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幸田露伴「うすらひ」現代語勝手訳(3)

 其 三


 自分がしてしまった粗相(こと)なので、一言も言返すことができず、無慈悲にも辱められる恨めしさは骨を削るばかりである。ただ夜具の中に身を(すく)め、やせ細った震える掌を合わせ、

「面目ない、許して……」と言うが、そんなおとわの顔をジロリと見やって、

「許したとしても、よくもできましたこと。三歳(みっつ)四歳(よっつ)稚児(こども)でもあるまいに。道理がどうの、糸瓜(へちま)がこうのと種々(いろいろ)なことをちゃんとご存じで、度々お説教なさった方が、うちの(とみ)でもせぬようなことをなさるというのは……、ハハァ分かりました。指の先も()ちようというこの雪の日に、私を困らせて腹の底で笑ってやろうとの魂胆でございまするね。ハイ、沢山(たんと)面白がられまし、面白がられるのなら、このままにして置いてはどうせ汚穢(きたな)くって臭くって堪りませねば、氷の水で洗濯もいたしましょうし、泣きっ面もいたしましょう。オヤ、涙をお(こぼ)しなさいまするの? それほど私が辛い目をするのがお嬉しゅうござりまするか、お可笑(おか)しゅうござりまするか。フフ、涙はこっちで溢したい。サア、洗わなくってはいけませぬ。何をぐずぐずしておられる。さっさとそこをお退()きなさい」と、言いざまに掻い巻きを撥ね退けて、手荒く蒲団をグイと引けば、(はらわた)の出た破れ畳の上に半身をずり落とされる。途端に、痛む身体のあちこち。

「あ痛っ!」と(しか)める土色の(おもて)の頬に涙の玉が乱れる折も折、サラサラと()かり障子(しょうじ)の窓に雪の当たる音がして、隙間から漏れる刃のような風が、寝衣(ねまき)一つとなって剥かれて鳥肌立つ身に突きかかる。それはこの世における『阿吒ゝ(あたた)地獄(じごく)』。わずかに残った歯を咬んで忍ぶ寒さに唇さえ白くなるおとわの姿は哀れと言うだけではとても言い尽くせないものであった。


 さっきから隣の部屋にいた新三は弟の富を相手にして(ゆき)(どう)(みょう)を作ろうと油に浸した燈心を丸めて雪に空けた小穴に通し、今しがた火を点け、火先が紅く映る雪の白くて半ば透き通るような色になる美しさに、

「璧だ、璧だ」と、誉め喜んで、手が凍るのも忘れて自分の掌に載せながら、立ち上がっては高く掲げ、坐ってはじっと見て、弟と二人夢中になって遊んでいたが、奥の物音を聞きつけて、何事かと襖を開けてみれば、お力が突っ立っていて、婆が夜具を引き剥がされ、どういう訳か解らないが、泣き伏せっている。それを見て新三は大いに驚き、

「母様、堪忍して、お婆様がそれでは寒い」と言うが早いか、子ども心に思わずここまで持って来た雪燈明を放り出して、死んだように(かが)まっているおとわの肩に掻い巻きを掛けようとするが、お力は怒り、

「ええ、この餓鬼は猪口才(ちょこざい)な、子どもの癖に出過ぎた真似を。言い付けた用は何一つ満足にしたこともないのに、余計なところへは口を出す。雪に火などを点けくさって、私の足へ何故ぶつけた。熱い熱い、ええ、熱かった。火傷をしなかったから良かったものの、おのれも私を泣かせる気だな。ええ、ええ、見ろ、畳は雪だらけだ。間抜けめ、油の付いている燈心から先に何故拾わぬ。貴様の好きなお婆様はな、蒲団の上に綺麗なことをなさったのだ。それ、これを洗わずに置かれるか。鼻の(さき)に擦りつけてやったら貴様にも分かったであろう。寒いのも自分でしたことだから仕方はないわ。ナニ? それでもあんまりだと言うのか? お婆様のこことなるとよくつべこべと口を出す奴め。こんなことを仕出かしたのと、この始末を付けるのとどっちがあんまりだ。そんなにお婆様を贔屓(ひいき)に思うなら、貴様の蒲団を貸してあげな。そして、貴様は蒲団なしでこの寒い夜を寝るがいい。何? そうしますと(ぬか)すのか? よしよし、一人で夜具棚から出して来い。貴様が勝手にすることに私は手は貸してやらぬぞ。今夜寒いと言って泣くな。お父様の中へも潜り込むな。何時ぞやのように後で謝罪(あやま)っても許してやらぬぞ。後悔するなよ」と、あくまでも意地の悪い言葉に、児童(こども)ではあるけれども、お力を恨み祖母を(いたわ)る一念で、口惜しさ、悲しさをこき交ぜ、自分の蒲団を取りに行こうと納戸に向かって走って行くのを、

「新坊、新坊、私は蒲団は欲しゅうない。そなたが今夜寒い目をして風邪でも引いては私が今寒い目をするよりも、もっと辛い」と、止める婆も涙を流せば、返事さえもせずに駈けて去る新三も同じく涙である。


 棚に乗ったのか、踏み台を使ったのか、兎に角自分の蒲団を引き摺り出してきて、新三は婆に敷かそうとするが、婆はなかなか敷かせまいとする。この時までも何かがみがみ罵っていたお力は立って、急におとわに寝衣(ねまき)を換えさせ、汚れた方を新三に押し付けて、

「お前はなかなか怜悧(りこう)()だと、眞里谷の高慢な後家も言っていたが、成程なかなか怜悧な児で、お婆様には孝行だ。おお、おお、好い児だ。今に御上(おかみ)からご褒美でも出ましょう。おお好い児だ好い児だ。好い児だからお婆様のこの寝衣をちょっと流水(ながれ)で洗っておいで。(たらい)だと汚れる。家ではならぬ。川へ行って洗っておいで」と、寝衣を(かぶ)せ、小突き回して、大人でも戸外(おもて)に出るのを憚る雪の真っ只中に、裏口から外へと強く押し出した。


つづく

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