や水温が上がりにくく、油断していると低体温症になってしまう場合が多い。


そして真水は海水に比べて、塩分濃度が薄い分浮力を得にくく浮かびにくい。


以上のことから、ついさっきの私のような不用意な行動をしてしまうと、高確率で思いもしないような大事故へ繋がる。


結論。自然への慢心、ダメ絶対。


(とはいえ、心地よきはこの水の冷たさよ……)


尻尾の先の鋭利な外殻を大きな岩に突き刺して錨(いかり)の代わりとしながら、私は水中で仰向けのまま大の字状態となる。


普通の生き物であれば流されるかもしれない速さではあるものの、『レプティノイド』という超生命体となった今の私にとってはこの位の水流がちょうど良い。


上流から流れてきた雪解け水と思われる冷水は、爆走してきたことで火照った体の熱を清涼感とともに奪い去ってくれる。


(あぁ~、この寒水がこれまでの疲れを癒してくれるんじゃ~……)


聴音装置からヘルメット内に聞こえてくる流水音を聞きながら、筋肉にかかっている余分な力を弛緩させつつ身体をダランとリラックスさせ瞳を閉じれば、この星に来てからの様々な出来事が思い出される。


人類と思しき第一生命体との遭遇から始まり、【鉱亜人種(ドヴェルグ)】の王女であるレアテミス嬢との出会いにお化けムカデとの格闘。


そして鬼族のリーダーであるウォラとの拳と拳の(肉体言語的)語らいと、【死肉喰鼠(モルグラット)】と呼ばれる害獣対策のための同盟の橋渡し役等々。


思えば地下で活動していた時は、超が付くほど何かと多忙であった。多分、何もなくその日を終えられた事は、数える位しかなかったんじゃあなかろうか。


レアテミス嬢たち【鉱亜人種(ドヴェルグ)】らへの『排斥する者(スプリガン)』という、『向こう側(人間であった時)の世界』における装輪装甲車から発想を得た『軌道車輛』という新技術の導入や、【法振石(ほうしんせき)】と呼ばれる特殊な石ころを用いた遠隔地との通信手段の考案、範囲攻撃も可能な志向性散弾兵装を内蔵した、特殊な槍の作成……。


加えてウォラを含めた鬼族たちに混成部隊での戦い方の利点の説明と伝授。さらに『向こう側(人間であった時)の世界』でみた、とある傭兵部隊に所属する青年と女子高生が登場するロボットモノの映像ログからインスパイアされた『海兵隊式新兵訓練(ブートキャンプ)』を用いた猛特訓。


元々、ウォラという絶対強者を筆頭にした『力の強弱を基にした縦型社会』であったことが幸いし、私の課した特別なスペシャルメニューを皆嫌がらず受け入れてくれた。


(まぁ、あまりの過酷さに脱落者が出るんじゃないかって、立案者の私本人が危惧してたけれど、いい意味で予想外なことも起こってくれたし……。アレはアレで良しとしよう)


というのも、実は特訓の最中にウォラの姪プレナが弱腰となった仲間たちの尻を蹴り上げる役を買って出てくれたのである。


出会った当初こそ警戒モードマックス状態のネコ型動物のような彼女であったものの、自分の周りの劇的な変化が起こったことで彼女の心情に少なからず何らかの変化があったのかもしれない。


おかげで誰一人掛けることなく、どこに出しても恥ずかしくない『獰猛さと勇敢さを併せ持つ立派な戦士(ウォーモンガー)』へと育ってくれたのだ。


しかしながら、私の頭の片隅では複数の知的生命体に対してあまりにも肩入れし過ぎだったのではという考えが付きまとっていたのも事実である。


客観的に見ても、明らかに彼らの文明度合いに比べ過剰とも呼べる技術供与であった感が否めないからだ。


かといって、せっかくこの星で最初の友人となってくれたレアテミス嬢や、義理とはいえ私の弟となってくれたウォラと彼を慕う者たちが、あんな冒涜的かつ利己的な自分至上主義生物の毒牙に掛かるのを看過することはできなかった。


(……えぇい! 過ぎてしまったことを考えても何も始まらない! 『後悔はしても反省はするな』と伝説的な熱血テニスプレイヤーも言っていたじゃあないか!)


次があるかは分からないが、私は頭を振って雑念を振り払いつつ、岩に突き刺していた尻尾を縮ませて一気に川底まで降下してゆく。川底は水面よりもさらに水温が低いが、今の身体に劇的な変化をもたらすほどのモノではない。


繋留(けいりゅう)目的で岩に突き刺していた外殻に意識を集中し岩の一部を光子変換させて一気に引き抜けば、途端に川の流れが私を下流へと押し流そうとする。


とはいうものの、水陸両用な爬虫類型の二足歩行惑星外生命体(エイリアン)である『レプティノイド』にとって、この程度の水流ならせせらぎ程度でしかない。


そもそも、かつて私が『こちら側の世界』で初めて生を受けた場所では、数メートル先も濁って見えない濁流に生息している巨大魚や肉食の魚の群れに槍と素潜りのみで挑みつつ、お互い生きるか死ぬかを賭けた対決していたのだから。


だから私はひとまず思考することを放棄し、これまであまり使ってこなかったもう一対の腕も活用して、あらゆる泳法を試しながら束(つか)の間の休息を楽しむことにした。


しかし、この時の私にとってこれから起こらんとしている事に対して、全く予想などしていなかった。


まさか……。


まさかあんな事になるとは、夢にも思っていなかったのであったのだから…………。

ここまでご高覧いただきありがとうございます。

誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。

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