048 ― 未だ雨せざるに綢繆(ちゅうびゅう)せしめよ ―
それは遡ること半月ほど前。
ウォラたちに狭い場所での戦闘方法を教えていた私は、レアテミス嬢から至急という名のお呼びがかかったところから始まる。
彼女の呼びつけもそれほど珍しくなかったため、話を持ってきた侍女の後をついて行くと当の本人はしばしの休息か、執務室にて優雅にお茶を嗜んでいた。
「なんだ。至急というから来てみれば……、目的は茶飲み話か?」
「そう言うでない。お主もこれだけの書類に目を通しながら署名をし続けてみぃ。休息の有り難みがイヤと言うほど骨身に染みるはずじゃ」
「……陛下のご高説、痛み入る。しかしながら、この身はそのご厚意を受けるだけの時間を持ち合わせておりませぬゆえ、何卒ご賢察の上、悪しからずご了承のほどお願い申し上げ……」
「えぇいっ! 折角の憩いのひと時までそのような堅っ苦しい言い回しの言葉なんぞ聞きとうない! いいからさっさとそこに座るのじゃ!」
怒られてしまった私は、レアテミス嬢が直々にあつらえてくれた専用の椅子に腰を下ろす。
すると壁に沿って直立していた侍女の一人が、片手桶のような私専用のコップを私の前のテーブルへと置いて、ほのかに果実の香りが漂うお茶を注いでくれた。
手に取ってお茶を嚥下すると、果実の甘味と共にハーブティーのような清涼感が鼻腔を通り過ぎていく。それまで身体が感じていた疲労感がほんの少しだけ和らいだ気さえあり、掛け値なしに美味しかった。
「ふぅ……それで、レアテミス嬢。重要な話というのは?」
しばらくお茶を堪能したのち、私は本題を切り出した。
「うむ。リーパーよ、お主は【流離小人種】という種族を知っておるかぇ?」
「【流離小人種】? ……もしかしてこの間、荷車を何台も引いて来ていた小柄な者たちのことか?」
こめかみに指を這わせ、ここに来てからの記憶を辿りながらそう答えた。
―――【流離小人種】。
彼らは【鉱亜人種】とほぼ同じ背丈をしている種族である。
特筆すべき違いといえば、体表の色素が薄いことやニンジン色をした髪を少年のように短くしていたことくらいだったろうか。
さらにレアテミス嬢から、商人気質な者が大半を占めているとの補足が入っていたのを思い出す。
「そうじゃ。我が【地下帝国】では岩塩が採れるから塩には困っとらんのじゃが、茶葉や砂糖なぞは希少であるがゆえ彼らの存在はなくてはならん」
確かに彼女の言うことは正しい。
我々が飲んでいる紅茶のような嗜好品はもちろん、普段の食事に欠かせない緑黄色野菜や調味料、さらには衣服に必要な布地や糸などに至るまで、そのほとんどは【流離小人種】が隊商を率いて訪れてくれているからこそ手に入られるのだ。
私は専用カップに入った琥珀色のお茶をくるくる回しながら、再びレアテミス嬢へと視線を移す。
「それで? その【流離小人種】がどうかしたのか?」
「うむ。実は彼らと妾たちの間には密約のようなものがあってな……」
「密約?」
「そうじゃ。彼らには物品の交易以外にも外の情報も仕入れてもらっておるのじゃ」
「つまり彼らは密偵も兼ねている、と?」
「ここに来る全員がそうじゃとは言わん。じゃが、彼らの中には妾たちのように人間から謂れのない誹りや不平等な扱いを受けたがために、行商の傍ら半分腹いせ目的で各地の情報を妾たちにもたらしてくれておる者たちがいるのじゃ」
「なるほど」
レアテミス嬢は私が頷いているのを目にしながら、ソーサーにおいていたカップを口元に運び喉を潤す。
「……そして妾たちに協力的な者らによって、【連邦】に連れていかれた同胞の所在が明らかになった」
「やったじゃないか。ならあとは連れ戻せばその件は解決か」
「そう簡単に言うでない! 相手はあの【連邦】じゃぞ!」
私の返答に声を荒げたレアテミス嬢は、テーブルに置いてあったお茶請けの干した果実のようなものを数個、むんずと掴んで口の中へ放り込んで不機嫌な様子のままムシャムシャと食べだした。
その光景は『向こう側の世界』であの子が飼っていたハムスターが、餌を口一杯に頬張ろうとしているのを想起させ、場違いではあるが私は内心ちょっと和んでいた。
(……って、いやいやいや、和んでいる場合じゃないだろ。ここは)
とはいえ現時点の私の立場では、目の前の彼女や他の【鉱亜人種】からの口伝えでしか【シンビオフスク連邦】という国家を判断するしかない。
しかし、【鉱亜人種】側の正規の手続きを経た送還要求がまともに受け入れられないのは確かだ、ということだけは目の前の彼女の様子や彼らの憤慨した態度から十分理解できた。
「それで? 仲間の居場所が判った現状、レアテミス嬢は具体的に何がしたいんだ?」
「もむもむもむもむ……ゴクン! もちろん我らが同胞の奪還じゃ。そしてそれにはリーパー、お主の力が必要不可欠なのじゃ」
「そうは言っても、私の力は何でもできる訳じゃないぞ? 第一、助け出すにしてもまずはその場所まで歩くなりなんなりして行かねばならないのだろう?」
こう言っては何だが、いくら私が理性ある生き物だとはいえこの肉体は身長二メートル半強、体重二百キロ超えの巨体を有している。
おまけに外見は二対の腕と、先端には山刀にも似た鋭利な外殻が付いたニョロリと伸びた尻尾まであるという、バリバリの怪異だ。
ウォラたち鬼族にも時々聞いてはみたものの、時々訪れる地上はもちろん、この地下世界でさえ『私のような存在』を見たことは一度もないと言っていた。
そんなモンスター・オブ・モンスターな私が地上に出て、なに不自由なく行動できるとはとてもじゃないが想像がつかない。
「安心せい。誰もお主に上に行けとは行っておらぬ。大体、その体躯では地下と地上の境にある関所は大惨事になるじゃろうからな。むしろ、お主が原因で【連邦】との戦争に発展しかねん」
「だろうな。だがそうなると、どうやって助け出すというんだ?」
彼女のとんちめいた話に、思わず首をかしげた。
「リーパーよ。お主、以前妾とともに、今は使われておらぬ旧坑道を歩いたのを覚えておるかぇ?」
「ん……? あぁ、そういえばそんなこともあったな」
レアテミス嬢曰く、私たちが探索した旧坑道は人間たちも【法石】目当てで使っていたことがあるらしく深さよりも採掘重視で掘り進められたものであるらしい。そのため迷宮のように入り組んだ作りになってはいるものの、東西南北にかなりの範囲で広がっているのだとか。
「そしてあの旧坑道のひとつが、我が同胞が捕らえられているとされる場所の近くまで伸びておるのじゃ」
そう言って彼女が壁際に立っていた侍女の一人に目を向けると、その次女が手にしていた巻物――ひとつは羊皮紙でできているらしい地図。もう一方は『向こう側の世界』にあったトレーシングペーパーのような特殊な紙を用いた地図――を複数枚、テーブルの上に置いた。
レアテミス嬢が手にしていたカップとソーサーをテーブルの脇に置きながら、羊皮紙でできているらしい地図を手に取りテーブルの上に広げる。
「これは地図か?」
「そうじゃ。ひとつは地上の国や要所を記した地図。そしてこっちは我が【帝国】が採掘時に使用した俊道を記した地図じゃ」
トレーシングペーパーのような地図は【ドリュアタイ地下帝国】の機密文書らしく、それぞれの地図には十数匹もののミミズをデタラメに描いたような線しかない。
しかし全てをきっちりと重ね合わせると、完全なトンネルの地図となったではないか。
薄い紙へそれぞれ別々に各トンネルが描かれているのは、おそらく二、三枚だけで地図を成立させないようにするため、【鉱亜人種】の先人たちによって考案されたセキュリティの一種なのだろう。
レアテミス嬢は羊皮紙でできているらしい地上の地図を下地とし、【帝国】側の地図を丁寧に重ね合わせてゆく。
すると、ぴったりとはいかないものの、地上と地下両方の情報が記載された地図の全容が浮かび上がった。
「これは、まさに圧巻だな」
アリの巣のように綿密に張り巡らされたダンジョンマップのような地図は、門外漢の私でさえ目を見張るものがある。
「そうじゃろうそうじゃろう。とはいえ、人間たちの作った上の地図は縮尺や配置がまちまちなようでな。妾たちの地図ほど正確ではないのじゃ」
「今度はそちらに問題ありか……。ちなみに救出対象者たちが囚われているのはどこなんだ?」
「協力者らの話では【帝国】より北東に位置する『造兵廠』なる場所だそうな。その場所へ半月に一度、物資輸送の隊商を送ることになっておるらしい。地図の上でいくと……この辺りじゃな」
レアテミス嬢は服の袖口から扇子を取り出すと、指し棒のようにして地図上の該当地点を丸く囲う仕草をしたのち、トントンと叩く。
だが彼女が差し示してくれた地図上には針葉樹林のようなイラストしか明記されておらず、それらしい名前の建物は記載されていなかった。
(【鉱亜人種】側の地図が門外不出の年代物なのは当たり前だとして、だ……。一刻も早く人間たちから仲間を救おうと考えている彼女が今さら古い地図を持ち出すとは考えにくい、な)
そもそも、地図は地形や自身の居場所を知る上で欠かすことのできない重要なツールのひとつである。
しかし別の側面から見た場合、『正確な地図が誰でも普通に入手できる』ということは国家レベルで考えると非常に危ぶまれることであり、裏を返せば『軍事機密扱いの場所や拠点の位置を、他国の、それも見ず知らずの誰かが簡単に手に入れられる』ということでもある。
考えてみてほしい。
もしも普段、自分が大丈夫だろうと思い『網戸だけして開けておいた窓』のある部屋に住んでいたとする。
週末、仕事が終わってクタクタ、もう数分で帰宅できる場所までやっとのこと辿り着いてふと自宅に目を向けると、朝消して出かけたはずの風呂場の明かりがついている。消し忘れかと思いドアの鍵を解錠して部屋に入ると、そこには見知らぬ人物が首にタオルをかけただけの裸一貫の状態で、新調したばかりのソファーの上で堂々と寛いでいるではないか。
辺りには窓際に置いておいた観葉植物が倒れ植物用の土がブチ撒けられ、片付けたはずの雑誌やその人物が脱ぎ捨てたであろう衣類や散乱し、続きを楽しみにしていたゲームの大切なデータや録り溜めしておいた番組のデータは、その人物が水で濡らしたがために機材が漏電し全てクラッシュ。
挙げ句の果てには、仕事終わりの自分へのご褒美として取っておいた酒やらつまみやらをたらふく食い漁られて部屋中ゴミだらけ。
仮に、そう仮にだ。
もしそのような状況が、自分が開け放っていた窓に原因があり、責任はセキュリティ対策と施錠を怠った自分にあるとしたら?
それがもし、自分一人だけに起こった災禍でなく、自分の大切な存在を傷つけられてしまったとしたら?
悔やんだところで遅いなどという言葉で言い表せないほどの自責の念に駆られるのは明白である。
つまり、私が何を言いたいのかというと『自分の居場所が今どこで、向かう先のどこで、内部に何があって、どのルートを進むと最小限の危険で目的地へたどり着いて目標を成し遂げられるか』ということを明確にしてくれる『地図という道具』は、それだけの重要性を秘めている要素ということである。
レアテミス嬢は、彼女自身が『私という存在』を特別視し、なおかつ全幅の信頼の証としてくれているからこそ、秘蔵であるはずの旧坑道の地図を提供してくれているのだ。
反対に、人間たちからもたらされたとされる地図の大雑把さは目に余る。
距離や縮尺はてんでバラバラ、蛇がのたうったかのような道や森に続き後は何も書かれていない一本道などが多く散見される。
まぁ、私が最初に遭遇した人間たちの装いから察するに、彼らの文明レベルは『向こう側の世界』における中世のヨーロッパクラスであったことから、地積測量技術自体が未発達であるがゆえ未記載なのか、あるいは【鉱亜人種】たちに知られてはマズい情報を意図的に記載していないかのどちらかであろう。
(もしくはその両方という線も否めないが、今はまだ想像の域を出ない、か。何かしら人間たちとのコンタクトがとれるチャンスがあるといいんだけど、な……)
「リーパー、どうかしたのかぇ?」
黙りこくったままの私を、レアテミス嬢が怪訝な表情が出迎える。
「ん? あぁ、すまない。少し考え事をしていただけだ。話を続けてくれ」
「うむ。では今回の救出作戦の概要についてじゃ。文武官長両名、説明を」
「「ははっ!」」
こうして【鉱亜人種】側は、私という『常識外』の存在を主軸にした救出作戦を水面下で推し進め始めたのであった。
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。




