095-1 ― Кожна думка(それぞれの思い) ―
―――村の一角が、ゴオゴオと音を立てて燃える真っ赤な炎に包まれていた。それは何の前触れもなく起こった出来事だった。
燃えているのが村の一角であるにもかかわらず、周囲が真っ暗闇ということもあってその光景はひどく際立っている。
そんな中、炎を背景にして一人の人物が佇んだままこちらを見ている。
白目の部分が黒く反転した双眸には、青や緑、茶色といった色を湛えた瞳が浮かんでいる。それはまるで夜空に浮かぶ星のようだ。
その人物が水平に伸ばして掴んでいた『【普人種】だったモノ』を手放すと同時に、ドサッという音を共にソレ地面へと落下し力なく頽れる。
だが目の前の光景が現実ではなく、あくまで寝ている間に自分が見ている夢であると、眼前の光景を目の当たりにしている張本人、セヴェリは理解していた。
しかしながら、当の本人は夢であると理解しているにもかかわらず、目の前で繰り広げられている悪夢が覚める気配が一向にない。
そのことが彼をひどく焦らす。
分かっている。周りに倒れている見知った大人たちが嘘っぱちだってことぐらい。
目の前で、うなりをたてて狂ったように渦をまきながら燃え上がる炎なんてないことぐらい。
だから早く目覚めてくれ。頼むから早くこの悪夢から自分を解放してくれ!
余計な苛立ちと焦燥感のせいで胸の辺りが苦しくなりつつあった矢先、自身の背後から何者かが目の前の人物へ向けて駆け出していく。
見覚えのある後ろ姿で、セヴェリはそれが親友のヴァリオだと理解した。
怒りと悲しみ、悔しさと憎悪に縁取られた幼馴染みが、愛用している【硬胡桃】の木でできた硬木剣を携え、こちらを向いたまま動こうとしない人物を討ち滅ぼさんと、立ち尽くしているだけの自分の代わりに駆け出したのだ。
対してその場から動けずにいたセヴェリは、手を伸ばして幼馴染みの背中を掴もうと必死に足掻く。
夢の中の出来事であると分かりきっているはずなのに、動作はいつも以上に鈍い。まるで春の泥濘の中に手を突っ込んで泥中で育つ芋を探している時のようだ。
のたのたとしか動けない自分に対し、脇目も振らずなおも遠ざかっていく幼馴染みに向けて、セヴェリは叫ぼうとする。
ダメだ、ヴァリオ! 行くな、止まれ! 戦っちゃいけない!!
だがどれだけ口を動かしても、肝心の声がまったく出てこない。喉が枯れるほど叫んでいるはずなのに……。
結局、セヴェリの悲痛な叫びが幼馴染みに届くよりも先に、ヴァリオの手にした硬木剣がセヴェリと向かい合っていた者へと振り下ろされる方が速かった。
剣の持つ重さに加え、ヴァリオの得意とする上段斬りの速さで威力の増した剣撃が相手をとらえる。
あの間合いと速度ならば、もはや回避はおろか防ぐことすら無理だろう。かつて興味本意に彼の本気の剣撃を受けた経験のあるセヴェリは、その時の威力の高さを身をもって知っていた。
ゆえに、もしかしたらと、セヴェリが淡い希望を抱いた、次の瞬間。
―――突如、幼馴染みの背中の妙な位置から、突然腕が生えた。
いや、違う。
剣撃を振り下ろされた人物の手が、当たりどころが悪ければ出来の悪い金属製の剣すら叩き折るといわれる【硬胡桃】でできているはずの硬木剣を破壊し、その勢いのままヴァリオの胸部を刺し貫いたのだ。
糸が切れた操り人形のように、だらりと垂れ下がる幼馴染みの手から彼の愛剣の一部がこぼれ落ちようとしている中、ピチャリという音ともに何かが頬に付く。
それまでゆっくりとした動きしかできなかったはずなのに、なぜかその時だけは素直に手が動き、濡れた感覚のある頬を触ることができた。
―――血だ。
刺し貫かれた背中から飛んできた血飛沫の一部だった。
よくよく自分の身体を確認してみれば、衣服のいたるところが赤黒いシミで変色していた。時間が経って固まってしまっているものもあれば、たった今濡れたかのような鮮やかなものもあった。
いつの間にか自身の身体が血だらけになっていたことに驚愕したセヴェリは、全身からドッと嫌な汗が出るのを感じたと同時に本能的に理解した。
夢の中であるはずの自分は、目の前の人物に殺されるのだと。
いつ移動したのか、数メールは離れていたはずのその人物は、音もなく自分の目の前へと立ち塞がっていた。
身長差も相まって見下ろされているセヴェリの足は完全にすくみ、どんどん呼吸が荒くなっていく。
心臓が張り裂けんばかりに激しく鼓動しているせいで胸が痛いくらいだ。
しかし、もはや自分ではどうすることもできないまま、目の前に立っている人物から鮮血によってテラテラとした光を放つ濡れた片手が、ゆっくりとセヴェリの頭へと伸ばされていき―――。
◆◇◆◇◆
「わあああぁッ!!」
刹那、あまりにも衝撃的な夢の結末に俺は思わず声を出して飛び起きた。
「……どうかしたんですか、兄さん?」
突然部屋中に響いた俺の大声に、妹のヘルヴィが眠たげな眼をこすりながら、自身の寝床から上半身だけ起きる形で俺に尋ねてくる。
「い、いや。何でもない、何でもないんだ」
俺はなんとか取り繕いながらも返答しつつ、無意識に自分の手や頬、さらには身体中をくまなく確認していた。
夢と同様に全身汗びっしょりであったが、少なくとも血塗れということはなかった。さらに周りを見渡してみたことで、突然夢の中で頬が濡れた感覚があったことにも合点がいった。
「なんだ、あんなとこから雨漏りしてたのか。そりゃあ現実味が出るわけだ」
見上げた視線の先、木でできた天井から水滴が落ちてきている。どうやら寝ている間に一雨あったらしい。
しかも、かなりの大雨だったようで床の数ヶ所に小さな水溜まりができているのを見て、俺の口からは溜め息が漏れる。
ボロ小屋同然だった空き家を、今は亡き父さんや村の大人たちと協力してなんとか住めるよう改修したものの、結局、どこまでいってもボロはボロであったということだ。
気持ちを切り替えるべく俺は水滴で濡れた顔の水気を服で拭いつつ、寝床から起き出す。
悪夢を見ていたせいか普段よりも大きく寝相を崩していたらしく、いつも以上にぐしゃぐしゃになっていた寝床を寝汗でしっとりと濡れた手でもってテキパキと整えなおす。
「それよりヘルヴィ。お前は昨日もあの【普人種】の世話を夜通ししてたんだから昼過ぎまでは寝てていいぞ」
後ろからの視線を感じつつ、俺は寝床を直しながら口を開く。
ついでに枕のあった場所へ近くにあった野菜の切れ端の入った皿を置いておく。こうすることで野菜の切れ端から新たな葉が芽吹き食料が増えるのだ。
「ですが、それだと兄さんの負担が……」
俺はヘルヴィの優しさを感じつつも、振り返ってから彼女の額をワザとらしく小突いてみせる。
「あぅ……」
「何言ってるんだ。ついこの間までヘルヴィが言いつけられていた、タラース様からの大変な仕事の殆んどに比べたら大変な事なんてあるもんか。それに今回は珍しくヴァリオも手伝ってくれるんだから、心配いらないよ」
「んぅ……。分かりました、なら甘えさせてもらい……ぁふ」
柔らかな毛皮の毛布の中から兎のように顔を出していた妹は、迫りくる睡魔に勝つことは叶わず再びまどろみ始めた。
俺は寝巻きを脱いでからササッと普段着に袖を通し、妹の眠りを妨げないように配慮しつつ愛用の杖をつきながら食卓のある居間へと移動する。
そのまま食卓の椅子へ座ると、昨日のうちに用意していた朝食用の硬いパンと干し肉を冷めた麦粥に浸しながら噛んでは引きちぎり、噛んでは引きちぎりを繰り返して腹の中へおさめていく。正直いうと、まだ入りそうなものだが噛む回数を多くすることでなんとか誤魔化す。
そうこうしていると、不意に玄関の戸を叩く音が聞こえてきた。
「セヴェリよーい。起きてっかー?」
俺たち兄妹の住む家のご近所さんである木こりのボリスさんだ。
「はい、ボリスさん。今開けます」
閂を外し扉を開けると、大きな牧羊犬のような出で立ちをしたボリスさんが立っていた。
「そろそろ出発したいんだが、準備はできてっかい?」
「はい、もう朝食も食べ終えたので、仕事道具と背のうを背負えば準備完了です」
「んじゃあ、いつものとこで待ち合わせな。俺はもう一人の手伝い役を連れて行くから待っててくれ」
「分かりました。先に行って待ってます」
俺がボリスに返事を返すと、大きく頷いていた彼は大きな体をゆっくりと折り曲げ、対格差を無理やり縮めて俺に耳打ちしてくる。
「ところで、例の【普人種】は? まだ起きねぇのかい?」
別に人様に聞かれて困る話題ではないのだが、なぜだかこういう時はお互いひそひそ声になってしまう。
「……はい。妹が言うには『峠を越えているからあとは本人次第』らしいんですが」
「そっかー。あんな沢山の【貪婪狼貂】をやっつけてくれたお礼がしてぇからな。目が覚めたら真っ先に俺のとこに教えに来てくれっかな」
「分かりました。その時は必ず」
「おぅ。俺ら村の衆はどっかの誰かさんとは違って、お前たち兄妹の事も『例のあの【普人種】』の事も見捨てたりしねぇから安心してくれていい。困った時はいつでも相談しに来いな」
「ありがとうございます」という俺の精一杯の感謝の言葉を受け取って、ボリスさんは手を振りながらもう一人の手伝い役であるヴァリオの家の方角へと歩いていった。
そう。今村ではとある人物の話題で持ちきりなのである。
しかもその人物が担ぎ込まれた俺たちの家の横の納屋から出て来ず、看病のためにヘルヴィしか出入りしないものだから、話題には様々な大げさ話が追加されてゆく。
仕方のないことといえばそれで終わりだが、目が覚めたら目が覚めたで大変なことになるんだろうなと、大体の予想は付いていた。
それもこれも、これだけ話が大きくなったのも、全ては『例のあの【普人種】』と呼ばれる人物を俺と妹のヘルヴィ、そして幼馴染みのヴァリオが村まで運んできた日にまで遡る。
◆◇◆◇◆
「あのさ、ヘルヴィ。いつも言ってるよね? 私と話する時ってのは、いきなり本題から入るんじゃなくて、まずは前置きを付けてから話せってさぁ……」
真っ暗な夜の中、篝火に照らされながら助けを乞う一人の少女に対して、長杖を握った人物がネチネチとした話し方で彼女の言動をなじる。
「す、すみません、タラース様。ですが……!」
「はい減点ね~」
「……ぇ、げんて? な、何て?」
タラースが突如意味不明な言葉で邪魔をしたため、ヘルヴィは思わずこれから言おうとしていた言葉を飲み込んで聞き返してしまった。
「だからさぁ、減点だよ、げ、ん、て、ん。ですがもへったくれもないの。それにさっきのトコは『すみません』じゃなくてさぁ、『タラース様のお手を煩わせて申し訳ありません』でしょ、普通? ……ったく、これだから親無しは礼儀ってのに疎くて困るんだ」
「…………ッ」
タラースはいかにもワザとらしく、なおかつ、さも煩わしそうに声を大にして宣い、さらに彼の口から出た『親無し』というフレーズが、ヘルヴィの鼻の奥へツンとした痛みを感じさせる。
―――お父さんもお母さんも、兄さんや私を不幸にしたくて『親無し』にしたんじゃない。自分だって、なりたくてなったわけじゃない!
人目を気にすることなく、好き勝手にわめき散らしてしまえたらどれだけ楽になれるだろう。
しかし、今ここで感情的になってはいけない。もし言ってしまえば、これから自分が彼へしようとしている頼み事を絶対聞き入れてくれなくなる。
「うちで飼ってる材料でも分相応の反応を返すってのにさぁ。出来の悪い子供をこさえたまま自分たちは早死するなんて、無責任な親ってのはどこまでいっても無責任だって証明だよ、ほんと」
「…………村一番の立派な【法医術】であるタラース様の御手を、私のような『親無し』が煩わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。どうか寛大なお心でお許しください」
タラースに本音を悟られぬよう、生前の母が残してくれた民族衣装、その太もも部の布地を両手できつく握りしめながら彼女はくぐもった言葉を震える口から漏らした。
「ふ~~~ん、……まぁ? そこまで言われちゃ悪い気はしないね。お互いの身分の差ってのをちゃんと理解しているようだしさぁ」
周りでタラースとヘルヴィの動向を固唾を飲んで見守っている村の大人たちですら、彼女の言葉があからさまなお世辞だと分かる言葉だった。
しかし、彼らに今の二人の間に割って入ることはできない。アウリやヨーナスはもちろん、周りの大人たちは彼女の突然の行動にハラハラしたような表情を浮かべ、タラースとヘルヴィのやり取りを見守っている―――いや、正確には『ヘルヴィの言葉でタラースがまた癇癪を起こすのではないか』と言い換えた方が適当だろう。
というのもヘルヴィと相対している、ボサボサ髪と着ている服が何だかチグハグなこのタラースという男。村で唯一の【法医術士】であると同時に、【眞聖法教会】から正式な手続きの下で村へとやってきた『助祭』という役職に就く人物でもある。
だが、かの人物の性格はその職業とおおよそかけ離れているものだった。
なまじ村に自分と同じ力量や地位を持つ同輩がいないのをいい事に、つねに上から目線な発言をし、何かにつけて不遜な態度を取ることが多い、まさに夜郎自大な類いの人種であった。
それだけにとどまらず、自分の言う通りにならない出来事が一度でも生じると大人とは思えない言動と共に不貞腐れる始末。
ゆえに、村人からは『褒めれば付け上がり、指摘すればすぐ拗ねる、そのくせ煽てた分だけ自惚れる人物』として、最低限のコミュニケーションはとるものの、進んで繋がりを持ちたがる者は極めて少ない、腫れ物のごとき人物として評価されていた。
そして村人たちが強く出てこないことを良いことに、さらに状況は芳しくないモノへとなりつつあったのだ。
しかし当のタラースは、自分たちの動向を見守る村人たち杞憂を知ってか知らずか、気分が良いといった表情を浮かべていた。当人が振りまいていた場の空気も少しは和らいだようにすら思える。
「で? この私に助けてほしいって事はケガ人なわけ? それとも病人?」
「っ、はい! 病人です、タラース様!」
ようやくタラースが荷台の人物へと関心を持ってくれたことを確信したヘルヴィは、パッと顔を上げて答える。
「冷たい川の近くで見つけたんです! おそらく長い時間冷たい水に浸かっていたせいで、ものすごく体温が下がっているのかと……!」
「あー、いいよいいよ。素人の所見なんて聞いても無意味だし、無価値だから」
ヘルヴィが荷車へと近づいてきたタラースに対して懸命に現状を伝えようとするが、彼は彼女の言わんとすることには一切の興味がないといわんばかりに長杖をフラフラと振って彼女の話を遮った。
「むしろ脇でギャーギャーって耳につく声で騒がれるより黙っててくれた方が、村一番の【法医術士】である私の施療がはかどるってもんだからさぁ……分かるでしょ?」
「も、申し訳ありません。タラース様」
彼から向けられた視線が何を物語っているのか悟ったヘルヴィはすぐさま謝罪の言葉を述べた。
彼女の様子に納得がいったような満足げな顔つきとなったタラース。
「さってと、小うるさい外野もいなくなったことだし、ちゃっちゃと施療して明日のための健やかな安眠を……ッて!?」
だが、荷車の荷台をへと目を向けた彼はその表情と態度を一変させた。
「おいおいおいおい! 何だ何だ、このみすぼらしい格好はさぁ!? この村の住人ならと思ってみれば、ただの浮浪者じゃないか!?」
そこには泥と得体の知れない血生臭い液体に塗れた人物が、タラースの方へ背中を向け、横向きの姿勢で寝かされていたのである。
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
誤字脱字ならびにご指摘ご感想等があれば、随時受け付けておりますのでよろしくお願いいたします。