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幸田露伴「うすらひ」現代語勝手訳(11)

 其 十一


 朝食が終わって、お静は雪丸に向かい、

「昨日、そなたが言い出したことの返事を昨夜考え、結論を出したので一通り言って聞かせましょう。気持ちを落ち着けて、よくお聞きなさい。そなたが昨日言ったことの他に、私にまだ打ち明けていない事情があるかも知らぬが、先ず第一にそなたの真意が私には少しも分かりませぬ。学問は厭になった、商売をするでもない、目的は言わぬ、支邦(*中国)へ行く、三年、五年で帰って来るか、一生帰ってこぬかも知れぬ、それで資産を残らず持って行くでは、何とも()とも話のつけようがないではないか。『決心しました。ご意見はご無用でござりまする。雪丸は男児(おとこ)一匹でござりまする』と、無暗(むやみ)に男ぶって威張ったところで、それは仲間内では大いに通用もしましょうけれども、私にはまったく値打ちのあることと感心出来ませぬ。過般(このあいだ)まで児童(こども)であったそなたを知って知り抜いている私の眼からは、片肘を(いか)らせて、ぎくしゃくと豪傑(えら)がったところで、まだまだ小児(こども)に見える。

 口もなかなか達者になり、少しは苦労も覚えたらしく、立ち居振る舞いもよく出来ているようにも見えるが、どうして、思想(こころ)はまだ練れておらぬ。話の前後(あとさき)を考えてみれば、どうやら支邦へ渡って、四百余州を征服でもしようというような無分別な考えででもあるかに思われるが、万一そのようなことででもあるなら、まあ一度、自分の器量の度を悟るため、思い通りにやってみて、金と時間を失敗(やりそこない)の履歴に代えるも可笑しかろうが、まあそうするより従来(いままで)通りに一段一段学問の梯子(はしご)を上りつめ、高いところに身を置いてからよく四方を見て、その後に東へなりと又西へなりとも動き出して世間を踏んだ方が過失(あやまち)のない()い道だと思う。忠義水滸伝や三國志を読んで、急に豪傑になってしまうような弱い根性の人が、とかく歳をとってからは後悔の溜息ばかりついているような実例(ためし)は幾らも見て知っている。まあ、豪傑にもなりたかろうが、この四、五年をじっと(こら)えて充分勉強した方が好さそうにこの私は思う。女々しい(こころ)で止めるのではない。好いことでさえあるならば支邦へなり、印度へなりともそなたを手放さぬではないが、足元から驚いて鳥が立つようなそなたの今度の企画(くわだて)は、多分土台が(もろ)そうに見える。夢の背中に妄想の(くら)を置いて、それに乗ってする旅行なら、何時かは悲しみ苦しみの谷へ落ちることになる。自分の飼い犬が他家(よそ)の犬に咬まれただけで(たちま)ち拳を握りしめ、歯ぎしりをして怒るような二十(はたち)、二十一の歳の頃の者が、ふらふらとした思想(かんがえ)で何一つ出来るはずもない。まあまあ駈けるよりもゆっくり歩き、小径(こみち)より大道(おおみち)を辿った方が(つまづ)くことも迷うこともあるまい。今の書物はそなたが時々送ってくれるもの以外覗きもしない私などが言うまでもなく、そなたにはこれくらいの道理が分からない訳もないだろうが、歳が若い、歳が若い。過般(このあいだ)送ってもらった(ほん)の中にあったあの虞蘭土(グランド)という人の、大国をどうにでもできるほどの手腕(うで)を持ちながら晩年までは特に何かをしたということもなく済ませた。そこがそなたの眼には入らなかったか。それ程の器量を持っていて、詰まらぬことに身を委ね、悠々としていた、そこが本当に(すぐ)れたところかと私はつくづく感じました。呂尚(りょしょう)(*古代中国・周の軍師)にせよ孔明にせよ、私などが知っている豪傑だけでも、じっと堪えてか、悠々と楽しんでか分からぬが、何にせよ大抵は功を急ぎも奇を(てら)いもせぬ。そなたも知っている家の古屏風の貼り交ぜの中にあるあの手紙の書き手の平賀源内は、才気も勝れ、学問にも秀でた男ではあるが、器量が小さく、ただただ功を求める卑しい心が絶えなかったため、一生碌なこともせずして土の中に入ってしまった。哀れと言えば哀れなような、結局小人だったと、何時やらの土用干しの折、益齋(えきさい)殿が評されていたのを聞き、成程と思ったことがあるが、雪丸、そなたは源内ごときものの亜流となっていいのか。ああ、歳が若い。そなたくらいの年齢では、ただ余所見(よそみ)もせずに沈黙(おしだまっ)って苦学するのが豪傑なのであって、豪傑がるのは到底碌な者にはならぬ。焦り過ぎ、気負い過ぎというものである」


つづく


※ 現代語訳と銘打っていながら、「ありがとうござりまする」とか「そなた」とかいう言葉をそのまま残すのは如何なものか、と言われることがある。また、当て字で「児童」や「小児」や「幼児」を「こども」とわざわざ振り仮名を付けて読ませるのは煩わしいのではという声もある。あるいは、「我」を「われ」、「おれ」、「わたし」と一つの言葉で使い分けるのもどうかとの話も。

これらはいつも私を悩ませている問題でありますが、とりあえず、この「うすらひ」においては、今のままのスタンスで続けていきたいと考えています。

こうした現代語訳の問題点に関しては、いずれどこかで書いてみたいと思っています。

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