043 ― おかたみの手取り合ふなり ―
「いいじゃないのさ!」
不意に、さざめきだっていた観衆の中から声が響く。
私が声のする方向に視線だけ向けると、そこにはエプロン姿の恰幅のよい中年女性の姿があった。
「弱肉強食は世の常。弱いヤツが強いヤツの糧になるのは当たり前のことさ。だけどねぇ、自分以外がしでかした罪だの罰だの、全部引っくるめて背負いこもうなんざ、それに見合った度量と覚悟がなけりゃあ、そう易々とやれることじゃない。それに、あたしらの守護精霊【テララ】様だって『困ってる人がいれば手を差しのべよ』って仰ってたって、いつも助祭様が長々説法で言ってるじゃないのさ。あたしはアンタを歓迎するよ、【角鬼亜人族】の兄ちゃん!」
「……ほ、本当か?」
ゆっくりと頭をあげたウォラはこんなにもあっさりと話が進むと思ってなかったのか、目をぱちくりと繰り返し瞬かせる。
「当たり前さね! あたしはアンタの心意気ってヤツを信じることにしたよ!」
「お、女将さん! 落ち着いてください! 気は確かなんですか!?」
先ほどと近い席から学者然とした服装の【鉱亜人種】が立ち上がると、上段にいる女将とやらに食って掛かる。
「相手は【角鬼亜人族】だけじゃなく【醜鼻鬼族】までいるんですよ!? 女将さんはあの事件を忘れた訳じゃないでしょう!!」
「……確かにありゃあひどい事件だった。かくいうあたしも何度もあの瞬間が目に焼き付いて離れないせいか、夢にまで出てくる……」
「ッ、だったら……!?」
「だけどね若造! 耳の穴かっぽじってよくお聞き! 相手は最低限の礼節をもって謝罪してきた。それも上のバカタレな連中みたいなうわべばかり着飾って、尻拭く紙にもなりゃしなような言葉なんかよりも、張るかに重みのある自分なりの精一杯な言葉を使ってね! これでも尻込みしてる髭の青い【鉱亜人種】がいるってんなら、アタシがその性根を叩き直してやのと同時にウチで飲んだくれた分のツケを全額一括返済してもらうよ!」
「「「「そ、それは困るッ!!!」」」
一気呵成に啖呵を切った中年女性の一言に、周囲の【鉱亜人種】たちが慌てふためきだす。どうやらここに集まっている何人かはこの女将さんとやらに頭が上がらないらしい。
「それと女王陛下!」
「うむ?」
「もしそのなんとか使節団ってのに今仕事がないってんなら、ひとまずうちの住み込みの従業員で全員面倒見てやろうじゃないのさ!!」
「ふふふ、まったく。お主はいつも妾の考えをぶち抜いた発想をしてくれるのぅ」
「ええ。なにせ女王陛下とウチの倅とじゃあ、オムツしてたくらいからの付き合いですからねぇ~!」
すると会場から少なからず笑いが起こる。
「オ、オムッ!? ……ゴホン。そ、その話はまた今度にするとして、だ。『多種族混成使節団』の団長ウォラよ」
状況がよく飲み込めてない表情のウォラにレアテミス嬢が歩み寄る。
「我ら【鉱亜人種】はお主たちとの間に起こった不幸な行き違いを忘れることはできぬ。しかしじゃ、お主は自らの非を認め、さらには仲間たちの罪までその一身に背負おうとした。その気骨ある覚悟に免じ、お主たちへの沙汰、今後想定されるであろう【死肉喰鼠】との戦いへの労役に留めることとする」
「そ、それだけでいいのか?」
「無論街の整備や区画整理も併せて行なう予定じゃから、無償奉仕という形で駆り出すこともあるかもしれんが、文句はあるかぇ?」
「そ、そんなのあるわけがねぇ!! 鬼族にとって約束を破るなんざ、糞にまみれて死ぬよりも恥なことだッ!!」
「その言葉忘れるでないぞ? ……聞けッ、この場にいる全ての者よ! 今この時より、我ら【鉱亜人種】は鬼族との間に『反【死肉喰鼠】勢力』として同盟を結ぶものとする!! この同盟は皇族である妾たちド・ヴェルグの名が消えぬ限り絶対である!」
会場は新たな歴史を踏み出したことに対してか、それとも巨大な体躯の【角鬼亜人族】と【醜鼻鬼族】を傅かせた事に対してなのか、とにかく先ほど以上の大盛り上がりである。
なんとも力業なやり方ではあるが、彼女らしいと言えば彼女らしいやり方だ。
「ほら、お前さんたちがそんな泣きべそをかいていたら他の仲間に示しがつかないぞ?」
私は手にしていた武器を特殊装甲の各所へ格納したのち、地べたに這いつくばったまま、涙と鼻水でグシャグシャになった顔のウォラと鎧付き【醜鼻鬼族】、その二人の肩にそっと手を乗せた。
「ぅ、兄者ぁ……わがってるッ! わ、がっでるよ、ンなごだぁよぉ!!」
「あ、あにぎのいうどおりだぞぉ~~。オ~イオイオイッ!」
まったく、これからが大変だというのに何を抱きあって大泣きしているんだか。
ともかく、まずは山積している諸問題のフェーズワン【鐵角同盟の樹立】はクリアってところか……。
―――さて、残る問題は……。
◆◇◆◇◆
熱に浮かされたかのように沸き立つ観衆が集った大公会堂がビリビリと震えている。
ここはかつての先帝が国家事業の一貫として、当時最高の腕をもつ工匠たちを集め、帝国内で随一といわれていた固い岩盤をくり貫いて造らせた場所。
それゆえに多少の攻撃や生半可な【法術】では傷ひとつつかない堅固な守りを有している。
そして自身の戴冠以来、数多くの神事や催事、あるいは戦に出陣する前に行なう民たちへの鼓舞で何度も使ったことのあるとても思い出深い場所でもある。
それが、まるで新たな時代の幕開けに歓喜しているかのよう打ち震えているのだ。
これほど歴史的な出来事に立ち会えることなど、自身のこれまでの人生を振り返っても二つとしてなかったのではなかろうか?
とはいえ、ひさしぶりに大声を出し無理をしたせいか、それとも今まで蓄積していた疲労のせいか、視界の端がぼんやりと徐々に霞んでいく。
どうやらこの老体は自分が思っていた以上に弱っていたようだ。
「……ふぅ」
思わず、あらかじめ舞台袖に用意させていた背もたれのゆったりとした椅子へ崩れるように腰を下ろした。
「……ッゴフ、ゴホゴホ」
誰にも気づかれない程度の咳を手巾で覆いつつ音漏れを防ぐ。
「―――やはり、無理はするものではないな」
そう一人呟きながら口元に宛がっていた手巾を離しつつ苦笑する。
手巾には、まるで煮こごりのようにドロリとした血が付着していた。
「いつからだ?」
不意に何もない空間から声が聞こえ、無意識に声のした方へ顔を向ける。
するとなんの変哲もない空間に紫電が走り、娘の友人『リーパー』が姿を現した。
(この者は先ほどまで舞台のほぼ中央で泣きじゃくる【角鬼亜人族】とトロールの背中をさすっていたはず……)
老いたとはいえ、気配すら察することができずに近付かれたのは物心がついたときから数えても初めてであったため、鼓動が若干速くなる。
「……老体の身である余を驚かせるな。心臓が止まってしまうではないか」
「冗談を言っている場合ではない、ドヴォクザーク先帝陛下。私はいつからアムリタを服用していないのかと聞いている」
彼の者は若干焦るような、それでいてどこか諦めているかのような口調で私が座る椅子の横にゆっくりと跪く。
「この催事を行なうと決定したときからだから、数週間前位からだな。ゆえにそなたから譲ってもらった霊薬はほとんど残ったままである」
「なんてことを……。これでは貴方のご息女になんと言えば良いのだ」
その言葉尻からなんともやり切れない、深い慙愧の念が伝わってくる。
「そう落ち込まずともよい。それにこの事はゾフィーも法医術長らも周知のことである」
「な、に……?」
「なんだ。知らされておらぬのか? まったく、盟友であると嘯いておきながら一番に知らせなければならん相手に知らせぬとは。妙なところで変な気を回すものよ。もっとも、余の死後にそなたから貰った霊薬の残りは返却させるつもりであったから、そのために黙っていたのかもしれんな」
余が悪戯小僧のように口角を上げると、リーパーは呆気にとられたように口をあんぐりと開ける。
「では貴方は……これからの時代の行く末を見ずに生涯を閉じると、そう言いたいのか?」
「言ったであろう。余の成すべきことはこの国の未来を時代に託すことである、と。その責務がようやく終わったのだ。他に何をすることがある?」
「私の渡した薬を飲みつつ余生を過ごすなり、見たこともない景色を見に行ったり、友と酒を飲みかわしながら他愛のないことを朝まで語り明かしたり……。考えればいくらでも出てくるだろう」
「なんだ、そのようなことか」
「そ、そのようなことって……」
「この身一つでできることは殆どしてきた。工匠として多くの道具を作り、王として国をまとめ、戦士として友と戦場を駆け、夫として愛する妻を娶り、父として愛しい娘をこの腕にかき抱いた。そなたの言ったことはその中の一瞬にすぎぬ」
余はかつての思い出に浸るように目を細めた。
思い返せばついこの間の出来事であったかのように、いつでも鮮明に思い出せる。
「それは、つまりもう思い残すことがない……満足した、ということか?」
「さてな。余の今の気持ちを満足というのかは、自身でも分からぬ。とはいえやり残したことがあるかと聞かれると何も浮かんでは来ぬ」
「……そう、か」
これ以上の問答は無意味だと思ったのか、そのままリーパーは口をつぐんでしまった。
「のぅ、リーパーよ」
「……?」
「この老体に頼まれてやってくれぬか」
余は彼に顔を近づけさせ、か細い声で最後の願いを口にした。
「……困難なことやもしれぬが、やってもらえるだろうか?」
「それが貴方の願いなら、喜んで引き受けよう」
彼はスッと立ち上がると深々と礼をしたのち、興奮冷めやらぬ舞台へと踵を返し歩いて行く。もはや視界がぼんやりしているため、彼の後ろ姿が光の中へと溶けていったかのように映った。
「ふぅ……。これでようやく、余も、落ち着い、て眠れ、る……」
とにかく、今は眠い。もはや瞼も開けていられないほどに……。
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