006 ― 然(さ)れど異形は時機(じき)を逸(そ)らさず ―
再び真っ暗な裂け目を今度は絶賛背面落下中の私は、先程の蛍光色をした毒液を上から何度も何度も打ち下ろしてくる巨大なお化けムカデに対して、〈フォース・フィールド〉を断続的に発生させながら飛んできた毒液の塊をデタラメな方向に打ち返していた。
『ギキシヒャア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!』
このお化けムカデめ。さっき自分の顔にこちらが打ち返した毒を食らったばかりだろうに。
無論、先ほどと同様に打ち返すこと自体は私にとって容易い。
目標も大きいわけだから目をつぶっていても当てられるだろう。
だが今は先程とは事情が違う。
一つは私とお化けムカデの位置取りにある。
現在どちらも共に落下中であり、しかも私がヤツの下にいるという最悪のシチュエーションだからだ。
『向こう側の世界』で慣れ親しんだオンライン型のFPSゲーム『インターセプター』でも、人類側が保持する様々な航空兵器によって『制空権』を抑えられてしまうと、いくら圧倒的な数で勝る『バイオレイター』でも戦線の押し戻しは非常に困難であった。
そもそもこの毒液の塊をもう一度お化けムカデに打ち返せば、その飛沫は瞬く間に自分に降り注いでくるだろう。
残念なことに、この〈フォース・フィールド〉には『バリアー機能を維持したまま、相手に飛来物を打ち返す』といった事が出来ないという欠点がある。
あくまで『守るだけ』と『打ち返すだけ』という単純な機能なのだ。
つまり、相手――この場合は、お化けムカデだが――に飛来物を打ち返している間は、新たな〈フォース・フィールド〉を張り巡らす事が出来ないのである。
そのため、今の私に出来るのはお化けムカデが何度も飛ばしてくるこの蛍光色の毒液を周りの岩壁に打ち返すしか防ぎようがない。
二つ目の理由は私の腕の中にいる者の存在だ。
見た目的には少女にしか見えない人物である彼女は、私が殴ってブチ壊した岩壁の先で、似たような背格好の人物たちとともにこのお化けムカデに襲われている状態であった。
私が壁を壊した時に吹き飛ばした瓦礫で自身の身体を傷つけられたムカデが、私に対して敵愾心を向けて攻撃をしてきた瞬間、思わずヤツの攻撃を反射してしまった。
結果、ムカデは岩肌がむき出しの壁面からズリ落ち地面で気が狂ったかのようにもがき、のたうち回った。
武装した兵士らしき人物たちが彼女を取り戻そうとしていた事から察するに、それなりの身分ある人物なのだろう。
だがこの時ヤツが腹に抱えていたこの少女が、ポーンッと放物線の軌跡を描きながら空中に投げ出されてしまったのだ。
本来の私、つまり『母船からのエネルギー供給を十全に受けられていた状態の私』だったのなら、どんな重質量な物体でもこの〈フォース・フィールド〉を延長して彼女を空中に制止させることが出来ただろう。
ただ、今の私にそこまでの力はないのが残念でならない。
結果的に彼女を庇いながら落下しているという現状に繋がるわけなのだが……。
唯一の救いは腕の中の少女が暴れずに大人しくしてくれていることだろうか。
彼女はこのお化けムカデに放り投げられ、私とともに真っ暗闇のなか落下しているうちに目を回して気を失ってしまっていた。
しかしながら、だからといって今すぐ彼女を起こすのは得策ではない。
目を覚ました途端に暴れられでもしたら『前門の虎、後門の狼』、さらなる面倒な事態になるのは目に見えている。
―――ビビッ…………ビビッ……ビビッ……ビビッ、ビビッ、ビビッ、ビビビビビビビビッ!
(しめたッ!)
ヘルメットの中に鳴り響いていたソレは、地面と私の相対距離をあらわす警報だった。
背中側の状況が分からない今の私にとって、特殊装甲に内蔵されている『反響定位モード』の応用でこういった小技を出せるのは実にありがたかった。
私が尻尾に意識を集中させると、先端にあるブレード状の外殻の一部が光り始める。
それと同時に、私はお化けムカデから発射された毒液の塊を打ち返すことを止め、眼前で押し留めたままチャンスが巡ってくるまでいくつもの毒々しい蛍光色をした水風船を待機させる。
「届けえええぇぇぇッ!!」
私は尻尾に力を入れ、目一杯尻尾を伸ばすことで先っぽが岩壁に擦れるのを振動にて感じた。
そのまま尻尾の先、ブレード状の外殻を壁面に突き立てた瞬間、真っ暗闇であったこの空間に眩いほどの光が爆発する。
―――キキイイイイイイィィィィィィッ!!!
同時に、垂直な岩肌に無理やり尻尾の外殻を突き立てたことで、思わず耳をふさぎたくなるような背筋の凍る強烈な高周波ノイズも発生した。
『ギキキヒィィィッ!?!?』
刹那、突然の閃光と音に驚いて身体を仰け反らせたお化けムカデと、ヤツの巨体の間をすり抜けた私の位置取りが一八〇度反対になる。
『向こう側の世界』でプレイしていた『インターセプター』に登場した『閃光手りゅう弾』のような爆音はしなくとも、ソレ以上の強力な閃光と岩壁から発せられた強力な高周波ノイズ――具体的には黒板を爪で掻く音や歯を削る音くらいの高い音――は、ヤツの感覚器官のいくつかに十分な被害を与える事が出来たはずだ。
「……待っていたぜ。この瞬間をッ!!」
まるでどこぞのライオンが胸部に付いたジェネシックなロボットに乗る勇者のようなセリフを吐きながら、私はそれまで眼前に押し留めておいたお化けムカデの毒液の塊を、ヤツの全身めがけ余すことなく発射してやった。
仮に技名を付けるとしたら『ポイゾナス・レイン』とかどうだろう?
ヤツが落下中ずっと私にしてきてんだ、今度は私がお返しとばかりにその毒の雨を降らせる番となっても誰も文句は言うまい。
『ギギギキジャア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!!』
自分の攻撃を全身くまなく被弾したお化けムカデは断末魔の叫びとともに、すぐ目の前に迫っていたこの裂け目の終着地点である地底の岩肌に激突した。
いくら昆虫や節足動物が高所からの落下に強いといっても、あれだけの高さからあれだけの巨大なものが受け身すら取れずに落下したんだ。
外殻はペシャンコ、それが守っている内臓にだって少なからず被害があったはず……。
岩壁に尻尾を突き立てたままブラブラとしていた私は、再びゆっくりと先端のブレード状の外殻に意識を集中させる。
するとその刃先のように鋭角になっている部分と岩の接地面が光り始め、まるで加熱した刃物でバターを切るようにスウッと音もなく切れ込みが入り始める。
その切れ込みは光を伴って長く、長く延びてゆき、結果的にその切れ込みが長くなるにつれて私の身体ゆっくりと降下を始めてゆく。
「それにしても、さっきのノイズでも目覚めないというのはどうなんだ? お嬢さん……?」
私は腕の中で気を失ったままの少女に視線を移す。
あれほどの高周波ノイズが耳元で突然鳴り響いたら、私なんかは『生存本能』が強く刺激されて無警戒時でも飛び起きる程だというのに、この少女ときたら気を失っているというよりは口元をムニャムニャさせて眠り呆けているといったほうが正しいかもしれない。
「まったく、無警戒というか肝っ玉が大きいというか……」
私は呆れまじりの溜め息をはきつつお化けムカデの生死を確認すべく、ゆっくり地の底へと降下していく。
そしてゆっくりと地の底だろうと思しき場所に降り立つと、壁から尻尾を引き抜きながら、時代劇でいう所の『血振り』のような動作をする。
『惑星外生命体』になってからというもの、これをしないとなんというか……尻尾の先が非常に気持ちが悪いのだ。
例えるのなら、手を洗った際にびしょ濡れになった手をタオルなどで拭かずにそのままにしているような……、とにかくそんな感じで居心地が悪い。
まぁそんなことを一通りし終えた私は、腕の中にいながら未だに目覚める気配のない眠り姫をゆっくりと岩の上に横たえる。
そのままの流れで、私は左手の小手に内蔵された『診断用スキャナーツール』を起動させる。
これは手の甲から発射される赤く光るスキャン用レーザーで対象の端から端までをスキャンさせることにより、肉眼では判断が困難な機械の内部構造を分解せずに把握したりすることはもちろん、損傷箇所の確認、さらには生物の体内で発生した内出血や骨折、臓器の損傷の有無などをチェックできるという優れものである。
今回の場合は少女の頭頂部から足先までという、比較的小さい対象であったため診断結果は思いの外すぐ知ることができた。
(よかった、骨折や急性硬膜下血腫等の心配はなさそうだ。あくまで気を失っているだけというのであれば、現状は彼女の意識が回復するのを待つのが得策か……)
さて、少女が目を覚まさない間、暇になるであろうと思った私はゆっくりと立ち上がる。
そして私達よりも先にこの場所に到着し動かなくなっていたお化けムカデの生死を確認するべく、そろそろと近づいてゆく。
『向こう側の世界』にいた時から、私はムカデの生命力の強さに一目置いていた。
昆虫界における生態系ピラミッドのほぼ頂点に君臨する彼らのその『驚異的な生命力』は言葉で語り尽くせないほど凄まじく、たとえ体をブツ切りにされたとしてもしばらくの間は生きていることが可能であり、中にはそのような状態になっていても相手に対して噛み付いてきたりすることのできる驚異的な生物なのである。
その常識はおそらく『こちら側の世界』であっても通用するに違いないと考えた私は、出来る限り物音を立てず、ゆっくりとその巨体へと足を運んで行く。
彼らは世界を目で見ることはあまりない代わり、頭部から生えた長い触角が『目』と『耳』の働きをしているのだ。
つまりあまり振動をたてて近づいてしまった場合、手痛い反撃を喰らいかねない。
ひとまず、ヤツの傍一メートル半のあたりまで近づくことはできた。
(にしても、本っ当にデカい。私の身長の二、三倍はあるんじゃなかろうか……)
『こちら側の世界』における私の身長が(尻尾を除いて)二メートル半だから、このお化けムカデの全長はおそらく六、七メートルは下らないはず。
歩肢と呼ばれる一本一本の足だけでも、デカいロブスターの胴体くらいはあるだろう。
高所から叩き付けられたことによって扁平な胴体はさらに平べったくなってしまっているが、その幅もかなりのものだ。
そしてその周りにはヤツが岩肌に叩きつけられた時に出たであろう体液で濡れていて、いまいち踏ん張りが効きづらい。
たぶん今いる岩場のような場所も相まって滑りやすいのかもしれない。
(まぁ、だからといってその液体に触れている足裏が溶けるといったことは今のところないな……)
どうやら溶解性を帯びていたのは、あの太く鋭い口許の脇から生えている牙のような二本の肢、顎肢から出ていた毒液だけだったようだ。
とはいえ、『向こう側の世界』で農作業中にムカデに噛まれた痛い経験があるだけに油断は禁物だ。
私はお化けムカデの脇から回り込むようにヤツの頭部へと近づいてゆく。
光の反射防止を施された軍用ナイフのような胴体とは違い、頭部は燃え盛る炎のような深紅の色をしている。
まるで暗闇に浮かぶ巨大な火の玉だ。
きっと生きていた時は真っ暗闇に真っ赤な残光を残しながらこの巨体で暗闇の縦横無尽に動き回り、這いずりまわっていたのだろう。
その頭部から伸びる触角、そして先端が細くなってゆくにつれて黒い筋が何本も入った顎肢。
顎肢の途中にポコポコと穴が複数開いており、非常に気持ち悪い。
だがこの顎肢を大きく開くことで毒液の塊を前方にあれだけ飛ばせる作りになっていることだけは良く分かった。
あれだけの毒液の塊を絶え間なく連射し続けるには、この『多連装ロケットポッド』のような構造がちょうどいいのだろう。
さらにその奥には獲物を挟んでそのまま食い千切るケーブルカッターのような口が控えている。
強靭な咬筋力を持っているのは確実……。
「ん、ぅむ……」
(ッ!!)
突然、聞きなれない声が聞えたことで反射的に声が聞こえたほうに身構えた。
このお化けムカデとは別の生物が現れたのではないかと思ったからだ。
しかし単なる思い違いで、ここまで私の腕のなかで眠り続けていた少女の覚醒が始まっただけであった。
(なんだ。驚かさないでくれよ、お嬢さん……)
内心ほっとした私が彼女のもとへ歩み寄ろうとした時であった。
ぞくり、と。
生物特有の勘ともいうべきものが私を突き動かし、私の身体をもう一度一八〇度ターンさせる。
―――そこには眼前に迫る『あの赤黒い二本の牙』があった。
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2020/03/15…文章一部修正