085 ― 慢心せりとはえ言はぬものの…… ―
さて、改めて現状を確認しようか。
まずは周囲の状況把握だ。私はゆっくりと首を回しつつ、辺りを見回す。
視界に映る限り私という存在と接触した原生生物……いや、今回は対象が【普人種】という、文明社会を営むだけの知的な生命体なわけだから、正確には現地住民と呼んだ方がいいだろうか。
それが全部で三人。しかも全員が全員、揃いも揃って異なる理由で負傷している状態だ。
加えて、その内の一人は私の手違いによって重傷者となってしまった。全くの偶然の出来事とはいえ『向こう側の世界』において一地球人類種であった私にとって、かつての自身と酷似した生命体に危害を加えたまま何もせずこの場を立ち去るというのは流石に心が痛い。
向こうが私を人外の化け物と認識しており、かつ私もその認識に便乗した行動をとっている都合上、治療行為は無理だとしても、せめて応急処置くらいの温情は掛けたいというのが人情というものだろう。
(こういうのを『向こう側の世界』では何と言うんだっけか? 傷口に塩を送る? いや違う、敵に塩を塗る? あ、あれ? あれれれれ?)
……。
…………。
………………ま、まぁそんな些末な事より、今は応急処置だよ応急処置(思考放棄)。
とりあえず、擬死で警戒心を解いた上で急襲などされたら堪ったものではないため、万が一に備えて無精ヒゲの男への不用意な接近は避けつつ、ついでに目視確認も行なっておくとしよう。
視認できる範囲ではあるものの先ほど私が持った瞬間、まるで見計らったように偶然壊れてしまった軍刀を所持していないことはもとより、左手にしっかと握っていた【法杖】もさっきの大木にぶつかった衝撃でどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのか、今は手にしていない。
そういえば、つい数か月前まで私が身を寄せていた【ドリュアタイ地下帝国】に身を寄せていた際、この惑星で最初の友人となった【鉱亜人種】、『ゾフィ・レアテミス・ド・ヴェルグ女史』に【法杖】とは何か尋ねたことがあったな。
何でも彼女の話によると、彼らが【アースフェイル】と呼ぶこの世界において【法術】を安全かつ効率的に行使する場合、必ず媒体となる【法石】や【法粗石】、もしくはそれに準じた触媒が必要であるという。
だが、それらの触媒を直接素手で握り【法術】を行使するという事はかなりの危険とリスクが伴い術の暴発での打撲や熱傷は恒例であり、最悪の場合、腕の欠損すら発生したらしい。
そこから数多くの術士たちによる様々な見地からの研究と長い年月に渡る様々な材料を用いた試行錯誤の末、【法石】等の媒体を金属の留め金で固定し、木製ないしは金属製の柄が付いた現在の【法杖】が生み出されたのだという。
ともあれ、私の眼前で動かない無精ヒゲの男は私と相対していたつい先ほども、そして今現在もそういった何かに該当するモノを隠し持っている様子は見られない。これなら【法術】を使った反撃の心配はないはずだ。
だがこの暴風雨、否、既に暴風雪の様相を呈している視界不良真っただ中の現状では、『レプティノイド』の視力をもってしても不動状態に近い彼らの判別は正直言って難しくなってきている。
そのため、私はダメ押しとばかりに『レプティノイド』の肉体に備わっているピット器官も使って周囲の熱源も再調査することにした。
(うん? ……思った以上に彼らの体温が低いな。平均値以下じゃないか)
おそらく、この暴風雪の中に長時間晒されているせいだろう。心なしか、辺りの気温も低下してきているように感じる。
通常ならばピット器官を介して生命体を補足した時に、『向こう側の世界』でいう所のサーモグラフィーのように温度の低い順から黒、青、緑、黄色、橙、赤、白という具合で色の明暗が区別される。加えて生命体は無機物でもない限り、周囲の気温よりも明るい色と反応を伴って私の脳内で処理される。
しかし、現状の彼らの体温は周りの温度とそれほど大差がない。これではピット器官による熱源探知もほぼほぼ当てにできなくなりつつある。
(とすると『生体センサー』でのサーチングも難しいかな、こりゃあ……)
あまり期待しないようにしつつ、私は外側の左前腕部に装備されている籠手をチョイチョイッと弄る。
すると籠手の鱗のような突起付きの装甲が複数、カシャカシャと音を立て、さながら『ベネシャンブラインド』のごとく肘側へと重なり合いながらまとまっていき、それらの装甲があった場所から鮮やかな深紅に染まった結晶体が姿を現す。歪な四角錐をした結晶体からは、まるでプリント基板の配線のようなラインが別方向へとそれぞれ伸びており、それら全てが私の鼓動と連動して緩やかに明滅と脈動を繰り返している。
私は手にしていた丸太の片方を地面へ無造作に落下させると、左前腕部を胸と同じ高さで水平になるよう持っていき、さらに意識を結晶体へと集中させる。
すると、結晶体の各頂点から赤く細長い光線が空中へ垂直に放射され、徐々に光線の角度が変化し一点に収束してゆく。
全ての光線が結晶体からそう遠くない空中で交わった瞬間、結晶体と同色の円環が複数回、波紋のように発生。それらの円環は瞬く間に拡大し、私を含めた周囲の物質の表面を通り過ぎてゆく。
数秒も経たない内に結晶体の真上へ、周囲の地形や樹林が簡易的な立体物となって表示され、そして目には見えない方角や天候などといったモノも併せて示されることで、周辺の大まかな地図が立体的に作成される。
さらにその地図へと私を含めた生命体の反応が光点として落とし込まれてゆく。
(一番強い生体反応は私だとして、センサーに映っている他の三つは周りの【普人種】たちで間違いない、な)
数分にも満たない長いようで短かったこの瞬間、ようやく現状把握が完了したことに、私の中にゆとりが生まれ始めていた。
せっかくレアテミス嬢を含めた【鉱亜人種】たちやウォラたち鬼族といった地下世界に住まう住人と友好関係を構築できたといっても、私の心のどこかで息苦しさと閉塞感を感じていた。しかし今、悪天候といえど地下とは違い、見上げることのできる空がある地上へと出てくることができたのだ。
そもそも、離ればなれとなった母船との合流が当初の目的なのだから、これだけでも大きな前進といえよう。
だが、そんな中で自分という存在が余計な争いの火種になるなど言語道断であり、私自身、誰かに頼まれたとしても御免こうむる。
それにしても、私が直立不動のまま奇妙な動きをしている最中、周りの【普人種】たちが突飛な行動をとらないでいてくれたことに対して、心から感謝の気持ちを伝えたい。
もうね、本当に助かったぁとしか言いようがない。
もっとも、縦巻きロールのお嬢様然とした少女は依然として怯えた表情のままその場で委縮中。さらに彼女の窮地を救うべく現れたキャラメルブロンドのショートヘアをした猫目の少女は、私が取ったカウンターが予想以上に肉体への痛打となったのか、手にしていた殺意むき出しの形状をしたメイスを掴むこともできず、こちらに敵意丸出しの視線を投げつけたままその場に倒れ込んでいる状態ではあるのだが……。
しかしそれでも、この惑星で最初に私が戦闘を行なった男のように、周りにいる【普人種】の誰か一人でも自爆覚悟の凶行に走られていたらと思うだけで背筋がうすら寒くなる。
さて、現在置かれている状況も、周囲の生体反応もある程度把握することができたわけだし、もう生体センサーの探査機能を止めても問題あるまい。
私は先ほど地面へと落とした半月状の丸太のもう片方を手から放しつつ、稼働状態のままであった特殊装甲の生体センサーをストップさせるため、ブラインドよろしく重なった状態で肘の辺りにまとまっていた装甲を反対の手を使って、手首側へと滑らせるように力を加える。
するとそれぞれの装甲は先ほどと同じ音を出しながら元の位置へと戻り始め、赤く明滅している結晶体を覆い隠してゆく。
当然、結晶体から空中に投影されていた地図も視界から消えてしまうが、生成された地図のデータはヘルメットのバイザー部へと送られることでいつでも視野の端で確認できるようになる。
装甲が完全に元の位置へと戻ったことを確認しつつ、改めて私は無精ヒゲの男に向き直ると、彼の肉体状態をチェックするため特殊装甲の胸部に搭載されているスキャニングレーザーを無精ヒゲの男へと照射する。
『~、~~……! ~~ッ、~~~~~! ~~~~~~~~~~~~ッ!』
地面に倒れ伏しているショートヘアの少女が苦しげな声で何かを呟きながらなんとか起き上がろうと四苦八苦している。きっと彼に対して、私がさらに何かしでかすのではないかと思っているのだろう。
(大丈夫だよ~。これアブなくないやつだからね~)
本来、こういう急を要する場合の時のために、『言語翻訳機』である〈124875〉がこの特殊装甲に搭載されているはずなのに、彼ら【普人種】の言葉の翻訳にまるで役に立ってくれない。
惑星地表に激突した衝撃で損傷してしまったのか、はたまた彼らが用いている言語があまりにも複雑であるのか……。いずれにせよ、まったくもって、何が動作不良の原因なのか、さっぱり分からないままである。
(まったく、母船め。何が『多元宇宙仕様の万能言語翻訳機』だから何も問題ありません、だ。詐欺もいい所だ……)
とはいえ、『人外の化け物』が突然流暢な会話を試みようとすることも、ある意味では不気味この上ないだろうし、ここは敢えて無視を決め込むこととした。
その間にも、『生体情報分析機能』のスキャニングレーザーが無精ヒゲの男の頭からつま先までくまなく照射されてゆく。
―――生体情報診断、起動
→頭 部:顔面の皮膚に裂傷、損傷評価…C-、至急、止血作業が必要
→胴体部:胸部の皮膚に裂傷、筋繊維の複数断裂、
複数の肋骨に骨折を確認、損傷評価…E-、
極めて高度な医療行為による治療が必要
→腕 部:筋繊維の複数断裂、末端部に凍傷を確認、
損傷評価…C、現在進行中
→脚 部:筋繊維の複数断裂、末端部に凍傷を確認、
損傷評価…C、現在進行中
―――診断、完了
診断結果に思わず目を覆いたくなった。いや、実際はヘルメットを着けているから無理なのだが……。
一瞬のこととはいえ反射的に振るった腕との接触事故は私が思っていた以上の被害を彼に与えてしまっていたのだ。【普人種】という生命体がかなり脆い生物であるのが判明した瞬間である。
とにかく、まずは顔面から絶賛流血している傷の手当からだろう。骨折等に関しては……近くにまともな医療機関があることに賭けるしかない。
そう思いながら私が外側の右腕を無精ヒゲの男へ無造作に伸ばした、まさにその時である。
―――バヅンッ!!
まるで野太いゴムが限界を超えて切れるような音と共に、無精ヒゲの男へと伸ばしかけた右手の感覚が消えたのは。
(……は?)
何が起こったのか、自分でも分からなかった。
同時に、いつも見慣れていた私の右手が、私の目の前でクルクルと躍るような回転運動をしながら近くの茂みの向こう側へと飛んでいくのが、スローモーションの映像ログを見ているかのように私の視界に映る。
そして、その視界の端には『そばかす交じりの顔を怒りと興奮で赤く染めた青年』の顔が映ったと同時に全身を駆け巡る言葉にできない激痛によって、まともな言語にすらならない私の絶叫が大気を振るわせ、周囲の氷結しかけた雨粒を一瞬の間だけ吹き飛ばした。
ここまでご高覧いただきありがとうございます。
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2021/11/15…文章に一部追記