013 ― ワクガイ、ドつきあい洞(ほら) ―
まずは相手の出方を窺うため、両腕を胸の辺りまで持ち上げて緊張しない程度に折り曲げる。
いわゆるファイティングポーズというやつだ。
私が迎え撃つ用意が出来たのが分かったのか、【醜鼻鬼族】が雄叫びとともに突進してくる。
上半身を斜めに構え、左肩を前に出したショルダータックル。
「ブッつぶレロ、変ナにおイノ奴ッ!!」
まるで巨大な壁が迫ってくるかのような圧迫感すら感じる。
だが、私にとっては『それだけ』だった。
「フッ!」
私は【醜鼻鬼族】の突進が直撃する瞬間、すり抜けるように彼の死角である背中、その左側面へと回り込む。
さらに彼の右脇腹側から右手を突っ込み、【醜鼻鬼族】の左手首をホールドする。
「ヌガッ?!」
そしてそれと同時に左腕全体で【醜鼻鬼族】の左脇腹を抱え込み、こちらも左手を使ってガッチリと掴んで固定する。
「オ、オ前!? ナニシヤガ、ゥアッ?!」
【醜鼻鬼族】が何か言っているが気にしない。
こちとら不安定な体勢で技を繰り出せるか心配で、そっちの方に集中していたのだから。
「ヨッセイイィィィッ!!」
私は身体を沈めつつ足腰を十二分に使って踏ん張り、大根の引き抜き作業よろしく斜め横からのエセスープレックスをかましてやる。
攻撃するだけしか頭になかったのか、【醜鼻鬼族】はいとも簡単に投げ飛ばされ頭から地面に着地するという芸当を見せてくれた。
「アガァアァアッ! アダマ、アダマガァァ! オォ、ヨグモ……、ヨグモオオォォ!!」
【醜鼻鬼族】が両手で頭を抑えながら蹲っている。
対象が全体的に肥満体の身体ゆえ、キックやパンチといった攻撃は望み薄だと予想した私は、生物にとって重要な部位である『頭部』への攻撃を行なってみた。
それに斬撃や殴打、刺突といった攻撃はファンタジー世界である【アースフェイル】じゃ当たり前の攻撃だろうから、そのどれにも属さず、かつ破壊を伴わない程度の痛撃を与えてみた訳だ。
「気にする必要はないダろう? どうせ大して何も入ってないヨうな頭だ。壊れたって誰も文句ハ言うまい?」
「グガガッ……!!」
「おい、いつまで亀のように蹲ってイるんだ。まさかその程度で負けを認める程オ前さんは弱虫なのか? そんな事じゃあ、仲間達かラ腰抜けだと笑われてしまうぞ? ほら、立って私をブチのめしてミせろ。ほ~ラ、あんよが上手、あんよが上手」
「ガッ、ガアアァァッ!!」
私の挑発が気に食わなかったのか、目を血走らせて立ち上がった【醜鼻鬼族】は雄叫びをあげながら、――なにをトチ狂ったのか――そこいら中の壁や石筍に当り散らし始めた。
飛んで来る瓦礫は〈フォース・フィールド〉であっちゃこっちゃに投げ飛ばしてやる。
脳みそ容量の少ない【醜鼻鬼族】に投げつけても、これがどういう機能なのか一々説明しなくてはならなくなるかも知れないし、そんな面倒事はこっちから願い下げだ。
(それにしてもなんで彼は周りに八つ当たりしてるんだ? さっさと反撃して来ればいいものを……)
「クソオオォッ、サッキカラおいらノ悪口バカリ言イヤガッテーーーッ!」
「何だ、そンな事で猛り狂っていたのか。……ならば今すぐ【醜鼻鬼族】全てガ賢くなってみせろ!」
「イヤ、無理じゃろそれは……」
もっともな助言がこちらのセコンド(【鉱亜人種】の姫)から飛んで来てしまった。
我ながら羞恥の念に駆られる。
ええい!
今はそんな『慚愧』よりも目の前の『危機』だ!
「ヌ゛ンッ!」
―――ズドンッ!
「グボッバアアァッ!?」
私の眼前で、頭の周りにヒヨコをピヨピヨ走り回らせながら殺気立っている【醜鼻鬼族】の顔面目掛け、私の渾身のジ○イアンパンチが炸裂する。
私が放った剛の拳は、【醜鼻鬼族】の顔面にあるパーツ比率の三割を占めている鼻にクリーンヒットし、文字通り『拳が顔面にめり込んだ』。
「ゴ、ガ、ハガ……」
「うン? 下品に鼻を鳴らス音が聞えなくなったな。ずいぶんと腕の良い医者に掛かッたようだ、もう鼻の具合は良くなったノか?」
「ヌッッガアアアァァァーッ!!!」
完全に頭に血が上った【醜鼻鬼族】は、顔面を抑えながら再び突撃を敢行してくる。
相変わらず物覚えの悪い奴だな。
私はその単調な攻撃にあわせるように、跳び箱を飛ぶイメージで【醜鼻鬼族】の背中に手を着いて跳躍。
更にその背中を『ロイター板』を踏むが如く、思いっきり足蹴にしてから彼の後ろに華麗に着地する。
結果、重心が前に掛かっていた【醜鼻鬼族】は、私が強く背中を足蹴にした事で更なる加速が付き、そのままのスピードで顔面から壁面に激突した。
もちろん顔…、というか自慢の鼻を覆っていた手は生け花で使う剣山のように、再生しかけていた傷口に深々と突き刺さった。
「オゴア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!?!?」
【醜鼻鬼族】の口から耳を塞ぎたくなるほどの痛ましい絶叫が溢れ出し、ミスリルで出来た洞窟内に響き渡った。
「アガッ……、オ前ェェエエエッ!!」
ズボッと顔面に突き刺さった自分の指を引き抜きながら、大木のような反対の腕をやたらめったら振り回している。
どうやら私からの攻撃を防ごうとしているようだ。
ここまでやってもまだ敵意を持っているということに、正直感服すら想起させる。
「良イ気概だ。感動的だナ……」
「ァ……?」
だが私は【醜鼻鬼族】の一瞬の隙を突き、素早く奴の後ろに回り込んでいた。
「だガ無意味だ」
私は満面の笑顔のまま、自慢の四つの腕を一杯に広げ、【醜鼻鬼族】を背面からホールドする。
振り回している方の腕、顔面を抑えている方の腕。
その両腕の上腕を、私の腕で挟み込むようにがっちりと……。
加えて、完全にガラ空きになっている彼の胴体を抱え込むようにしっかりと……。
「ヌ゛ウウゥゥンッ! ッそぉい!!」
「ヌワーーッッ!?」
―――バックドロップ。
かつてプロレス界隈で名を馳せた、『鉄人』の異名を持つ『ルー・テーズ』氏の言によれば『バックドロップとはヘソで投げるもの』だという。
その言葉に則って、私もヘソの辺りを支点に身体を弓状に反り返らせて、思いっきり【醜鼻鬼族】の身体を背面から地面へと叩き落としてやった。
地面すら叩き割れるのではないかという衝撃音が洞窟内に響き渡ると同時に、抱えていた【醜鼻鬼族】が完全に動かなくなった。
体勢を立て直しつつしばらく様子を見ていたが、どうやら叩き落とされた衝撃で目を回してしまったようだ。
仰向けになるように足の方からゆっくり倒れ伏す【醜鼻鬼族】は、口から泡を吹いて完全に気絶してしまっている。
しかしそこで追撃を緩めるほど、私は出来た人間、もとい『生命体』ではないのだ。
私は、大の字で倒れ伏している【醜鼻鬼族】の上に馬乗りになると、力の籠もった往復ビンタを数回行なってやった。
「バガッ! ビギッ! ブゲッ! ボゴッ! ダバッ! ヂベブッ! オッ、オ前ヘェッ!?」
【醜鼻鬼族】にとってはこれから起こることは辛い体験になるかもしれない……。
しかし、この【アースフェイル】で出来た初めての友人を公然でセクハラしただけで飽き足らず、死ぬほど怖い思いをさせたのだ。
この生き物には、これからその身に訪れる『生き地獄』に無理やりでも付き合わせなければ私の腹の虫が収まらない。
理不尽、身勝手、多いに結構。
既にこの身はそんな『枠組みのK点』どころか大気圏をもブチ抜いて来たのだ。
さて、往復ビンタで両頬が腫れ上がり始めた【醜鼻鬼族】が痛みを伴って、ようやく目を覚ました。
だがこちらがマウントを取っている時点で、この生き物の生殺与奪の権利は私が握っているといえる。
しかし、当の本人たる【醜鼻鬼族】はまだその事にまで思考が巡らないのか、鼻骨を折られ鼻血が詰まったままの鼻声でふがふが言いながら私に話しかけてくる。
「ヤ、ヤベロ! オ前、おいらニ手ヲ出ズド、ドウナルカ知ッテルベラッ!」
「さァ知らないな? 『つぶらな瞳のピーター』とワルツでモ踊るのか?」
その様子をイメージしようとするが、そもそも『ピーター』がどんな動物だったかうろ覚えではっきり思い出せなかった。
「第一、お前ガどういう存在で、お前の後ろにどんなヤツがいるのカ知らないし、知る必要もない」
そう言って私は、再生しかけていた彼の鼻に二度目のジャイ○ンパンチを喰らわせる。
さらに右、左と、アッパーカットとフックの連続攻撃を二対の両碗からそれぞれ一発ずつ、彼の顔面目掛けて発射する。
さすがの【醜鼻鬼族】も自分の置かれている状況を理解してきたのか、それともこの程度の痛みで簡単に精神が圧し折れたのか、手足をバタつかせながら命乞いをしてきた。
「マ、マベ! 変ナにおいノヤヅ! アヤバル! おいらガ悪ガッダ! ゆるシテァベシ!?」
「この世界で出来タ初めての友人を公然で辱め、あまつさえ死ぬほど怖い思いをさせておいて今更ノーサイドってか? 審判は……ここにゃあいナいんだよ!」
私は、謝罪する相手を間違えている事にすら気が付かない【醜鼻鬼族】の顔面を、今まで以上に高速でこれでもかと殴り続けた。
もちろん【醜鼻鬼族】は私の唸る拳をどうにか防ごうと、自分の腕を使って防御しようとしてくる。
しかし残念な事に、この私の肉体には猛撃を放つ事が可能な腕が合計四本も付いているのだ。
相手が一対の腕しか持っていなければ、こちらは外側、内側のどちらかの腕でそれを拘束しつつ、空いている側の腕でもって相手の防御を無視して殴ることができる。
たとえ【醜鼻鬼族】が両腕を使ってガードしようと、さらにその外側からもうワンセット、攻撃が飛んで来るのは必然であった。
「オグッ!? グ、コノ……、ヘゲァッ!? ヤ、ヤベボロォ! ブベッ、ヤベデグボファッ! オゴォッ! アガッ! 待ッデグゴォ!? ダ、助ゲッペッ! ハグゥッ!!」
聞けば気の毒、見れば目の毒。
もはや殴られる前の顔の方がまだマシだったと思えるくらい、現状の【醜鼻鬼族】の顔面は見るに堪えない程、青黒く腫れ上がっていく。
「キミがッ!」
―――バンッ!
「グボエェエエェッ!?」
「泣いテも!」
―――ボガッ!
「ハヒイィイィッ!!」
「殴るのを止めないッ!」
―――ドッガァァァンッ!!
「イギャアァアアァァァッ!!」
既に殴られるだけのサンドバッグと化した【醜鼻鬼族】が私の下で腫れ上がった顔に涙や鼻水をぶちまけながら惨めな声を上げている。
【醜鼻鬼族】は最初こそ、その体格差を活かして――私に抑えつけられながらも――なんとか起き上がろうと四苦八苦していた。
しかし彼にとって不幸だったのは、私の武器が『四つ腕』だけでなく、しなやかかつ強靭な尻尾も保持した『規格外』にエンカウントしてしまったことだろう。
何度も起き上がろうと身体に力を入れるたび、私の尻尾の先にあるブレード状の外殻が彼の肩や肘、膝や踵といった部位にある『腱』を、再生する度に切り離した。
【醜鼻鬼族】からしてみれば、力を込めようとした瞬間、自身の身体の節々に激痛が走ると共にその先の部位を動かせなくなるのだ。
それは困惑と恐怖意外の何物でもないに違いない。
「も、もう良い! その位にしておくのじゃ、リーパー! いくら何でも可哀想で見てられん!」
結局、私の理不尽、かつ無慈悲な暴力を止めたのは、【醜鼻鬼族】自身でもなければ神がかった奇蹟でもなく、この【アースフェイル】で初めて出来た友人、『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』だった。
【醜鼻鬼族】はその再生力が追い付いていないのか、身体中――といっても損傷箇所の九割方は上半身なのだが――ズタボロであることのみならず、その特徴的な顔面もパンパンに腫れ上がっている。
まるで顔が餡パンで出来ているキャラクターのようだ。
もっとも、元の地肌が青白く古ぼけた亜麻色であっため見栄えは遥かに醜悪だ。
この部分だけ切り取ってそこら辺に置いてあったら、通りかかった人物にカビの生えたズタ袋と思われても仕方ない様相を呈していた。
ちなみに当の【醜鼻鬼族】本人は既に息をするだけで精一杯。
さらに狼狽しているせいで足腰に力が入らないのか、尻もちをついた状態のままジリジリと後ずさって少しでも私から距離をとろうとしている。
「ヒィ、ヒィ……。ナ、ナンベベチャクチャナ馬鹿力ヲもっデルやづ、おそロシイィ」
「なんダ。まだ力関係が理解できテいなかったのか? なんならもう二、三百発……」
恫喝の意味も込めて、数世代前の不良マンガに出てきそうなステレオタイプな不良よろしく、四つの拳からゴキゴキと音を鳴らし右へ左へ身体を揺らしつつ、一歩一歩踏み締めるような足取りで【醜鼻鬼族】へと近づいて行く。
「ヒィッ! 止メデグレ! おいらガ悪ガッダ! タズ、助ゲデグレェッ! ころザナイデェッ!!」
(……あー。これは流石にやり過ぎ…たんだろうなぁ)
もしや『PTSD』一歩手前まで追い詰めてしまったのかと、私という『人間であった時の精神』の片隅に罪悪感が芽吹き、カハァァッ…という音と共につい深い溜め息を吐いてしまった。
少々肌寒い洞窟内だったこともあって、過度に暖まった身体から排熱する意味も兼ねて行なった呼吸は瞬く間に蒸気となる。
【醜鼻鬼族】の目にはそれすらも恐ろしい光景に映ったのか、遂には地面に『小さなお池』を作る始末。
すると、ホカホカと湯気と独特の臭気を漂わせている【醜鼻鬼族】を庇うように――まぁ、ちゃっかりと鼻に栓をしてはいるが――、レアテミス嬢が私たちの間にその小さな身体を割り込ませてくる。
「リーパー、もう止めよ! この者もお主を怒らせることの愚かさを十分理解したはずじゃ! それでもこれほど怯えておる者を苛烈に責めることは【ドリュアタイ地下帝国】『特命全権大使』である妾、『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』が許さん!」
彼女は、両手をいっぱいに広げても【醜鼻鬼族】を隠しきれないほどの背丈でありながら、怪力での排除や尻尾での破壊はおろか、登頂すら不可能なほど巨大な霊峰を私に想起させる程、圧倒的な存在感を放っていた。
「……【鉱亜人種】の姫、それでは貴女は往来で自分を辱しめたこの生き物を赦すというのか? 貴女は、それでいいのか?」
私はスッと目を細めながら、彼女に問う。
「良い! 妾が受けた謗りなんぞいくらでも呑み込んでやる! それが妾が下した選択じゃ! じゃから、お主の『初めての友』の頼みを聞き届けてほしい! この者に、やり直すチャンスを与えてやって欲しいのじゃ!」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙の中、私とレアテミス嬢は互いの目を見据えて微動だにしなかった。
頭を抱えて怯える【醜鼻鬼族】の噛み合わない歯が鳴らす音だけが、耳障りなほど辺りに響いている。
―――最初に折れたのは私の方だった。
「……ズルい女性だな、貴女は。そう言ワれたら断れないじゃないか」
「知らなんだかぇ? 【鉱亜人種】の女は『ココ』の出来が違うんじゃよ」
困った人だなというように両方の四つの手のひらを上に向けて肩を竦める私に対し、彼女はニッと笑いながら、私がついさっきやったように、自分のおでこをトントンと叩いてみせた。
どうやら、女性の方が男より一枚も二枚も上手というのは、たとえ『住む世界』が変わっても『不変』なようだ。
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