秘密の
容姿の描写は基本的にしていないつもりなので自由に想像していただけたら幸いです。
久しぶりの創作なのでそこの所ご容赦ください(*^^*)
彼がこれをどうしようと構わない。ただ私の自己満足でいい。
そう思いながら今日もしっかりと彼に持って行ってもらうための昼食を作った。
彼と私は夫婦らしくない。朝の挨拶も夜の挨拶も、行ってきますも、お帰りなさいも、書類以上の夫婦の関係すらない私たちだけれど、別に彼に厭われているからじゃない。
彼の仕事の関係で結婚当初から一年、一度も同じ家に住んでいないからだ。
ちなみに夫婦であることも秘密。
彼は私が寝ている間にこの家にやってきては、翌日の昼食だけを持って出て行く。
それが確認できるのも翌朝、用意していた物がなくなっているかどうか、それだけなのだ。
我ながら何とも変な夫婦だと思う。
それでもこの関係を嫌だと思わないのだ、私は。
朝の光で目覚めてしまう私は、貧乏の底辺を這っているような没落貴族の娘だ。
家のことは自分でやること、そんな教えが身についた私はどうにも貧乏性だ。
身だしなみを手早く整えると、家の掃除をして自分の服しかない洗濯を終わらせる。
そして家の戸締りを確認して市場まで買い物へと出かけた。
「あら、お嬢さま!おはよう、今日は何を買いに来たんだい?」
馴染みの八百屋で恰幅のいい店主が声をかけてくれる。ここらあたりに住む人は、この地を治める私たち一家が貧乏なことをよく知っているし、もちろん結婚のことは隠されているのでお嬢さま、と呼ぶのもおかしなことではない。
「…そうねぇ…じゃあいつもの野菜と、林檎が美味しそうだから一番大きいのもらえる?」
「まいど、ありがとうね!」
「こちらこそありがとう」
八百屋を後にしたら次は仕立屋へと向かう。この市場は活気に溢れていて、決して豊かではないが良い場所だ。
「あ、お嬢さま! 今日もありますよぉ〜」
店番をしていた娘が満面の笑みで言い残すと奥から籠に入ったたくさんの布とボタンを持ってきた。
「いつもごめんなさいね、ありがとう」
「いえいえ! 切れ端ですからね。それと、これは私からのプレゼントです」
いつもの布を受け取った後に、そう言って娘に手渡されたのは、とても綺麗なグラデーションの布だった。
「これは…?」
「この前私が織った布です!とっても綺麗にできたからお嬢さまにもらってほしくて!」
「いいの?」
「もちろん。ぜひ何かに使ってください」
「…ありがとう。大事に使わせてもらうわ」
丁寧に折って袋に入れると、再びお礼を述べて仕立屋を出た。
そのあとは一通り市場を回って、皆の暮らしに不備がないかどうか確かめてから家へと戻った。
「よし、お昼ご飯ね。何にしようかしら…」
買ってきたばかりの野菜で自分のお昼ご飯と夕ご飯の支度、更には今日の夜にまた取りに来るはずの旦那さまのお弁当の準備も終えた。
お昼ご飯を食べている途中に、一時を告げる鐘がなっていた。今日も予定通りに家事が終わったのでしばらくは余裕がある。
もう少しゆっくりしたらさっきもらった布で繕い物をしよう、そう決めてわずかな間眠りに落ちることにした。
私がこうやって昼寝をすることは珍しいことではないが、最近は眠れないことも多く、疲れていたのかもしれない。いつも以上に寝過ごしてしまった。
夕方の5時の鐘で目を覚ました私は大慌てで旦那さまのお弁当を最後まで作り上げて、手紙を書き添えた。
そして少し前にほつれてしまっていた服の袖を繕うと、夜ご飯の準備に取り掛かった。
夜ご飯を食べてお風呂に入り、気づけば9時の鐘がなっている。
いつも旦那さまは夜中に取りに来られるから、その時まで今日は起きていよう、と決めて一人で実家から持ってきた本を読むことにした。
夢中になっていたらいつの間にか涼しい風が吹いており、一旦本を読むのをやめて窓際へと足を運ぶ。
空を見上げると月も星も綺麗に輝いていた。
「旦那さまは、お元気かしら…」
夜空を輝く星に、どうか彼を守ってくれますようにと願いを込めた。
そういえば、もったいなくてつけていなかったが、彼が結婚した時に唯一くれたネックレスも星の意匠だった。
そんなことを思い出しながら、ふと振り返った時には既に遅かった。黒い影に口を塞がれて鋭利なナイフを首筋に当てられる。
「悲鳴をあげればお前の命はない」
更に強くなった首筋の刃物に、ただ頷く。心の中では旦那さまの助けを求めているのに、彼には遥か遠く届かない。
「大人しくしていればいい。我が主の命令」
その言葉を最後に私の意識は失われた。
***
目が覚めて初めに感じたのは、冷たい床の感触。そして縛られた手足。
何が目当てなのか、誰が主犯なのか、それすら分からないこの状況はただ恐怖でしかない。小さな部屋の中にいるようだが、窓は一切ない。部屋の中に他の人がいるわけでもない。
少しでも状況が知りたくて、もぞもぞと少しずつ体を動かして起き上がる。
やっと起き上がったと思ったら、皮肉にも自分から一番離れた場所にあるドアが開いた。
現れたその姿を見て、驚きと、悪寒で後ずさった。
「あぁ、やっと起きた。…僕の花嫁」
花が開くような、まさにそんな表現が似合う笑みを浮かべた男はゆっくりと近づいてくる。
「来ないでっ!!…私に何の用なの、アドルフ・バーネット」
「その気丈な目も美しい。まさに僕の花嫁にふさわしい…用件は一つだけ。君は僕の花嫁になる、それだけだ」
「嫌よ…あなたの花嫁にはならない!!」
「そんなに嫌がらないで。大切にしてあげる。君を誰にも会わせたりしない、ずっと僕のそばにいるんだ」
狂っている。この男は昔からそうだった。まだ成人して間もない頃に、襲われかけたこともある。その時には助けが来た。だが今はどうなるか、全く分からない。
距離を詰めてくると顎を掴まれる。その手にさえ、気持ち悪さが身体全体を支配する。
頭を振って逃れようとするが、男の力は見た目に反して強く振り解けない。
「…君は昔、僕を拒絶したね。あの時はどうして? 身分が足りなかった?愛が足りなかった?…でも、もう安心して良いよ。貧乏でも古くから続く名門のお嬢さま、僕も釣り合うように貴族になった。あの頃より君を愛してる、誰よりも」
「やめて!! 私は絶対にあなたの物にはならないわ!あなたがどうなろうと私は変わらない!」
「そんなに拒絶しないで。今すぐ壊したくなる」
笑顔のままでアドルフ・バーネットは私の首に手をまわす。このまま力を入れられたら、きっと息が止まる。そう思うと怖くて、何も言えなくなった。
「良い子だね、最初からそうしてくれていたら良かったのに。そうしたら、可愛がってあげる」
そのまま近づいたアドルフ・バーネットに唇を奪われる。頑なに拒んだうえに、思い切り噛み付いてやった。
「…痛いなぁ…」
血の出た唇を拭ったアドルフ・バーネットは思い切り私のお腹を蹴りつけた。後ろの壁とぶつかった衝撃も相まって、咳き込む。
「あまり逆らわないで、可愛がってあげられなくなる。…顔には、傷をつけないから安心してね、僕の花嫁」
それだけを言い残して、再びアドルフ・バーネットはその部屋を出て行った。
ロープで縛られた腕で唇を強く拭っても、感触は取れない。気持ち悪い。
旦那さまにも口付けてもらったことないのに。
***
それから何日がたっただろうか、定期的に運ばれてくる食事にも手をつけずにいると、奴が無理やり食べさせるようになった。
それを拒むと服の下に隠れる場所を殴られる。ただそれの繰り返し。
そんなある日、いつもより機嫌よく奴が現れた。
「長く待たせてごめんね、僕の花嫁。準備ができたんだ。行こうか」
そう言って私を連れ去った黒づくめと同じ格好をした男に抱えられるように、久しぶりの外へと連れ出される。見上げた空は星が瞬いていた。
その星に、旦那さまに、助けて、とそう願った。
その時、私を抱えていた黒づくめが急に走り出し、そして奴の周りにいた黒づくめが奴とその侍従たちを制圧した。
一瞬の出来事すぎて、状況が把握できなかった。
「…遅くなって、悪かった」
私を抱えていた黒づくめが、そう言って口と髪の毛を覆っていた布をずらした。
「…旦那、さま……旦那さまぁ…!!」
それが誰か分かった瞬間に安心して涙が出てきた。我慢していただけで、本当は怖かった。
旦那さまは首に縋り付いて泣く私をそのままに、頭を撫で続けてくれた。
落ち着いた頃を見計らって旦那さまは、近くの森の影に繋いでおいたという馬に私を乗せて、奴らを制圧した人たちに何か指示を出して、その後ろから軽やかに跨るとゆっくりと歩かせた。
「寝ていろ。絶対に落とさない」
無愛想ながら優しい声に、安心してもたれかかると温かい腕が抱きとめてくれる。その温もりにほっとして、眠りへと落ちた。
***
次に目覚めた時にはなぜか、家のベッドの上で、旦那さまに後ろから抱きしめられていた。今までにこんなことはなかったので驚いて身じろぐと余計に力が入った。
「…だ、旦那さま…起きてますか?」
何となく意識的な拘束な気がして、恐る恐る声をかけると、向かい合って間近にある旦那さまの目が開かれる。
「…おはよう」
「…お、おはようございます…」
少し掠れた声が、初めて聞く声で胸が高鳴る。
「…あの、少し離して頂けると、ありがたいのですが…」
「…嫌だ」
「…心臓に悪いですからっ」
そう言ってほんのり赤くなった顔を背けると、少し距離を開けてくれた。
「旦那さま…お仕事は?」
「あぁ、異動にしてもらった。今日は休みだ」
「…そうでしたか」
何だか状況が把握できないが、おいおい話してもらえるだろう。
とにかく今は起きなければ。とにかく貧乏性の朝は早いのだ。
身だしなみを手早く整えると、二人分の朝ごはんを用意すべく保存庫を開けた。
そして、言葉を失った。
「……な、ない…」
一瞬茫然としたものの、立ち止まってはいられないと思ってとにかく行動し始めた。
「旦那さま、お食事がありませんので買って参ります。少しお待ちください」
「…いや、いい。食べに行こう」
「そんなもったいないことできません!」
「私が出すから良いだろう」
その一言で何も言えなくなった私は、旦那さまの初めて見る私服に、またもや胸を高鳴らせながら外へと出かけた。
しかしそこで大変なことに気がついた。
「旦那さまっ、結婚してるのが、皆に…!」
「…もう隠す必要はないが?」
「…え?」
「異動にしてもらったから、隠さなくてもいい。だから気にしなくていい」
「……はい」
その言葉が、その事実が、小さな喜びとなって私の胸の中で咲き続けた。
旦那さまが選んだのは市場ではなく、実家がある方に近い、少し高めのお店が揃う通りだった。その中の一軒に入ると、知り合いなのだろうか、一人の女性に声をかけた。
「あら、いらっしゃい。久しぶりね? どうしてあなたがお嬢さまを連れてるの?」
「彼女は俺の妻だ」
「…へぇ…。隠していたのも分かる気がするわ。また聞かせてよ」
「…気が向けばな。早く案内してくれ」
「どうぞ、こちらへ」
一番角の窓の席に案内され、向かい合って座ると旦那さまは好きな物を食べればいいとメニューを渡してくださったのだが、食べたことのないものばかりで迷ってしまう。
「迷うならまた来たらいいんだ。早くまともな食事を食べないと君は倒れるぞ」
そう言われて悩んだ末に、一番好きなトマトソースで煮込んだ料理を頼んだ。
そう待たない内に運ばれてきた料理はとても美味しそうな香りで、食欲をそそる。
熱そうなので冷ましながら食べていると、旦那さまに微かに笑われた。
「…何か、おかしかったですか…?」
「いや、美味しそうに食べるなと思っただけだ。それに君は食べ方が綺麗だ」
「そんなこと、ないと思います、けど…」
じっと見られていたのは何だか恥ずかしいと感じて俯いたが、すぐに食欲が勝って再び料理に手をつけた。
帰りにはいつもの市場によって、翌朝の分まで足りるように買い物をして、そこでも旦那さまの件では同じようなことを繰り返してやっと帰宅した時にはとっくに昼を過ぎていた。
隣り合わせに座ったソファの上で、旦那さまと肩を寄せ合いながら他愛のない話をしながら、幸せを噛み締めていた時、旦那さまが言いづらそうに切り出した。
「…嫌なことを思い出させたくはないんだ。だが、昨日の話を聞いても?」
「…旦那さまになら、大丈夫ですよ」
私を伺うように聞いてきたので、本当に大丈夫なのだという意味を込めて笑顔で返した。
それからゆっくりとではあるが、昨日までの起こったこと、アドルフ・バーネットとの関係などを話した。
「…辛い目に合わせた。肝心な時に側に居てやれない自分が情けない」
「そんなことありません! だって、旦那さまは助けてくれたから、ちゃんと」
嬉しかったのだ。忘れ去られたように過ごした一年の中でも、確かに私は大切に想われていた。そう実感できたから。
腰に回った手に引き寄せられて、上半身を倒れこむように抱きしめられた。
そして。
「本当に愛しているんだ」
不意に告げられた旦那さまからの愛の言葉に、今までで一番真っ赤になった私は小さな声で同じ言葉を返した。
あなたと一緒なら、どんな形でも大丈夫。
だからお願いです。
ずっと、ずっと一緒にいましょうね。
旦那さま出てくるの遅いですね、でもいいとこ取りですよ、旦那ですからね。
主人公の名前出てこないのもわざとですよ。大丈夫です、また続きというか、この後の日常を書けたら良いなとか思っているのでその時には出てくるはずです、多分恐らく。旦那さまの職業も秘密です。