幸田露伴「うすらひ」現代語勝手訳(7)
其 七
新三郎の今後のことなどについては、別に新右衛門に言い出すこともなく、少しも面倒な話をせずに、ただ、新を二、三日、うちの方に預かりおかせて下されと、優しく言うだけであった。
お静が青柳を出て我が家に帰れば、下女のお勘が走り出て来て、
「遠藤の若様がお出でになって、お帰りをお待ちでござりまする」と言う。
今年の夏の休みでさえ帰省もしなかった者が、今は勉強の最中の時期なのに、殊更東京から来たのは善いことか、それとも悪いことか、何か訳があるに違いないと、早くも色んな考えを頭巾やら長合羽やらを脱ぎ捨てる間にも胸に浮かべて、奥の一間に入れば、火鉢を前にして厳然と坐っている雪丸の風采は、この正月に見た時よりもまた大人びて、肩の幅も付き、眼も鋭くなり二月生まれではあるけれど、誰が見ても二十歳とは言いにくい分別くさい容貌となっていた。
丁度、お小夜と新三を相手にして、話を聞かせていたと思われ、
「ガリバルジーがその時に……」と、勢い込んで西洋の人のことらしい話を言いかけるその向こうには、火鉢を挟んで児童が二人、さも楽しそうに聞き入っていた。
叔母が帰ってきたのを見ると素早く座布団をすべり下りて、厳かに挨拶する口の利きようや身のこなしは、吃驚するほど世馴れていて、お静は少し微笑みを浮かべながらも抜け目なく甥の様子を見た。自分が仕立ててやった銘仙の綿入れ、黒紬の羽織、小倉の袴をそのまま身につけているところはまだ可愛く、別に都会の色に染まって、生意気になったような感じでもない。幸いにも、惰弱な書生の仲間に入って、寄席とか楊弓場とか牛肉屋など、勉強より遊興の方へ身を委ねるようにもなっていない様子。遠藤兵太夫と言えば、一藩の褒め者であった兄上の子どもで、自分の甥ながら、敢えて励ますことはしなくても自ら励み、学問だけでなく、何事にも人に後れは取らないという覚悟はしっかりしているだけに、勉強もさぞかし進んだのだろう、考え方も少しばかり老いてきたようでもある。ここ七、八年が大事なところで、躓きさえしなければ、男児はそれからは器量次第ではあるが、きっと幸運の花も咲いて、福徳の実も結ばれるというもの。亡くなられた兄上にも嫂上にも我が身の面目が立つというものである。何卒悪いこともなく、横道へそれることのないようにと、祈る矢先に、今年の夏は帰省すべきところを帰省せず、今はまた来るはずのない時に来たのはそもそもどういう訳か。様子に変わりは見られないが、一日会わなければ一日だけ人は誰しも変わっていくもの。特に、思想の善い方にも悪い方にも、今が盛りと勢いが強く走りがちな二十歳、二十一歳の若者である。どんなことで来たのか、もしも授業の無い休暇の時などで帰って来ただけなら何の心配も無いのだがと、ゆっくりと学業の様子などを尋ね、塾が休みか何かで遊びに来たのか? と問い出せば、雪丸はにこにこ笑いながら、
「叔母様、僕は退学しました。ハハハ、学問などはもう厭です。そのお話をしようと思い、わざわざこちらに参りました」と、思いの外、荒っぽい言葉を反り身になって言い放つので、お静はどきりと胸が波打ち、思わず膝を前に進めて、顔色を少し変え、
「雪丸、それはどういうこと?」
つづく
「うすらひ」は、『其 十四』までありますので、現在、半分を終えたところです。