092-3 ― 【幕間】公国公女、未知と遭遇す ―
「私はベルンシュタイン公国大公『ミヒャエル・ルートヴィヒ・ベルンシュタイン』が第一公女、『ソフィア・フィーネ・ベルンシュタイン』である! 此度は貴殿の後ろにある怪物体を調査しに来た! もし貴殿が怪物体の所有者であるならば、我々はアレを調査する許可を貴殿に要求する!」
目を閉じ、ただ静かにその場で佇む女性に対して姫様……いいえ、フィーネ公女殿下は声高にそう主張された。
殿下の御声はとても張りを持っていて、たとえ土埃が舞う戦場の中にあっても、周囲にいる味方の兵士たちが殿下の御声を聞き逃すこと自体ありはしない。それはまるで土の奥の奥まで乾いた大地にこぼれ落ちた清水が一気に染み渡るような……そんな印象を聞く者に抱かせるほどなのだから。
そしてフィーネ様の御声は周りの空気を震わせながらわたし、『クリスチナ・ナッティネン』の耳にも確かに一言一句違うことなく届いた。
けれど、わたしたち調査団と相対している奇妙な女性はその場から一切動く素振りすら見せなかった。いつもであれば、これほど近くでフィーネ様の厚みと声量ある御声を聞けば、どんな相手であっても仰天して声のする方に目を向けるなり、何かしらの行動に出るなりしてきたはず。
にもかかわらず、わたしたちの十数メール先にいる女性は、何をするでもなく、ただその場に佇み続けるばかり。
まるでフィーネ殿下の御声がその場所まで届いていないかのようだった。
「貴様! 第一公女であらせられるフィーネ殿下の御言葉を無視するかッ!」
両者の間に何とも言えない時間が数秒流れた直後、突如フィーネ様の横を固めていたメッサァシュミット少佐が痺れを切らしたかのように憤慨した怒声を上げ、なおも直立不動を維持する女性に対して歩み寄ろうと騎乗していたウマの歩を進めようとした、まさにその時だった。
今まで彫像のように身じろぎひとつしなかった女性が、スッと目を開き、俯き加減だった顔が初めてこちらに向き直ったのだ。
彼女の持つ整った目鼻立ちと切れ長なその瞳は、同じ女性であるわたしであっても非常に魅力的な女性に映った。
けれど、そこには生き物としての温かみを感じることはできず、文字通り精巧なガラス細工でできているかのような印象も持ち合わせていた。
初めて相手が動き始めたことで、わたしを含めた誰もが身構え、この後一体どうなるものかと固唾を飲む中、女性が口を開いた。
刹那、わたしは周囲の様子に仰天してしまい、混迷を極めていた。
なぜなら周りにいた【法兵】達やわたしと同じ【雪豹】部隊の同僚、フィーネ殿下の脇をガッチリ固めていたアンゾルゲ隊長や屈強な少佐までもが一斉に苦しんでいたのだから。
勿論、それはフィーネ様も例外ではなかった。
『―――――――――――――――――――――――――――――! ――――――――――――――――――――――――――――――、――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!』
「な、なんだ……これ、はッ………!?」
「ぐ、ぐううぅッ!!」
「あ、頭が割れ、割れる!!」
あのフィーネ様が。
戦場では誰よりも常に先陣を駆けて我々に、【公国】の民に凛々しくも気高い姿を御見せくださっていたあのフィーネ様ですら、びっくりして立ち上がってしまったウマを御することができずにドサッと地面へ転がり落ち、起き上がることすらままならず、そのご尊顔はたっぷりの脂汗にまみれていた。
「姫様!? どうなさったのですか、姫様!? 先輩! しっかりしてください!!」
思わずわたしは公然では呼ぶこと硬く禁ぜられている敬称を叫びつつ、矢も盾もたまらず、なおも頭を抱えて倒れ伏したままの数人の【法兵】達の間の僅か面積しかない地面の上を跳躍することで一気に飛び越え、姫様たちの元へ辿り着いた。
「ナッティネン。お、お前は何ともないのか……!?」
ふらつきながら頭の横を手でガンガンと叩いたり、頭を振ったりして何かから復調しようとしているメッサァシュミット少佐がわたしに尋ねてくる。
「え? は、はい、少佐殿。わた、自分には目の前の彼女が、多少大きな声でありましたが名乗った事と敵意は無いことを言っていたようにしか聞こえませんでした。……ですよね?」
目の前で表情を崩さない女性に対してわたしが尋ねたことに対して彼女は再び口を開くのだが、それは先程の惨状の再現でしかなかった。
「まっ、待って待って! 待ってください! 声! 声量! その声量を落としてください! 何もそんな大声で話す必要ないですから!」
女性はパチリと瞬きを一回して口を紡ぐと同時に、辺りの惨状は徐々に終息していった。
「たぶんですけど、貴女の声?が他の人達には凄い雑音に聞こえているようなんです。あっ、雑音だなんて言ってすみません。何て言うか、とりあえず何とかわたしだけに聞こえるよう音を小さくしてもらえたりできませんか? ……あ、今度は大丈夫そうです。え? はい、問題ないです。お気遣いありがとうございます」
女性に近寄っていったわたしが話をしている間に、背後では少佐がフィーネ様の安否を確認しているようだった。
「で、殿下。ご無事ですか……」
「ああ、なんとかな。しかし、さっきのは何だったのだ? 頭の中に無理やり詰め物を直接ねじ込まれたような感覚だった。戦場でもウマから落ちたことなどなかったのに、あの者は一体何をしたのだ……?」
「申し訳ありませんが、分かりかねます。軍人として生きてきた身ではありますが、先程のような現象は初めてです。アンゾルゲ少尉、そちらはどうだ?」
特殊な出自ばかり集まっている【雪豹】部隊。何かしらの知識があるかと少佐は尋ねたのだろうが、【雪豹】の面々を束ねる隊長、わたしの憧れるレパルディナ・アンゾルゲ先輩も今回ばかりは首を横に振るばかり。
「私が展開している【法力探知】にも反応がありませんでした。【法術】とは別のなにかとしか……。お力になれず申し訳ございません、フィーネ様」
「そうか、一応警戒だけはしておいてくれ。それと少佐は負傷者と思しき者たちの安否を確認すよう相互伝達を怠らぬよう伝えるのだ」
「……承知しました」
「もちろんでございます。おい、アルトマン。しっかりしろ」
この時先輩は、少佐が選抜した周りの【法兵】達よりもいち早く立ち直りつつあったわたし以外の【雪豹】の隊員達に小さく合図を送っていたそうだ。
それに気づくことが出来ないなんて、わたしもまだまだなんだなぁと思い知らされる。
ちなみに、そんなやり取りがすぐ近くであったなんて全然分からなかったわたしはというと、先ほどからその場を一歩も動かなかった奇妙な女性を伴ってフィーネ様のもとまで戻ってきていた。
「えっと、公女殿下。お話し中のところ失礼します」
まずは姫様に後ろにいる女性が何も敵意持っていないことを伝えなければという気持ちが優先した行動だった。
「む? あ、あぁ。どうした」
「この者が申すには、先程の現象はこの者がわたし達の言葉を無理に話そうとしたために起こったのだそうです。ですので、まずはその事について謝罪をさせてほしい、と」
わたしが隣にずれると、女性が前に歩みでる。
瞬間、その間に割って入るようにメッサァシュミット少佐と先ぱ、いえアンゾルゲ隊長が警戒の態勢で布陣する。
無理もない。たった二回、それも声を発しただけで私以外の周囲にいた【普人種】をことごとく地面に倒れ伏させる行為をした人物だ。なにかよからぬ動きを見せれば、少佐ご自慢の【法術】が炸裂し、隊長がその首を掻き切っている事だろう。
しかし歩み出た女性は、緩慢な動作で片膝を立てて跪き、胸のところで両手を交差させる形で添えてゆっくりとうな垂れた。
『片膝をつく』というのは【公国】式の謁見の姿勢であり、さらに『両手を交差させて胸のところに添え頭を垂れる』という行為は『両手には武器を持っていない証拠であり、胸に添えているのでそもそも使えません。それに、無礼を働いた私はあなたに罰として首を刎ねられてもすべてを受け入れます』という意思表示に他ならない。
「……驚いたな、貴殿はそれを知っていたのか?」
表情こそ崩してはいないが、フィーネ様は謎の人物が【公国】の作法を取ったことを驚いている様子だった。
「いいえ、公女殿下。先程お三方で話し合っている間に、この者から正式な謁見と謝罪の仕方を教えてほしいと乞われたため、事前にわたしが手解きをしておいたのです」
「なるほど、それはよくやってくれた」
「あ、ありがとうござぁまじゅ!」
フィーネ様からの感謝の言葉に、あまりの嬉しさから噛んでしまった。
辺りにまたかというような何とも締まらない空気が漂い始める中、口を押さえていたわたしは小さく咳ばらいをしつつ再び口を開く。
「そ、それで、お許しいただけるのであれば、公女殿下との話し合いの場を設けて頂きたいとも申しています」
「我らを害そうという意思がないというならば、私はその言を信じ、先ほどのアレは不問とし貴殿を許そう。それに『話し合い』を希望というのであれば、こちらとしても嬉しい提案だ。どうか頭をあげてほしい」
わたしが姫様の言葉を伝えると、女性はゆっくりと頭をあげ、真っ直ぐ姫様を見据えていた。相変わらず眉一つ動かさないが、心なしか安堵しているような感じがするのは私の気のせいだろうか。
「ではナッティネン伍長。先だって、彼女の名前を聞いてくれ。先程から名前を言えずに困っていたからな」
「ぇあっ! も、もも、申し訳ありません! えぇっと、公女殿下は貴女の名前を教えてほしいそうです。……はい、はい。……は、はい? …………え、え、えぇ? ちょ、ちょちょちょっと待って、止まって! 止まってくださいっ!」
「どうした?」
「あ、いえ、えっと~。その、何と申し上げたらよいものか、と~」
わたしがいきなり慌てふためきながら彼女の言葉を手で制して止めたことで、先ほどの奇怪な現象から立ち直りつつあった周囲から視線が集まるの肌で感じ、さらにフィーネ様から訝しむ視線を投げかけられたことで、動揺のあまり私は視線を泳がせてしまう。
「あのー……本当にそれ全部が貴女の名前なんですか? ……そのまま伝えてもらって構わないって、ほとんど発音できないんですけど。意味がわからない単語もありましたし。……はぁ、分かりました。やってみます」
「それで、彼女は何と?」
彼女の返答を急いているフィーネ様を前にして、わたしは思い切って彼女から聞いたとおりの事を伝えました。
「はい、この者が申すには……『ほんかんは、何とかぎんがだん第百二十九ぎんがけい所属? 第四わくせいにかつて栄えた、せんしぶんめいたい?によって開発・建艦された、『ぎんがだんかんこうこうよういそうくうかんせんこうかのうがたこうそくしけんかん』にございます』、とのことです」
「…………」
「…………」
「…………」
「「「「「……………………???」」」」」
わたしの予想通り、その場を沈黙が支配した。
聞こえるのは森を通り抜ける風の音と時折り聞こえる小鳥達のさえずり、そして湖に注ぐ穏やかな川のせせらぎと風が水面をなぜることで生まれる波の音だけ。
「……~~~~ッ!」
きっと全員の好奇な眼差しに晒されている今のわたしは、熟れたアプルの実のように真っ赤な顔をしていることだろう。
『…………、………………? …、…………………?』
女性に話しかけられたわたしは、周囲の沈黙と羞恥心に耐えきれず、とうとう爆発してしまった。
「だ、だから聞いたじゃないですか!? 本当にそれが貴女の名前なんですかって! そしたら貴女が、自分の発した言葉をそのまま伝えてほしいっていうからその通りに伝えましたよ! 見てください! 皆さんのポカンとした表情を! あの先輩ですらおんなじ顔してますよ! ちょっと可愛いなとか思っちゃったじゃないですか!? 先輩もそんな顔するんだぁ、見ることができてちょっと得したなぁとか思っちゃったじゃないですか! ていうか何でさっきから一人称が『ほんかんは』なんですか!? ぎんがだんって何ですか?! わくせいって何なんですか?! なんで固有名詞がひとっっっつも出てこないんですか―――ッ!?」
「お、落ち着くのだ、ナッティネン伍長!」
【雪豹】は本来表舞台にほとんど出ることはなく、他の女給と共にフィーネ様の身の回りのお世話をしながら生活している。
そのため、あまり人目に慣れていない面々も一定数存在する。かくいう【雪豹】への加入が最も遅かったわたしはその最たる者の一人であった。
衆目に晒され、恥ずかしいやら、自分しか目の前の女性の言葉を理解できない心細さやらで、もう後半完全に泣きが入りながら自分の気持ちを吐露していると、フィーネ様がわたしを抱き止めてくださった。
わたしをあやすように優しく抱きしめてくださったフィーネ様から、いつも湯浴みの際にお使いになられている香油の香りがふんわりとわたしの鼻に届く。
「伍長、すまなかった。お前に通訳という重荷を背負わせてしまった私の責任だ。許してほしい」
「ぐすっ、ぐすっ! もっだいな、ぎ、おご、おごどばにござ、ばす!」
せっかく止まった鼻血の止血のため鼻に突っ込んでいた手巾を取り払ったばかりだったのに、今は鼻腔を鼻水がズビズビと流れている。
「それと、このようなことを貴殿に伝えても意味がないのかもしれないが、もう少し憂慮してくれないだろうか。なにぶんこの者はまた軍属になって日が浅いのだ」
わたしをその腕に抱きとめながら、フィーネ様は立ち膝のままの女性に対して声をかけた。
『………………………』
「ひぐっ、ぐすっ……。『分かりました。この場の、最命令、指揮者の指示に、従いまず』とのこ…です」
その後、両陣営の望む会談は、わたしが通訳として正しく機能することがきちんと確認されたのち執り行われることとなったのであった。
うぅ~、人前で話すなんて慣れないから恥ずかしいよ~。誰か~、変わってくれる人いませんかぁ~?
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
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