7.
ちょうど昼時で飲食店はこんでいたが、肉だんごのお蔭ですぐ順番が回ってきた。セツが早速店員に注文をだし、チエルはその膝元で早速船を漕ぎだした。間もなく料理が運ばれてくる。
湯気を巻く数々の料理は適当な面子の前に置いていかれた。アウリスたちはお互いに皿を回しながら食べ終わった。王都に来て初めての食事ということで、いちおう、頼んだ分すべてを口に入れてみたが、感想はぜんぶおいしい。「七課のと違って万人向けの料理だな」、とセツが呟いた。……それはうちの味は癖があると言いたいのか?
「羊肉が硬い」
「そうか?」
アウリスは負け惜しみで文句を言った。でも、本当に硬いのだ。肉だんごが空の皿を前に、あからさまにこちらを見てくるのを無視して食べ終えていると、唐突にアウリスの頭の後ろを誰かが叩いた。びっくりして飲みかけの水を吹きそうになる。ふりむくと、相手の方もびっくりした顔をしていた。
「す、すまねえ。娘さん」
アウリスは「いいえ」と答えた。顔の朱い若い男がこめかみを掻く。他意の無い事故だったようだ。アウリスはさりげなく目線をずらし、彼の背後でしたり顔をしている年配の男たちを見た。
「か、勘弁してくださいよ先輩」
「てめえがモヤシみてえだから喝入れてやってんだ。ほれ、もう一発!」
年配のひとりが若い男の背中をどん、と掌で叩いた。あれでさっきもよろけたらしい。彼らが一つ後ろのテーブルにつくのを尻目に、アウリスは前へ視線を戻した。肉だんごが待っていたように「ごちそうさま?」と聞いてきた。ごちそうさまじゃない。ちょっと余所見してただけだ。
仕方なく余った羊肉を均等に分け、ひとつを肉だんごの皿の上に置いたアウリスはついでに店員を呼んだ。店員はデキャンタから水を注いでくれる。肉だんごはとても驚いて礼を言っていた。はじめに水のグラスが出てきたときも彼は異様に驚いていた。
飲食店は初めてではないが、勝手に水が出てくるところに入るのはアウリスも初めてだ。少しばかりジークリンデの家にいた頃を思い出す。屋敷では何も頼まなくても「お水はいかがでしょう」、「手を洗いますか?」と代わる代わる侍女たちがやってきたものだった。代わる代わるやってき過ぎてウンザリした程である。
店員は人の好さそうな口元に皺を寄せて微笑んだ。すみませんね、という。先程アウリスが頭を叩かれたのを見ていたのかもしれない。何故かセツが「案ずるな」と答えた。
「普段はここまでこむことはないんだけどねえ。あんた達も他所からのお客かい?」
「ふむ。慰安旅行でな」
「今王都で何か行事があってるのか?」
肉だんごの横やりに、店員は目を丸くした。
「何って、明日の即位式さ。セラザーレの広場で新しい国主が顔をお見せになるんだよ」
「へえ。そういえばそんな話があったな。そんなんで人が集まるんだ」
肉だんごはことさら無邪気に笑っているが、「そんなんで」とは場所が場所ならば不敬罪である。店員は一瞬だけ愛想笑いを引き攣らせ、また何かあったら呼んでな、とそそくさ去っていった。
その背中を見送りながら、アウリスはずっとみんなに聞きたかったことを思い返していた。ちょうど話題も出ていた。アウリスはセツを見た。セツはハンカチでチエルの口を拭うのに忙しい。
「セツ先輩は、猫じゃらしから即位式の日の事で何か聞いてますか?」
セツはふり向きもせずに「いいや」と言った。アウリスは続いて肉だんごの方も見たが首を振られた。この旅の本当の目的はまったく知らされてないのかもしれない。だったら、どのあたりまで話すべきだろう。
馬車旅のあいだも何回か考えていたことだったので、アウリスは今話しておこうと決めた。
王都まで五日かかったので、自由時間は今日一日のみだ。猫じゃらしはどうやら休憩もそこそこに馬車を飛ばしたらしく四日でついたと連絡がきた。連絡は彼の裏部隊が引き受けてくれている。ラーナが属している師団だ。猫じゃらしとアウリスは王都では会わない。少なくとも、即位式の後日まで会わないことになっている。何か計画に変更があるとすると、ラーナか誰かがアウリスの前に現れるだろう。
考えたが、猫じゃらしの命令という形でセツと肉だんごには伝えることにした。
七課の三人は明日、新しい国王が現れるセラザーレの広場へ行く。それが仕事だとアウリスが言うと、二人はあからさまに嫌そうな顔をした。アウリスだって嫌だ。新しい国王の姿を見るのが嫌なのではなく、この一連の出来事が不安で嫌だった。けれど、猫じゃらしに言わせると避けて通れないらしいし、その当人は今国会で円卓会議中である。
アウリスは続いてそのことを話したが、反応はあまりなかった。肉だんごは「へえ、お偉いさんだな」と一抹の敬意も感じられない口調で言い、セツは、ほう、と息をついただけだ。王室直属の組織でもないのだし、二人にとっては「あ、そう」という感じらしい。出席したからと言って、依頼が増えるとか、出席金がもらえるわけでもないらしい。アウリスはそれでも少しばかり不満になり、円卓会議に呼ばれることがどれ程凄いかをあまり知りもしないのに精一杯豊富に語った。
猫じゃらしも明日、セラザーレに姿を現す。国王と一緒に壇上に立つらしい。アウリスは少しばかり気がかりだった。ばりばり庶民で、旅芸人の出自で何より円卓会議の正式なメンバーでもない猫じゃらしがそう易々と国王と同席出来るものだろうか。猫じゃらしは王宮内にも伝手があるのか? 馬車に揺られている間も色々考えたが、結局、それは猫じゃらしが企むところだと結論した。アウリスがあれこれ考えることではない。それに、アウリスにはじぶんの役目がある。
アウリスは締めに明日の仕事ではじぶんに従ってほしい、と言った。肉だんごは目をしばたかせ、セツは言い表すのも躊躇う目でアウリスを睨む。アウリスは呆気にとられた。車輪の下で平たくなったケムシの死骸にだってアウリスはあんな目を向けない。
このまま喧嘩になってもよかったが、絶妙なところで「出よう」と肉だんごが声をかけて、緊迫した空気は流れてしまった。セツが向かいで椅子の背にかけている外套を掴む。アウリスも薄手のカーディガンを引き寄せ、逆の手でグラスを持った。また炎天下の外に出ると思っただけで喉が渇きそうだったからだ。水は程よい冷たさで喉を越していく。
アウリスはグラスの水をぜんぶ飲んでから立ち上がった。昼時を過ぎても飲食店はまだ込んでいた。背後のテーブルではあの若い男が浮気だなんだのとからかわれ、また笑われている。
「なあ、おまえ。そんなフラフラしてっと片親のガキが出来ちまう、嫁さんが怒るぞ!」
「そ、そんな」
「かかっ、片親も羊飼いの子供よりゃあマシよ」
次に聞こえた言葉に、アウリスは思わず動きを止めた。ギョッと顔が青ざめたのがわかる。上着を掴む手を下ろす。そのままアウリスが再び椅子に腰下ろしたので、テーブルを去ろうとした肉だんごともろにぶつかった。肉だんごは足の脛をさすりながら何か文句を言う。
アウリスは背後の四人の会話に全身全霊集中していた。先代国王は羊飼いか。今彼らはそう言ったはずだ。
「羊飼いってなんですか?」
若い男が聞くと、再び愉快そうな笑い声が上がった。
「若けえばっかの田舎者は知らねえのか。昔話さ」
ひとりの男がいやに響くテナーで語りだした。羊飼いは今日も忙しい。丘の向こうで羊と追いかけっこだ。ある日、丘から帰ってみると家にいる女房が腹ぼてになっていた。さて、生まれてくる子は羊の子か? 羊と間違えて女房を食った狼の子か? はたまた裏の鶏小屋の鶏の子か? ひとつだけ確かなのは、そのこは羊飼いの子ではないということだ。
「羊飼いは女房の腹ぼての腹をナイフで掻っ捌いた」
男は言いながらグラスの水を飲んだ。若い男はそれで、と聞くが終わりと言われる。この話には続きはないのだ。
男の話を聞く為に静かになっていたテーブルで誰かが笑った。
「死んだ国王様は羊飼いだったとさ」
「傑作だ、乞食でも王様でも男の悲しいところは変わらんなあ」
「そういうこった。奥方が美人なのも困りもんだ、かかっ」
「そう言やあ、あのトワレ通りの宝石店の店主。何年か前に城に呼ばれてなかったか」
「ゴゴスの旦那か、あの醜男のことか?」
「脂の乗った醜い店主だ。きっとあいつに違いねえ。股ぐらの自慢の宝石を王妃様に見せたのさ」
「かかっ、それで馬の骨が生まれたんだ。宝石屋のラファエアートがラファエアート殿下になった」
「いやいや菓子屋かも知らねえ。あのブラム通りのやたら派手なカステラ屋さ」
「いやいや男娼かも知らねえ。青より青い目の」
「人間じゃねえかも知らねえ」
「かかっ、明日セラザーレで塩をぶつけてやれ。化けの皮が剥がれるぞ」
「違いねえ」
「そらそら、乾杯だ!」
「乾杯だ! 我らが新しい国王陛下に! 人皮を被った化け物陛下に!」
家具が壊れるほどの大きな音が鳴った。振動が伝い、グラスの中で水が跳ねる。男たちが笑うのをやめた。
男たちのテーブルを打った拳をそのままに、アウリスは立ち上がった。喉が熱い。腹の中が煮えたぎるみたいだった。アウリスはテーブルを囲む男たちの顔を睨む。そこで、彼らがギョッと蒼褪めながら見ているのはじぶんではないことに気づいた。
驚いてアウリスが目線を向けかけたときに声がかかった。
「痴れ者どもが」
それは、震える声を押しだしたようだった。物凄く怒っている。アウリスは思わず叱られたかのように身が硬くなるのを感じた。そうしながら、テーブルを挟んだ向こうの女を見る。
相手が異様に憤っているので、アウリスは自分自身の怒りがすっかり醒めてしまうみたいに思った。遅れてテーブルを見下ろすと、反対側には甲冑を嵌めた拳がある。間違いなく女のものだ。テーブルを叩いたのはじぶんだけではなかったのである。アウリスはそう気づき、変に居心地が悪くなって身じろぎした。
女は誰かを思い出す亜麻色の髪をしていた。白い衣を纏っており、衣の左肩には銀色のボタン細工が並び、短い紐が三つ、通されている。奥には黒い甲冑を着込んでいた。国家騎士団の制服だ。右肩に肩当てがあるのを見て、アウリスはその薔薇の刺繍が王都勤務の兵士のものだと思い出した。
「わたしは第十二師団のメーテル=レイ=ラキスだ。国家騎士団を前にしてそのような下劣な噂話をするとはいい度胸だな」
女は地を這うような声で言う。亜麻色の髪が蛇みたいにうねり、男たちが息を呑んだ。
「たっ、ただの冗談です!」
「問答無用! 二度とわたしの前に現れるな!」
女はいきなり腰の剣を抜いた。本当に問答無用である。男たちは弁解する間も今のことを謝る間も与えられなかったのだ。思わずアウリスは動いた。
若い男の体を突き飛ばす。テーブルの上からグラスが転がった。アウリスはそれを眺めながら、激昂する女の標的が男達ではなかったことに気づいた。刃はまっすぐテーブルの鉄板へ吸い込まれていく。アウリスは思わず目を大きくする。
見事な太刀筋だった。思わずアウリスが状況を放って見惚れてしまうほどだった。一拍おいて激しい音が鳴り、目の前が暗くなり、アウリスの顔面に何かぶつかる。前脈から予想するに家具の一部だ。
アウリスは痛いのと脳を揺さぶられたので前後不覚だった。すぐ反応できない。茫然となっていると腕を肉だんごが強く引く。
「だ、だいじょうぶ?」
アウリスは肉だんごの方に向かされ彼を見た。鼻がむずむずする。アウリスがボンヤリそこに手をやろうとすると、セツに止められた。
「鼻血が出ておる。馬鹿め」
いつの間に隣にいたのだ。セツの握るハンカチで鼻を拭かれ、アウリスはくしゃみした。アウリス、と呼ばれ、セツの足を見る。チエルがへばりついている。そのびっくりした表情から目線を上げると、戸口の方へ男たちが逃げていくところだった。店員が悲鳴を上げ、用心棒が「お勘定!」と叫びながら男たちを追い外へ出ていく。
アウリスは徐々に眩暈が治まってきた。念の為数秒目を瞑る。肉だんごが腕を掴んでいるので倒れることはない。なめらかなハンカチがそっと鼻を離れ、アウリスは目を開く。それと同時に女の方を見た。
テーブルは綺麗に真っ二つに割れていて、その破片の海を踏むようにして女は立っていた。アウリスは眉をしかめる。女は今にも泣きだしそうに蒼褪めているのだ。
「も、申し訳ない。すまない、まさか前に出て来るとは思わなかった」
動いたのは女が人を殺すと思ったからだ。そこを思い返し、アウリスも少し申し訳なくなった。噂話ひとつで人を殺していたら幾ら大きな都と言えども人がいなくなってしまう。でも、女はそこまで横暴ではなかったのだ。
顔を引き攣らせたままに、女はゆっくりした動作で剣を収め、歩み寄ってきた。軍靴の下で木塵がぱきりと鳴る。高そうなテーブルだなと思ってアウリスが見ていると、冷たい感触が手の甲を包んだ。アウリスは驚いて女を見る。女は音をたてずにその場で跪いた。
「本当に悪かった。あなたに怪我を負わせるつもりはなかったんだ」
「え、いえ。いいえ」
アウリスは即答した。こちらが勝手に動いたのだし、何より店に注目されている現状が落ち着かなかった。稼ぎ時で忙しかったはずの店内は今や静まり返って、店員も客も、みんながみんな動きを止めている。
アウリスがおずおず視線を戻すと、女は跪いた時と同じ流動的な動作で立ち上がった。亜麻色の髪が長い睫毛に引っかかる。睫毛も濃い亜麻色だった。それに、髪の毛と同じで自然にカールしている。
女は掴んでいるアウリスの手を見下ろし、首を傾げた。水色の瞳が何か考えるように細められる。
「あの、手を」
アウリスは遠慮しながら言うが、相手は動かない。背の高い女の影になり、アウリスはひどく落ち着かない気分だった。ご飯は食べ終わったし、さっさと居辛くなった店から出たかった。けれど何より、壊れ物のように扱われ、こんな風に貴族の礼を取られたことがアウリスを面食らわせた。背中が妙にむずむずする。
アウリスはあの、と二度目に言ったが無駄だった。アウリスは仕方なく失礼のないように注意しながら女の手を逆の手で掴み、ほどいた。甲冑を嵌めた手の指が鳴る。その音に女は我に返ったかに目をぱちりとした。
「お詫びに昼食代を払おう」
女は言うが、テーブルの弁償もあって大変だろうし、だいじょうぶだ。アウリスがそう返すと女は目を丸くし、それから笑った。
「あなたは私と似た手をしているな」
払わせてくれ、と女は懐から財布をだした。アウリスはまごついた。女の言葉の意味もわからなかった。悩んでいると、セツが隣に出てきて「こういうときはありがたく申し出を受けるものだぞ」と言い、言い出したことを貫く姿勢を見せた女に礼を言った。
セツは店員たちとも話を纏め、その後でみんなで店を後にした。逃げるように店の玄関を出てから、アウリスはいちど振り返った。とても賑やかな店だったと思う。
肉だんごは出る時にもらった氷飴がおいしいと何回もくりかえしていた。チエルを片腕で抱き上げながら、セツがぽつりという。
「女性の騎士か。珍しいな」
「そういえば」
あ、とアウリスは口の中で叫んだ。アウリスは目から鱗が落ちた。似た手をしている、と言われた意味が遅れてわかった。
菓子を買いに行くとチエルが言い、それにみんなで歩きだしながら、アウリスはさっきの女騎士をなんとなく思い返す。
夕焼けの色を凝縮したような明るい亜麻色の髪。水が揺蕩うような澄んだ瞳。また会ったらもう少し話がしてみたい。
まさか今後、嫌でもあの女剣士と顔を合わせることになるとはまるで知らず、アウリスはそんなことを思っていた。