鍵を握る女【後編】(「硝子の悪魔」シーン5)
気鷟は言いにくそうに言葉を濁した。少し隣の雪乃に目をやる。
「僕は、雪乃の所属しているあるグループにいれてもらおうかと考えているんです」
「あるグループ?守ではなく?」
「〈黒蝶〉というグループです。袾音様」
「〈黒蝶〉?」
―――いずれ袾音と秋に深く関わることになるその組織の名称を、袾音はこの時初めて口にした。
「守が何かを守ることは……実は今や表向きの仕事だと、袾音様は御存知ですか?」
「いや」
初耳だった。表向き………?
「人や家を守ることだけで、守が――――守のような一族で特殊な仕事を担う旧家が生計を立てられたのは、明治時代頃までの話だそうです。科学が発達してからは、仕事がどんどん減って………」
水浪より一歩遅れた衰退の道を歩んでいるわけだ。
「一時期、守の家はとても生活が苦しかったそうです。そんな中で、東京を中心に、あまり表沙汰にできないような依頼を受けるグループがいくつか発足し始めて………。〈黒蝶〉もその一つです。〈黒蝶〉は、そういった他の新興グループが私達のような旧家の人間に自分達のグループへ入らないかと誘ったのと同様に、守に声を掛けました。〈黒蝶〉は契約制だから、守の人間が本来の仕事をしながらでも出来ると。………守は、その申し出を受けました」
哀しげに雪乃は畳に目を落とす。
「現在は、私達のような、平安時代から続いているような生業を持つ旧家と、プログループとには密接な結び付きがあります」
古い家は古いままでいなかった。ハイテクを取り入れてゆく犯罪集団と手を組んだ。
「…………なるほど」
袾音は少なからず驚いていた。そんな事実があるとは。
表沙汰にできない依頼。それが何なのか、聞かなくても大体想像はつく。
「……………諜報と…………暗殺です。〈黒蝶〉の主な仕事は」
とても小さな声で、雪乃が付け足した。
「私の前で罪人のような顔をすることはない―――――――袾音も同じようなことをしてきた」
雪乃が〈黒蝶〉の人間で、そんな仕事を、きっと物心ついた頃からずっとしてきているにしても。秋をそこに引き込もうとしているとしても。ここには、水浪には、雪乃を責められる者はいない。
満月の来訪者。まれにやって来る者達の願いもまた、清廉潔白な望みではない事がほとんどだ。〈黒蝶〉に届くだろう依頼と似たようなお願いを運んでくる来訪者が多い。
水浪は、やって来る者全ての願いを叶えなくてはならない。
それが、慣習だから。それが、水浪という「聖域」を守る為だから。
「晶さんだけじゃない。歴代の袾音はみんな、酷いことをさせられて来た。訪問者の願いは絶対なんだ。願いが叶わなければ、訪問者は水浪を崇めてくれなくなるからね。袾音はあらゆる方法を使って、願いを現実にしなくちゃいけない」
「やっぱり、何か………特別な力があるの?袾音様には」
雪乃が秋に訊いた。
「同じ『袾音様』でも、一人一人能力が違うんだ。晶さんは、『袾音』の中でも力が強くて、いろんな種類の素質を備えている人だけど、特にことばの力がすごい人で、心をこめて言った言葉は『言霊』になって、必ず現実になる。あと、預言の的中率も晶さんは高いんだ。今までの『袾音様』では、透視が百発百中の人とか、占いが得意な人とかがいたみたいだよ。………先代のように、何の力も持たない人もいる。そういう場合は、僕達のような周りの人間が来訪者の願いを叶えなくちゃいけないんだ。たとえどんなことをしても」
僅かでも力のある他の水浪の人間が、手を尽くさなくてはならない。
「気鷟は陰陽道に秀でているからな。安倍晴明の再来だと言われているぐらいだ」
「褒めすぎですよ、それ。だいたい晴明さんが活躍なさったのって、だいぶ年をお取りになってからなんですよ。僕はもう一応見ても現役なんですけど」
「私も秋ちゃんは能力の高い人だと思います。………でも、私達京都の旧家の間で、神様の御子のように言い習わされている袾音様がそんなことをしているなんて、私には意外でした」
雪乃の台詞は嫌味ではなく実直な感想によるものだった。袾音は珍しく御簾越しに微笑む。
「『袾音』はただの人間だ。無論、私も。果たすべき使命も何も持たない。妙な力があっても、私に神の声は聞こえない。私は神や仏の為に生まれてきたわけじゃない………だから、悪魔にでもなれる」
「それは預言ですか?」
おどけた調子で秋が尋ねた。フ、と袾音は笑う。
「さあな。何が預言で何がただの戯言なのか、自分でも分からないんだ。私には