090 ― 【閑話】おとぎ話『ある村の奇跡』 その一 ―
これは今ではないいつか、ここではないどこかの遠い遠い国のお話です。
むかしむかし、とある山おくの小さな村に、仲のよい兄妹がいました。
二人は両親を早くに流行り病で亡くし、さらに兄も生まれつき片足が不自由であったため、兄妹は二人っきりで慎ましく暮らしていました。
ですが、兄も妹も小さいころからとても利口であったこともあり、兄妹は村の大人にまじって自分たちができる手伝いを進んでするよう心掛けてきました。
それが、子供である自分たちが村の人たちにできる、精いっぱいの恩返しであると考えていたからです。
そのかいもあってか、村の大人たちも兄妹の事を我が子と同じくらい気にかけ、時には自分たちが取ってきた山菜や山鳥を分けてくれたりしました。
しかし、なにぶん行商人もめったに来ないほど山奥にある村でしたので、村は大人でさえその日食べるものに困るほど貧乏でした。
この村を管理している『領主様』は、兄妹のくらす村が貧しいことを分かっていましたが、毎年納める税金をあえて同じ分だけ納めさせていました。
そうすることで、他の村から文句を言わせないようにしていたのです。
ですが、二人が暮らす村が貧乏なことには変わりありません。
そのため、兄妹は自分たちの食べ物より村のために少しでもお金を稼いで村を良くしようと、夏の暑い日差しの中も、雪が舞う寒い冬も、大忙しな毎日を過ごしていました。
そんなある冬の良く晴れた日のこと、兄妹は村で僧侶も代わりにやっている【法医術士】の言いつけで、近くの森へ薬草を取りに行くことになりました。
本来ならば、【法医術士】が自分で探しに行く方が早くすむのですが、彼は何やら難しい研究をしているようで、めったな事で自分から村の外へ出ようとはしません。
そういったこともあって、【法医術士】が兄妹に薬草集めを言いつけることはしょっちゅうだったのです。
兄妹の薬草集めは村の大人たちもびっくりするほど早く、そして正確でした。
力仕事でも頭を使う仕事でもないため、兄妹は嫌な顔一つせず【法医術士】からの言いつけを引き受けます。
すぐそばに大きな川が流れている森で取れる薬草は、【法水薬】にすれば解毒剤となり、【法膏薬】にすれば傷薬となるモノが多く、何より、町へ売りに行けばすぐにお金にかえることができる貴重なものばかりです。
さっそく兄妹は朝早く起き出し、目的の野草が沢山取れる場所へと向かいました。
二人は川沿いの森へ着くと、妹は安全な森の近くを流れる川岸に生えている薬草を、兄は獣やモンスターがうろつく少し危ない森の中ほどに生える薬草をそれぞれ手分けして集め始めます。
二人とも危ない場所には近づかず、お互いの姿が見える場所で薬草集めをします。
ですが、妹の方はその日だけ、お日様が空の真上に来るより早い時間に、言いつけられた分の薬草を集め終わってしまいました。
妹は、きっともう少し集められればその分だけお金になるかもしれないと思い、言いつけられた分よりも多く集めることにしたのでした。
もう少しだけ、もう少しだけと薬草を集めているうちに、妹は大きな川のすぐそばまで来てしまいました。
持っていた柳の籠は集めた薬草でいっぱいで、これ以上集めることはできません。
この季節の川は、山の雪どけ水が集まって川の水が増すためとても危ないと兄から注意されていたことを思い出した妹は、しかたなく兄と待ち合わせしていた所へ戻ろうとしたその時でした。
いつもは何もない川岸に『何か』が流れ着いている事に気が付いたのです。
気になった妹がじぃっと目をこらすと、流れ着いていたのはなんと【普人種】でした。
おどろいた妹が急いで兄を呼びに戻り、川まで戻ってきた二人でどうにかその【普人種】を川から岸までひっぱり上げることができました。
その【普人種】は野盗にやられたのか、酷い傷を負って気を失っていました。
ですが、その【普人種】の身なりを見るなり、兄は眉をひそめて妹に言いました。
―――この【普人種】はどこからか逃げてきた奴隷かもしれない。何か良くないことに巻きこられると大変だから、かかわらない方がいい。
いつもの温厚な兄ならそんなことは言わないのですが、そんな彼が珍しく厳しい態度を取ったのにはちゃんとした理由がありました。
なぜならその【普人種】は、首元と左腕に奇妙な色をした、つなぎ目のない金属の輪っかを付けていたからです。
首輪や手かせは奴隷くらいしか身に着けないため、兄はそのことを警戒したのでした。
それに、理由はどうあれ、奴隷をかくまうことは固く禁じられており、見つかった場合はかくまった者も罰を受ける決まりになっているのです。
しかし、心優しい妹は兄の言葉に反対しました。
それどころか、この【普人種】を村へ連れて帰って【法医術士】に治してもらえるよう頼もうと言い出したのです。
兄は、妹は小さいころから普段こそ素直でおとなしいけれど、人助けすると言い出したら聞かない子だと知っていましたから、ため息を一つはいて、妹と一緒にその【普人種】を村にある自分たちの家まで運ぶことにしました。
幸いなことに、兄妹は【法医術士】から言いつけられていた薬草集めの他に、たき木や山菜も一緒に取って行こうと古い荷車を引いてきていたため、ケガをしたその【普人種】を荷車へと乗せ、すぐに村まで運ぶことができました。
村に戻った兄妹は【法医術士】の下へ行き、ケガ人であるその【普人種】を治してほしいと頼みました。
ですが【法医術士】は、どこから来たのかも分からない【普人種】の面倒など見切れないと冷たく断り、それどころか、自分が言いつけた薬草をさっさと渡せと、二人を村人たちが見ている前で大声で怒鳴りつけました。
それでも妹が、集めた薬草はこの【普人種】を治すために使わせてほしいと言ってきかないものですから、ついに【法医術士】はカンカンに怒ってしまい、ならばお前たちには今度から何も頼まないし、たとえお前たちが病気になっても一切の面倒をみないと言って兄妹を家から追い出すと、勢いよくドアを閉めてしました。
【法医術士】の助けが借りられないことを兄妹は残念がりました。
ですが聞き上手でもあった妹は、【法医術士】が自慢気に薬を調合する様子や得意顔で病人を治す時に使う薬のさじ加減を、はっきりと覚えていたのでした。
兄妹は荷車を引きながら自分たちの家まで戻ってくると、急いでケガを負ったその【普人種】を家の隣に建っている干し草が詰まった納屋へと運び込み、市場へ持って行こうとしていた薬草を全て使ってその【普人種】を治す準備をし始めます。
他の村の大人たちからゆずってもらった使い古された鍋や銅製のポットを台所からかき集め、さらに【法医術士】が新しいのと取り換える時に捨てた薬研――薬になる材料をすりつぶす道具――をこっそりとしまい込んでいた納屋の奥から引っ張り出してきて、妹は薬を作り始めました。
見よう見まねではありましたが、どの薬草がどんな傷や症状に効くのか、どれくらいの薬のさじ加減が正しいのか等をはっきりと覚えていた妹は、使い方や扱い方を間違えないよう気を付けながら一生懸命に薬を作り続けます。
そして妹は、その日から付きっ切りでその【普人種】の看病を決め、兄も妹の意見を聞き入れることにしました。
それから数日、昼間は兄が妹の分も他の村人の手伝いや畑仕事をし、夜は妹が冷水でふやけ、血がにじむ手で布を絞っては、傷の周りにできる膿や体の汗を拭き取るといった日々が続きました。
そんな毎日が数日経ったある日、ついにその【普人種】は目を開け、兄妹は自分たちの行ないに女神さまが応えて下さったのだと喜びました。
ですが、あまりにも怪我が酷かったせいなのか、その【普人種】は上手く喋ることができませんでした。
何かを伝えようと焦るその【普人種】を落ち着かせながら、妹は片方の手をそっと優しく握ると、穏やかな口調でこう語りかけました。
―――あなたの名前は何と言うのですか?
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