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102 ― 男女の案にさばかり違ひはあらず ―

「まったく信じられません! 男の子って皆あんなのばっかりなんでしょう! あぁもうっ! 兄さんだけは違うって、わたし信じていたのに!」


この私、『リーパー』改め『アニムス』の看護のために戻ってきたヘルヴィは、自身の兄であるセヴェリと兄妹の幼馴染みのヴァリオと名乗った青年二人を戸口の近くに掛けてあった三ツ又の(すき)を手に手に、納屋より叩き出してからずっと――『ぷんすこ』とか『ぷりぷり』といった擬音がよく似合う――怒りを露わにしている。


だがヘルヴィが怒るのも無理もない。


なぜなら納屋へと戻ってきた彼女が目にしたのは、自身の兄と幼馴染みの男連中が彼女の許しも得ずに――適応擬態(ミミクリィ)モードで女性体と化した――私のいる場所へ無断で押し入っていた光景だったからだ。


言葉遣いや所作の端々にに貞淑さがうかがいしれるこの少女には、実の兄と幼馴染みが私に対して何やら良からぬことを行なう寸前であったように見えたのかもしれない。


とはいえ、なまじ私の中身――この場合は『精神』と言い換えた方が適切か――が追い出された彼らと同じ『男』というだけあってか、私個人としては、彼らの行動原理には幾ばくかの共感しうる箇所がないわけでもない。


そもそも、かつて私がいた『向こう側(人間であった時)の世界』において、人間と呼ばれる知性体の頭部にすっぽりと収まっている約一四五〇立方センチメートルの『脳』と呼称される器官の思考パターンや左右の脳の使い方には、男女間で大きな相違点があるとされていた。


男性の脳はスペック重視であるとともに、情報を論理的に精査し『結果』に重きを置いて割り切ろうとする傾向があり、対して女性の脳はイメージや情緒といったプロセスを重視することで、互いに共感し合い会話による情報の共有といった『過程』をより重要視するという傾向を持つといわれていた。


たしかに男性の考え方の根本には『競争』という概念があり、『敗北を味わう惨めな思いしないために頑張る』といった行動をとる者が事あるごとに存在した。


仕事上であれば『成果主義』という単語が一番しっくりくるのではないだろうか。


ゆえに理論的な思考や言い方を好む男性は、目の前の事実に対する価値を優先する脳が特徴なのだとか。


対して女性の脳は論理よりもイメージやプロセスといった中間部を重視するという。これによって感情の機微に聡いことで他者の気持ちを(おもんぱ)る共感力が男性より高く、相手の気持ちを汲んだりする行動をとる者が多いという。


再び仕事上の話を持ち出すのであれば、成果が出ていなくてもその結果に行く着くまでの過程に対して評価もきちんと加味するのだとか。


ゆえに情緒的な思考や話し方を好む女性は、結果よりもプロセス優先の脳をもつ『情実主義』の特徴を持つという。


ちなみに、これはかつて私が『向こう側(人間であった時)の世界』にいた時、以前勤務していた会社の上司と取引先で得意げに話していた会話の一部であるのだが、上司曰く、なんでも『男女間の脳の違い』を科学的見地から調査した結果、脳みその奥にある右脳と左脳を繋ぐ架け橋の役割を担う『脳梁(のうりょう)』の太さを測ったら女性の方が太かったらしい。


これはかつて人類の祖先が槍や石斧で動物を追いかけまわしていた時代、男性は狩りをし、女性は採集と子育てを主にしていたことに起因しているされ、そのため脳や遺伝子にはその名残が存在し、それが後世へと受け継がれたことにより男女間の能力や性格に現れているのだと、上司は語ってみせていた。


――ただまぁ、この考え方は私が生きていた二二三九年にはかなり時代遅れかつ偏った試行実験であることが一般視されていた。


というのも、『男女間における脳の使い方を科学的見地から解明する』というアイデアや着眼点こそ先進的ではあったものの、実際に統計を取るために一九八〇年代に行なわれた実験では、統計を取るために選別された者たちは年齢や病歴などバラバラの男性九人に女性五人程度という、あまりにも少人数だったことが明らかとなっている。


結局、該当の論文では測定値をまとめただけの予備的な結果であり、限られた数の解剖データを元に書かれたもので男女の脳の違いを考える科学的な根拠を伴っていなかったとされており、男女の性差だけでは脳の持つ能力や思考の関連性は低いとされていた。


確かにあらゆる要素を抜きにして平均値だけに着目すれば、男女間の能力や思考には差が生まれるだろう。


とはいえ、脳という人間にとって最も重要な期間は、男女という性差よりも個人差によるものの方がより重要なのではなかろうかと、『向こう側(人間であった時)の世界』で生きていた(松本)は自分の人生経験から考える。


男性にだからといって理論的に話すのが苦手で、且つ過程から長々と話すような者が私の同僚には確かに実在したし、逆に、女性だからといって相手の気持ちを汲む言動はせず、ストイックなまでに規律や規範、成果や結果といといった物を最重要視するような、理論武装でガッチリとその身を固めた女性の上司の下で働いた時期だってあった。


あくまで個人的な見解ではあるが、つまるところ『成長し続ける脳はたえず変化する』ということなのではないだろうか。


赤ん坊の二足歩行の練習に始まり、年齢を重ねるたび文字や描画、楽器の練習といった他者とのコミュニケーションに必要なツールを学習、車およびバイクの運転といったより遠方への移動を可能とする移動方法の教習。これらの事を他者から教えれ学び、己の糧とすることで脳の一部が変化することを、日本のみならず、世界中のさまざな研究機関や研究チームが明らかにしていた。


加えて、脳という器官は自身の置かれた境遇や周囲を取り巻く社会、さらには両親を含めた他者からの教育の影響を強く受ける傾向を持つ。


かつて存在したとされる『男は外で仕事をする者、女は家で家事や育児をするもの』という考えの下で教育を受けた先人たちは、それがさも当然であるかのように振る舞い、そのことに異を唱える一部の先駆者たちを強く非難し、時には弾圧したりもしたという。


だが時代がうつろいゆくにつれて、様々な思想や文化が根付いたことで、そのような考えは差別を助長するものだと広く認知されるようになっていった。


最終的な結論として、脳を有し、心や精神といった不確かかつ生命活動に不可欠なものを持つ人間という知的生命体の言動は、老若男女問わず社会や教育の影響を受けた結果であるといえよう。


無論、『こちら側の世界』にいきている【普人種(ヒト、又はニンゲン)】と呼ばれる原生生物が、私のいた『向こう側(人間であった時)の世界』と遺伝子レベルで同一かどうかという点において疑問は残る。


だからこそ私は、目の前で思いの丈を感情の赴くままに吐露して、言葉の奔流が留まる事を知らない少女に対して、どうしても尋ねねばならないのだ。


「お兄さんたちは、キミから私が目覚めたことを聞いたから訪ねてきたと話していた。二人ともウソを言っている素振りは見受けられなかったが?」


「アニムスさんは甘すぎます、あまあまです! そもそも、寝巻き姿の女性がいる場所に許可なく入って来るなんて、礼儀知らずにもほどがあります!」


確かに、彼女の意見は一本心が通っている。


向こう側(人間であった時)の世界』でいうところの中世ヨーロッパの時代もかくやといえる様相が垣間見えるヘルヴィたちの倫理観を加味すれば、男連中の取った行動は確かに誤解を招いて当然の軽はずみな行為であったと言わざるを得ない。


しかし、だからといって彼らが下半身からの刺激を基に行動したとは断言できないのも事実である。


ゆえに、私は目の前の少女にいつも以上に語感に注意を払いつつ優しく語りかける。


「ヘルヴィ。キミが私の身を自分の事のように案じてくれていることに私は感謝するばかりだ。だがお兄さんたちもヘルヴィと同様、自分にできる範囲で私の心配をしてくれていたのだと私は思う」


自身の怒りの根本を理解していると同時に、男性陣の心情も彼女と同じなのだという事を私から聞かされたヘルヴィからは、若干ではあるものの怒りの色が褪せ始めた。


「それは、まぁそうかもしれませんけど……」


それでもどこか納得がいかない様子を見せるヘルヴィに対して、私はさらに言葉を続ける。


「この村では不審者でしかない私を異端者扱いせず、損得勘定を抜きにしてあのような誠意ある行動をするというのは誰にでもできる事じゃあない。むしろ見ず知らずの私を、自分たちの仲間も同然であるかのように心配してくれているのだという事をキミたちの行動から私は強く感じた」


そばに座っているヘルヴィの手の上に、そっと私は自身の手を乗せる。


「だからヘルヴィ、彼らをこれ以上責めてやらないでくれないだろうか? それがキミたちから恩を受けた私からの切なるお願いだ」


嘘偽らざる私の願いを聞き入れてくれたのか、数秒間、私の顔と私が彼女の手の上に乗せた手の間で視線を彷徨わせたのち、ヘルヴィは困った【普人種(ヒト)】だと言わんばかりの表情を浮かべながら大きな溜め息をはいた。


「仕方ありませんね。アニムスさんからそこまで言われてしまったら、わたし、怒るに怒れないじゃないですか」


「すまない。どうも元々一人旅が多いせいなのか、『今の私』はそういった機微に疎いものでね」


「今の……?」


「いや、なんでもない。所で少しばかり話過ぎたからか、喉がカラカラなんだ。厚かましいとは思うのだが、何か飲み物をもらえないだろうか?」


私の言葉の方に注意が向いた隙に活路を見い出した私は、すかさず別の話題を滑り込ませる。


これで彼女の怒りが消失するとは思っていないが、少なくとも直前の話題から気は逸れるはずだ。


「あっ! ごめんなさい、それもそうですよね! 丁度お昼の支度をしていたので合わせて持ってきますから、少しの間だけ待っていてください!」


そういうと、ヘルヴィは顔の前に手をかざしつつ、慌てる素振りを見せながら立ち上がると、パタパタと納屋から駆け出していくのだった。




……フフフ、計画通り。

ここまでご高覧いただきありがとうございます。

誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。

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