008 ― 壁(かべ)、未だ限りなし ―
さて、先程の場所を後にした私と【鉱亜人種】の少女、『ゾフィー・レアテミス・ド・ヴェルグ』は、とにかく互いの情報を欲しがった。
もちろん自分達の不利益になる事柄についてはお互いに不可侵とした上でだ。
それでも、『それ』を除いたとしても収穫は大いにあった。
この世界そのもの、種族、出自、言語、暮らし、食生活、文化、国家などの組織体系。
ゾフィー……、いや『レアテミス嬢』と名乗るこの少女は、出自はおろかどこの馬の骨ともわからない『異形の存在』である私に対して、自身が知りうる限りの情報を提供してくれた。
異文化とはいえ、コミュニケーションが相互に可能であるという事がこんなにも素晴らしいことだということを、私は改めて思い知らされた。
いくら姿形が悪鬼もかくやというものになっていたとしても、その本質は『三十後半のおっさん』なのである。
「それにしても、お主。さっきよりも言葉づかいが滑らかになってきたのぅ」
そう言って、私の前を歩くレアテミス嬢が振り返る。
「アリガトウ。コレモヒトエニ、貴女ガ根気強ク私二話シテクレタオ陰ダ。感謝スル」
私は立ち止まって、自分の膝小僧くらいしか背丈のない少女に対して頭を下げる。
『こちら側の世界』で頭を下げるという行為が感謝の意を示すということを教えてくれたのは他のならぬ彼女だ。
まぁ正直なところ、今の私は彼女たちが操る言葉を使っているのではなく、身に纏っている特殊装甲に内蔵されている『翻訳機能』が解析し登録・置換した『音』を、そのまま発音しているにすぎない。
だから彼女が今後も私とおしゃべりを続けてくれさえすれば、この話しづらい状況は改善されてゆくのだ。
しかしそれは悪く言えば、彼女にばかり情報を公開してもらっているようなものであり、気持ちの良いものではないと私は感じていた。
それゆえに私は彼女に感謝と、少しばかりの謝罪の念を込めて頭を下げたのだ。
彼女はそれを知ってか知らずか、そんな私に対して構わないとばかりに顔の前で手を左右に振る。
「なに、見知った坑道に出るまでの暇潰しみたいなもんじゃ。そう畏まらんでよい」
―――そう。
深い大穴を何百メートルと落下した私達は、【鉱亜人種】が生活圏としている『上層部』と呼ばれる階層に上がるために目下移動中なのである。
ところが残念なことに大穴をあまりにも深く滑り落ちてしまったせいで、我々の現在位置は下層も下層、『最下層底部』と呼ばれる一番下。
それゆえに私にとっても、まして『上層部』からあまり出たことがない彼女(【鉱亜人種】の姫)にとっても、今いる場所は『前人未到』と呼ぶべき場所であった。
「困ったのぅ。いつもは一番深く潜っても中層までじゃったから、上に上がるための帰り道がまるで分からん……」
私は片膝をつくと、うんうんと唸っている少女の肩に手を置いて心配ないといったような素振りをする。
『艱難汝を玉にす』とはよく言うが、最近の若者は自分の請け負いきれる能力以上の事を何でもかんでも背負い込みすぎるきらいがある。
根を詰めすぎて無理に思い悩んだり、進んで苦境に立ったりする必要もあるまい。
「大丈夫。空気ノ流レガアル以上、行キ止マリトイウコトニハナラナイ」
そう言って立ち上がりながら、私は気流のある方向に顔を向ける。
「空気の流れ? お主はそんな事まで分かるのか?」
「問題ナイ。私ノ頭ニ生エテイルコノ角デ、空気ノ流レヲ把握スルコトガ出来ル。ダカラ、我々ガ辿リ着クベキ場所ハコノスグ近クニアルハズダ」
私は人差し指で自分の頭をコツコツと叩く。
「なんと。随分便利な身体じゃのぅ」
「モットモ、私トシテハ『コレ』ノセイデ背モタレノアル椅子二深ク座レズ苦労ガ絶エナイ」
クルリと振り向いた私は、腰から伸びる長くしなやかな尻尾をわざとらしくフリフリと揺らしてみせる。
「ふふふ、それは確かに困った案件じゃの」
張りつめていた緊張が解けたのか、ようやく傍らの少女が微笑んでくれた。
人というのは人種や文化、思想や時代とは無関係にさまざまな表情を見せる。
喜び、怒り、悲しみ、驚き、恐怖、嫌悪……。
それは『こちら側の世界』でも変わることはなかった。
ならば、やはり顔見知りの人物には安心して笑っていてもらいたい。
それが子供であるなら尚更だ。
◆◇◆◇◆
とりとめのない話をしながら妾達が歩き続けていると、この者の言う『空気の流れ』とやらが目的の場所まで辿り着いた。
「コレハ……」
「壁、じゃのう……」
しかし、そこは再び絶壁がそびえる場所じゃった。
足元にあった小石を壁に投げてみた。じゃが壁に跳ね返った音がした後は後ろから落ちてきた石の音しか響かんかった。
つまり、壁の先にあるべき天井はかなり高い位置にあるということになる。
それと同時に、どうやら妾達をここまで導いてくれたの『空気の流れ』とやらは岩壁同士に出来た僅かな隙間を通って外界へと漏れ出ているようじゃった。
つまり、私達の今いる『この場所』こそが『現段階での目的地』だったのだ。
「は、ははは。まったく、なんということじゃ……。下手な喜劇でもこんな結末などそうはないぞ」
妾は手を握りこむと、ドアを叩くように力なく目の前の壁をトンッと叩いた。
まるで鞴に穴が開いてしまって使い物にならんかのように、それっきり妾の身体から力が抜け、その場にへたり込んだしまった。
「工匠長は『我らに恩恵を下さる鎚神様はいつも気まぐれだ』と言っておったが、まさかここまでだったとはな」
「…………?」
妾の呟きの中に出てきた聞き慣れない単語があったのか、隣にいる大男『リーパー』はただただ首を傾げるしかなかった。
「リーパー、お主も。妾の最後の供回り、大義じゃった。お主がいてくれたからこそ妾はあの化け物に喰われずに済んだし、くずおれずにここまでやって来る事が出来たというもの。本当に、本当によくやってくれた」
「…………」
「どうした? 妾が誰かを労うなど滅多にあるものではないのじゃぞ? なんとか言ったらどうなんじゃ?」
「……ツマリ、貴女ハココマデ来タノニ諦メテシマウ、トイウコトカ?」
「ッ! そう、じゃ……そうじゃとも! それの何が悪い!」
リーパーの言葉についカッとなっしまった妾はそのままの勢いで立ち上がり声を荒げた。
「墜死を免れ、化け物から救われ、お主の言う『空気の流れ』とやらに一縷の希望にすがって臣民の元へと戻れると思っておったのに、見ろ! 壁じゃ! 壁じゃ! どのくらいの厚さか、どれくらいの高さは知らんが、いくらお主の剛力とてこの絶壁はどうすることも出来ん! そんな簡単なことも分からぬのか、このたわけ!」
「ム……」
あらん限りの声で吼えた妾はハッと息を飲んだ。
「す、すまん。怒りに我を忘れて妾は命の恩人になんということを……」
付いて来いと言っておいたのは妾自身じゃのに、その実、これほどまで下層に降りたことの無いのが実情じゃった。
それゆえ、一歩また一歩と洞窟の中を進むにつれて妾の心に『焦燥感』と『不安』が重く圧し掛かってきおった。
本来なら【鉱亜人種】として生を受けたのならば、地下の世界に精通していると思われがちじゃ。
じゃが実際は自分達でさえその全てを把握している者なぞ誰一人としておらんかった。
なぜなら地下には地下の、地上とは別の生態系があるからじゃ。
地上の者達にとって【小醜鬼族】や【醜猪鬼族】、【爬虫亜人族】といったモンスターが脅威であるように、妾達【鉱亜人種】にも脅威が存在するのじゃから。
さっき襲いかかってきた大ムカデが良い例じゃろう。
それにいくら地下の世界に精通しているとはいえ、無闇やたらにあちこちを掘り返せば落盤や崩落が起こるし、最悪地下水脈や溶岩だまりにぶつかってしまえば、大勢の同胞が命を落とすことじゃってある。
極めつけは目の前に立ちはだかっている『絶壁』じゃ。
鍛治師長でなくとも、この壁が巨大な露岩の一部じゃということはすぐさま気付く事が出来よう。
正直に言えば、リーパーが口にした『空気の流れ』とやらに淡い期待をしていた。
それを辿ればすぐさま見知った場所に出られるだろうと高を括っておった。
それに、妾達が今何処におるのかすらも怪しくなってきているというのに、強がって『ついて参れ』と言ったのは他ならぬ妾自身じゃ。
今さら、道に迷った帰り道どころか、元来た道すら分からんなんぞ口が裂けても言うわけにはいかん。
そんなことを口にすればそれ即ち【鉱亜人種】の矜持さえも捨て去ってしまうことになる。
じゃが、その矜持でさえ現状を打開することは出来ん。
リーパーがが言うには『空気の流れ』はこの壁の隙間から漏れ出ているのじゃという。
まさに万策尽きた状態、途方にもくれようという。
それなのに妾は、妾以上に地下の事を知らぬリーパーに対し、声を荒げ自身の心に渦巻く様々な感情を勢いに任せて吐露してしまった。
挙げ句、ここまでなんの文句も言わずについて来てくれた者に対して罵声を浴びせるなど、仮にも【ドリュアタイ地下帝国】の王族に名を連ねる者として目に余る行為をしてしまう始末。
妾は自身の行ないを恥じ、母親に叱られた子供のように項垂れたまま塞ぎ混んでしまった。
きっとリーパーもこんな恥知らずに名付けられたことをさぞ厭うていることじゃろう。
暫しの間、妾とリーパーの間になんとも言えん空気が漂ったような気がした。
長い沈黙ののちリーパーが踵を返して歩き始めた音が聞こえる。
ついに妾は命を救ってくれた恩人にさえ見放されたのだと悟った。
その不甲斐なさと後悔、独りとなってしまった不安から、妾は自然と目からあふれ出す涙を止める事が出来んかった。
「……ヤじゃ、イヤなのじゃぁ。死に、とうない。……ひっく、ひっくっ。この、ようなと、ころで妾は死にとうないのじゃぁ。ふ、ふぇぇ~……!」
妾は自らの両手で自身の体を抱きすくめるようにしてかき抱いた。
恥も外聞も、身分すらもかなぐり捨てて、年相応の娘のような泣き言を漏らしていた、その時。
―――ドスンッ!
「ひぅ!?」
突然、左斜めに落ちてきた大岩が上から落ちてきたのだ。
泣きぬれたままじゃった妾は驚いて思わず身を起こした。
そしてそこにはどこかに行ってしまったとばかり思っていたリーパーがおった。
リーパーはその岩を椅子代わりにゆっくりと腰を下ろすと、静かに口を開いた。
「……どヴぇるぐノ姫。ヨク話シテクレタ。アリガトウ」
「……ふぇ?」
妾は最初、何に対しての感謝をされていたのか見当がつかんかった。
「貴女ハ、臣下デモナケレバ素性モ不確カナ私ヲ心配サセナイヨウニ、不安ニサセナイヨウニ、貴女ノ内ニアッタ感情ヲ押シ殺シテイタノダナ。私ハソノ深イ慈シミト気丈ナ心ニ敬意ヲ払イタイ」
そう言ってリーパーは妾の方に向き直ると、ゆっくり頭を下げた。
「や、止めよ。お主ほどの勇猛果敢な男がそう簡単に頭を下げるものでは……!」
【鉱亜人種】は自分の出自や持っている技術に対して過敏ともとれる自負をもつ。
じゃから、絶対的な権力者に対してでも堂々と胸を張り、その意固地な性格のせいで時には尊大だなんだと揶揄されることもままある。
反対に、『頭を下げる』という行為は自分を敢えて格下の立ち位置におくことを意味し、おいそれと簡単にして良いものではないというのが【鉱亜人種】共通の認識なのじゃ。
妾がそれをなんとか説明しようと唸っておると、リーパーがスッと頭をあげて言葉を続けた。
「シカシどヴぇるぐノ姫。私ニ対シテソノヨウナ心配ハ無用ト言ワセテホシイ」
「? それはどういう事じゃ?」
「常識、先入観、固定概念。ソウイッタ『枠組ミノ外』ニ、私トイウ存在ハアル。今回ハ『理ノ外』ト言ッタトコロカ……」
「む、むぅ……?」
リーパーはのっそりと立ち上がると、目の前に広がる巨大な岩壁の前に立った。
妾がリーパーの言葉の意味を計りかねていると、奴はおもむろにニョロリと伸びている尻尾の先を壁に押し当てた。
と、次の瞬間、妾は驚愕と共に我が目を疑うこととになる。
―――それは『光』じゃった。
この暗闇に閉ざされた洞穴の中で、なんの種火もない場所から突如黄金色の光が生まれ出でたのじゃ。
「なッ!? ななな、なんじゃそりゃーッ!?」
妾は素っ頓狂な声を上げながら目の前の光景を凝視する。
それは、リーパーの尻尾の先端部分と接しておった岩が、まるで氷が溶けるように、少しずつ無くなりながら光を放つ光景じゃった。
「……っト。コンナ風ニ尻尾ノ先端ヲ当テ続ケテイレバ、岩ハ削レ、明カリモ手ニ入ル。コノ先ノ空気ノ流レモ追ウコトガ出来……」
「待て待て待て待てえぇぃ!! こんな風に、じゃないわッ!! このたわけ!」
さらりと説明をし終わろうとしていたリーパーを指差しながら、妾は声を荒げる。
「……?」
「い、一体、今お主は何をしてるのじゃ!? 【法術】か!? 【法術】の類か!? いや、それならばお主が【法杖】や【法石】を持っていないのはおかしい!!」
「? 【法術】トハ一体ナンダ? 魔法ノコトカ?」
「マホウ!? マホウとはなんじゃ!? 今のがマホウか!?」
どうやら妾達は、お互いの常識に未だ齟齬があるらしい。




