097 ― Це схоже на насильство(其(そ)は暴虐の徒(ともがら)なり) ―
その時のオレは、オレ自身が今まさに体験してるハズの何もかもが信じられなかった。
自分の目で見た出来事も、自分の耳で聞いた音も、自分の肌で感じた震えも、とにかく何もかもだ。
きっとオレの親父やお袋はもちろん、村の大人たちに話してみたところで、誰もがオレの言葉をまともに取り合っちゃくれねぇはずだ。
―――だが確かにオレはこの目で見た。
さっきまで氷の中にいたどこの誰だか分からねぇ【普人種】の首筋に飛び掛かり、鼻の頭にシワを何本も寄せて必死な顔で食らい付いてる【貪婪狼貂】が、 その【普人種】に後ろ足を反対の手で握りしめられたまま、いとも簡単に引き剥がされ思いっきり地面へと叩き付けられたのを。
「ギャフッ!?!?」
背中から地面へと叩き付けられた【貪婪狼貂】が仰向けのまま、落ちた衝撃でもがき苦しがってた次の瞬間。
―――確かにオレはこの耳で聞いた。
その【普人種】が勢いよく仰向けでもがいてた【貪婪狼貂】の首筋めがけ、いつの間にか上げていた片足を力一杯に踏み抜いた音を。
―――そして確かにオレは肌で感じ取った。
その【普人種】が踏みつけた時の地面から伝わってきた衝撃と一緒に、踏みつけられた【貪婪狼貂】の首が、まるで放り投げた毛糸玉がクルクル宙を舞ってボトンと落ちるように水音を立てて川へと落ちてったっていう、目の前で起きてる出来事の異常さを。
「えぁ……あ?」
ほら見ろ。今まで怯えて縮こまってたヘルヴィでさえ、自分の目の前で何が起こったのか分かってねぇような顔つきのまま、ただぼぅっとした顔でその【普人種】の方を見上げてる。
当の【貪婪狼貂】といえば、首から上が断ち切られことで残された身体の方が仰向けのまま首だった箇所からダクダク赤黒い血を流しながら足をヒクヒクさせてたが、それもやがて止まり動かなくなった。
「自己防衛システム作動、跳躍体勢―――」
ふと、冷たく乾いた風が吹く中でその【普人種】が何かを呟いたのち、その場でかがむような仕草を見せた。
瞬間、地面からドンッていう音が聞こえたかと思うと、今までそこに立ってたあの【普人種】の姿が突然見えなくなった。
「い、一体どこに……」と、オレが腑抜けた言葉を口した途端、再びズンッて腹の底をつくような大きな音が辺りに響き渡った。
「うわああぁッ!?」
そして、その大きな音が聞こえたのとほぼ同時くらいにセヴェリが大声を上げた。
オレは、目の前に四匹の【貪婪狼貂】がいるのも忘れて親友がいる方へ目を向けると、そこにはさっきまでヘルヴィを守るように立ちはだかってたあの【普人種】が、セヴェリと対峙してた【貪婪狼貂】の一匹の頭を踵を使った蹴り技で叩き割ってる姿があった。
この時は一瞬の出来事で全然分からなかったが、どうやらあの【普人種】の姿がヘルヴィの近くから掻き消えたのは、あの場所まで飛んで一気に距離を詰めためだったんだと、後になってオレは理解した。
とはいえ【貪婪狼貂】たちも黙ってやられてるわけもなく、セヴェリ側にいた残りの三匹がその【普人種】に向かって一斉に突撃を試みた。
「〈フォース・フィールド〉、出力最大。幇助対象者のフィールド内へ……」
また何かあの【普人種】が聞き慣れない言葉を呟いたのをオレは聞き逃さなかった。するとあの【普人種】を中心に、薄い水色をした膜のような『何か』が広がっていくのが見えた。
『何か』を無視して飛び掛かってきた【貪婪狼貂】たちはというと、まるで縫い付けられたかのように空中でいきなりビタッと動かなくなったかと思えば、突然、あり得ない軌道を描いて何度も互いにものすごい速度で激突しだした。オレにはその光景が、まるで『目には見えない、害や苦痛を与えて楽しむ悪趣味な巨人』に掴まれてオモチャのように振り回されてるように見えた。
呆気に取られてたオレが見てる中、空中に浮いたままでぐったりしている【貪婪狼貂】たちが今度は突然苦しみだした。
前足や後ろ脚だけじゃなく、背骨や首までが普通じゃありえない方向に曲がり始めた。初めのうちこそ、【貪婪狼貂】たちは必死な形相でどうにかしようって感じでもがいてたが、ヤツらの身体の中からボキボキッていうくぐもった音が聞こえたと同時にひきつけを起こしたような仕草をして動かなくなり、糸が切れた操り人形みたいにボトボトと力なく地面に落下した。
そうしてセヴェリ側にいた【貪婪狼貂】たちが呆気なく全滅した、まさにその時だ。オレは自分に向けられていた敵意がほんの少しだけ薄らいだのを肌で感じ取り振り返った。
どうやら残りの【貪婪狼貂】たちは、突然現れた強者に自分たちの獲物を横取りされると勘違いしただけじゃなく、群れの仲間を殺されたことに対していっぱしの復讐心を抱いたらしい。
だがオレだってただ黙って突っ立ってるわけにはいかねぇ。
オレの守ってる側には、他のヤツらよりもヘルヴィのいる場所に近く、さらにオレのスキをうかがうみてぇに背を低くしながら近づいてきてた一匹の【貪婪狼貂】がいんだから。
「気付いてねぇとでも思ってんのか! さすがのオレもそこまでマヌケじゃねぇんだ、よッ!!」
森の奥じゃあるまいに、いくら姿勢を低くしても隠れられるような茂みがほとんどなく、膝より低い草しか生えてねぇ場所で動けば位置が違う事くらいバレバレなのが分からねぇんだろうな……。
そんなことを出来の悪い頭のどこかで考えながら、オレは近づいてきてた【貪婪狼貂】へと走りだしつつ、ソイツから見て斜め左の位置へと付くような形でへばり付くと、両手で握りしめてた【硬木剣】を振り払うように勢いよく下から上に抜き放つ。
斜めから近づいたのには理由があった。真っ向からぶつかった場合、もしオレより低い姿勢を取ってる【貪婪狼貂】が咄嗟に反撃してきたときに、ヤツらの太く尖った牙や爪で足や腹を傷つけられないようにするためだ。
一方、それまで防戦しかしようとしなかったオレが突然攻めに転じたことで、近づいてきてた【貪婪狼貂】は元から低くしてた姿勢をさらに地面スレスレまで低くした。
やっぱりコイツはさっき仕留めた【貪婪狼貂】よりもある程度狩りの経験があるヤツらしい。もしくは野生の感ってヤツが働いたのか。
とにかく反撃するよりも防御することを選んだようで、せっかくオレの力一杯振り抜いた攻撃だってのに【硬木剣】による渾身の一振りは【貪婪狼貂】に当たることなく、空を切る音だけが空しく響いた。
だがオレだって避けられることは考えの内に入れてたさ。
だから今度は振り切った体勢の手で握る【硬木剣】に強引に力を込め、最初の【貪婪狼貂】を仕留めたように地べたで這いつくばってる目の前の【貪婪狼貂】目がけて振り下ろした。
「グギャッ!!」
オレの攻撃が当たった【貪婪狼貂】から、自分の身体に走った衝撃と痛みで放った鳴き声が漏れ出る。
(―――クソッ! 浅ぇ!)
いつものオレだったら、自慢の【硬木剣】が当たったことにバカみてぇに喜んだかもしれねぇが、今この瞬間だけは違った。
ついさっき仕留めた【貪婪狼貂】の時と違って、攻撃が当たった場所が背中だったからだ。
【貪婪狼貂】の背中は分厚い脂肪と毛皮のせいでとにかく攻撃が通りづらい。
金属製の武器を使っての斬撃や刺突ならまだしも、オレの得物による――しかも無理な体勢から無理やり放った――打撃ならなおさらだ。
「ヴァリオッ!!」
ヘルヴィの叫び声が聞こえた瞬間、気付けばオレはいつの間にか地面にあおむけで倒れてた。
さっきオレの攻撃を背中で受けた【貪婪狼貂】が、飛び上がるように背中からぶつかってきたせいで、オレの身体は簡単にのけぞり倒されてしまったらしい。
「ヴァリオ! うずくまれ! 噛み殺されるぞッ!」
「―――ッ! クソッたれがぁ!!」
セヴェリの怒号にも似た叫びでハッと我に返ったオレが急いで起き上がろうとするも、今ぶつかってきた【貪婪狼貂】が今度は反撃する側に回り、オレに覆い被さるようにして襲いかかってくる。
ノドに噛みつこうとするヤツの口が目の前に迫り、とっさにオレは手にしてた【硬木剣】を横に構え、わざと噛ませることで奇跡的にしのぐことができた。
「ゴルルルゥッ! ガフッ、ガウウウゥッ!!」
「くっ、この野郎! ゴミ溜めみてぇなクセェ息吐きかけんじゃねぇ! 剣に臭いが移んだろうがッ!」
軽口を叩きつつ、オレが目の前の【貪婪狼貂】に噛みつかれるのをどうにかしのいでいるものの、状況はかなり最悪だ。
オレが倒れたことを他の【貪婪狼貂】が見逃さすはずもなく、さっきまで仲間をやられたことに敵意をあの【普人種】に向けていたヤツまでが一斉にオレに向かって駆け出してきやがった。
さすがのオレもここまでかと思ったその時、オレに覆い被さって目の前で獣臭い息と唾液をオレに吐きかけてた【貪婪狼貂】が「ギャヒンッ!」って鳴き声と一緒にオレの足先の方へ突然ぶっ飛んでった。
「……は?」
身体の上から重みがなくなったことを不思議に思ったオレが身体を起こすと、そこにはオレに覆い被さってた【貪婪狼貂】が別の【貪婪狼貂】に覆い被さられ、ジタバタともがいてる姿があった。
一瞬、仲間割れかとも思ったが、覆い被さっている【貪婪狼貂】の様子が明らかにおかしい。ぐでんぐでんとしててまるで死んでるようだ。
おかしいことはまだある。
(なんでこっちに五匹もいるんだ……?)
ついさっきまでオレとセヴェリが無謀にも相手しようとしてた【貪婪狼貂】の群れは全部で十一匹。
その内、オレたち二人が二匹仕留め、さらに氷の中から出てきたあの【普人種】が一匹仕留め、続けざまにセヴェリ側にいた四匹を仕留めたから、残りはオレの側にいた四匹だけだったはずだ。
完全に数が合わねぇことに頭がこんがりそうになってるオレがバカみてぇに呆然としてた、その時。
オレの背後から突然、唸る風とともにオレに襲いかかろうと向かってきてる【貪婪狼貂】に何かが飛んでいき、ぶつかったソイツらもまとめてぶっ飛んだ。
「投てき物、投射成功」
聞きなれない言葉に振り返えると、そこにはこっちに手をかざしたままの姿をしたあの【普人種】がいた。
(まさか、こっちにさっき倒した【貪婪狼貂】を投げたってのか……?)
頭にふっとわいた考えに、オレ自身信じられなかった。
第一、あそこからここまで何メールある? そんな距離を十数キーグルもある【貪婪狼貂】を投げ付けて、しかも別のヤツに的確にぶつけることなんてできるのか?
全くの常識はずれな光景を前にして、何をどう考えてもそうとしか思えないのは、セヴェリ側にいた空中でおかしな死に方をしたはずの三匹の【貪婪狼貂】の死体がなくなってるからだろう。
「脚部駆動部、チャージ。……吶喊」
―――そこからは、オレやセヴェリの援護もなければ、【貪婪狼貂】の猛攻も欠片もない、完全にその【普人種】の独壇場だった。
唸るような音ともに地面を踏みしめ、ありえない速さでオレのそばを通り過ぎたその【普人種】が、【貪婪狼貂】めがけて突撃していく。
そしてその【普人種】がヤツらのもとに辿りつくや否や聞こえてくる、骨や内臓が砕け破裂する音や、肉と皮を力任せに無理やり胴体から引き千切る音。さらにそれらの音とともに辺りに木霊する、背筋に怖気の走るような【貪婪狼貂】たちの悲鳴。
いつだったか、肉を得るためと将来戦場に出た時のためにと、オレも何度か村の猟師に頼み込んで狩りに連れてってもらったことがあるが、その時の狩った生き物を仕留めためた時に感じたイヤな思い出なんて目じゃないくらい、残酷極まる光景が目の前で繰り広げられている。
一番不幸なのは、コイツら【貪婪狼貂】がただの一匹もこの場から逃げないってことだろう。
【貪婪狼貂】が持つ【不退】とかいう【特性】のせいか、コイツらは自分らよりも遥かに強い相手にも立ち向かっていく。たとえ群れを率いる長がいなくなったとしてもだ。
見る見るうちに、オレたち三人を狙って現れた【貪婪狼貂】の群れは消え失せ、もうじき春が来て綺麗で小さな花が咲くハズの河原は、血肉や臓物、そしてその腹に入っていたであろう汚物でドス黒い赤一色に染まってた。
その場に動くモノはオレたちを含め何一つとしてなかった。襲いかかってきてた【貪婪狼貂】を返り討ちにし、ヤツらの体液を身体中に浴びてドロドロになったあの【普人種】以外……。
「処理対象の反応消し、消失。緊急用エネルギー、こ、こか、枯渇。バ、ババ、バランサーに異常。じ、じじ、自己、自己防衛、防衛システ、システム……停、止」
不意に、オレたちの前で立ち尽くしていた【普人種】が意味の分からない言葉を呟くと、突然その場に顔からぶっ倒れた。
もう、何がなんだかさっぱり分からなかったが、唯一はっきり分かったのは、おおよそ【普人種】の闘い方じゃなかったってことだけだった。
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