003 ― 災禍(さいか)、戦場に立つ ―
―――ビィィィッ!
―――ビィィィッ!
頭の中に鳴り響く警告音に、私はカッと目を見開く。
どうやら爆発のショックで数秒間、意識を失っていたらしい。
私の目に地上と空が代わる代わる映ることで、ようやく自分が惑星へ降下、いや墜落の真っ最中であることを自認した。
「クッ、おい! AI、応答しろ! おい、聞えないのか!?」
ヘルメットをガンガン叩きながら、母船である宇宙船の管理AIに通信を送る。
《ザ、ザザ…。ザザ……》
脳内に聞こえてくるのは多重波伝播と呼ばれるノイズだけ。
目まぐるしく変わる視界には、確かに黒煙を上げて高度を落としてる宇宙船が視認出来ているのにもかかわらず、なぜか遠距離通信だけが届かない。
しかしながら宇宙船がこちらに向けてチカチカと何かを発光させていることのだけは分かった。
(銀河団間の航行もできる宇宙船の癖に、なんでアナクロな『発光信号』なんて使っているんだ?)
とはいえ、すぐさまヘルメットの翻訳機能が自動で起動し、文章化された情報が視界に表示される。
AIの情報によると、『恒星間航行用位相空間』から通常空間に復帰した際の影響で、通信設備はもちろん遠距離物資運搬機能等、多数の機能が使用できない状況であるというのだ。
それでも何とか私の特殊装甲の『緊急生命維持機能』は遠隔作動させてくれたらしく、それゆえに私は大気圏の摩擦で燃え尽きることなく無事に自由落下を続けているのだという。
「……ってふざけるなッ! パラシュートも無しにどうやって減速するっていうんだ、おい!」
現在、私の視界に表示されている高度計の表示は『向こう側の世界』でいう所の約六六〇〇フィート、メートル換算で約二千メートル弱だ。
しかもその数値は加速度的に下降している。
姿勢制御はおろか、早く減速しないと惑星の地表に『壁にぶつけたトマト』のような凄惨なモノを残すことになる。
だが、残念なことに先程の母船からの発光信号は途絶え、私はこのパワードスーツに備わった能力で現状の打開を迫られていた。
(ま、まずはこのグルグル回ってる視界を何とかしないと!!)
私は体にグルグル巻きついている自分の尻尾をほどきつつ、腰を突き出した海老反り姿勢、いわゆる『アーチ』の態勢を取った。
尻尾もうまく使うことでさらなる安定性の向上も図る事が出来たようだ。
『向こう側の世界』では、友人の勧めでスカイダイビングを体験した際「自由落下中で姿勢が不安定になったとき、コレが最も安定できる姿勢だ。覚えていて損はないぜ、兄弟! HAHAHA!」と言われ、背中をデカい手でバシバシと叩かれた。
それは『こちら側の世界』でも十分通用した。
グルグルと回っていた視界は何とか落ち着き、地平線を境にして上側に空、下側に地面という見慣れた光景に落ち着いた。
さらに両手両足を外側に投げ出すように広げることで、ほんの少しだけ減速することもできたようにも思える。
「ありがとう、トニイイイィィィッ! あの時の経験はちゃんと活かせてるよオオオォォォッ!!」
心なしか、空の上でTシャツ姿で筋肉質な彼が、白い歯を輝かせサムズアップしているように見えた。
――でも可能であれば、パラシュート非所持下の着地方法も教えておいてほしかった。
「うおおおぉぉぉッ! はいだらあああああぁぁぁぁッ!!」
若干私はチビりそうになりながらも腹から声を出すことで自身に気合を出させ、すぐにでも受け身を取れる態勢へと移行することにした。
こうして私という『惑星外生命体』は、『剣と、魔法に似た技術である【法術】が存在する世界』、【アースフェイル】へとやってきた。
……やって、来ちゃったのである。
◆◇◆◇◆
着地の瞬間。
いや厳密には地表への激突の瞬間、私は頭を両腕でガードする体勢のままを維持した。
そして何度か地面に叩き付けられつつ、尻尾を船の錨のように地面に突き刺して、落下の速度と運動エネルギーを力任せに止めたのだった。
「い、痛ぅっ……。いっっっ痛ええええええぇぇぇぇぇぇッ!!!」
まるで尻尾を背骨ごと引き抜かれるような痛みが、背骨を通過しながら脳みそに刺激信号となって送られてくる。
「いでぇよ! いでぇよおおぉッ!」
まるで世紀末救世主漫画に出てきそうなキャラクターのようなセリフを吐きながら、痛みに転げまわる。
何度も腰をさすっていたことで、ようやく痛みが治まってくれたことを皮切りに、一連の見えた景色の流れを私は思い出してみることにした。
たしか自分は母船の誘爆に巻き込まれて船外に吹き飛ばされ、そのままの速度で高高度から落下。
パラシュートなんて気の利いた装備のないまま、この硬い地面に直撃したのだと理解した。
「まったく! 爆発に巻き込まれるわ、船外に吹っ飛ばされるわ。『禍福はあざなえる縄の如し』って言葉、ありゃきっとデマだな。まぁ、この場合は『泣きっ面に蜂』が正解……か?」
自身の身体に傷や打撲がないか確認しながら首をゴキゴキと鳴らす。
交互に肩も回して痛めてないかも確認していると、ふと周囲から視線を感じ辺りを見回してみた。
「人、間? え? 正真正銘の人間?! な、なんでこんなところに人間が!?」
そう、そこには紛うことなき、『人間』がいたのだ。
来ている服が少しばかり古めかしいが、そこにいたのは『地球人であった世界』で私もそうだった、『人類』という知性体だった。
しかも一人、二人じゃない。
見回しただけでも数十人はいる。
(な、なんだ!? いきなり地球にただいましちゃったッ?! 来てる服が古めかしいのはなんかの映画の撮影、か何かかな?)
ふと視線を落とすと、腰を抜かしている人間と目があった。
(あぁッ、しまった! いきなりこんな化け物が現れたら腰くらい抜かすよな、普通……)
考えても見れば、今の私の姿は人間とはかけ離れた『異形の怪物』なのだ。
山中で野生のクマと遭遇するよりもインパクトは大きいに決まっているのは、誰の目から見ても明らかだった。
私は慌てず騒がず、ゆっくりとその成人男性――見た目から判断して、青年ってくらいかな?――の方に向き直る。
見た感じ転生前の人間そのものだし、もしかしたら言葉が通じるやも。
そう判断した私はコミュニケーションができるかを試さなくてはならないだろうと思い、極力落ち着いた声を出すよう努めながら口を開いた。
「えぇっと……こ、こんにちは人間さん。こんなナリをしてはいますが、私に一切敵意はありません」
『~ッ!?』
私は頭の高さまで両手を上げて敵意のないことを示しながら、腰を抜かしている人間に近づいていく。
しかし彼は私が近づいてゆくたび、恐怖の感情をよりいっそう深くした。
「あ、あれ? ……ほ、ほ~ら。私はこのとおり、手に武器なんて持ってないでしょう?(ニッコリ)」
今度は頭の高さまであげていた『いつも使う腕』をゆっくり左右に伸ばしていく。
武器を持っていたら何かしら両手が塞がっているはずだ。
だが私は両手を広げることで、『今はそれがありませんよ、私は何も持っていませんよ』ということを伝えたかったのだ。
『~、~~……~~~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛ッ!!!』
「え? ちょ、なになに?! 一体どうし、うわッ!!」
直後、どこから出現したのか巨大の火の玉が私と青年の間の空間に生まれ、ゼロ距離で飛来した。
瞬間、緊急展開した防御機構が絶対安全圏を形成する。
同時に大量の土煙が舞うなか、私は反射的に跳躍をしていた。
同じ場所に居座り続けていたら同様の攻撃(?)をされるかもしれないと思ったからだ。
突然の敵意に晒されびっくりした私は、さすがに今の行為には文句を言うべきだと思い、着地すると同時に目の前の青年に掴みかかった。
『~~~~!』
『~、~~~~ッ!?』
身に着けている特殊装甲のダメージが自動回復して、ライトグリーンの瞬光を放つ。
この特殊装甲のおかげでダメージらしいダメージはないに等しかったが、それでも私の精神に走った戦慄は簡単に拭い去れるものじゃない。
「キミね、さっきの…攻撃? 魔法? とにかく、あんな物騒なモノを人に向けてどういうつもりなわけ? 当たったのが私だったから良かったものを常人なら大怪我じゃ…」
私がグイッと青年の顔を自分の方へ近づけた時だった。
『~~~、~~~~~~~~!』
遠距離武器では掴んでいる人間も巻き込んでしまうと判断したのだろう。
木製であろう持ち手と金属製の穂先を持つ棒……いや槍で、こちらの腕を切り落とそうと突貫してくる。
かなりの速度で近づいて来たらしく、降り下ろされた槍がビュンとしなりながら、青年を掴んでいる私の前腕めがけ鋭い軌跡を描く。
―――パキイイィン……!
ひどく涼やかな音色と共に前腕にぶつかった穂先があっさりと砕けた。
突然の攻撃に私は腕を引っ込め損ねたが、被害はかすり傷も無くいたって軽微だった。
逆に予想外の行動にビックリして手に力を入れてしまったために、青年から漏れる苦悶の声が悲鳴へと変わる。
先程の槍の穂先が折れた際、手に嫌な感触が伝わってきた。
ソフトに持っていた筈だったのだが、咽喉仏を砕いてしまったのかもしれない。
『あっ! しまった……。と、とりあえずこの人、アンタに返すよ。ほら』
こちらとしてはできうる限りの敵対行動は避けたい。
まずは負傷したであろうこの青年を、先ほど攻撃してきた槍兵に投げてやる。
さっきの攻撃のお返し……というわけではないがビックリさせられた事に変わりはない。
『~~ッ!?』
槍兵は対処できずに若者ともんどりうって倒れる。
受け身に失敗したのだろう。
ゴギンッ!という、関節が外れる嫌な音が鈍く響く。
『~、~~~~、~~~~~~ッ!!』
その行動がきっかけとなったのだろう、壮年の男がなにかを叫び周囲の人間達に指示を飛ばしている。
『~~ッ!』
周りの人間達もハッと我に返ったのか、彼らから明確な敵意が飛んでくるのを肌で感じた。
私は瞬時に左腕の装備へと意識を集中させ、前に緩く突きだす形で起動させる。
刹那、まるで精密爆撃のような攻撃が飛んできた。
「くっ!? せっかく負傷兵を返したっていうのに! ええい、今は『防御』だ『防御』!」
赤々と燃える火球をはじめとして、拳大程もある石の飛び礫や綺麗に円錐形をした氷柱など、色とりどりの殺意の塊。すぐ近くに負傷した味方がいるにも関わらず攻撃を仕掛けてくるなんて、彼らには一体何を考えているのか。
今の私には、さきほどの二人がこの猛攻に巻き込まれていないことを祈るばかりだが……。
それにしてもこの『敵意』というものには、農家から狩人にクラスチェンジした時から幾度も晒されてはきたものの、これほど明確な『殺意』は一度も体験したことはなかった。
依然として嵐のような攻撃は続いているが、当の私はその攻撃に耐えていた。
それもそのはず、彼らの猛攻の殆んどが私に届いていないからだ。
私が前もって起動させたもの。
それは引斥力の力を利用した力場で、使用者を中心にある程度の範囲を半球場に包む、いわゆる『バリアー機能』である。
あえて名付けるなら〈フォース・フィールド〉といったところか。
またこの機能には、物体を遠ざける斥力を応用した『飛来物を発射地点に打ち返す効果』がある。背中のバックパックのようなものに搭載されているコンピュータ紛いのシロモノが、〈フォース・フィールド〉に飛来した物体を空間上で固定。
弾道を逆算したのち、超高速かつ一直線に反射するのである。
この機能のおかげで、私は大型生物の狩猟や母星を侵略しに訪れた異文明知性体との戦いをなんとか生き抜いてくることが出来た。反射タイミングが私の任意という点も魅力の一つだと言えよう。
風向きやら重力やら、果ては弾体の質量やら形状やらで、ある程度の誤差は生まれるがその殆んどは発射地点に直撃する。
さて、向こうさんの爆撃音も途切れたことだし、慎んで返上させていただこう。
ほぼ全方位から撃たれていたのだから、反射する弾体ももちろん全方位になる。
恨むならいきなり攻撃を仕掛けてきた自分達を恨んでほしい。
『~~~ッ!?』
『~~~~ッ!!』
『~~、~~~~~~ッ!?』
………よし、どうにか全部上手く反射でき………うん?
装甲に焦げあと? あれ!? こっちには擦過傷まで!?
えッ、何!? 反射できない攻撃も混じってるの!?
あ、不味い。
今回はヤバイかも……。
◆◇◆◇◆
私は軍人として戦場で戦ってきた中で、いや私の人生において『地獄』というものを初めて体験した。
最初こそ土煙をあげるほどの衝撃で落ちてきたモノが何なのか、見当もつかなかった。
無理もない。
突如空を割って現れた『山のような物体』から距離をとるように部下達と共に撤退していた途中だったのだから。
しかし数度バウンドしていた物体から『何か』が飛び出し、その『何か』を地面に突き刺して急制動をかけて止まった時、私は直感的にソレがただの岩や無機物でないと理解した。
『ク゛、ル゛ル゛ゥ゛……。ク゛ゥッカ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!』
それは今まで聞いたことのない雄叫びに似た……いやそんな生易しい言葉で片付けていいモノでない地鳴りのような音だった。
そしてその爆音は周囲に煙っていた土煙を一気に吹き飛ばし、音の正体を我々に知らしめることとなった。
『コ゛ウ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛! ク゛ウ゛ウ゛ウ゛ォ゛ォ゛ゥ゛ッ!』
ソレは今まで目にしたことのない奇っ怪な怪物であった。
全身を覆っているのは鎧だろうか?
身の丈数メールはあろうかという怪物が身体を震わせる度、全身が玉虫のように不規則な光沢を放っている。
そしてそれ以上に奇怪なのは、腰から生えているあの長いモノは尻尾だろうか?
地面から抜き先端に着いた泥を落とそうと振っているがその風切り音だけが聞こえ、全貌が霞んでよく見えない。
(それほどまでの速度で振り回しているというのか!?)
「あ、あぁ……」
そのなんとも頼り無い音で我に帰った私は、その音の主が化け物のすぐ横で腰を抜かしている新兵のモノだと分かった。
徴兵されてから今日に至るまでの過酷な訓練の賜物か、或いは単に自身と化け物との間に何でもいいから遮る物が欲しかったのか。彼は震える両手で【法杖】と呼ばれ、各国で生産されている『【法術】専用の杖』を化け物に向けたまま固まっていた。
『グムルォジュボズ! 爆発グルネェ巻ゼ込グムルォグルルィグルルゥヴムァ、船外グルネェ吹ジュ飛トドグルルィグルルゥヴムァ。『禍福グフルォゴコグルノォギグルルゥ縄グルナァ如デ』ジュビ言葉、ゴグルルェジョゼジュバデマソグルノォ。グムルォゴ、ザグルナァ場合グフルォ『泣ゼジュ面グルネェ蜂』オ正解……ゾ?』
首をゴキゴキと鳴らしながら、交互に肩を回して痛めた箇所がないか確認する様子など嫌に人間臭い。
そして気味の悪い音を発してそんなことをしている化け物が、ここで初めて周囲の様子を知ったのだろう。
『人、間? ギ? 正真正銘グルナァ人間?! グルノォ、グルノォヴムンシザヴムングルノォバザグルルァグルネェ人間オ!?』
まるで我々、【普人種】のように慌ただしくキョロキョロと辺りを確認するように見回している。先程から聞こえていたのは、怪物が無意識から出していた威嚇音なのかもしれない。
ふと、腰を抜かしている新兵と目があった。
『ギギジュバ……ザ、ザヴムングルネェベグフルォ人間ドヴムン。ザヴムングルノォナリヴムォデビグフルォゲグムルォヅオ、私グルネェ一切敵意グフルォゴグルルェグムルォヂヴムン』
「ひッ!?」
突如、怪物が両手を頭の高さまであげて新兵に近づいて行く。それはさながら、弱った獲物を前にして垂涎しつつ忍び寄る猛獣に似ていた。
新兵は怪物の対象が自分であると確信し、恐怖の感情をよりいっそう深くした。
『ゴ、ゴグルルィ? ……グフルァ、グフルァ~グルルォ。私グフルォザグルナァバガグルルェ、手グルネェ武器グルノォヴムンビ持ジュビグルノォゲシデジャグ?(ニッコリ)』
頭の高さまであげていた腕をゆっくり左右に伸ばしていく。それと同時に下アゴが縦に割け、腕と同様に左右に割り開かれてゆく。
その様子がすべてを物語っているようだった。
お前を逃がすつもりはない、と。
ここで食い殺してやる、と。
「あ、あぁ……わあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」
最初に緊張の糸が切れたのは新兵の方だった。
『ギ? ベジャ、グルノォグルネェグルノォグルネェ?! 一体サグデ、グヴムァッ!!』
直後、ありったけの【法力】を込めたであろう特大の【火球】が、化け物に対してゼロ距離で放たれた。
その爆炎の熱と音。
そして反動で吹き飛んた新兵がゴロゴロと地べたを転がったのを見て、ようやく私を含めた皆が我に帰った。
しかし、我々はここで再び驚愕することになる。
「無傷、だと?」
アレほどの業火と衝撃をその身で受けたというのに。その怪物は――多少煤けてはいるものの――片手を顔の前にかざす程度で防ぎきっていた。
対する新兵は完全に憔悴しきっていた。
無理もない。恐らく体内にある【法力】を全身全霊、全力全開で注いで放った攻撃だ。息をするのがやっと、気を失わないのが奇跡というほどなのは誰の目にも明らかだった。
次の瞬間、怪物が消えたように見えた。
いや、それは私の目が怪物の動きについていけなかっただけで、怪物は新兵の元まで跳躍したのだ。
ドズンと腹に響くような音ともに着地した怪物は、新兵の喉元を掴み軽々と持ち上げてみせた。
【普人種】というのは見た目に反して重い。
なぜならそれは、【普人種】はその身の約七割が水分で構成されているからだ。
更に我々兵士は当然武装している。軽いものでは弓矢や【法杖】から始まり、重いものは剣や槍、戦槌や戦斧などだ。
だがそれは敵も同じこと。
必然的にそういったものから身を守るため甲冑や鎖帷子、盾で守りを固めている。
当然、武装すればするほどそれに比例して体重も増す。
しかしこの怪物は、地面から木の葉を拾うかのように、そんな一兵士を自分の目の高さにまで持ち上げたのだ。
『ゼグムルェグルニィ、ドジュゼグルナァ……攻撃? 魔法? バグルネェゾズ、ゴヴムングルノォ物騒グルノォモノヴムォ人グルネェ向ジビサグゲグブグムルァグルルェグルノォヴムァジ? 当ボジュボグルナァオ私ソジュボゾグルルォ良ゾジュボグムルァグルナァヴムォ常人グルノォグルルォ大怪我ケジョ……』
威嚇のつもりか?
怪物は、新兵の顔に自身の顔を近づけて、怪物は再び異音を発し始める。新兵の足はブラブラと宙をかいている。
私は思った。
このまま手をこまねいていては新兵の命が危ない、と。
刹那、私の横を通り過ぎたものがいた。
「化け物が、ヒヨッ子を離しやがれッ!」
それは徴兵された身でありながら、納屋の奥から引っ張り出してきた短槍で公国軍の一個小隊を相手取って獅子奮迅の働きをしていた民兵であった。
完全に新兵のみを注視していた怪物の右手を、その手首ごと斬り飛ばさん勢いと正確さで槍をしならせ、その穂先を叩きつける。
―――パキイィン……!
公国軍の鎧すら突き通した槍は、涼やかな余韻を残し折り取れてしまった。
同時にゴキリッという異音が鈍く耳に届く。見れば今まで僅かばかりの抵抗していた新兵が白目を向き、四肢をダランとさせていた。
我々は直感した。
この怪物は民兵の攻撃の報復として、先に攻撃してきた新兵の頸椎を砕いたのだと。
もはや敵意を抱いているのは誰の目にも明らかだった。
『ゴジュ! デグムルォジュボ……。バ、バグルルェゴギクザグルナァ人、ゴヴムンボグルネェ返ヅギャ。グフルァグルルォ』
再び怪物が異音をあげたと思ったら、新兵を民兵に向かって放り投げた。仮に兵士とはいえまさか負傷者を武器代わりにするなど、正気の沙汰とは思えない。
「ぐはぁッ!?」
民兵と新兵は揉んどりうって地面を転がる。
(ここだ! 攻撃のチャンスは今しかない!!)
「【法兵隊】は【法杖】、構えッ!」
「「「ッ!」」」
「奴に敵意があることは明白だ! ならば【連続法撃】にてあの怪物を叩く! 近接装備持ちは【法兵隊】の直掩に当たれ!」
「「「了解ッ!」」」
その言葉と共に色とりどりの【法術】が怪物めがけて飛翔する。
『ズジュ!? ヂジュゾズ負傷兵ヴムォ返デボジュビゲググルナァグルネェ! ギギゲ、今グフルォ『防御』ソ『防御』!』
「クソ、堅てぇッ! こっちの【法力】が尽きちまう!!」
「出力を押さえろ! 弾幕を張り続けるんだ! 救護兵、二人の救助は可能かッ!」
「あの化け物がくたばってくれたのならいつでも!」
「ならさっさと奴の息の根を止めるぞ!」
「「「応ッ!」」」
我々は個人に対して過剰と言われてもおかしくないほどに、【法撃】を撃って撃って撃ちまくった。
戦時規定? そんなもの糞喰らえ。
我々が生き残るためには相手を文字通り撃滅せねばならない。
やがて【法撃】によってできた土煙が辺りに舞い始めた頃、兵士達に困憊の色が見え始めていた。
「【法撃】、止めッ!」
これ以上、土煙を濃くしてしまったら、それに乗じて反撃に出られるかもしれない。
私は頃合いを見計らって攻撃中止の命令を飛ばす。
先程の爆音が嘘のように、一瞬の静寂が辺りを包む。
「ゴクッ……」
「……やったか?」
生唾を飲む音や、無意識に出たであろう呟きが嫌に大きく聞こえる。
その時、一陣の風が吹き、さぁっと土煙を払ってゆく。
そこで我々が目にしたものは……。
『……グムルォジュボズ、ザベグルルォオ反撃デグルノォゲゾグルルォジュビ、好ゼ勝手ギョジュビズグルルィベジョジュビドゴ』
「な、なんだよ、ありゃあ……?」
そこには、我々が【法術】で生成した【石礫弾】や【氷錐弾】、【水円刃】等が、空中で静止している光景だった。
そして当の怪物は、左腕を我々に向かって突きだした格好で、光の……いや、油膜のようなものですっぽりと覆われていた。
その膜に接触している【法撃】が、それ以上の進行を無理矢理止められているかのように空間に浮かんでいるのだ。
まるで見えない壁に刺さっているかのような……。
『ダヴムングルノォグルネェ君ボベグフルォ、私バ殺デ合ゲオデボゲグルナァゾ?』
怪物がまた異音を発する。
しかし、明らかに今度のは先程と違うものだった。
『ダグルルィオダジュベグルナァギョグルルェ方シ、ダデビダグルルィオ願ゲソバゲググルナァグルノォグルルォ……。私グムルァダグルルィグルネェ倣ヴムァグルノォズビグフルォ、グルノォ』
怪物と対峙していたものなら誰しもそう感じただろう。
なぜなら、その場の空気がガラリと一変したからだ。
『【グルルァーグムルォシグフルォグルルァーグムルォ人グルナァギャググルネェヂギャ】、ソジュボゾグルノォ。グルノォヴムングルネェヂギャ……容赦グフルォデグルノォゲ!』
明確な敵意、いや『殺意』というべきものを。
『グムルォクグフルォ、ダグルナァ奇妙グルノォ遠距離攻撃グルナァ手段ヴムォ叩ズ!』
怪物が突き出していた左腕を少し引いたかと思うと、力を込めるように更に前へと押し出す。
刹那、背筋に氷柱を突き立てられたように悪寒が走る。
次の瞬間。
ボンッという音と共に【法杖】を持っていたはずの右腕が、肘から先が消し飛んでいた。
「あ、あぁ? ……ぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」
最初に感じたのは本来あるべきものの喪失したことへの強い不安。
現実逃避など許さない、傷口から痛みが遅れて登ってくる。
なんだ、私はいったいどうなったんだ!?
不用意に傷口を押さえたせいで尋常ならざる激痛が全身に走り、意識が飛びそうになるのを奥歯が欠けるほど噛み締めることでなんとか保つ。乱れている呼吸を意識的に直すことで、わずかばかりの冷静さが戻ってくる。
脂汗をビッショリと掻きながらも、私は周囲を確認する。
「腕、腕があああぁッ!?」
「ごぼッ……だ、だずげ」
「救護兵、救護兵はどこだ!」
「ひ、ひへヘ……なぁ、だれか。俺の右、足を知…な……ぃ……」
「畜生ッ! あの化け物野郎、よくも俺の親友をッ!」
阿鼻叫喚。
地獄の門が開いたかのような、凄惨な光景が眼前に広がっていた。
私のように肘から下のない者は、生まれてこのかた味わったことの無い痛みに叫び……。
腹部に風穴が開いて倒れ伏す者は、吐血し涙ながらに近くにいる者に助けを乞い……。
現実味のない光景に精神をやられた者は、ヘラヘラと力なく笑い……やがて事切れる。
『ドビ、次グフルォ武器ヴムォ持ジュボ連中グルノォヴムァジソオ。バグフルォゲギ、ゴグムルォグルルェ追ゲ詰グムルィヅエビ自棄グルネェグルノォグルルォグルルィビデグムルォジュビグムルァ困グルルゥグルノォ。【窮寇グフルォ迫グルルゥ勿グルルィ】ゾ……』
―――カキイィン……!
怪物がまた何かを発している最中、二度目の澄んだ音が響く。
『グヴムン?』
そこには、先程怪物から新兵を投げつけられた民兵が立っていた。
「フーッ、フーッ!!」
利き腕をダランと垂れ下げたところを見るに、先程の攻撃で肩が外れでもしたのだろう。
左手には刃先が中ほどで折れた軍刀が握られている。
【連邦軍】正規兵にのみ帯刀が許されているそれを、民兵が予め持っていたとは考えにくい。
新兵の所持していたモノを失敬したのだろう。
しかし斬りつけたはずの刃は怪物には届かず、反対に先程の槍同様に折れてしまっていた。
『……私グルナァ星シグフルォ怪我人ギョ病人グルネェグフルォ手出デヴムォデグルノォゲバゲググルナァオ当ボグルルェ前グルノォヴムンソオ。戦意オゴジュビ武器ヴムォ持ジュビ向ゾジュビ来グルルゥグルノォグルルォ話グフルォ別ソ』
「さっきから何をグルグル鳴いてるか知らねえがよッ! 俺たちに、【連邦】の【普人種】さま相手にッ! これだけの事やって、タダですむとおびょッ……!!」
私は自分の目を疑った。
なぜなら民兵が我々の眼前で突然、閃光を発して真っ二つに裂けたのだから。
『無駄グルノォ痛グムルェヴムォ与ギグルルゥ趣味グフルォグルノォゲ。ドジュドバ終ヴムァグルルォヂグルルゥバデギャグ……』
ヒュンヒュンと怪物の周りで風切り音が聞こえる。
(これは、さっきやつが振るった尻尾の音!?)
「糞ッたれがああぁ!」
【法術兵】の一人が負傷した痛みから自棄をおこし、再び【法撃】を敢行する。
『今グルナァシ戦意喪失デビズグルルィグルルゥバ有グルルェ難ゾジュボヴムンソオ……。ギョグフルォグルルェ、グムルォグムルォグルノォグルルォグルノォゲグルノォ』
迫る火球が民兵同様に閃光とともに真っ二つになる。
だがその閃光が消えた時には、怪物は忽然と消えていた。
「糞、糞ッ!! 野郎、どこに行きやがッ………!!」
血走った目で辺りを見回していた【法術兵】の首が三六〇度、グルリと一回転した。
そのまま【法術兵】の頭はズリ落ち、地面で二度バウンドする。
直後、兵士の背後から陽炎のような揺らぎを伴って怪物が姿を現した。
『ドビ次グフルォ……ダジュベゾ』
再び怪物の姿が揺らめき見えなくなる、風切り音だけを残して。
そして今度は別の場所で武器を手にしたまま、目の前の状況に思考が追い付かず突っ立っていた士官の頭が真っ二つになり、その場に崩れ落ちた。
その様子を目の当たりにした連邦兵は、瞬く間に恐慌状態に陥った。
当然だ。
どんな【法術】か知らないが、あの怪物は姿を消すことができるのだ。
姿が見えない相手にどう対処しろというのか。
そこから先は『戦闘』とは名ばかりの、一方的な『蹂躙』となった。
優先的に犠牲となったのは未だ戦意のある兵士だった。
縦に裂け、横に割れ、袈裟懸けに滑り落ちた。
一人が二つになり、二人が四つになり、三人が六つになった。
風切り音と閃光が通りすぎる度に、ヒトだったモノが地面にゴロゴロと散らばってゆく。
唯一の幸運は怪物が武器を捨て敗走する兵士達を手に掛けないこと、そして負傷兵や命乞いをする者にも興味を示さないことだった。
あくまでも怪物に攻撃の意思を示した者達のみが、たちどころに肉塊へと変わっていった。
こんな化け物が世界に、人の世にいていいはずがない。
「円陣を組め! 周りを水流で囲むんだ!」
不意に聞こえた声と共に、私の体は背後から引きずられていた。それが生き残りの別動隊だと理解するには、呆然自失となりかけていた私にはかなりの時間を要した。
「隊長殿、俺が分かりますか! おい、アンタらに【治癒】の【短法杖】を持っている奴はいないか!」
「うるせぇッ! 今はそれどころじゃあねぇんだッ! 民兵が気安く指図してんじゃねぇ!!」
「クソ、こんなときにまで……申し訳ないですが今はこいつで我慢してくださいよ!」
民兵は携帯ポーチの中から何かを取り出す。
それは親指大のチューブに針がついた『簡易麻酔剤』だった。
本来、正規兵は【治癒法術】の籠った【短法杖】の使用を、新兵時代の訓練で最初に叩き込まれる。
しかし肝心の【短法杖】は【法術】がなければ発現しない。
では【短法杖】を所持していない民兵はどうやって傷を癒すのか?
答えは至極簡単、我慢させるのだ。
痛覚を鈍麻状態にさせ意識のみがハッキリするような、違法スレスレの薬物を数種類調合し『痛みを和らげ元気の出る麻酔剤』と称しては戦時に民兵へ配布。
民兵が負傷した際にソレを使わせるのである。
戦場でまた戦えるように、多くの敵を殺せるように。
そしてなにより、正規軍人を守る『肉の壁』として機能するように。
正規兵には支給されない『それ』のキャップを民兵は口に加えて引き抜き、肘から下が欠損した私の傷口付近に容赦なく突き刺す。
「ぐううぉぉッ!」
ただでさえ痛む場所に追撃を加えられた私は、我慢しきれずその場でのたうち回る。
「くそッ、針が抜けた! おい、誰でも良いから一人こっちを手伝えよッ! 連邦の一市民がアンタらの上司を助けようとしてんだぞッ!!」
「民兵風情が……ッ!」
「なら自分がやります!」
円陣の中から一人が脱け出し駆け寄る。
「自分が押さえている間に処置してください! 軍曹殿、マルコフです! 気をしっかり持ってください!」
一番日の浅いながらも恵まれた体格を持った新兵が私の体を固定することで、民兵の麻酔剤投与は成功する。
即効性のおかげで痛みが大分和らいだ。
「後は出血をコイツで……」
民兵は近くにあった雑草をむしり採ると、自分の口の中に入れて噛み潰す。
『チドメ草』と呼ばれるそれは、唾液や血液と反応することで止血剤となる。
簡単に医者にはかかれない市民の間で、長い年月試行錯誤して受け継がれてきた民間医療の賜物である。
民兵がクソ不味いと口にしながら吐き出した緑色の粘着物を傷口に塗り伸ばす。
麻酔剤の効果もあってかさっき以上の痛みはなかった。
ようやく頭がハッキリしてきた私は周囲の様子を改めて確認する。
そこには先程の民兵と、彼と共に支援に回されていた【法兵隊】がいた。
たしか彼らの多くが水属性の【法術兵】だったため、攻撃力の乏しさから斥候と補給物資運搬の後方支援に当たらせていたハズだった。
だからこそだろうか、彼らは誰一人として四肢の一部を欠損している者はいなかった。
「お、お前達。無事だった、のか」
「無事な訳ないでしょうが。こっちはさっきの攻撃で兵隊さんらは全身ずぶ濡れ。それに巻き込まれた俺たちは打ち身やら打撲やらであちこち傷だらけ。死んでないことだけでも奇跡ってやつです」
「それよりも、今はこの状況の打開をしなければなりません」
マルコフの言葉に私が顔を上げると、そこにはあの怪物が水のカーテンの向こうに立ちはだかっていた。
姿を現したということは、もうこの場には私達しか残っていないのだろう。
私達が襲われないのは【法術】で産み出した【水流】が形成する『水のドーム』で覆われているためだ。
それでも時折その水流に切れ目が入り、幾人かの口から悲鳴が漏れる。
しかし流れ続ける水を切り裂ききれず、今度は別の場所に切れ目が入る。
怪物ご自慢の尻尾でも、この防御陣を突破できずにいるようだ。
「まずいな……」
私は無意識にそう呟いた。
少しずつ。
ほんの少しずつ、水流の勢いが弱まり始めていたのだ。
もちろん、それに比例するようにドームの範囲が小さくなっていく。
「はぁ、はぁ……やべぇ、気ぃ抜いたら意識が飛ンじまいそうだ」
「しっかりしろッ、イワン! アイツ等みたいにバラバラになりてぇのか!?」
「んな事言ったって、もう…【法力】が……」
「くそッ……、この化け物め! さっさとどっかに行っちまえよ!!」
遠距離戦において無類の強さを発揮し、『神の贈り物』、『奇跡を生む力』と讃えられる【法術】であっても、無限ではない。
それを操る術者の内包量たる【法力量】が尽きれば只人へと成り果てる。
そうなれば、あの怪物は我々を簡単に『解体』するだろう。
(そうはさせん……なにか、なにか策は!)
私は、私の中で消えかけていた闘志の火が再燃するのを感じた。軍人ゆえの考えか、はたまたヒトという『種』を存続させたいという意志かは私には分からない。
「分隊、態勢を維持したまま傾注!!」
私は肺に目一杯空気を吸って大声を出す。
それは半死半生の私ができる最後の作戦通達であった。怪物に作戦を聞かれたところで構うものか。
どうせ失敗すれば身分も階級も関係なく皆殺しだ。ならばせめて一人でも多くの命をこの怪物の餌食にさせないのが、今の私に課せられた使命なのだ。
彼ら全員が、戦場から逃げたと後ろ指を指されることになるだろう。
彼ら全員が、仲間を見捨てたと白い目で見られるだろう。
だとしても、そうだとしても。
彼らには生き延びてこの怪物の情報を持ち帰ってもらわねばならない。
私は彼らに作戦を伝える。
一人でも多くこの怪物から逃げ切れるように。
一人でも多くこの地獄から生き残れるように。
◆◇◆◇◆
うーむ、実に不思議だ。
さっきから流れ続けているこの水、近くに水源もないのに後から後から湧き出て際限がみえない。
何度か尻尾を抜き差し、切り払いもした。そのなかで水温や流れる速さなんかを調べてみたが、やはりごくごく普通の水のようだ。
別に付着した場所から瞬く間に溶けるわけでもなければ、触った瞬間に爆発するわけでもない。
更に言えば通電するかも試した。上手くいけばこの水のドームに立て籠っている人間達を感電による気絶状態に持ち込めるかと思ったからだ。
結果は失敗。
つまりこの水は完全な『純水』ということなる。もうこれは完全に手品とかトリックとかのレベルを超えている。
ひとまず、私はここまでの条件で論証開始した。
一:人外の身になっているためもあるだろうが、こちらのボディランゲージが全く通じない。
二:彼らかの攻撃は常軌を逸した『魔法じみた』攻撃がメインで、火薬や電磁等のエネルギーを用いた火器武装を一切有していない。
三:服装に関しては映画の撮影という線も考えられなくもないが、撮影スタッフはおろか電気を使った機材が何処にも見受けられない。
結論。
ここは『地球』とは無関係の、『地球によく似た別の星』ということになる。
Q.E.D.。
先程から目にしている彼らも、人間に限りなく近い『別種』なのだろう。
(まぁ、ここが本当に地球で、こんなナリでいきなり化け物が目の前に現れたら、どこかの軍隊の特殊部隊かなんかが「いたぞおおおぉぉぉッ! いたぞおおおぉぉぉッ!!」とか、「出てこい、クソッタレエエエェェッ!!」とか言いながら、ミニガン撃ちまくってスッ飛んでくるだろうし……ん?)
目視でしかないが太陽に類似した恒星が傾き始めている。
それに合わせて徐々にではあるが霧が出てきたようだ。
こちらの示威行為も伝わったところだろうし、ここは夕闇と夕霧に紛れてさっさと逃げおおせるのも手のウチか………ヌッ!?
(違う!? 霧が、霧がまとわりついてくる!?)
私が『水のドーム』から後方に飛び退くと、周りにうっすら立ち込めていた霧が身体中を包むかのように一気に覆いこんできた。そのせいもあってかドームの中の兵士達の姿が酷くぼやけて見える。
文字通り霧に包まれた状態の私の動きは若干緩慢なものとなっていた。泥沼で足掻いているというか、夢の中で走ろうとしているのに上手く身体が動かない感覚というか。
この非常識な霧も彼らの持つ杖による状態異常なのだろうか。
とにかく煩わしい事この上ない。
それにこちらがまごついている間に水のドームにいた人間たちも動き出した。ボヤけた視界では輪郭しか見えないが、どうやら放射状に散開したようだ。私の斜め後ろへ抜けていくように移動する度胸のある者もいるようだが攻撃の意思は感じられない。
周囲の音を拾う集音センサーが離れていく足音を捉えるが移動を優先しているようだ。
(もっとも、熱源でも『視る』事が出来るから、相手の動向なんて丸分かりなんだけど、ね……)
この体には蛇や蜥蜴のような『ピット器官』が備わっている。それは赤外線を利用した熱源探知能力。その誤差、驚異の一万分の一ミリ。
ゆえに視界不良な状態はもちろん『擬態』や『不可視の獲物』と相対する時にいつも重宝してきた。
(しかし油断は大敵、臆病なほど慎重に、だな)
こちらから仕掛けるような真似はせず、ひとまず守りに徹することにした。
とはいえ、離れたところからまた攻撃されてはかなわない。
私は離れてゆく生体反応に全て対して『ホログラウス』と―― 私が勝手に ―― 呼んでいる、鋭く微細な針の形をした投擲型の特殊兵装を投げつけてやる。
コレは、外界からの情報収集の大部分を『視覚』や『聴覚』に依存している生物の脳内電気パルスを刺激して、『私の虚像』を直接彼らの視野に投影することのできる装置だ。
また、コレの面白いところは直接中枢神経のある場所に打ち込まなくても、着弾してからコンマ数秒で『咀顎目型の昆虫』の形に変形し、数分ののちに対象生物の中枢神経へと辿り着く『自走機能』を有している点だろうか。
ゆえに多少着弾地点がズレたところで効果が現れるまでのタイムラグが変動するだけなため、私はこういった多勢で向かってくる相手や乱戦状態での撹乱に多用してきた。
(残弾は……五一二本か。まぁ一人につき一本ってところだろうな。効果時間は……一週間あれば十分か)
私に『ホログラウス』を打ち込まれた人物たちは一様に一瞬動作が止まるが、それでも撤退行動を優先しているのだろう。
(頼むからそのまま戻って来てくれるなよ……)
放射状に離れてゆく足音を集音センサーで確認しながら、内心切に願っていた。
さて、奇妙な霧に覆われてから、体感時間で百二十三カウント。
時間にして二分弱。
長いようで短い時間が流れる間、私は何かしらの攻撃に対処するべく身構えていたが、不意に体を覆っていた霧の濃度も薄くなっていくのに気が付いた。
同時に体の動きにくさも解消されつつあることも。
そして、視界が完全にクリアになったことで素早く周囲を確認する。
背後からの奇襲や周りの林へと消えていった人間たちが、こちらの予想できないような遠距離攻撃を仕掛けてこないとも限らないと思ったからだ。
しかしそれは杞憂に終わった。
周りには彼らが残していったモノであろう不思議な力を持つ杖が、周囲をグルリと取り囲むように幾本も地面に突き立てられている。なるほど、霧が徐々に晴れたわけは段階的に使用者が減っていたためか。
そして眼前の光景を見た私の口は無意識にこう呟いていた。
「……なるほど、そうきたか」、と。
当初、彼らが散開したのは的を絞らせないようにするのだと考えていた。
しかし先の私の行動で、戦意を喪失した者をわざと見逃していたことに、彼らの内の誰かが気づいたのだろう。
実際、私は彼らの目に自身がそう映るように努めたつもりだ。
私に挑むことが無駄であると理解してほしかったし、さっさとこの作業を終わらせたかったからだ。
何より弱い獲物をなぶり殺すような異常性癖者ではないのだから。
彼らもその意図を察し……たかどうかはわからないが、撤退する道を選んでくれたようだ。
―――ただ『一人』を除いて。
そしてその『一人』が私の眼前にいる。先程から部下らしき人間たちに指示を出し統率していた素振りがあった事から、おそらく彼が指揮官かそれに準ずる者なのだろう。
彼らの爆撃のような攻撃に対してこちらが行なった反撃で、遠距離兵装をした人間達の七割は使い物にならなくなった。この男もそのご多分に洩れず、右肘から下が吹き飛んでいた筈だ。
しかし、腕の傷口をキツく止血している痛々しい姿とは裏腹に、彼の戦意は未だにその身に宿しているように見受けられた。
(いや、先程よりも一層研ぎ澄まされたように見える。さしずめ、『腹を括った』というところ、か……)
ならば答えは一つしかない。
彼は……『贄』だ。
部下を逃がすため自らが囮となり、生還する可能性など皆無な殿をしようというのだ。
しかし私はそれを愚行とは思わない。
むしろ、ある種の崇高ささえ感じていた。
かつて『向こう側の世界』、私が地球人として生を受けるずっと昔、地球では『捕鯨』という行為が行なわれていたのだという。生体調査等の名目で行なっていたこともあるらしいが、最初期の頃の捕鯨は『鯨油』や『鯨蝋』を採取するためだったとか。
特に『鯨油』は良質な油であったらしく、ランプの燃料はもちろん、精密機械用油、ニトログリセリンの原料や石鹸、整髪料用ワックスや薬品用の軟膏。
果てはマーガリン等の食品といった具合に非常に幅広い用途に用いられていたらしい。
私が住んでいた日本でも、農薬などない時代は蝗害対策のため、水田に鯨油の油膜を張ったりする他に、その肉や骨、内蔵などの部位を余すことなくきちんと消費することで、海の偉大な存在に感謝してきたのだとか。
ただ、ソレができたのは単に日本が周りを海で囲まれた『海洋国家』であったからだろうと私は思う。海外では何日もかけての遠洋航海をせねばならない状況であり、限られたスペースしかない船の中では最低限の物しか積めなかったに違いない。
仮に仕留めた鯨を曳航してきたとしても曳航可能な数は数えるほどだろうし、その間に腐敗が進みんでしまい保存技術の乏しい状況ではそれすらも叶わなかったのだろう。
最悪、血の臭いを嗅ぎとったサメやシャチといった獰猛な海洋生物が並走していたかもしれない状態では、船員達も身の危険を感じて捕鯨どころではなくなってしまっていたかもしれない。
尤も、それでも各国の捕鯨業者が乱獲に近いレベルでこぞって捕鯨行為に手を出したせいで、鯨そのものの生息数が激減してしまう事態に陥ってしまい、世界中で捕鯨規制が叫ばれるようになった。
まぁ、私が生きていた時代では科学技術が発達し、宇宙開発が盛んであったし、宇宙コロニーが続々と建設されていた時期でもあった。
また月や火星のテラフォーミングが各国共同で粛々と行なわれていたため、続々と移住が始まってもいた。火星がテラフォーミングされたことで、火星と木星の間にあるアステロイドベルトでの資源が採取可能な状況であり、人間以外の生命に多大な犠牲を強いる必要がなくなりつつあった。
そして全世界で絶滅危惧種の存続に努めていた成果も徐々にではあるが出始めていた。もちろんその中の鯨も例外ではない。
話がだいぶ逸れた。
何を言おうとしていたかというと、帆船時代、とある大国の捕鯨業者が捕鯨を行なっていた時、群れの中にいた巨大な鯨が、仲間を守るため捕鯨船めがけて突撃してきたのだとか。甲板に詰めていた乗員はその衝撃で海へ投げ出され、木造であった船は大ダメージを被り航行不能に陥った。
それでもその怒り狂った鯨の猛攻は止まず、捕鯨船は十分も経たずに沈められてしまった。
後年、その捕鯨船の生存者の証言を記録した文章を元に執筆された『白鯨』と呼ばれる小説は、瞬く間に世界中に知られることとなった。
仲間を守るため、自らの命も省みず立ち塞がる彼は、正にその鯨に似ていると思ったのだ。
だが、間違っても私は自分がエイハブ船長だとは思わないし、言うつもりもない。
自身の境遇に酔いしれるつもりも毛頭ない。
―――ただ、それでも。
目の前の彼に対して、光学迷彩を使った奇襲や攪乱、視認することさえ困難な速さで振るえる尻尾や身体能力に任せた強襲といった戦法をとることが、酷く失礼に思えたのだ。
ペシャン…と、何かが肩口に弱々しくぶつかる。
それは彼が身に付けていた泥と血液とでグチャグチャになった『手袋』だった。片方の手しか使えない彼はソレを口に加えて脱ぎ捨て、投げて寄越したのだ。
その行為で彼が何をしようとしているのかわかった。
―――『決闘』だ。
彼は少しでも時間を稼ぐため、勝機すら怪しい『決闘』という形で私をここに釘付けにしようというのだ。
(まったく、どうしてこういう習慣や文化まで地球人と似ているのか……)
割れんばかりの大音声で彼が滔々と口にしている言葉は、今の私には分からない。
未知の発音、未知の言語なのだ。装着している特殊装甲に内蔵されている翻訳機が必死になって解読しているが、きっとその内容が判明したところで時既に……という状態だろう。
こういう時、私はコミュニケーションが取れない歯痒さを痛感し、そして悔しく思う。
だがそれでも、相手の意図は幾分か汲み取ることができる。
左手で杖を持ち、その杖を右胸に添えている。先程、右手で杖を持っていたことから本来は反対で行う行為なのだろうことは容易に想像できた。
口上は既に済んだのか、彼は黙っている。準備完了の合図なのだろう。
私はゆっくりと歩み寄り、ある程度の距離まで近づいて止まる。
相対距離は数メートルくらいだろうか。
私は狩猟用に用意していた『伸縮可能な金属の槍』を二の腕を守る外装から取り外して、似たような素振りをしてみせる。
槍を展開させたときに緊張が走ったのを感じたが、こちらが似た行動をとったことで彼の強張っていた口元に笑みが浮かぶ。
どうやらこちらの意図を伝えることができたようだ。
近づいたことで彼の容態が手に取るように理解できた。止血している布は既に血糊で赤黒く変色し、地面に黒いシミをいくつも作っている。彼の肌は血が足りないせいで重症患者のそれ、白を通り越し、もはや土気色だ。
もってあと数十分あるかないか、といったところか。
それでいて眼光ばかり鋭く、飢えた野獣のように爛々とした光を湛えている。
「……本当に、言葉が通じないことが悔やまれるよ、勇気ある人。貴方こそ本当の『勇者』、私にとってそんな貴方の相手をすることが出来て、とても光栄だ」
彼が男臭い苦笑と共に眉を潜める。伝わっていないのは明白だ。
だがそれでも、そう口にせずにはいられなかった。
数秒の時間が流れたのち。
私は大きく咆哮した。
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。
2019/06/08…一部加筆
2019/09/05…一部加筆
2020/03/10…PCのデータ移設失敗により主人公の言語が復元不可になったので『主人公語』のみ修正
2020/09/30…誤字報告による誤字の修正
2021/12/10…文章の一部修正、及び加筆