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幸田露伴「うすらひ」現代語勝手訳(8)

 其 八


 その時、雪丸は身動きもせずに叔母の顔をしばらく見詰め、大層に重々しく口を開こうとすれば、お静は一寸(ちょっと)首を()()けて、新三を優しい眼で見ながら、

「新ちゃん、お前のお父様に私が断りを言うて来たから、今夜はここへお前を泊める。ゆっくりお小夜とあっちへ行って『竹がえし』でもしてお遊び」と、お小夜、新三を隣の部屋に立たせて、

「学問も厭、退学も(はや)、独断でそなたがしたというには、しっかりとした理由が無くてはならぬ訳だが、さあ聞きましょう、その仔細を。雪丸、そなたももう、一人の立派な男児(おとこ)児童(こども)ではなし、その座り(ぜい)が高くなったのと、肩の(いか)ってきたのは、自分でも大抵気がつくであろう。ただ学問が厭になったというだけで我が(まま)を言って済む歳ではない。兄様のご遺言を受けて、十五の歳からそなたを預かり、十七の春、東京の育英(いくえい)義塾(ぎじゅく)へ出して今日まで、新聞を見たり、世間話を聞いたりする度、書生のことになれば、必ずそなたのことを心に浮かべぬ時はなく、ああ雪丸は幸せなことに、よくありがちな堕落もせず、勉強三昧で居てくれるか、品行(みもち)も善くて居てくれるかと、気遣い気遣い、別段悪い噂も無くて、学期ごとの結果(できばえ)も好く、そなたの学が進んで行くのを知る度に、嬉しいことだ、こうでこそ亡き兄上にも嫂上(あねうえ)にも、私が頼まれた甲斐があったものだと悦んでいたのに、今の言葉はどういう理由(わけ)か。雪丸、『我が身の亡き後は母とも思え、父とも思え』とそなたの父上が枕元に私を呼んで、そなたに向かって言い残された言葉は覚えていよう。『子とも、弟とも見てくれ、我が亡き後は充分厳しく、我に代わって諭し、育ててくれ』と、そなたの前で私に仰ったこともまだ忘れずにいるであろう。次第によっては許しませぬぞ。さあ、きちんとその仔細をお話しなさい。聞きましょう。本当に道理のあることなら、たとえ学問を厭と言おうが退学を自分の一存でしてしまおうが許しもしましょう。でなければ、絶対聞き捨てにはできませぬ。そなたの身のため、又兄上への私のしなければならない義理のためにも、ただそのままでは済ませませぬ。雪丸、そなたは児童(こども)ではない。さあ、その訳をこの私の納得が行くようにお話しなさい。怜悧(りこう)でもあり、学問も益々できてきたであろうそなたの考えに無理無法はないだろうから、思慮も浅く、(ほん)も読まない私にでも分からないことはないはず。さあ、一通りお聞かせなさい」と、兄の大事な子を託された女だけに、話の中に揺るがせぬ釘をも刺し、(くさび)も打ち込んで問い糾すのを、蚊の鳴くほども思わぬ顔をし、さも自分が強いことを見せびらかすように高笑いして、

「ハハハ、アッハッハ、アッハッハ、叔母様、僕は仰る通り、(はや)立派な男児(おとこ)一匹です。如何(いか)にも男児一匹とは、何時までも児童(こども)のようではありませぬ。お手紙の度に、風邪を引くな、暴食をするな、身体を大事にせよ、と書いてよこされる叔母様のお眼には私がそのような児童(こども)に見えまするか? 宜しい、それでもう宜しい。くどくどしたことは申し上げなくても宜しいかと思います。男児(おとこ)が男児の考えで以て一身の片を付けるのに不都合はござりませぬ。学問は棄てました。何と仰られてもキッパリと棄てました上はどうしようもござりませぬ。ご意見をされても無駄でござりますれば、断固お断り申します。ナーニ、叔母様、学問は出来たところで詰まりませぬ。書物を読んで天下を取った奴はござりませぬわ。ハハハ。『劉邦(りゅうほう)項羽(こうう)も元来書を読まず』です。僕は実際父上に教育されて、十四、十五から孔子、孟子などを有り難がる書物を理解しただけの何年間の月日を無駄にしてしまいました。糞掃紙(くそふきがみ)に寿命を盗まれたのが今更に癪に障りますくらいで、学校などは見るのも厭です。取るに足らない師について取るに足らない書を読むのは、到底僕が敢えてすることもない愚かなこと。これからは僕は僕のしたい通りに人生を全うします。ついては、僕の資産に属する公債證書も、お買い置きいただきました水田も、そのままの形なり、あるいは金に換えてなりして、一時に全部お渡しを願いまする。従来ご保管下されましたご恩は深く感謝いたしまするが、今後はお世話を蒙りますまい。自分の資産をどうこうするのは自分の自由であります。ご意見は承りませぬ。遠藤雪丸はもう、一匹の男でござりますれば、決断した上は変えようはござりませぬ。


つづく


最初の方に出てくる「竹がえし」という遊び、子どもの頃によくやったのを思い出しました。

でも、今は知っている人はどれくらいいるのだろうか。

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