012 ― ワクガイ、トロールと相語(あいかた)らふ(物理) ―
私たちの前に現れた『ノショーシュ』は、顔の三分の一を占める程の大きな鉤鼻を鳴らし、辺りのニオイを嗅ぎ始める。
フゴォ、フゴォと空気の出入りのする音がするたび鼻孔が激しく動く。
それに合わせて顔面の筋肉が連動して動くのだから、なおのこと気持ちが悪い。
その様子は、鼻のいい犬や豚などの動物がどれほど上品に匂いを嗅いでいたのかが分かる程、酷く醜いものだった。
もし、こんな奴が人間サイズで、しかも白昼堂々街中でおんなじ行為に及んでいたら、観衆から「うわぁ……」とドン引かれること間違いなしである。
まさに『キモい』と『キショい』という二つの単語はコイツのためにあったのだと、私はその時確信した。
閑話休題。
どうやらお目当ての獲物を見つけたらしく、『ノショーシュ』は私たち二人に目を向けると黄色く光る皿のような眼を三日月のように細める。
ニチャァッというような音が聞こえてきそうなほど大口を開ける。
おまわりさんこっちです。
「グウウウィィィィヘヘヘヘェエエェェッ!! 匂ウ、匂ウゾ!! 美味ソウナ匂イ!! チョット土臭クテ、ソシテ血ノ匂イガ濃イ、ちびノ匂イガァ~!!」
「なんダ、ここの『ノショーシュ』は喋るノか? ん?……血の匂イ?」
トロールが文章として聞き取れる言葉を発したことの驚きよりも、その文章の中に含まれる単語に疑問を持った私は、咄嗟に姫の方に目を向けてしまった。
そこにはトマトのように真っ赤な顔があり、奇しくもその顔の持ち主と目が合ってしまった。
姫は両手でバッと自身の鼠径部に手をかざし隠す動作をする。
(……しまった。これ、アウトな奴だ)
しかし、時すでに遅し。
案の定、レアテミス嬢はさらに羞恥と怒りで顔を赤らめ私に怒号を飛ばす。
「な、何を見ておるかこの痴れ者がぁ! 【鉱亜人種】の姫たる妾をぉ、そのようなぁ、み、淫らな目で見るなどッ!! ふけ、不敬なのじゃーーッ!!」
どうやらお姫様は『女性特有の日』だったようだ。
見えない所で怪我でもしたのかと思ってとった私の行動だったが、彼女の理不尽な発言に涙を禁じ得ない。
いや、実際泣きはしないが。
そんな心境で、再び私は渦中の変態『ノショーシュ』に目を向ける。
(『ノショーシュ』は非常に鼻が良いと聞いたことはあったが、まさかこれほど高精度とは……)
コンプライアンス事案どころか、セクハラ発言で提訴確実だろうと思いならがも、私の頭にふとした考えがよぎる。
この『ノショーシュ』、(変態ではあるが)いっぱしに単語を並べて(稚拙ではあるが)文章を作って『言葉』を喋った。
言葉が話せるならコミュニケーションの基礎である『対話』も可能だろうと考え言葉を探していた時、不意にトロールがこちらに目を向けた。
「ンン~? 横ノオ前、嗅イダコト無イにおイ。草ノにおイデモ、石ノ穴ノにおイデモ、沼ノにおイデモ、森ノにおイデモナイ。変ナにおイノ奴!」
「…………は?」
「くさイ! くさイ!! くさイ、くさイ、くさイ!! くさクッテ変ナ奴ダゾ!!!」
「あ゛ン?」
前言撤回。
下手に喋れる生き物ってのは、余計な事まで喋るから相手の心象を悪くさせる事があると今ここに立証された。
『ノショーシュ』自身だって、こぼした牛乳を拭いたままで洗わずに放置した雑巾と、夏場の満員電車に乗って来る汗っかきな『オッサン』といわれる部類の成人男性のニオイを足して二十四乗したみたいな体臭のくせしてからに。
あえて、あえて列挙しないでおいた、地球出身の『元オッサン』である私の最低限のマナーと優しさを返してほしい。
さらには、いうに事欠いてこの私を変人扱いするだけで飽き足らず、極めつけは汚臭と連呼する始末。
「やはり『ノショーシュ』ってのは万国共通。脳みそを母親の腹に忘れて生まれてくるらしい」
私から剣呑な雰囲気が漂いだしたのを感じ取ったのだろう。
ペタンと座りながら、今度は青い顔になったレアテミス嬢が私に小さく声をかけてくる。
声を若干低くしているのは眼前の脅威に悟られない為だろう。
「(お、おい、リーパー……! いくらお主が凄くても、【醜鼻鬼族】に勝てるわけなかろう……!? 相手はお主の倍もある背丈なのじゃぞ……!? 早く妾を連れて逃げんか……!!)」
なるほど、こちらの世界では『ノショーシュ』のことを『【醜鼻鬼族】』と発音するのか。
さっそく翻訳機能に単語登録しておかねば。
さて、彼女の言うとおり私と【醜鼻鬼族】の身長差は歴然だ。
私のこの体が二.五メートル強であるのに対して、【醜鼻鬼族】は五メートル強。
それにただノッポなだけではない。
相撲取りのように下半身がどっしりとしている体格をしているのだ。
「(それにあの手に持っておるのは間違いなく石筍じゃ!! あんなので殴られでもしてみろ! バラバラに飛び散ってしまうぞ!!)」
そう、目の前の筋肉ダルマは武器すら所持しているのである。
―――石筍。
簡単に言えば『鍾乳石』の一種だ。
そもそも、鍾乳石とは山に降った雨が長い年月をかけて地面に浸み込む時、そこに石灰質の地層があった際、地層内部に含まれる炭酸カルシウムが水に溶けだし、気の遠くなる年月を経て洞窟の天井から染み出しツララのように形成される物のことである。
レアテミス嬢の言葉にあった石筍はその逆で、先述した物質を含む水滴が地面に落ちて作られる『石の筍』のようなものである。
だがそれは、『普通の地層で出来た洞窟』での話である。
何度も言うがここは『ミスリル洞窟』。
つまり、今あの筋肉ダルマがポンポンと左手の掌に打ち付けて、ニヤニヤしながら見せびらかしているのは『ミスリル製の石筍』ということになる。
おそらくこの洞窟のどこかに鍾乳洞があり、そこに生えていた石筍を圧し折って武器としたのだろう。
「オイ! ソコノ変ナにおイノ奴! ソノちびヲ置イテ、トットト失セロ! サモナイト、あにきノ『一ノ子分』ノおいらガ、オ前ヲグッチャグッチャニすリつぶシテ頭カラ食ッチマウゾ!」
トロールはそう言うが早いか、洞窟内の空気をゴオッと震わせて吼える。
先程のジェット機のような爆音はコイツの威嚇を兼ねた咆哮だったのだ。
それが洞窟内で反響し、更に五月蝿さを増す。
(失せろ、か……)
レアテミス嬢にチラリと目を向けると、目に涙をためながら必死に恐怖を我慢している顔がそこにあった。
『姫』という矜持が泣かせまいとしているのか、持って生まれた気丈な性格ゆえか。
体を震わせ、噛み合わない歯をカチカチ鳴らしながら恐怖に耐えるその姿は、あまりにも痛ましかった。
「スゥ……、ハァ~~~~……」
私はトロールの前でわざと深い溜め息を吐いてみせる。
「……それで?」
「グ?」
「今生デ言い残す事は、そレで全部か?」
「ッ!? お主、いったい……?」
「【鉱亜人種】の姫ヨ。私の故郷に、ある国カラ伝わった言葉で『義を見てせざるは勇無きなり』というものがある。貴女は恩があル。ならばそれに報いルノは、この星の『規律』にも『法則』にモ該当しない、『私』でアるべきだ」
「た、戦うというのか? あの【醜鼻鬼族】と……」
「身勝手デハあるが許してほしい。それに、貴女を逃がすにしテモ奴を足止めする殿は必要だ」
そういいながら、私は後ろに右足を引く形で半身を切る。
その行動が何を意味しているのか理解できたのだろう【醜鼻鬼族】が、小馬鹿にしたように鼻息を荒くする。
「グフウゥッ! 馬鹿ガ! おいらヨリモ小サイクセニ、おいら二叶ウワケナイダロウ!」
「試しテミろ、腐った臭いの肉団子。さっきから見せびらかしテル手に持ってる『ソレ』はパパから貰ったオモチゃか? 随分と気前ノイいパパだ。さぞお人好しだト舐められてきたことだろうな」
「グ?」
「そウスると、お前の口から生えてルソの涎まみれの黄ばんだ牙に見えるモノはママからもラッた『おしゃぶり』か? ン? ヨチヨチ歩きが出来るよウニなったから嬉しクナって『お外』に出てきちャッたわけカ? ん~?」
「ッ! ガアアァァッ!!!」
明らかに侮辱されてると分かったのだろう。
元から青い額に群青色の血管を浮き出させ黄色く光る目を爛々と輝かせながら、【醜鼻鬼族】は雄叫びを上げて手にした石筍よろしくミスリル製の棍棒を振り上げる。
「レアテミス嬢は、どコカに隠れていてくれ!」
彼女に短く指示を出した瞬間、左肩の装甲に棍棒が直撃し衝撃が体の中を走る。
お返しとばかりに、右の拳で肩に振り下ろしたままの棍棒をアッパーでカチ上げてやる。
(ん……?)
ふと右の拳に違和感を感じ、【醜鼻鬼族】が再び降り下ろした棍棒の間合いから飛び退く。
拳に視線を向けると、拳骨の形のまま凍りついていた。
【ミスリル】の性質は殴った程度でこれほどなのか……。
コイツは侮ると大怪我じゃすまないぞ。
「グフウゥッ! 変ナにおイノ奴、チカラハおいらト同ジ! デモなんニモ持ッテナイセイデココデ死ヌンダァ!」
その言葉と共に野球のバットの素振りの要領で、フルスウィングされて迫るミスリル棍棒にニーハイキックをかます。
やはり結果は同じ、膝から下が氷に覆われている。
「たわけ、このたわけッ! リーパー! 妾がさっき説明してやったのを忘れたのか!」
「いや、やはり聞くのと経験するのとでは、今後の身の振り方に大きな差が……」
「た、たわけ?! 何を悠長に振り向いておるか!?」
そりゃ面と向かって話をしなければ会話にならないからであるわけで……。
「グオオオォォォッ! 弱イッチソウナクセニ余所見シヤガッテ! グッチャグッチャニシテヤルゾ!」
【醜鼻鬼族】は、よほど見下されている態度が気に食わなかったようだ。
その証拠に今まで片手でしか振らなかったミスリル棍棒を両手でしっかと握り『真向斬り』をするべく、背中につかんばかりに大きく振りかぶる。
当の私は氷で覆われた右の拳と右足に力を入れて、悠長に砕いていた。
「あわあわあわッ! リーパー、後ろじゃ! 早く後ろを見んか!」
「モウ遅イ! クタバレ! 変ナにおイノ奴!」
「そうか、ソレは残念だ」
刹那、私に降り下ろされたミスリル棍棒はバラバラに砕け散った。
ガラガラと落下音を立てているなか、前にいるレアテミス嬢、そして私の後ろにいる【醜鼻鬼族】はまったく同じこんな顔をしているに違いない。
「「は? (゜д゜)?」」
「まったくモッテ残念だ。お前が必死ニナって振り回シテイたモノで私ヲ殺せナカッたのがナ」
後ろを振り向けば、そこには棍棒の柄を両手で降り下ろしたままの格好の【醜鼻鬼族】が、キョトンとした表情で私と自身の得物だったものに視線を交互に向けている。
「オ、オ前イッタイ何ヲシタ!? にんげんガ使ウ『ちから』カ!?」
「チカラといウノは【法術】の事か? さて? 私は後ロヲ見ていたカラ何の事やらさっぱりダ。もしかしたら手癖……もとい尻尾癖が悪いコレのせいかもな?」
【醜鼻鬼族】の方を振り向きながら、私は尻尾を前に回して彼の目の前で尾先をブラブラ揺らしてみる。
【醜鼻鬼族】にはソレが何を意味するのか、まるで理解できていない状態だったが岩影に隠れていた姫から納得したというような呟きが聞こえてきた。
タネを明かしてしまえばなんてことはない。
今まで採掘作業で使ってきた尻尾を超高速で振り回し、その先のブレード状の外殻でミスリル製の棍棒を、御煮しめ用の乱切りされた根菜類のように切り刻んだだけだ。
「さて、お互イニ無手になッタことだ。こレでフェアな闘イガ出来ルトいうモノだ」
私がボキボキと指を鳴らすと、ようやく再起動した【醜鼻鬼族】がその意味を理解したようで、棍棒だったものを投げ棄てて両手で拳骨を作り、それを胸の辺りでカチ当てて戦意が残っていることを誇示してくる。
力比べといこうじゃないか!
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。2019/10/14…一部文章修正




