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106 ― 昔も今もうつろはぬものあり ―

肌をなぜ、両耳の横を通り抜けていく風の()が心地よい。


さらに片方の手の平を胸の高さまで持っていき、さながら風を捕まえて水上を走る帆船のセイルよろしく、風を遮るように風上の方に手の平をかざす。すると、指の間をくすぐるかのような感触と共に風が隙間を通り過ぎていく。


得も言われぬその感覚を、(リーパー)ことアニムスは存分に堪能していた。


何せこの村に来てからというもの、ほとんど外を出歩くことはおろか、寝床から起き上がる許可すら家主から降りなかったことで、五体ピンピン、ケガどころかすり傷一つ負っていない健康体そのものな私にとって、これまでの時間はとてつもなくもどかしいものであった。


おそらく、今の肉体の感を少しでも鈍らせないためと思ってコソコソ始めていた筋トレに、納屋の中にあった粉引き用と思われる石臼――重さは大体、台座とハンドルがある上部を含め、総重量七五kg程度といっただろうか――を使っての両腕はもちろん、腹筋周りや背筋、そして石臼の台座と上部の両方を重ねた状態に戻しつつ、落さぬよう底面を両手でしっかと押さえてのスクワットなどといった、一連のトレーニングを家主に目撃されたのが一番の要因と推察している。


(あの時の()()の剣幕さといったら、さすがの私ですら気圧されてしまっていたっけ。確かに彼らの大事な仕事道具を壊されでもしたらたまったものじゃないもの、な……)


そんなこんなで、私の体と健康状態を慮っての行動であるにしろ、自らの肉体の自由を行使する権利を取り上げられてしまっていた私は看病してくれていた家主を何とか説き伏せ、今まさに、黄金色をした日の光輝く外界へと第一歩を踏み出すことができた。


あぁ、この血の(かよ)った己が脚で地面へと立ち、貸してもらった古い靴の中、つま先の五指で大地を踏みしめ、歩を進めることのできる充足感よ。二週間近くあらゆる運動を禁止され、悶々と身体を動かせずにいたことも相まってか、心に押し寄せてくる感動もひとしおだ。


(『自分の脚で思うように立てる』……。普段なら当たり前なこの状況に、これほど素晴らしさを思い起こしたのは、『向こう側(人間であった時)の世界』で中学生時に麻疹(はしか)にかかって近くの病院に入院した時以来、だろうなぁ……)


そもそも、かつての(松本)はごくごく普通のどこにでもいる平凡な一般人。


さらに『中学生』と呼ばれる多感な時期の私は、社会人の時分とは正反対の俗にいう『陰キャ』と呼ばれるグループの一人だった。他者とのコミュニケーションは事務的かつ必要最低限で、友人なんて呼べる存在は文字通り片手で数えられる程度。


そんな折り、別クラスの生徒の親が麻疹(はしか)になったという、生徒以上に意欲が感じられない担任である男性教諭の言葉が、朝のホームルームの際、私の耳に入ってきた。


しかし、当時の私を含め、クラスの大半が彼の言葉を信用などしていなかった。


というのも、この担任―――。


金太郎飴の製造工場で大量生産されたかのような、『凡庸かつ稚拙』という言葉が人の形をしたが如き、とんでもない人物だったのだ。


加えて、「『中学生』という肉体の成長に精神や心がなかなか追い付けず、あらゆる面で文字通り不安定かつ多感な年頃の子供を預かり学ばせる」という立場にありながら、教育する気があるのかないのかも甚だ怪しいことこの上なかった。


例えば、いつもの『授業内容』。


彼の授業中を受けなければならない生徒たちは、彼が丸々朗読している教科書の文字をただ目で追うだけの苦行の時間を過ごしていた。もちろん『授業』とは名ばかりなただの朗読会であるため、質問の機会なんて与えられる訳がない。唯一、生徒に与えられた自由は、彼からの「いま読んだところまでで出てきた太字の単語あるでしょ? そこ、何色でもいいからマーカー塗っといて」という発言に対しての『するかしないかの権利』のみ。


例えば、歴史の『定期テスト』。


教科書にでてくる出題範囲の重要ワードだけを白塗りにし、『十数枚のテスト用紙らしきもの』を配布。さらに終了時刻十分前には各クラスをまわり、『解答のヒント』なる『六割かたの答案が虫食い状態で記載された用紙』を配りに来る。


極めつけは、年に一度の『授業参観』。前日授業をそっちのけでクラス全員を巻き込んだ『参観日イヴ』と銘打っての予行演習。自分がどの生徒を指名して、生徒が何を答えるかまでをすべて仕込んだ、『お遊戯会』とも呼べるような完全なる出来レース。


とにもかくにも、よくもまぁこんな人物に教員試験の合格通知をし、中学校側も彼を採用したものだと、おそらく当時在籍していた生徒のほとんどが私と同じ考えを抱いていたはずだ。


もっとも、そんな横暴を良識ある生徒たちが許すはずもなく、彼らはPTAに所属している親へと内部告発(告げ口)し、彼の奸計はみごとに白日の下へ晒されることとなった。


その後、彼がどうなったかは、彼の計画がバレる前に転校してしまった私には知る由もなかったわけだが……。


話を戻すが、そんなウロンな担任教師の言うことほど信用できないものはなく、その日も私は我関せずといったスタンスでいたのだが、異変は帰宅後に起きた。予防接種はしていたと親は公言してはいたが、クラスで私のみが見事に麻疹に罹患し、翌日に即強制入院する運びとなった。


しかも入院先の病棟は、まだ抗体を保持していない子供への二次感染を避けるためか、一般病棟へと隔離されてしまった。


(一般病棟といえば聞こえはいいけれど、実際はさらに奥のご高齢の方々ばかりな区画にある、一番端の一室に割り当てられたっけ。あの時ばかりは本当に『日々、肉体が健康なことほどありがたいことはない』と思い知ったからなぁ……)


身体から点滴用やら排尿用やらの管をブッ刺される経験なんて、人生の中でそうそう体験することはないはずだ。


さらに『ご高齢の方々』の病室に入院していたことも相まって、決まった時間毎に聞こえてくる「誰かぁ、誰かぁ~……!」という、耳にする者の胸を締め付けられるような、やるせなさを孕んだ声が毎夜毎夜聞こえてくるのだから堪ったものではなかった。


結局、入院期間は一週間程度ではあったものの、病床で臥せっていた自分の体感時間はその何倍にも引き延ばされていたらしく、日常生活に支障を及ぼさない程度の時差ボケが生じていた。


まぁ、過ぎた事をとやかく言っていても始まるものも始まらない。


今は、我が頭上へと光を届けている恒星が、元気に燦々と輝いている現実に目を向けつつ感謝すべきだろう。


とはいえ、この惑星のお天道様は麗らかな光を地表へと降り注がせているものの、体感温度が幾分か涼しく感じるのは、聞くところによると今が春になり始めな時期だからだという。


空を見上げれば、そこにはまばらに浮かんだ雲と構想建築物に切り取られることなく広がりをみせる澄んだ青空。


もしあの大空を、かつて訪れたことのあるテーヴァサキ星系――私の独断で命名した――に住まう鳥型原生生物がごとく自由気ままに羽ばたけたのなら、きっと私はどこまでもどこまでも、果てしなく続く地平線の彼方まで飛び続けたに違いない。


それは、かつて『向こう側(人間であった時)の世界』で私が『松本』と呼ばれる人間であった時の残滓に深く刻まれた記憶が、『今の私(リーパー)』に想起させるからだ。


現地スタッフとして海外へと赴く際に利用した国際線の旅客機。


離陸後、数時間したのちに窓の外へと視線を移した時の、あの得も言われぬ空と雲と大地が織りなす色彩のコントラストに、当時の私(松本)はその双眸から無意識に感涙の涙を流していた。


そこには(ゼロ)と一のデジタル信号で構築された電子的ネットワークでは到底味わうことの叶わない『美』が存在し、当時の私はそれを無意識に感じ取っていたに違いない。


それほどまで強烈に心の奥底へと刻み込まれた記憶だからこそ、『こちら側の世界』で異類の身となって幾星霜の時間を経た今でも、あの日の感動を忘れることなく思い起こすのだと思う。



――クイッ、クイッ。



私がしばしの間空を眺めていたところ、服の袖を引っ張る感覚が私の腕を通して伝わってくる。


「アニムスさん、ぼぅっとしてると危ないですよ?」


私が視線を落とすと、空を見上げていた私を『アニムス』と呼ぶ少女が心配そうな面持ちで私を見上げていた。


「あぁ、すまない。あまりにも空が澄んでいたものだから、つい見蕩れてしまっていただけだ」


「そうだったんですね。でも、まだ病み上がりなんですから、この間みたいにとんでもない事なんてしないで、もっと自分の身体を(いたわ)ってください。でないと、いざという時に大変ですよ?」


私の横に寄り添うような形でたたずむ少女からは、不安や心配といった色の波長が漂ってくる。


彼女の名はヘルヴィ。


私の意識が混濁状態であった中、私は彼女とその兄、それから彼らの友人を野獣の群れから助け出した存在……らしい。


自らの行ないに『らしい』と付け加えるのは如何なものかとも思うが、私の本来の姿である『通常形態』から、各惑星に生息している現生知性体との接近遭遇を考慮した姿である『適応擬態(ミミクリィ)形態(モード)』へと変化するにあたって、私の意識は限りなく希薄となり、その(かん)の行動はすべて体内のナノマシンによる『体内間相互通信』のみとなる。


そうなってしまうと、対外からの何らかの刺激に対して、一時的に再構築プロセスは中断され、自己防衛プロセスへと強制移行がかかる。


結果、悪意や敵意といった危険な色調の波形を持つ者に対して、いつもの私以上に効率的かつ徹底的に排除、殲滅を最優先事項として執行する『自律型ウォーモンガー』と化してしまうのだ。


「心配させてしまっているようですまない」


私が謝罪の言葉を口にすると、彼女は両頬をぷくぅっとふくらませる。


「もう、別に私に謝る必要はありません。それに、本当に悪いと思っているならもう少し安静していてほしいんですよ? 今日のお散歩だって特別の特別なんですからね?」


ヘルヴィは私と向かい合うように姿勢を正すと、目の前でピッと人差し指をたてながら私の発言が見当外れだと指摘してきた。


「そうか、分かった。……なら今度はキミの目の届くところで行なうことにするとしよう。そうすれば、ヘルヴィも私が多少運動しても平気なんだと安心してくれるだろう?」


「ぅんもうっ! 全然分かってないじゃないですかぁ! 私が見てるかどうかの話をしてるんじゃありませ~~んっ!」


どうやら、からかう気持ち二割、本音八割な私の返答はついにヘルヴィの逆鱗に触れたらしく、彼女は顔を真っ赤にして怒り出してしまった。


とはいっても、彼女がどれだけプリプリ怒っても、私の目には『聞き分けのない生徒を注意する先生を真似する子供』にしか見えないため、正直なところ、『反省や改心』という気持ちより『実にほほえましいなぁ、という和みの気持ち』の方がどうしても勝ってしまう。


(おや? アレはたしか……)


ぷんすこと怒るヘルヴィが、如何にして散歩を中断させて私を寝床へと連行していこうと私にこんこんと説明し始めた、まさにその時。


私の視界の端で何かが揺れ動きながら、こちらに近づいてきていることに気が付いた。


「アニムスさん! 大事なお話なんですから、ちゃんと聞いてください!」


私の気が逸れていることに気づいたヘルヴィが目尻を吊り上げんばかりの表情をしながら、低い慎重を補おうとつま先立ちしてまでなんとか私の視界に入ろうとしてくる。


「聞いているとも。ただ後ろのアレがどうも気になってしまって……」


「後ろ?」


「……い、お~い! ヘールヴィーッ!」


「ヴァ、ヴァリオ!?」


そう言って私が指さす方向へとヘルヴィが振り向くが早いか、息せき切って走ってきたといった感じの少年が俊足もかくやといわんばかりの速さでもって、私たちの下までやってきたであった。

ここまでご高覧いただきありがとうございます。

誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。

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