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26.


 新しい国王のお披露目があった日。

 セラザーレの広場で、黒炭七課が罪人になったその日に、馬を駆けることになった。

 まずはデルゼニア領へ。他の仲間に事の顛末を伝えなければならない。グレウ辺りは怒って目の前が見えなくなるかもしれないので、玉砕覚悟で王都に行く、とか言いだしたら止めなくては。

 そのあとで、ジークリンデ領へ。

 主を含め、猫じゃらしを含め、王都の仲間たちと合流するのだ。

 デルゼニア領を出たときは王都まで馬車で四日かかった。

 じぶんなら三日でいける。セツには自信があった。

 かがり火を片手に、日の落ちた丘を駆け下りる。相棒の二匹目はしっかりと背後をついてきている。

 ふと、セツは馬の足を止めた。

 ――光だ。

 ふもとの馬車道にちらほらとかがり火の灯りが行き来していているのだった。蹄の音と風の音がなくなった今、騒ぎの声も聞こえていた。

 夜盗か。

 すぐにそう結論したのは相手方の馬車の姿を見たからだった。薄暗がりにもよく利く――夜でも少々危なかろうが馬を駆けていける――自慢の目には、馬車に国旗も紋章もないことがわかった。国家騎士団ではない。

 セツは迷った。

 今や、激しく刃を交える音が聞こえている。さっきは怒鳴り合っていたようだったが、交渉が決裂したか、夜盗が欲を出したか。なんにしろ、合戦だ。

「……どうするか」

 姿を晒すのは危険だ。それに、今は道を急いでいる。

 このときに、この景色を前に、じぶんが一度きっぱりと背を向けたことを、セツは後に誰にも言わなかった。

 仲間と、見ず知らずの相手。それを天秤にかけたときのセツの決断は、早く、そして潔かった。ただし、事情を知った後になると、これは絶対言ったらマズいと感じたのだった。

 何かがセツを止めた。

 セツは、中途半端に馬を方向転換して、再び丘の下の暗がりを見た。

 女の声が聞こえた。そんな気がした。今朝までいた宿の女将と似たような、年嵩の女のものだった。

 かがり火が走り、景色が目に飛び込んできた。

 それは、セツの憶測を裏付けていた。女がひとり、かがり火を刀のように振り回し、馬車の周りに集う人影を追い払おうとしているのである。

「ししっ! お嬢様に指一本お触れでない! ししっ!」

 女の、その頭には、頭と二腕の肘までを隠す、分厚いベール。暗いので色合いはわからないが、身なりの良い感じだ。肉付きもまた、良い。

 女のまわりには、人が地べたに転がっていた。背格好からして、御者も殺されたらしく、一緒に転がっていた。そんななか、女は、かがり火を刃のように……いや? お鍋のように? なにか危なっかしく、頭の上に上げたり下げたりしているのだった。

 太刀筋はともかく、なんとも果敢な姿だ。

 セツは腹を決めた。

 さっきと自身の状況はまったく変わっていなかった。だが、これを見捨てることは、セツには出来なかった。

 セツは、丘を駆け下りた。さっきから丘、丘、と言っているが、見る者が見れば絶壁とも称したかもしれない。山路を降りてギリギリのところで、まだ城下町は遠く、周りには鬱蒼と木々が茂り、起伏の激しい地表が連なっている。セツも、身を隠しやすそうだからと選んだ道だった。

 馬の蹄を聞きつけて振り向いた連中は、背後の崖を駆け下りてきたセツが振るった木刀により、一網打尽となった。

 いや、そうなったらよかった。 

 かがり火の灯りの下で、キラリと夜盗の手元が光る。短刀か。セツは馬を後退させた。もっと刃渡りの長い……騎士団が使うようなロングソードも、セツに向かって振り下ろされた。

 馬が、突然、嘶きを上げた。

 ゾッとするような嘶き声だった。これは、知っている。断末魔の声だ。

 馬の巨体は傾ぐ。

 一緒にセツの体も傾ぐ。

 視野はスローモーションだ。地面が近づいてきて、手綱が手から離れて、視界が一回転。どうにか受け身を取れたらしい。

 刃が降り注いだ。

 ひゅん、と風が啼く。

 音が、耳に戻ってきた。バギャキッと鈍い音をたてた。木刀。弾かれた。飛んでいく。

「テメエよくもおォオオ!」

 男の姿がその景色を塞いだ。かっぷくのいい男だった。そこそこ背が高く、襤褸布のあいまに覗く目元には、いかつい皺が刻まれていて、目は血走っていた。

 男が吹っ飛んだ。

 セツははっとして身を起こした。

 視線を向けた先では、馬の四肢が、ゆっくりと地面に休んだ。今のが、相棒の最期の一撃だったらしい。

「……あ、相棒」

 セツは抜刀した。

 動揺に剣が震えそうだった。馬に蹴られ、近くで突っ伏していた男が顔を向ける。目線がセツと結ばれ、彼が尻込みし、慌てて起き上がったところに振り下ろした。

 その瞬間まで。

 剣は震えていた。

 ざあ、っと膝の方まで濡れた。嫌悪感に、セツは立ち止まり、見下ろした。だが、見てみると他にも血だらけだった。馬のはらわたのなかで転んだかもしれない。

 女の声がした。

「あれえ! ぬすっとが!」

 夜盗が、最後のひとりが、青毛に跨っていた。

 二匹目の相棒。

 薄暗がりでもよく栄える、その艶やかな青毛を、セツは片目を瞑って、見つめた。その半ウインクのまま、剣を地面に刺し、あいた手で背後から弓矢をとってつがえた。

 ひゅん、と、セツの手から細長く放たれた。

 呻き声。

 ぐらり、と馬上の後ろ姿は傾いで、そのまま地面に転げ落ちた。

 剣を構えなおし、セツは素早く夜盗の傍まで行った。

 夜盗はすでに事切れていた。

 頭の後ろのくぼみには、深々と矢が刺さったままだ。

 夜盗の肩には、ザックと呼ぶのも申し訳ないような、あからさまに質の良い女物のザックがさがっていた。

 セツはそれを取り上げ、及び腰に近づく女の方に渡した。

「あ、ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか」

「礼などいらん」

 蒼褪めていたが、女は意外にしっかりとした声で何度もセツに礼をいった。肝の据わったおばさんらしい。

 セツは、剣を握る手をジッと睨んでいた。

 セツは、人を殺したのは初めてだった。

 セツは傭兵だった。けれど、でも、人殺しや戦に関わったことのない傭兵だった。七課は人殺しも戦もしなかった。他の師団はどうなのだろうと考えたことはあったし、人殺しをする輩を何回か見たこともあったが、まさか、じぶん自身が人殺しをするとは。いや、可能性としてはあった。指名手配された今ますますあるはずだ。でも、何故か、セツは考えていなかった。

「……アルヴィーン様」

 酸っぱさが込みあげた。

 セツは地面に剣を突きたてて、吐いた。

 何度も。何度も。

「……ぅ、え」

 目の前が、滲む。

 会いたかった。

 会いたい。今残してきたばかりの仲間。共に育った人間達。

 会いたくて、会いたくて仕方ない。もう逃げよう。逃げたい、今すぐとんぼ返りして、山奥で落ち合って、それでジークリンデに。懐かしい、あの石造りの育成所に。誰の為も考えずに。

 還るのだ。

「これを」

 ギクリとした。

 一瞬周りに人がいる事を忘れてしまっていたようだ。心臓がドクリと脈打つ。

 剣を握りしめて、弱弱しくセツが見上げると、先程までおばさんだったものが、若い娘になっていた。いや、立ち位置を入れ替えたのか。

 むこうでは、馬車の周りは静かになっていた。青毛の相棒が興味をもったのか、二頭の馬車馬の方を、少し離れたところで見ている。あのまま青毛が逃げたかと思っていたから、セツは少しだけ安心した。

 馬車の垂れ幕はいつの間にか上がっていた。

 では、この女はあそこから出てきたのか。

 セツは、目の前に差しだされたハンカチをごく自然に受け取った。すると、相手は少しばかり身を屈めた。隣に立っているおばさんと、同じ分厚いベールを被っている。それが、口元を見せるていどに、少しだけ開かれて。

「――お怪我はありませんか?」

 セツは目を見張った。

 まさか、ありえない。

 そう思ったが、手は動いていた。セツは剣を捨てて、両手で、彼女の肩を引き寄せた。

「アウリス」

 微かに相手の睫毛が震えた。

 そして、彼女は笑った。

 何故かはわからないが、そのとき、セツは、じぶんはこの女に会う為に今ここに居合わせたかのような気がした。

 女は、息を呑むセツの手前に片膝をついた。

「まあっ、リシェール様! このような泥んこのなかにお膝をついたりして!」

「ちょっと黙って、ヘリーネ」

 そんな会話が聞こえる。

 よくよく見れば、相手はまるで人相がちがった。顔だけ見たら似ていると言えば似ているかもしれないが、目の色も、それぞれのパーツの特徴も別の人間だった。何より笑い方だ。優しげで大人びていておっとりしていて、それでいて、掴みどころのない妖艶な色香があって。うん。まるでちがう。

「すまない。他の人間と勘違いしたようだ」

 そう言うのがやっとだった。

 セツは真顔で思った。この女は夜の山が見せている幻ではないか。天女とかそういうのじゃないのか。

「いいえ、勘違いでもありません。勘違いですけれど」

「は?」

「あなたはエッタを知っているのですか」

「は?」

「アウリエッタ……ではないのでしたか。黒炭七課のアウリスです。……あなたも七課の方でしょうか」

 漸く、セツは警戒心を覚えた。

 だが、投げ出した剣を拾うことはしなかった。女相手に無粋だし、何よりまだ混乱していた。

 次に女が口にした言葉も理解するのに時間がかかった。

「わたしはリシェール=ジークリンデと申します。アウリスの姉にあたりますね。今は王の情けにより、ここ王都の王の居城で暮らしておりました」

「……王の?」

「はい」

「城?」

「今は逃げておりますけれども」

「あ、アウリスの姉君? あなたが?」

 にわかには信じられない。

 姉? 先程見間違っておいてなんだが、しっくりこない。奇妙すぎる。この状況は、この巡り合わせはあまりに不思議だったのだ。

 リシェールは、立ち上がらず、かと言って剣を握って威嚇することもないセツの方を暫く眺めていた。相変わらず優しい眼差しだった。

 ただ、その表情は、どこか唖然としているようだった。

 そして、何かを見極めようとしているようだった。まるで、誰かに聞かされた言葉をひとつ、ひとつ、大切に思い出して、そうしてセツを眺めるかのようだった。彼女も、この予想外の出来事に驚いているのか。

「ヘリーネ、金袋を出しなさい」

 突然、リシェールは凛とした声で命じた。ヘリーネ、と呼ばれたおばさんが、今セツに預けられたばかりの袋を手に、ギョッとした顔になった。

「り、リシェール様? 何をお考えです」

「城に戻ります」

 きっぱりと、リシェールは言った。

「そうなるともう、その金貨も必要なくなる。この方に渡しなさい。彼の方が、今はそれを必要としています」

「待て。何の話をしている」

 彼、というのがじぶんのことだとわかり、セツは慌てた。リシェールはそんな彼をひたりと見据えた。

「陛下はご承知です」

「は?」

「八日はわざとです。黒炭七課は今、デルゼニア領に派遣されているとのことです。王都とデルゼニア領とは馬車で往復すると八日かかる。陛下はそこを考えて、公開処刑を八日後としたのです」

 リシェールはじっとセツの目を見つめた。気圧される程に長い睫毛。鮮やかな、花緑青の双眸。

「陛下は、七課を一か所におびき寄せて、一網打尽にするおつもりです。陛下はあななたちの、猫じゃらしへの忠義を期待している」

 処刑場では、全てを了解した国家騎士団が、待ち伏せている。

「猫じゃらしはそこを理解していたのかもしれません。あなた方は逃げろと言われたのではないのですか。なのに何故まだ王都にいるのですか。逃げろと言われたのに、……それでも、あなたがたは猫じゃらしを救うおつもりですか?」

「無論だ」

 セツは答えていた。彼女は敵かもしれない。王の城に住んでいると言った。王の策謀も知っている様子だ。

 だが、敵ならば何故、画策をセツに今漏洩する?

 何故、危険を承知で、夜の人気のない道を選んで馬車を駆けていた?

「……リシェールお嬢様」

 ふと、遠慮がちな感じでおばさんがリシェールを呼んだ。

 リシェールはセツを見ていた。そして、笑った。一瞬、泣き笑いのように見えた。

「ありがとう」

「は?」

 だが、次の瞬間には、その笑みは消えた。シルクの手袋を纏った手が、ヘリーネの方を示した。

「どちらにせよ、あなた方は今は追われる身です。受け取ってください。わたしからの細やかな援助です」

「は? いや要らん」

「いいえ、受け取ってください」

 この女は、妹が、ひいては七課が心配なのだろう。

 リシェールの気持ちは漠然と汲み取れたが、セツは面食らった。会ったばかりの人間に施しを受けるなんて意地汚い真似はできなかった。そもそも、そんなつもりで助けたわけではない。 

 だが、悩む時間は短かった。

「いけません!」

 ごう、と。

 物凄い形相でヘリーネがリシェールに詰め寄った。

 思わずセツも怯んだほどだ。

 リシェールはゆっくりと頭を巡らせて、ヘリーネの方を見た。

「お嬢様、……リシェールお嬢様、ヘリーネは怒っております」

「ヘリーネ」

「ええ、怒っておりますよ。何をまた勝手なことを言いだすのです。ヘリーネも、ヘリーネもアウリエッタお嬢様のことが心配です! 心配で心臓麻痺を起こしそうです! でも、リシェールお嬢様のことだって心配なのです! ここまできて、……ここまで逃げてきて今更城に戻るだなんて! 戻ってどうするのです! あなたは……どうなるのです!」

「知りません」

 ヘリーネは、円い――少しばかり親近感の沸くその体をぶるぶるとさせていた。

「また他の道を考えますわ」

 ゆっくりと、リシェールが言葉を紡ぐ。

 ヘリーネは気圧されたかに押し黙った。だが、その瞳は今にもヘーゼルの火の玉を吹かんような形相だ。傍のセツですらも恐怖を覚えた。

 リシェールはひとつ息をつくと、すっくと立ち上がった。

「……ヘリーネ。今回逃げてみて、わかりました。逃げるということがどれだけ大変な行為なのかを」

「リシェールお嬢様」

「人を殺して、人を踏み倒してまで、わたしは逃げようとは思いません。人に、このように善良な方に人殺しをさせてまで、しようとは思いません。そんなことは、しようとは思いません」

 リシェールはセツを見た。

 セツも、地面にへたりこんだままで、リシェールを見た。

 かがり火が、ところどころで地面に突っ伏した、薄暗がり。

 点々と、赤いかがり火と、血痕と、そのなかに突っ伏す人影があった。片手では足りない数の人間が倒れていた。死んでいた。彼女が見繕ったのだろう、馬車を守っていた者も、セツが殺した者も、ぴくりとも動かなかった。それに、青毛の馬も。

 リシェールは、その壮絶な景色を振りかえった。

 そして、涙をこぼした。

 とても綺麗な涙だ、とセツは思った。そして、潔い涙だ。

 リシェールは、ここまでして逃げるつもりはないと言った。

 でも、七課は。

 ……アウリスは。

 逃げようとしていた。

 それを、理解した涙だった。

 最後に、リシェールはセツからハンカチを受け取った。そして、そのなかに、ベールの中にしていた簪と、ベールの奥に隠れていた首飾りを入れた。

「これをアウリエッタに見せれば、わたしが本当に彼女の姉だということが証明されるでしょう」

 セツがまだ腹の底で、彼女の素性を、動機を疑っていると思っているのか。

 それとも、単に妹との接点が欲しかったのか、リシェールはそう言ってセツにハンカチを渡した。

 セツは、ヘリーネに物凄い形相で押しつけられた金袋のなかに、それをしまった。

「あの子には、わたしの無事だけを伝えてください。わたしも特にひどい目に遭ったりなどはしていないのです。わたしの存在があの子の枷になるのだけは嫌ですよ」

 猫じゃらしが言いそうなことだった。何故か、このときセツはそう思った。

「あっあと、周りに振り回されずにじぶんの道を行くようにと。でも周りの言う事はちゃんと聞きなさいと。あまり迷惑がかからないようにしなさいと。ジークリンデの名に恥じぬよう謹みなさいと。あと、鋼の剣を振るおうが時々は香油で手のお手入れをするようにと」

 リシェールは両手の指でも数えきれない信条を妹に伝えるようにといった。


 そのあと、セツは王都を出る前に運よく裏師団に遭遇した。

 金袋は、セツ、ラーナと経て、アウリスの元に渡った。

 事の顛末も、すべて洗いざらい、渡った。襲われているリシェールに、彼が一瞬背を向けたという事実以外は。

 セツは、リシェールとの最後の約束を破ったかもしれない。セツはそう思っていた。

 だが、そこはまあ、身内びいきだ。





「セツ先輩はその夜のうちに王都を出たんだって。二日でデルゼニア領に着くとか、なんか大ボラ吹いてたらしいよ」

 肉だんごはそう言って、大袈裟に肩を竦めた。

 アルヴィーンは一言もしゃべっていなかったが……胸内は様々なものが渦巻いているだろう。この二人は既にラーナに話して聞かされていたらしい。

 アウリスは、手の中に握りしめている首飾りを見た。

 なんだか不思議だった。

 これは、リシェールが身に付けていたものなのだ。

 そう思うと胸が痛い。恋しくなる。

 家族って不思議だ。どんなに離れていても、何年、何十年会ってなくても、昨日のことみたいに思い出す。

 頭を撫でてくれた、優しい手。

 唇に触れて笑う癖。

 暖かく細められた花緑青の瞳も。

 今も、昨日のことのように思い出す。

 でも、もう七年経っているのだ。きっと顔立ちも変わってしまっているだろう。

 会いたい。

 会いたい。リシェール姉さまに。

 でも。

 それは、黒炭に入って封じた願いだ。

 他の誰かの秘密を守る為に、封じた繋がりだったはずだ。

 アウリスは目をごしごしと擦り、立ち上がる。

 アウリスたちは今路地裏にいる。居酒屋の裏戸の、小さい灯りの下で、ひっそりと集まっている。涙が止まらないアウリスを見かねてアルヴィーンが連れ出してくれた為だった。

 肉だんごはここで話してくれた。アウリスは大幅泣いていたけれど、一部始終を聞きのがさなかった。

「……リシェール姉さまが猫じゃらしの簪を持ってたってことは、二人は会ったのかな?」

 アウリスが言うと、肉だんごが難しそうに腕を組む。

「それな。俺もラーナに言ったんだ。猫じゃらしはお城に捕まってるかもしれないって。二人が会ったってそういうことだろ? でも、ラーナは作戦変えないって言ってた」

「王城で囚われていると言う確信はない」

 アルヴィーンが静かに告げる。

 それはそうだ。

 となると、やはり確実に、そして当初の計画どおり処刑の日を狙う。国家騎士団が手ぐすねを引いて待ちかまえている中を。リシェールの話だと、ラファエアート王はアウリスたちが処刑場を襲うことを狙っているはずだ。

 とはいえ、あまり選択肢もない。

 時間も。

 アウリスは肉だんごの方を見た。 

「肉だんご。ありがとう、話してくれて」

「ううん」

「これ、わたしがつけていい?」

 そう言って、指でつまみ上げたのは、首飾りの方。肉だんごは一瞬、なぜか眩しそうに目を細めた。

「もともとアウリスのだろ」

 わたしの、なのか。

 そうなのか。

 澄んだ花緑色の石を、真ん中に垂らして、細い鎖の部分を首の後ろで結んだ。

 こつん、と。

 黒い牙と緑の石とが重なりあった。

 アウリスはうなじに手のひらを回した。

 心なしか、気が引き締まった。

 もうずいぶん遠いところに来てしまったように感じていた。最近はますますそれが激しいというか、正直にいうと、ニナエスカの館とか、ケムリモノの闘技場とか収監所とか、もう異世界みたいだと思ったことが時々あった。

 でも、変わらないものもあった。

「アウリスー!」

 いきなり肉だんごが頭突きしてきた。

 体勢を崩し、たたらを踏んで、アウリスは背後のアルヴィーンに激突した。

「ごっごめんアルヴィーン!」

「……」

 しかも足を踏んでいる!

 ギクリとして動きを止めたアウリスだったが、肉だんごの方は気にしていないのか気づいていないのか、アウリスを放そうとしなかった。

「よかったな! 姉ちゃん生きてて、こうやって父ちゃんの形見も戻ってきて、よかったな! 話しが出来て!」

「……うん」

 話が出来たわけではない。形見が戻ってきた、というのも違う。アウリスの父は、アウリスがいないところで殺されたのだ。

 でも、『なにか』は戻ってきた。

 ほんとうに、リシェール姉さまと、家族と再会したかのようだった。

 肉だんごが一瞬羨望の眼差しをしたのは、そういうことかもしれない。

「ラーナの元に戻るか」

 アウリスの気持ちがそこそこ落ち着いたのを察したのか、アルヴィーンがそう聞いてきた。

「ラーナとニナエスカの話し合いの場にはいた方がいい。何か考えがあるのなら猶更」

「うん。戻りましょう。……ありがとう、付き合ってくれて」

 アウリスがいうと、アルヴィーンは一度何か言いたげに視線を留めた。だが、結局何も言われなかった。

 ラーナに聞いていたのもあるだろうが、アルヴィーンは、肉だんごの話に対して一言もコメントはなかった。もともと表情筋が退化したようなひとだ。

 でも、様々な経過を経て、セツは無事に王都を出た。そう聞いて、きっと、安堵している。

 だから、というわけではないが、アウリスも今は己の感情を抑える。

「あっアウリス! 手羽先忘れてるよ」

「食べていいですよ」

 肉だんごが慌てて逆戻りし、地べたに置いていた大きな皿を両手で持って、店の表へ歩いていくアウリスたちの元に戻ってくる。

 そうして、三人で店の中に戻った。

 ――ねえ、リシェール姉さま。

 ほんとうは、アウリスは不安だ。

 不安で不安でたまらない。

 猫じゃらしのことも。姉のことも、考えたら考えるほど胸が不安に焼けつく。

 どうしてあなたは逃げていたのだろう。

 逃げる理由があったのじゃないか。

 あなたと猫じゃらしに何があったのか。

 ほんとうは、アウリスはそんなことばっかり考えている。

 怖いのだ。

 二人のことだけじゃない。

 姉は、潔かった。

 セツが出会ったリシェールは、己の信念の為に何かを「諦めた」。

 猫じゃらしも、あんなぼんくらな奴だが、己の信念を貫く為に何かを求めて命をかけた。

 アウリスは、彼らみたいに立派じゃない。

 アウリスは怖い。

 じぶんが今までしてきたことが。じぶんがこれからすることが。

 怖ろしくて堪らないのだ。

 ほんとうは、じぶんでじぶんがどうしたいか、解らない。

 アウリスは。

 ラファエと戦いたく、なかった。


 ……往生際が悪い、じぶんは。

 笑ってしまう。

 これが素直な気持ちだなんて。

 でも、アウリスは思ってしまった。セツの話を聞いて、じぶんは同じことをしただろうと思った。

 夜盗を殺しただろうと。

 それでも譲れないもののために、アウリスは自分も人を殺すかもしれないと、思った。

 それは、とても怖ろしいことだった。


 アルヴィーンは「正解はない」といってくれた。

 肉だんごは戻ってきてくれた。

 ニナエスカ。

 あのひとはきついことを言う。だけど、それは貴重だ。じぶんの周りにじぶんの短所を指摘してくれる人がいることは、たぶん、恵まれている。

 ――アウリスはね、俺の強さが好きなんだよ。

 あのとき、アウリスは名無しに対して感情的になった。名無しの言葉のなにかに逆上した。

 でも、今なら、彼の言葉を、もう少し冷静に聞ける気がする。


 アウリスは、ラファエと戦いたくない。

 でも、アウリスはこの弱さを隠す。

 ずっと隠していくだろう。それは、アウリス自身がアウリスのなかで、一人で戦っていくべきものだからだ。

 そうして、今いるべき場所へ立つ。

 そのためには、まず、王都の裏世界、黒炭の裏師団プラス七課、そして、アーブラの騎馬民族、この三つの勢力で力を合わせなくては。


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