005 ― めぐりあい洞(ほら) ―
「姫様、なにとぞ! なにとぞ今一度のお考え直しをッ!」
真っ暗な洞窟の中、カンテラのような道具を長杖の先端に吊り下げて歩く一団がいた。
先頭にいるのは背の低く童顔な、少女といっても差し支えない女性。
そして後続はそれに追従する、いや追い縋ろうとする者達、といったほうが正しいか。
「「「何卒お考え直しを!!」」」
追従する彼らもその女性と同様、同じ背丈くらいしかないが、腕の太さや胴回りの筋肉のつき方はその女性よりもはるかに勝っていた。
「えぇい、しつこい奴らじゃッ! 【鉱亜人種】の大会議で可決されたことが、おいそれと覆らんことぐらい分かっておろう!」
「し、しかし連邦にこれ以上鉱員や工匠などの人員派遣をしてしまったら、我が国に残るは女子供と老人ばかり! そうなってしまっては国難の可能性すらあるのですぞ!?」
―――【鉱亜人種】。
多くの希少金属の鉱脈を有し、その冶金技術において『右に出る者なし』と謳われる工匠に秀でた種族。
そして現在、その生存が危ぶまれている種族でもあった。
「ならばあの終始ニヤケ顔をした、いけ好かん『連邦特使殿』に『貴国へは充分過ぎるほどの武具や道具、人員を送り続けている。そのせいで自国の経済が立ち行かない。我が国は貴国との間に結んだ協定を破ってでも国の安定化を図りたい』、と。こう伝えればよかったのかッ!」
『姫』と呼ばれた女性が裂帛の気合いのもと、彼女の後ろをゾロゾロ付いて来た彼ら【鉱亜人種】の文官・武官達を一喝する。
「そ、それは……」
姫以外の【鉱亜人種】達は皆彼女よりも年齢が一回りも二回りも上の人物達である。
そんな大の大人であるにもかかわらず、彼女の言葉に文官・武官双方が言い淀んだ。
彼女の言葉が何を意味するか理解しているのだろう。
「冗談でもそんな戯れ言をあの場で抜かしてみよ。【連邦】との国交は即断絶、消耗品である道具の回収不能は大目に見たとしても、自国の代表として送り出した同胞の命は彼奴らの胸三寸で決まってしまうのじゃぞッ!!」
「…………ッ!」
「妾とて帝国の一翼を担う者、腹の括りようもあろう! じゃがそんなことになれば、間違いなく【連邦】は国力の弱まった我が国を簡単に蹂躙しつくすぞ! 女子供は同胞が作った武器の試し切りのため面白半分に利用され、老人は枯れ枝をかまどに放り込むように中央塔の大型炉にくべられるじゃろうッ! そんなことになったら妾は……! 妾は……、いったいどれ程の者に詫びれば良いのじゃ」
拳を固く握りしめ、沈痛な面持ちで俯く彼女。
文官の一人が彼女に近付いて自分たちの非礼を詫びようと、小さく縮こまった彼女の背に手を伸ばしたときである。
突然、彼の姿が忽然と消え失せた。
それに最初に気がついたのは、後ろに控えていた彼の同僚である文官だった。
「なッ!? アイツは何処にいったッ!?」
「……? ぅあッ!?」
突如辺りが騒がしくなったことに疑問を持った姫が振り返ろうとした矢先。
力強く肩をグイッと掴まれ、少しの浮遊感ののち、固く冷たい地面の感触が彼女の全身を襲う。
それは今しがたいた場所から少しでも彼女を遠くにやろうとした、武官の忠勤ゆえの行動であった。
「ぐあああぁぁぁッ!」
しかしその武官は、まるでなにかに体を掴まれているかのようにふわりと空中に浮き上がると、思わず耳を覆いたくなるような異音とともに、彼の四肢の関節があらぬ方向へと曲げられ、折られ、外されてゆく。
彼が放つ絶叫は、無惨に砕かれてゆく己の身体が発する激痛からくるものだったのだ。
「い、一体なにが……」
這いつくばった状態で頭を振りながら発した【鉱亜人種】の姫の呟きは、すぐさま別の武官の声にかき消された。
「姫様! 見ては、見てはなりませぬ!」
「? な、何を言っておるのじ……ひッ!?」
姫は後悔した。
なぜ見てはならないと言われたのに見てしまったのかと。
そこには、カンテラの乏しい明かりしかない暗闇の中でウゾウゾと蠢き、断崖の向こうからゾロゾロと長い巨躯を器用に壁面に這わせ、彼ら【鉱亜人種】が見上げねばならない高さで機会を窺っていた『巨大な生き物』がそこにいた。
本来光沢のあるはずの黒い外殻は、スモークチップの煙で燻されたかのように本来あるべき艶を徹底的に廃することで相手からの早期発見を困難にさせている。
そしてその外殻から左右にワサワサと伸びている幾多の歩肢が岩肌をガッチリと掴むことで、『足場』とすら呼べない地形をいとも簡単に走破する。
さらにその複数の歩肢が岩肌を掴んでいることで、他の生物には真似できない、その巨大な体の三分の一を空中へ躍らせることすら可能としているのだ。
『ギシイイィィィッ! キチキチキチッ! キシヒャアアアァァァッ!!』
突如カンテラの明かりを向けられたことでその『生き物』は【鉱亜人種】達に向けて耳障りな奇声を上げる。
奴の名は『スコロスカベンジャー』。
この地底に住まう生き物の上位に食い込む肉食性の巨大オオムカデであった。
スコロスカベンジャーの頭部に存在する強力な顎肢には強力、かつ速効性の麻痺毒が備わっており、先ほど捕獲されて暴れまわっていた武官は口から泡を吐きながら四肢をダラリとさせている。
すでに毒が注入され、全身に回っているのだろう。
さらにその後ろには最初の犠牲者と思われる文官が、鎖骨の辺りから食い千切られた状態で抱き抱えられていた。
「あ、あぁ……」
いち早く陣頭指揮を執らねばならない身の姫は、あまりの凄惨たる現状に思考が追い付かず、なんとも情けない声が口から漏れ出るのを止められずにいた。
当たり前だ。
いくら彼女が『【ドヴェルグ地下帝国】の女傑』と謳われていようとも、それは内政や外交といった面に関してのみであり、軍事面に関しては彼女の父親であり【ドヴェルグ地下帝国】の元帥たる先帝と武官達が管理していたのだから。
「ひ め゛さ゛は゛ぁッ!! な゛に゛を゛ほ゛う゛け゛て゛お゛ら゛れ゛る゛ッ!!」
「ッ!?」
絞め殺されかけた鶏のような声が、【鉱亜人種】の姫を現実に引きずり戻した。
それはスコロスカベンジャーの麻痺毒で全身を弛緩させられ、幾多の歩肢によって羽交い締めにされた武官の怒号であった。
体はとうの昔に感覚を失ったハズであるにもかかわらず、目を血走らせ、口から泡と涎を飛ばしながらも、忠を尽くすべき主である【鉱亜人種】の姫を逃がそうと、自身に課せられた責務を最後まで全うせんがための行動であった。
「こ゛や゛つ゛か゛わ゛れ゛ら゛に゛き゛を と゛ら゛れ゛て゛い゛る゛あ゛い゛た゛に゛ッ! は゛や゛く゛、お゛に゛、お゛に゛け゛く゛た゛さ゛……ッ!!」
刹那、バキュッという音と共に武官の怒声がピタリと止んだ。
せっかくひと手間もふた手間もかけて大人しくさせたはずの『餌』が再び騒ぎ始めたのを嫌ったのか、それとも新たな餌にあり付くためにひとまずの栄養補給をするつもりだったのか。
スコロスカベンジャーはその顎肢の奥にある口を大きく左右に開くと、まるで【鉱亜人種】の工匠達が使う道具『喰切』のように騒ぎ立てていた武官の上あごから頭頂部を挟み込み、一瞬のうちに噛み千切った。
肉体に指令を出すための大脳を失った『武官だったもの』は、陸に上げられた魚のようにビクビクッと痙攣しながら、さも呆気なくスコロスカベンジャーの餌食となった。
スコロスカベンジャーがクチャクチャと咀嚼するたびにその『内容物』が四散し、辺りに血生臭さと鼻を突くような酸っぱい臭いが立ち込め始める。
「た、態勢を整えろ! 姫様をお守りするのだッ!!」
周りの武官達がようやく姫を護るために腰に携えていた剣や槍で防備を固め始める。
しかし、彼らが動き始めるよりも、スコロスカベンジャーが壁面を伝って断崖からこちらに移動し、【鉱亜人種】の姫を捕らえる方が一足も二足も早かった。
「うああぁぁぁッ!?」
「姫様ああぁッ!!」
スコロスカベンジャーは武装した武官達の間を、その巨駆に似合わない挙動で素早くすり抜けた。
端から見れば、燃えるような赤色の残光を伴った真っ黒い一陣の風が、彼らの間を通り抜けていったように錯覚したやもしれない。
実際、【鉱亜人種】の身長ほどもある胴幅の生き物が自分たちのすぐ近くを高速で移動したのだ。
その風圧だけでも脅威であることは推して知るべし。
そしてその風圧で【鉱亜人種】の武官達が怯む瞬間を、スコロスカベンジャーは待ち、あらかじめ見定めていた『柔らかくて上手そうな餌』を、顎肢と歩肢を巧みに使ってその先端に引っ掻けることで見事に掠め取ることに成功したのだ。
『ギキィィィ、キチキチキィィィィッ!!』
「ひ、ひいいぃぃッ!」
「姫様! 今お助けを!!」
武官の一人が肩から下げていたクロスボウに矢を番えると、素早く装填を済ませ憎きオオムカデに撃ちださんと照準を合わせる。
「ッ!? 止せッ!!」
しかし、まさに発射しようとしたその瞬間に別の武官が彼が持っていたクロスボウを儀仗用の棍棒で叩き落としたことにより、発射された矢はスコロスカベンジャーから大きく外れ、向こう側の断崖に突き刺さる。
「なぜです!? 兵長殿ッ!!」
「この愚か者! もし姫様に当たりでもしたらどうするつもりだ!!」
「しかし、このまま手をこまねいていては……!」
「いやあああぁぁぁッ!?」
「ッ!? 姫様ッ!!」
【鉱亜人種】の姫が放った絶叫に皆の視線が集まる。
そこには暴れる彼女を大人しくさせようとするスコロスカベンジャーの顎肢が、今まさに迫らんとする光景だった。
既にその先端は蛍光色の麻痺毒でテラテラと光っており、文官武官問わず、誰もが彼女の凄惨な最後を悟った時である。
―――ボガアアアァァァンッ!!!
突如、破砕音と共に大小さまざまな岩石の塊が、憎きスコロスカベンジャーの体を打ち据えたのだ。
さらにその内の幾つかがスコロスカベンジャーの強固な外殻を砕き、予想外の痛打を与えることとなった。
『ギキィィィ!?!?』
流石のスコロスカベンジャーといえども、この突然の現象に対処できなかったのか。
それまで抱え込んでいた『二つのエサ』を取り落とし、壁面からズリ落ちてくる。
だがそれで終わりではなく、当のスコロスカベンジャーは自衛のためか、【鉱亜人種】のいる地面で激しくのた打ち回る。
とはいえ、その頭部に存在する捕脚が、ガッチリと捕まえられている【鉱亜人種】の姫だけは何が何でも離すまいとしている。
「な、なんだか分からんが好機だ! 今のうちに姫を救出せねば!」
「で、ですがあれほどのた打ち回られては、こちらも手の出しようが……!」
「兵長殿!! アレを!」
【鉱亜人種】の武官達が攻めあぐねている矢先、早くもスコロスカベンジャーが復帰し始めた。
自分の身体に激痛と幾多のヘコみを作った『元凶』に対して先制攻撃を仕掛けたのである。
「ぬわあ! わあッ! わあッ! わぁぁぁぁッ!」
姫の体をバケツリレーのように足を器用に使って移動させることで頭部より離し、その顎肢を流れる麻痺毒を爆発した壁面めがけ撃ち出したのだ。
スコロスカベンジャーの麻痺毒は空気に触れることで化学反応が起こり、通常よりもさらに強力な溶解性を帯びる性質を持つ。
しかし【鉱亜人種】達は次の瞬間、信じられないような光景を目にすることになる。
スコロスカベンジャーが放った溶解弾が、壁面一歩手前の空中で制止。
球の形に纏まったかと思うと、急激な加速を伴ってスコロスカベンジャー自身に戻ってきたのである。
『ギキィアアアァァァァッ!?!?』
水風船が割れるようなバシャンという音と共に自分の顔面に自身の溶解毒の直撃を受けたスコロスカベンジャーは、一層気が狂ったかのようにのたうち回り暴れまくった。
「い、今のは一体……?」
青白い粉塵が舞う壁面に出来た穴に目をやったほぼ全員が言葉を失った。
そこにはこの暗がりの中、光を背にして立つ『四本腕の異形』が立ちはだかっていたのである。
まさに鬼神もかくやというような出で立ちに、【鉱亜人種】たちは呼吸する事すら忘れ、その後光が差す姿に見入っていた。
「のわああぁぁぁッ!?」
ふいに、何とも間延びした叫び声が辺りに木霊する。
武官たちが急いでその方向に目をやると、そこにはスコロスカベンジャーが激痛からたまらず取り落とした【鉱亜人種】の姫の姿があった。
「姫様ッ!?」
しかも運が悪いことに、空中に身を投げ出された【鉱亜人種】の姫は、異形が立ちはだかっている壁と【鉱亜人種】たちがいる場所の間にある深い裂け目に真っ逆様に落下を始めた。
「姫様アアァァッ!!」
『ッ!』
誰かかが叫んだその一瞬、光の中にいた『異形の影』が動いた。
両足に備わった鋭い爪を食い込ませながら壁面を、まるで普通の地面を走っているかのように疾駆し、自分よりも早く落下しているはずの【鉱亜人種】の姫に追いつくとその身体を抱きすくめる。
しかしいくら『異形の存在』といえど、慣性の法則まではねじ伏せることが出来ず、姫を庇った格好のまま深い大穴へと落下していった。
『ギチギチギチチチィィィッ! ギシヒャア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァッ!!!』
さらに間が悪いことに今までグネグネ、ギチギチとのたうち回っていたスコロスカベンジャーが自分の餌を横取りされると勘違いしたのか、その異形に追随する形で裂け目へと這いずり向かって去っていった。
「大変だ、姫様が『大穴』に落ちたぞ!!」
「あの四本腕の化け物は一体何だったんだ!?」
「知るか! そんなことより付近の警邏隊を召集し、捜索隊を結成せねば!!」
暗闇が支配し、僅かな明かりしかないこの場所には、目の前で起こった事態に付いてゆく事の出来なかった【鉱亜人種】の文官・武官たちが残されてしまった。
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。
2020/03/15…一部修正
2020/09/30…誤字報告による誤字の修正