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カイル

間が開いてしまってすみません。

書いたものが、消える事って本当にあるんですね。



俺がお嬢と初めて出逢ったのは、お互い乳飲児の頃だった。

俺の母親がお嬢の乳母だから俺たちは乳兄妹というわけだ。

当然そんな赤ん坊の頃の事なんか覚えているわけがない。


だが、お嬢は言う。

「私はちゃんと覚えているわよ。カイルはね、よく飲んでよく寝て、よく動く元気な子だったわ。ただね、泣く時の声が大きくて。眠ってた私が吃驚して飛び起きる程よ」


お嬢は赤ん坊の頃から記憶があると言う。それどころか生まれる前の記憶まで持っていると言うのだ。

前の人生ではジョシコウセイとかいう身分で十七歳くらいに死んだらしい。


「だから、私の方が年上なんだからね」

そう言うなら、もう少し落ち着いた行動をしてくれ、とつくづく思ったものだ。


とにかくお嬢はじっとしていない。

ちょっと目を離すともういなくなっている。

何で、そんなにウロチョロするのか、聞いてみたら よく見てみたいと言う。


「前世とまるっきり違う世界ところなのよね…。ここが今生の私が住む世界だって、確認してるの」

そう言うお嬢は少し寂しげな目をしていた。




その日もお嬢の姿が見えなくなった。


俺は最近のお嬢のお気に入りの場所へ足を向けた。

お嬢は広大な敷地の中にある丘のような小高い場所、そこにある樹を見上げていた。


「お嬢さま、何してるんですか…?」

「これ、いい枝振りじゃない?」

お嬢は俺を振り返り無某な要求をしてきた。

「ね、そこの一番下の枝なら手が届きそうなんだけど。カイルが肩車をしてくれ

たら」

「はぁ?」


開いた口がふさがらないとはこの事か。

樹に登りたい?令嬢なのに?

木登りする侯爵令嬢……。ありえん。あってたまるか!

以前夏の暑い日には池の中に入って水遊びをしていた時も呆れて

「何してるんですか!危ないじゃないですか!」

と叱ると

「大丈夫。スイミングスクールに通ってたから。泳ぎには自信があるの。

バタフライだってできるんだから」

と得意げな顔で言い返してくる始末。…バタフライって何だ。


「お嬢さま…もう少し令嬢に相応しい事をしましょうよ…」

そんな俺の言葉になぜか少し思いつめたような顔でお嬢が言う。


「一度だけ、お願い。どうしてもあの上から風景を見たいの」


いつもと違う雰囲気のお嬢に頼まれ、結局俺はその要求を受け入れた。

肩の上にお嬢を立たせて何とか樹の枝によじ登ることができた。

俺がハラハラしているのに更に一番下の枝を足場にして もっと上の枝まで到達した。


「思ったとうり、ここからだと結構遠くの方まで見渡せるわ…」

はしゃぐ声ではない、静かな声でお嬢は呟いた。

俺は何となく声をかけるのが躊躇われ、暫くお嬢を見上げていた。


「ここが私のいる世界ところ。私はここで生きていくしかないの」


自分に言い聞かせるように、何かに決別するように呟いたお嬢。

樹の上にいるお嬢の頬が濡れていたような気がした。




登ったからには降りねばならない。


「お嬢さま、今大人を呼んで来ますから、そのまま動かずに待ってて下さい」


「待って、カイル!ちょっと頑張ればいけそうな気がするから。誰も呼びに行かないでぇ!」

へっぴり腰で樹の幹にへばりついているお嬢が情けない声で俺に言うが落ちて怪我をさせてしまうわけにはいかない。


「俺が無理やり登らせた事にしますから。怒られるのは俺だけだから」


「そんなことできないわよ。だ、大丈夫。ほら、届いた…あっ!?」


「お嬢さま!!」

どうにか下の枝に足が着いたと思った瞬間にお嬢はバランスを崩して、落っこちた。

俺は落ちてくるお嬢を受け止めることは出来なかったが、何とか地面とお嬢の間に入り込むことは出来た。


「ぐぇ」


「カ、カイル、大丈夫?どこか怪我した?」

一瞬息が詰まったが、特に怪我はしていないようだった。

だが、いくら温厚な俺でも限界はある。


「…お嬢さま。この前の池の時も言いましたが、もう少しご令嬢らしい振る舞いはできないんですか?令嬢はもちろん女性は普通 木登りなんかしないんです。怪我をしたらどうするんです?」


「えっと…ごめんね?」

反省の色は薄い。

「…こんな事をする者がお嬢さまのはずが無い……お嬢さまと呼ばれていいわけが無い…」


それから俺はお嬢を’’さま’’抜きで’’お嬢’’と呼ぶようになった。


だが、皮肉なことに俺がお嬢呼ばわりするようになった頃から、お嬢は大人しくなった。


家庭教師による授業も熱心に受けるようになり、日々令嬢らしくなっていくのは俺を安心させるとともに一抹の寂しさを感じさせた。


「ここでの自分の立場を自覚したの。私は私に与えられた役目を果たすわ」


そう言って、お嬢は家庭教師の授業を熱心に受けていた。


「それにね、とても興味深いの、すべてが。勉強がこんなに楽しいとは知らなかったわ」

マナーとダンスには、若干手こずっていたようだが、やがて其れ等も完璧に習得したようだった。


そして、八歳になったお嬢は初めて王宮で開催された茶会に出席した。



王宮から帰って来たお嬢は何か衝撃を受けたような表情で小さく呟いた。


「まさか…ココがあの乙女ゲームの世界だったなんて…」


どういうことだ?とお嬢に尋ねる。

なかなか話そうとしないお嬢からやっと聞き出した内容は随分と荒唐無稽な話だった。

はぁ?ヒロイン?攻略対象者に悪役令嬢?


「とにかく、ゲームどおりになるのかどうかは、まだわからないし…。とりあえず殿下の婚約者にならないように、距離を置いて、目立たない様にするわ」


そう、決意を固めるお嬢を見る俺の目はきっと生温いものだったに違いない。お嬢は自分の事をよくわかっていない。

案の定、翌年には王子殿下と婚約する羽目になった。


「どうして…? 殿下とはほとんど会話して無いのに…。王妃さまとお話しして、小さい子の遊び相手をしてただけなのに…。静かにして、目立たない様にしてたのに…」


そもそも、目立たない様にと言うのが無理だ。

お嬢の容姿は身贔屓を差引いても極上だと思う。その容姿は人の目を惹きつけずにはいられない。

そんな美少女が、なかなか王子と側近じぶんたちに近付いて来ない。

そりゃあ、もの凄く興味を惹かれただろうよ。

その上、年下の令嬢達の面倒まで見て、さらに王妃様や、他のご婦人達とも如才なく接していたら、王妃にも気に入られるだろう。


「どうしてこうなった…これがゲームの強制力?もし、ヒロインが殿下ルートを選べば、待ってるのは婚約破棄と断罪。いえ、まだ決定したわけじゃ無いわ。ヒロインがどんな子かわからないし、そもそも存在するのかも不明だし」


独り言をブツブツ呟くお嬢。

この時、お嬢にもっと詳しく聞いておけばよかった、と俺は後に悔やんだ。

そうしたら、あの女ヒロインがお嬢の前に現れる前に消してやったのに。




お嬢のお妃教育は順調で、十二歳になると政務の手伝いをする迄になった。

ここでもお嬢は優秀で陛下や宰相に一目置かれ、時に意見を求められることもあったようだ。(俺は執務室には入れず廊下で待機していたから、執務室付きの文官に聞いた事だが)


年月を重ねるごとにお嬢は美しくなり、社交界一の美姫と言われるようになった。

そんなお嬢が眩しくて俺は、軽グチをたたく。

「お嬢、被ってる猫が随分と大きくなったようだけど、重くないのか?」


「失礼ね。私のこれが地ですわよ。猫など存在しておりませんわ」

ツンとすまして話した後に、ふわりと最近見る事が少なくなった子供の時と同じ笑顔を見せる。

「でも、確かに少し疲れるわ。カイルといる時は幻の猫をおろしてもいいわね」


そして俺といる時は素の表情を見せることが多くなった。


王宮の庭でお嬢と笑い合っていると、庭の奥から視線を感じる事がよくあった。

セドリック王子が居るのに俺は気づいていた。だが、気づかぬふりをしていつも以上にお嬢を笑わせ、幼馴染の立場を利用して、従者としては少し近過ぎる距離を王子に見せつける。


いいだろう、これくらい。

お嬢はいずれ、王子あんたと結婚する。

俺がお嬢の傍に居られるのはあと数年だけなんだ。


だが、そんな俺の嫉妬の混じった行動がお嬢と王子の関係を拗らせ、後の騒動の原因の一つになってしまったのかもしれない。

お嬢をあんなにも酷い目に合わせてしまうとわかっていたら……。





「ヒロインが転入してきたわ。そして、セドリック様とのイベントを起こしてた。このまま、婚約破棄の田舎暮らしのエンドかしら」


お嬢が言っていた乙女ゲーム。

ヒロインとなる少女が攻略対象といわれる男と恋愛をする物語のようなモノ。

ヒロインが、王子と結ばれることになれば、お嬢は婚約破棄され、領地で謹慎生活になるという。

「いいのか?王妃になるために一生懸命努力して来たのに」


「王妃になるために勉強してた訳じゃ無いわ。侯爵家に生まれた私には義務と責任があるから。王妃になる事を求められるなら、その責任を果たそうと思ってたわ。

いつか国政に携わる事になった時、皆んなが少しでも安心して暮らせる国になったら良い、莫迦な事をして民に迷惑をかけ無いようにって。

だから、セドリック様が彼女に惹かれて彼女を伴侶に求めるならそれでも構わないわ。もともと私の事はあまりお好きではない様だし……。

これから彼女はお妃教育が大変かもしれないけど、セドリック様の事がお好きなら努力するでしょう。お二人をにご助力する方々もいらっしゃるでしょうし。

だから、私は王都から遠く離れた田舎からお二人と国民の幸せを祈るわ」


そんな風に王子と子爵令嬢を静観し、むしろ コッソリ二人を応援していたお人好しなお嬢。


だが、あの女ヒロインはとんでもない奴だった。

王子だけでなくその側近たちまで取り込んでしまった。さらにちょっと見目がいいヤツや、資産家の子息や、名門貴族の子息などつぎつぎとたらし込んで行った。


おまけにリカルド様は次期侯爵だからわかるが、なんで俺にまでコナをかけるかな。


「あの女、坊ちゃん三人組みをせっせと誑かしてるな。その上リカルド様と俺にまでコナかけてきやがる」

と俺が言うと、お嬢は独り言の様に呟いた

「……いったい彼女は誰のルートにしようと思ってるのかしら?このゲームには逆ハールートは無かったはずだけど…」


「何にせよ、チョロい坊ちゃん達だぜ。あんな見え見えの手管で簡単に落ちるとはな」


「カイル…あなたは?あなたは彼女の事どう思ってて?」

なにやら不安げな表情で俺を伺うお嬢。


「どう…って、何というか、節操の無い尻軽おんな?かな。リカルド様もかなり嫌がってるぞ。あの女が近付くとあからさまに顔を顰めているしな」


「そう…」

お嬢は何故かホッとした顔をした。




やがて学園におかしな噂話が蔓延るようになった。


曰く、レザルト侯爵令嬢がとある女子生徒に嫌がらせをしている。

曰く、レザルト侯爵令嬢が嫉妬にかられ、とある女子生徒に危害を加えているらしい。等々。


「お嬢、この胸糞悪い噂をどうにかしなくていいのか?」

「いいわ、ほっといて」

「婚約者を奪われそうになって嫉妬に狂った令嬢なんて言われてるぞ」

それでもお嬢は何もしない。


お嬢に対する根も葉も無い悪意のある噂話にイラついている内に事態は思わぬ方向へ進んでいた。




「アデリィナ嬢、貴女との婚約は破棄する。理由は未来の王妃としてふさわしからぬ行いをしていたからだ」


噂を間に受けた(あの女のそら涙に騙された)王子と側近達ボンクラどもにいわれの無い断罪をされ王宮へ幽閉された。


幽閉ってどういう事だ。

俺は事の次第を報告するために急いで侯爵家に向かった。

しかし、侯爵家そこでも信じられない事態が起こっていた。


「旦那様!奥様、リカルド様!……これはどういう事だ!!」


俺は指揮を取っている近衛騎士を問い質した。


「レザルト侯爵には国家反逆罪の嫌疑がある。これより取調べのために登城して頂く事になった」


「国家反逆罪?そんなバカな事あるわけ無いだろう?!」

レザルト侯爵家がどれほど、国と国王に忠誠を誓い、尽力してきたか知らない者はいないはずだ。


「お前も反逆者の仲間か?なら、お前も連行する必要があるな」

掴みかかる俺を騎士が取り押さえようとするのを、リカルド様が止めた。


「待ってくれ。その者は唯の使用人だ。カイルお前を解雇する。もう我が家とは無関係だ。何処へなりと去るがいい」


「リカルド様……」

俺は呆然としながらもリカルド様の側へ近付いた。

「アデリィナを頼む。我が家は政敵に陥し入れられた。陛下や国家の重鎮達が動けないのを好機と見た真の反逆者どもに…。アデリィナだけは何とか助けたい。頼む!」

小声で俺に告げ、当主一家は、馬車に乗せられ連行されていってしまった。


それからは悪い夢を見ているとしか思えない残酷な日々だった。


侯爵家の捜索で証拠の書類が出てきたとか。

国家反逆罪は、重罪だ。一族もろとも連座で処罰される。

そして、主犯と断じられた、当主一家は処刑だ。


断罪から処刑までは異常とも言える速さで執行された。


俺は何もできなかった。

侯爵様が奥様が、そしてリカルド様が断頭台に消えて行くのをただ見ているしかできなかった。


せめて、お嬢を救わなければ…!


焦る俺に学園での友人が手を貸してくれた。

ともに切磋琢磨した好敵手だった男だ。

騎士団に伝のあった友人がお嬢が幽閉されている場所へ手引きしてくれる手筈になっていた。

だが……。


「まさかお前まであの女に誑かされていたとは思わなかったぜ」


俺の周りには数十人の兵士達。

どう足掻いても切り抜けられそうに無いのは明らかだった。

力の続く限り敵を斬り伏せ満身創痍の俺は、友人だと思っていた奴と対峙した。


こいつは許さねぇ。


俺たちは暫く剣を打ち合わせた。致命的な傷はないとは言え流石にいつものようには戦えない。

奴の剣が俺の腹から背に抜けたのを感じながら、左手で隠していた小さなナイフで勝利を確信した奴の首を掻っ切ってやった。

この手は、訓練では見せなかった技だったからな。

ザマァみろ。

呆然と首を押さえて後ろにひっくり返るそいつをみて、ほんの僅かばかり溜飲を下げる。


もう立っている事も出来なくなった俺は仰向けに倒れた。


お嬢。お嬢すまない。助けられなかった。

俺は何もできなかった。


雨の降り始めた夜空を見ながら、お嬢と過ごした幸せな日々を思い出す。


お嬢。お嬢…。


もし、生まれ変わりがあるなら、またお嬢の傍にいたい。

そして、お嬢の傍に生まれ変わったら、今度はずっとお嬢から離れない。

今度こそ守り切ってみせる。


『カイルの瞳は夜の空のようね。とても懐かしい色』


「お嬢……アデリィナ………」

俺は呼ぶ事を許されなかったその名を口にする。


目尻から溢れる雫は激しくなってきた雨に紛れ、俺の意識は途絶えた。







あと一話で終わります。

読んで下さり、ありがとうございました。

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