17.
通路に出ると、肉だんごは早速アウリスに詰め寄った。
「どういうことだよ、アウリス!」
「え? え?」
「罪人と手を組むのか?」
今更だ。アウリスは戸惑った。肉だんごが言っているのは罪人を雇う計画のことだろう。肉だんごは名無し本人が罪人であることは知らない。
「罪人を雇って、具体的にどうするんだよ」
「それは、色々考えてます」
「例えば?」
アウリスは矢次な質問に少しばかり気分が悪くなった。アウリスは少ない選択肢の中で何が一番かを考えたつもりだ。猫じゃらしのことが心配なのは解る。でも、焦っているだけじゃあ何も解決しない。
「セラザーレの広場って、地下が水路になってるんだって。それで、ひとまずそこに火薬を仕掛けておくと、どうかなって」
「ひ、人を爆発させるのか!」
「そうじゃないです。爆発の規模はそんなに大きくなくていい。でも、爆音と煙が上がるでしょう? 広場は騒然となります。そこで、罪人の人たちに暴れてもらうんです」
「暴れるって? 人を殺すのか?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
アウリスがムッとして聞き返すと、肉だんごはじぶんの失言に気づいた顔をした。
けれど、すぐ謝ってこない。
どうしてだ。アウリスは肉だんごを睨む。
「今回の作戦は安全を第一に考えています。他の仕事のときと同じです。死者なんて出ない」
「黒炭の仕事と一緒? ちがうだろ、俺たちは罪人と手を組んだりしないよ」
それは今些細なことかと思うのだが。
「肉だんごは罪人を雇うってところが納得いかないの?」
聞き返すと、肉だんごは黙り込んだ。目を逸らして、何か難しい顔で考えている。
アウリスはそんな彼の言葉を待ち、口を閉ざしていた。内心、動揺していた。正直に言うと、アウリスは予想していなかったのだ。肉だんごの性格を考えれば当然の反応だった。でも、昨日までのじぶんたちはどうだった? 計画も、頼りになる宛も何もなく、八方塞がりだったではないか。そのときより状況は浮上しているんじゃないか?
少なくとも、これからするべきことは解っている。猫じゃらしを救出するのは不可能じゃない。もちろん、他にもっと良い方法があればと思う。アウリスだって実力行使なんて嫌だ。
だけど、他に何がある? アウリスはラファエに直談判したいと言ったが、それはムリだろうと肉だんご達が言ったじゃないか。ラーナには王都を出ろと言われているし。他にどう動くと言うのだ?
アウリスはそういった頭の中のことを、肉だんごに語った。だが、肉だんごはうなずかない。
「罪人と手を組むってのが、どういうことか解る? じぶんも罪人になるってことだよ」
「んー、まあ……、それはそうかもしれません。でも、わたしたちはもう罪人にされてしまったじゃないですか。王様が七課を指名手配にした。そんなときです、他に頼る相手もいないじゃない」
「でも、俺たちは罪人じゃない。少なくとも、俺とアウリスは罪を犯してなんかない」
その言葉にアウリスは違和感を覚えた。なんだろう、今のは。二人は、って、どういう意味だろうか。
「俺たち二人は罪人じゃないよ」
「それは、アルヴィーンのこと?」
やっと閃いた。今更、昨晩の肉だんごとの会話が蘇った。
肉だんごはつま先を見下ろす。目が合うのを避けているのだ。
「アルヴィーンは……、そうだよ、それ以前に話し合うことがあるだろ」
「肉だんご」
「昨日聞いたじゃないか。なのに、今度は罪人と手を組む? なんでだよ。アウリスは……、やっぱり、アルヴィーンと一緒にいることにしたって。そういうことかよ?」
「それは違う」
思わず勢いで答えてしまった。だけど、本音ではまだそこまで考えていなかった。でも、肉だんごは本気なのだ。アウリスは目線を上げた彼に見つめられ、まごつく。
「じゃあ、行こう。ここを出ようよ」
「肉だんご」
「アルヴィーンはもう安心なんだろ? 致死性の毒じゃなかった、って言ったじゃないか。この館にはアルヴィーンのお姉さんもいる」
確かに、アルヴィーンはもう心配いらないかもしれない。医者もいる。この娼館に当たったのはマグレだが、アルヴィーンの身内がいるのだ。シンフェはアルヴィーンを守ってくれるかもしれない。
肉だんごは、いつもの楽天的な笑いを浮かべていなかった。アルヴィーンの体が安定した時点で、彼とは別行動をしたい。そういう話だった。
でも。
でも、そんなのはやっぱり、違わなくないか?
「それとも、あの名無しと一緒にいたいのか?」
「やめてください」
名無しは今全く完全に関係ない。でも、アウリスはアルヴィーンと離れたくない。でも、肉だんごとだって、はいさようなら、なんてわけにはいかない。
アウリスが罪人と手を組んだら、肉だんごは去ってしまうのだろうか。
「他に、方法がないでしょう」
弱弱しい声が漏れ出た。アウリスが顔色を伺うと、肉だんごは眉をしかめていた。叱られているみたいな感じがして、思わず目を逸らしてしまう。そんなアウリスの手を、辛抱強く肉だんごは握った。
「俺と行こう。アウリス。それで、それから考えよう。他に出来ることがあるはずだよ。俺だって猫じゃらしは心配だ。でも、焦って取り返しのつかないことをしてしまったら意味ない。俺たちは俺たちの方法で、猫じゃらしを救出するんだ」
肉だんごの眼差しはまっすぐだ。
だけど、それが今は痛い。
「俺たちの方法」って何だろう。黒炭は今どうしている? ラーナは、猫じゃらしは見捨てられると言ったじゃないか。現に、何の助けも現れていない。王都にだって支部はあるはずなのに。誰も助けてくれない。もう、誰も、アウリスたちのことを黒炭の一部だなんて、思っていないのだ。
――「俺たちの方法」なんて、もう、ない。
アウリスはやっと短く答えた。
「……名無しに、相談する。罪人と手を組む以外の方法を考える。それで、いいでしょう」
肉だんごは面食らった顔をした。なんでここで名無しだ、とか思った顔だ。だけど、名無しが王都で唯一宛に出来る人間という点があるから、何とか納得したようだった。
「後でもう一回、おさらいしてみよう。それで、……明日までには決めてよ。俺と一緒に来るかどうかな」
肉だんごって、こんなに抜け目のない奴だっただろうか。去り際にそんな風に釘を刺されてしまった。
だが、早急に解決するべきだった。肉だんごと一緒に行くか、とかいう話ではない。みんな、三人で一緒にいられる方法を見つける、という話だ。だって、アウリスにはみんながバラバラになることなんて考えられない。ここまで来て、それはないだろう。
ともかく、罪人を使わない作戦というのを立てるのが先決だ。どうするか。
アウリスは頭を悩ませながら、娼館の方へ戻ってきた。店開きが近いのかもしれない。ぺたぺたと裸足で駆けまわる小姓たちとすれ違いながら、アルヴィーンの寝かされている奥へ向かう。
部屋の前にはもう誰もいない。アルヴィーンが目を覚ましたのかもしれない。
アウリスは両手でぱん、と頬を挟んだ。アルヴィーンは弱っているのだ。そんな彼の前で弱った顔はない。
アウリスは気合いを入れて歩いていたが、前方のアルヴィーンの部屋から声が漏れているのに気づき、足を止めた。部屋の戸が半開きになっている。肉だんごかもしれない。
先客がいるならやっぱり起きているのか、とホッとしたのもつかの間だった。部屋から聞こえてきた声に、アウリスはぴたりと足を止めた。
「昼にこんなにぐっすりされちゃあ、夜うるさくてならないぜ」
「ふふ、大人びたことを言って。誰かにそう言われたのでしょ?」
柔らかな笑みが目に浮かぶような声音。これは多分シンフェだ。初対面の時とはがらっと印象が変わっている。アルヴィーンの体調が安定して、普段の彼女に戻っているのかもしれない。
だが、アウリスが気になったのはもう一方の声だった。あれは、どう考えても施設に置いてきた子供のものである。ここ数日、一緒にいなかっただけで既に懐かしくなってしまう声。
チエルじゃないか?
「どうしたの?」
唐突に頭上に影が降った。
これだけのタイミングはない。突っ立っている名無しの胸ぐらを掴んで、アウリスは彼を壁に打ちつけた。とはいえ体格差があるので押した、くらいの勢いにしかならない。グレウのように筋肉質でもないくせ、なんで重たいのだ。
「あら、何かしら」
まずい。
訝しむシンフェの声が聞こえてきて、アウリスは名無しを掴んだままに、手近なところの戸を開くと、二人でなかに転がり込んだ。急いで戸を閉じる。
とっさのことだったが、室内は無人だ。中央に思わせぶりに布団が一式敷かれている。アウリスはそこに名無しを転がしてやろうかと思ったのだが、やはり重すぎる。仕方なく、戸を背にして立つ名無しの首根っこを押さえつけた。
「どうしたの? アウリス」
「どうしてチエルがいるの」
「え?」
「チエル! あの子供のことです。あなたが連れて来たんでしょう!」
このタイミングだ。他に犯人は思い浮かばない。アウリスが凄むと、名無しはやっと閃いた、みたいに人差し指を立てて見せた。
「ああ、二日前に連れて来たんだよ。ほら、広場での騒ぎの後。ニナエスカには煩いって言われてるみたいだけど、さっきの感じだと普通に馴染んでるよね」
「しらばっくれないで。あなた、……どうしてチエルを」
言いながら、嫌に背筋が冷たくなる。
「まさか、あなた……孤児院に手を出したの?」
名無しはそれを聞いて、ふふっと笑った。機嫌はいつの間にか治ったのか? まったく信用のならない笑顔である。
「そんなことしないよ。あの子が裏庭の柵を飛び越えて逃げようとしてたんだよ。それで優しく連れて来ただけ」
「どうして」
「ん? アウリスが俺との約束を破ったら困るでしょ」
なんのことだ?
アウリスは混乱した。チエルがここにいるなんて予定外だ。こいつの言う事は信用ならないが、お婆含め、施設の人間を無理やりどうこうした、というわけではないという。では、何の為だ?
それだけではない。チエルはおとつい、ここに連れてこられたと言う。ニナエスカもそんな風な話をしていた。そのときは「煩い子」というのがチエルのことだとは全く知らなかった。だが、それだと時間軸がおかしい。
「どういう意味」
アウリスは警戒心を込め、腕に力を入れた。名無しは顔色を変えずにアウリスを見る。
「どういう意味。わたしとの約束って取引きのことでしょう?」
「そうだよ」
「タイミングが合わない。あなたは、広場での騒ぎの直後にチエルを連れて、ここへ来たのでしょう? それって、わたしと会って取引きをする前の話じゃない。辻褄が合わない。つまり、取引きの為じゃなかった、ってこと」
ほんとうは何を企んでいるのか。
アウリスは横にした腕で、ぐ、と名無しの喉を押さえた。けっこう強く押しているのだが、こいつはちっとも苦しそうにしない。
この男とは一つの取引をしている。アウリスは彼に三つの条件を叶えてもらい、その代わりに、アウリスは彼の願い事を聞く。そういう話になっていたはずだ。
でも、彼はもっと別のところで動いてたのではないか?
「……だから、君の為だよ」
アウリスは眉をぴくりと動かした。少しだけ腕を緩めてやると、やはり苦しかったのか、じぶんの襟もとに五指を添えながら、名無しは黒い瞳を眇めた。
「アウリスとの約束の為だよ。俺がアルちゃんを毒矢で射たのも、チエルを連れてきたのも、アウリスの邪魔する騎士の人たちを殺したのも、アウリスの為だよ」
「な、なにを」
「君、本当に気づいてないの? 困ったな」
名無しは本当に困り果てた様子で苦笑した。
アウリスは衝撃を受けた。
アルヴィーンを射たのはやはりこいつなのだ。多分、アウリスをおびき寄せる為に。
騎士たちの方は既に知っていた。昨夜、殺したのが彼なのかどうか確認していたから。
俯くアウリスの顔を名無しが指先で触った。不気味だ。こんな話をしている最中に、そうして優しげに人の顔に触れるのだ。
「あのね。アウリス。俺はアウリスの為にしか動かない。だからアウリスも逃げたらだめだよ。許さない。君は優しいし、君に限ってそんなことないと思うけど。だから、……んー、あのこは保険?」
「ほけん?」
「保険。アウリスがちゃんと約束を守って、俺の願いを叶えてくれるかどうかわからないから」
頭を殴られたみたいな衝撃だった。
アウリスは唖然として、くすくすと笑う外道を見つめた。
「チエルに何をするつもりなの」
「何もしない。君がちゃんと約束を守ってくれたら、だけど」
「ひ、人質にするつもりで連れてきたの? 子供を巻き込んで!」
「だって、俺だってそのくらいの手札は欲しいし」
どの口が言う!
「わたしがあなたを裏切らないようにしたつもりなの? 最初から全部そうなの? わたしがあなたを頼ると思ってしたの!」
そうだろう。アルヴィーンに矢を射たのはその為だったのだから。
それはつまり、名無しは初めから、こうなることを望んでいたということだ。全部彼の思い通りになったということか。二日前から準備とか、どれだけ周到なのだ。
いや。それも違うのか? 本当はもっと以前から、何かしら下準備を始めていた? ずっと何か企んでいたのか?
「欲しい物があるなら、言えばいいでしょう!」
「はあ?」
アウリスは名無しの襟首を掴み上げていた。力を込めてきりきりと絞ると、何やら間抜けた顔で、名無しは心底意味がわからないみたいな視線を向けてくる。
「あなたのすることがよく解らない。欲しい物があるなら言ったらいい。こんな風に人を巻き込まなくてもいいじゃない」
「アウリスはそんなに利他主義じゃないでしょ」
あなたに何がわかる!
まずい、と思った。今まで堪えていた言葉が溢れそうになっている。理性の枷が外れかけているのだ。じぶんで解る。
一緒にいたい、わけじゃない。
本音では嫌いだ。嫌いだ。こんな男。
こいつはメーテルを殺したんだ……!
こうして、面白そうに目を瞬かせてアウリスを眺める彼を見ていると、アウリスはこいつがそう罵って欲しいと思っているんじゃないかとすら思えた。
だけど、そんなことしない。
決めたから。
名無し、というか、名無しの力がアウリスたちには必要なのだ。猫じゃらしを、守る為だ。
「アウリス」
アウリスは俯き、必死に耐えた。泣いてはいけない。こんな奴の前で泣くものか。
ひとまず、名無しの首を絞めている手を下ろした。でないと真面目に息の根を止めてしまいそうだった。
「チエルには手を出さないでください。約束したでしょう? 七課には手を出さないって。チエルは七課の子供です」
厳密には違うが、もうこの際何でもいい。名無しには「七課には手を出さない」と約束させている。アルヴィーンとチエルにしたことは厳密には取引きの前に起こったことだ。今言っても仕方がない。他には、「人を殺さない」という、道徳の本にすら載らない基本的なところを伝えてある。
アウリスは昨夜、名無しの協力を得る為、彼の前で土下座した。体くらいしか張れる物がないからだ。でも、今思うとその必要すらなかったのだ。名無しは初めからこの状況を望んでいたのだ。
こいつは、味方ではないのだ。
「わかった」
名無しの返事をしっかりと聞き取り、戸の取っ手に手をかけたアウリスだったが、名無しは戸に凭れたままだった。自然と目で訴えると、名無しは不可解な間のあとにこう言った。
「大丈夫だよ」
「は?」
「大丈夫だよ。俺は絶対に君の願いをかなえてあげる。約束する。猫ちゃんを助けてあげるから」
アウリスの何か言い返そうとした口が、凍ったみたいに動かなくなった。
ほんとうはアウリス自身も気づいていたのだ。
一番考えたくないシナリオに。
広場での騒ぎのときからずっと頭の隅にあった。でも、きっとみんな同じ気持ちだと思って口に出さないようにしていた。
アウリスは唇をかみしめ、俯いた。
頬が熱い。だめだ。いけない。
こんな人の前で泣くな。
頭のなかで一生懸命にそう叫ぶじぶんがいた。なのに、アウリスは目の前が滲んだ。恐怖に身震いした。
死んじゃったら、どうしよう。
……猫じゃらしが死んじゃったらどうしよう。
「大丈夫だよ。俺がいるから」
というか、七課の仲間を怪我させたのはあなただろうが。
同じ男に大切なものを人質に取られているのに。傷つけられたのに。アウリスを抱くその腕のなかは今はひどく暖かかった。その声はどうしてなのかアウリスの体に響いた。
「大丈夫だよ」
致死性の毒のように。
ゆっくりと回り、恐怖を甘く麻痺させていく。
「大丈夫だよ。アウリス。俺が君の傍にいてあげる。一緒にいてあげる、俺が何でもかなえてあげる」
「なんで」
「俺の願い事は、アウリスにしか叶えられないから」
アウリスはため息をついた。呆れられる程度にはいつの間にか回復していたようだ。
「それは何なの?」
「秘密。どうせ叶えてくれるんだから、何でもいいじゃない」
それもそうなのかな。
叶えるかどうかは解らないけれど!
アウリスはもう一つため息をつき、名無しを見上げた。名無しはやけに嬉しそうに表情を和ませていた。赤い睫毛に縁どられた黒い目が、普段の5倍増しで艶々している。まるで泣かれて嬉しいかのようで、アウリスはムッとした。
「……さっき肉だんごと話してたんですけど」
「ん?」
アウリスは気を取り直す為に手の甲で乱暴に頬を拭った。
「肉だんごは罪人を雇うのに反対みたいなんです。それで、他に宛がないかなと思って」
「罪人って言わなければよくない?」
他に宛はないらしい。罪人を雇うだけ雇い、肉だんごには罪人であることを隠しておく、というのが名無しの提案のようだった。
アウリスは少し考え、首を横に振る。肉だんごは鈍いし、案外、気づかないかもしれないけれど。
「だめです。それは騙していることになる」
「そう?」
とはいえ、実際に他に頼れるような人脈はないのだった。公開処刑を滅茶苦茶にしようと言っているのだ、並の神経の、つまり善良な一般市民は「はい」とは言ってくれないだろう。善良な市民はそんなことしない。通報する。
もう、時間もない。罪人も、百人いればけっこう色々出来る気がする。
「んー、どうする? 資金の方は明日と明後日であらかた集まると思うけど」
「そ、うですか」
じゃあ、やっぱり話し合った計画通りにするべきだ。そう思ったが、咄嗟に返事が出来なかった。肉だんごのことを思ったら、言えなかったのだ。それが最善だと思っていても。
名無しは何か察したのか、「今夜までに教えてね」と言った。
期限を課せるのが好きらしい、みんな。
この場合、答えはもう決まっている。
アウリスはわかったと答え、名無しの腕の中から抜けて戸を開けた。
肉だんごの所在は厨房で聞くとすぐ解った。
「夕飯の残りあるけど、もらいやすかい」
「あ、大丈夫です。ご飯はニナエスカさんと一緒に食べたから」
給仕の女性の言葉に、アウリスは慌てて首を横に振る。この館の人間はなんて親切なのだろう。お昼御飯も、お夕飯も出してくれた。しかも残飯までくれるなんて、流石に気が引けるではないか。お金を出しているでもないのだ。
逃げるように厨房を出ると、自室の方へ逆戻りした。先程の給仕に言ったとおり、夕飯は食堂で、ニナエスカと名無しと一緒に食べた。
肉だんごは昼間からずっと姿が見えなかった。厨房の人によると食事は食べているらしい。アルヴィーンの方はというと、未だに寝たきりだ。目を覚ましていない。医者によると心配はいらないらしく、今朝の解熱剤があまりに強烈だったとのことだった。本当に、名無しはいらんことしいだ。
アウリスは自室に宛がわれた部屋の戸を開くと、数歩入って立ち止まった。
肉だんごはいつの間にか部屋に帰っていた。隅で何やらゴソゴソしている。彼の目の前には大きな背負い袋が置かれていた。町で買ってきたのかもしれない。
背負い袋の中身を点検するみたいに床の上に広げていた肉だんごは、入ってきたのがアウリスなのを見ると、手を止めた。
「ああ、アウリス。ご飯食べた?」
「うん」
「そっか」
アウリスは後ろ手で戸を閉めた。作業に戻る肉だんごの方へ、アウリスは足を進めた。
「厨房の人が、肉だんごはここに戻ってるはずだって言ってて」
「うん。残飯もらったんだ。昼のうちに町に出て食糧買ったんだけどな。くれるっていうからもらった。明日からはさ、決まった宿もないしな。多いに越したことはないだろ」
アウリスは肉だんごの手元を見た。短刀とか、弓矢が丁寧に手入れされてある。
肉だんごは、もう去る準備をしている。今町から帰って来たのだろうか。背負い袋はこんもりと膨らんでいた。中には、二人分の食事を買ったかもしれない。
……それは、辛いな。
アウリスは肉だんごの隣に来て、折った膝を抱えるみたいにして、しゃがむ。
「肉だんご。ニナエスカさんと名無しと話してたんだけどね。近くにゲノマっていう収監所があるらしいです」
「ゲノマ」
「ゲノマ。明日、そこに入り込んで、囚人を解放しようって話になりました」
つまり、罪人に恩を売り、恩返しをさせるというわけだ。ニナエスカは町の裏の顔なところがあるらしく、彼女に借りを作ったら返すものらしい。返さないとひどいことになるらしい。
そういった風に、ゲノマの他でも罪人を集め、公開処刑の日に暴れてもらう。その段取りを決めたところだった。
問題は時間があまりないことだ。名無しは明日から早速、資金集めをしてくれる。一方、アウリスは、ゲノマを初め、罪人集めを開始。ニナエスカは出鼻に必要な人材は集めてくれると言った。
ニナエスカが名無しの為にお金を貸してくれるのか、ニナエスカが名無しにお金を借りていたのか、名無しが溜めていたお金を使うのか、その辺りはふわふわしていて、よく解らない。とりあえず、明日行動開始というわけだ。
「肉だんご」
アウリスは肉だんごの金髪の頭を見つめた。肉だんごはさっきから手が止まっていた。俯いていて、表情は見えない。
これは、だめかな。
アウリスは暫く、凍ったように肉だんごを見ていた。返事はない。
やがて、肉だんごが手を動かして、床に散らばった物を片づけた。いまだに俯いたままだ。何も言ってくれない。
そうこうしているうちに、彼は全部背負い袋に詰めてしまった。そのまま、腰に短刀を差すと、立ち上がった。片方の肩にドスンと重そうな袋を担いで。
「肉だんご!」
駄目だと思ったけれど、アウリスは叫んでいた。引き留めてはいけないと思った。なのに、アウリスは聞かずにいられなかったのだ。
「……一緒に、残ってはくれないの?」
肉だんごがぴたりと足を止めた。ほんの少しだけ肩越しにした顔に、唇が引き結ばれるのが見えた。
迷っているのだ。
アウリスは祈った。立ち上がって、肉だんごの背中を見詰めた。肉だんごの葛藤がじぶんの方にぐらついてくれたらいい。そう思った。
だけど。
それは何を天秤にかけているのだろう?
肉だんごは嫌だと言ったのだ。それは何が嫌だったのだろう? 罪人になるのが嫌? 罪人の何が、嫌?
俺たちは罪を犯していない、と肉だんごは言った。
あのとき、肉だんごはきっと、好きな人のことを考えていたのだ。決まっている。だって、最近の肉だんごは恋愛至上主義なのだ。
きっとまた会える。
そう、言っていた。アウリスもそうであってほしいと思う。
「……アウリス」
だけど、再会したそのひとを抱きしめる手が、罪人の、手だったら。
「ごめん」
肉だんごが振り返った。途方に暮れた顔をしていた。
子犬が耳を垂れたときみたいな表情にアウリスは胸が痛む。そんな顔をさせたかったわけでは、決してなかった。
「頑張ってね、肉だんご」
というか、捕まらないでほしい。
名前はなんだったか、その女の子は。ミアリさんだ。
ミアリさんも。セツ先輩も。アルヴィーンも。グレウさんもみんな。
捕まらないでいてほしい。
アウリスが笑うと、少しだけ肉だんごは驚いた顔になった。けれどすぐにいつもの顔になって、白い歯を見せてはにかむようにした。施設にいた幼少時より何も変わっていない。
「おう。おまえも頑張れ、アウリス!」
「はい」
肉だんごはおもむろに果物籠の中に手を入れて、アウリスに梨を放った。じぶんも梨を一つ、持った。
そのまま出ていった。
アウリスは梨を齧ると、ドアが閉まるのを見送った。そうして頭の中でさよならを言った。
さよなら。
ジークリンデ領で会おう。
だけど、もしも、もしも肉だんごがミアリさんに出会ってなかったら。
そしたら今、じぶんと一緒に残ってくれただろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎった。
アウリスは魂が抜けたみたいにその場を動けないでいた。突っ立っていると、背後の窓で微かな物音がする。
「アウリス」
ふつうにドアから入ればいいのにと思う。それとも、ずっと聞いていたのだろうか。
アウリスは何となくやけっぱちな気分になっていた。無心に梨を齧っていると、名無しが首を傾げ、傍にやってきた。
「君は間違ってないよ。アウリス」
するっと布みたいな音をたて、彼の指がアウリスの髪を流す。
「だいじょうぶ。君はただしい。これで、いいんだよ」
長い指がつうっとうなじを撫でたあたりで変な寒気がして、アウリスは憮然と梨を持って部屋の戸の方に向かった。
「ニナエスカが呼んでるよ」
名無しが部屋から声をかけてきた。
「明日のことで話があるって。人員が揃ったみたい」
明日。ゲノマの収監所解放の話だろうか。罪人を解放する為に罪人を集めたのかもしれない。
それは、誰が雇ったのか。
……返すつもりは、ある。だけど結局、この計画には一体どのくらいのお金が必要なのだろう。
「あの」
気になって振り返ったが、遅かった。部屋にはもう誰もいない。カーテンだけが侘しく揺れている。
神出鬼没な奴だ。
アウリスは仕方なく部屋を出た。ニナエスカの用と言うのを聞きに部屋に向かおうかと思ったのだが、通路には一人の小姓が立っていた。
「あ、アウリスの旦那」
見かけない顔だ。しかし、「旦那」って。じぶんは客じゃない。男でもないが、そのあたりは娼館ならではの風習でそう呼んでいるのかもしれない。
少しばかり面食らい、アウリスは小姓を見下ろす。
「何か?」
「いええ。先程肉だんごの旦那がお帰りになりやしたですよ」
思わず吹き出しそうになった。新手の悪口か。肉だんごの旦那、って言った。肉だんご、の旦那。
「はい、知ってますが」
ちょっと笑いを堪えて言うと、小姓は首を傾げた。左右に結んだ三つ編みが揺れる。アウリスも小柄な方だが、小姓は何といっても子供なので、アウリスより背が低い。チエルとあまり変わらないかもしれない。
「ええ、ええ。そいで、お部屋の方はどないしようかと」
「? このままでいいんじゃ?」
また部屋を変えてもらうのはお手数をかけますから、と常識のあるアウリスとしては答えたのだが、小姓がいきなり目を輝かせた。戸惑う。何故そんな、恋愛小説大好きな令嬢みたいな素敵な笑顔になるのだ。この娼館の従業員はみんな美形なので一層、打撃が大きい。
「あ、あの?」
「わかりやした。やっぱりそうでやんすね。じゃあ、お部屋はも一つ用意せんでええのですね」
「はあ」
「ええ、ええ。新婚水入らずで仲良うやってください。邪魔ものも消えたしな」
「……えっ?」
けけけ、と手のひらを口にあてて笑う小姓を、アウリスは思わず注視した。はじめは意味がわからなかったのだ。だが、やっと合点した。
肉だんごが去ったという事は。
この部屋、じぶんと名無しの二人になるじゃないか!
「あっ、いや、やっぱりあのもう一部屋いるような気がしてきた!」
「ええ、ええ。そんな照れんでも」
名無しと同じ反応か!
「嫌! です真面目にお願いします。部屋二つ下さい。すみません、お手数かけます」
「えーもー夜遅いし面倒い」
「そこを何とか! わたしとあのひとは新婚でも何でもありませんから!」
「ほなな」
「えっ、待って!」
もう物置部屋とかでもいい!
いきなり態度が大きくなった小姓は、アウリスの懇願など聞く耳持たずにさっさと行ってしまった。
(せ、接待のいろはがなっていない!)
どうしろというのだ。
アウリスは立ち尽くし、ぐっと拳を握った。アウリスだって、久しぶりに寝台のある場所で寝たいと思っていた。ふかふかの布団がありがたいと思っていた。
でも、背に腹は代えられない。
戸の前でしょげかえり、アウリスはぽつりとつぶやいた。
「厩で寝よう」




