表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/42

14.


 女は針金のような物で手首と肘を両手別々に縛られ、高いところの枝に結ばれていた。赤と黒と白でまだらの体には殆ど何も纏っておらず、ぼろ布と甲冑の残骸みたいな物が引っかかっている。上品な軍靴を履く足元だけが綺麗で、奇妙な感じがする。

 アウリスは憐れな姿に成り果てた女を見つめる。

 名前は呼ばなかった。

 目の前のものは抜け殻だ。こんな姿を彼女だと言ったら、彼女に怒られるような気がした。

 肉だんごが嘔吐するのがくりかえし聞こえ、アウリスはやっと振り返ると足早に彼の方へ寄った。そうしながら辺りを見回す。草地の中央ではまだ焚き火が焚かれている。だが、周りに人の気配はない。これだけたくさんの人間がいるのに関わらず、冷たい程静かだった。

 アウリスは肉だんごが肩をぜいぜい震わせている方を見ると、手持無沙汰に水筒を差し出す。

「うぅぅ」

「肉だんご、水」

 乾いた音をたて、手ごと水筒を払われた。驚くアウリスを肉だんごが二腕で引き寄せて抱く。そのまま彼が膝を折るのでアウリスの膝も崩れる。

 凄い力で縋られ、アウリスはじぶんにしがみつき震えている彼の背中にじぶんの両手を回し、そっと撫でた。肉だんごの押し殺す泣き声だけがアウリスの正気を留めていた。

 足音がして目を向けると、アルヴィーンが木立の方に現れ、樹木を背に剣を杖にして立っている。

「これは」

「アルヴィーン、休んでいてください。体を低くして」

 アウリスがそう言うと、アルヴィーンは静かに彼女を見た。目の焦点が引き続き定まっていない、が、異論はないようである。アウリスは彼が体を木に凭れるのを見届け、再び草地に目を向ける。

 戦慄に喉がわななく。これをした人達はまだ近くにいるかもしれない。そうでなくとも、長居なんてしたくない。こんな場所。

 でも、そうも言っていられない。

 アウリスはじぶんに喝を入れ、肉だんごの肩を掴み呼びかけた。彼は顔を上げない。アウリスは困りはて、肉だんごの金に輝く後ろ髪を手で梳く。

「さっきから女の子の胸を頭でぐりぐりしないでください。とても失礼です」

「っ、ごっ、ごごごごめん!」

 大袈裟な衣擦れの音をたてて肉だんごが身を起こす。吐いて嗚咽して照れ照れしてと忙しいことだ。だが、耳まで煮立っている様子は少しばかりいつもの調子に戻っている。アウリスは肉だんごに落ちていた水筒を渡すと、彼が口をゆすぎ、水を飲んで落ち着くのを待ち口を開く。

「ひとまず生きてる人がいるか探しましょう。次いで物資の調達。周りに注意して」

「う、うん」

 まだ衝撃が残っている様子だが、水を飲んだ口を拭う肉だんごの仕草には力が戻っていた。

「でも、犯人は多分ここへは戻ってこないんじゃないか。山賊なら」

 それはわからない。そこを含め、現場を調べるべきだと思う。犯人は十人以上の騎士たちを倒しているので、一人や二人ではなく、大勢で徒党を組んでいる可能性が高い。考えたくないが、アウリスたちもこの先かち合うかもしれないのだ。手がかりを調べておくべきだった。

 アルヴィーンが動けないので二人で手分けして周囲に注意しつつ、まず騎士たちの体を調べていく。生存者はいなかった。しかも、同じような手管で首を斬られている。初めに現場を見て一目瞭然だったが、これでみんな殺されたんだと言う確証がついた。

 辺りを見回すと、鍋や器といった食器がやたら転がっていて、どうやら食事中だったようである。そこで奇襲されたのだろうか。

 地面に敷かれていた外套を見つけ、そこに見立てた食器を詰める。ここにきて、アウリスたちの物資難は奇しくも一気解決だった。何しろ、シャツを一枚失うと半袖ベストだけになるという生活だったのである。一度宿に戻るような余裕もなかったし、衣服も食器類も何も持ってきていなかった。

 だけど、こんなの、山賊たちがしていることと同じだ。

 作業に集中しようとじぶんに言い聞かせることで気持ちが乱れないようにするが、やはり手が迷った。アウリスはふと手を止め、隣に横たわる騎士を見る。

「……アルヴィーンの布団に使わせてもらいますね」

 手で広げたふろしき代わりの上着は彼からもらった。当然ながら返事はなく、アウリスは行き場のない罪悪感を呑みこみ、次の遺体へ進む。しかし、そんなことをくりかえしているとふと、奇妙なことに気づく。遺体の致命傷が見る限り全員、見事なくらい一致しているのだ。

 アウリスは思わず目の前の遺体の頭部に手を伸ばし、もういちど確認した。初めは特に何も思わなかったが、全員が全員同じに首を斬られているのは何か不気味ではないか? しかも、太刀筋は一貫して遺体の右から左へ、右利きの襲撃者ならば正面に立って、左利きならば背後から羽交い絞めにして首を斬っている。

 アウリスは先程素通りした食事場面の跡を向く。

 一貫しすぎた手口を見る限り、可能性は二つ。同一人物によるものか、驚異的に統率された人間たちによるものかだ。しかし、単独犯では二十人近い騎士団を相手にするのは流石に無理だ。魔物か巨人でないと無理である。だが、仮に毒を料理に仕込んでいたらどうだろう? この場の様子からして、即効性のもので動きを止め、とどめを刺したというシナリオに見えなくもない。

「毒……」

 アウリスは口の中で呟いてみる。例えば、山賊が騎士たちの夕食に何か小細工したかもしれない。だが、飯炊き係の主観で言わせてもらうとそれは非常に難しい。アウリスも、派遣先や野宿で料理をするときは素材に物凄く気を遣う。

 となると、やはり内輪の仕業だろうか。その可能性が高いのではないか? アルヴィーンが毒矢を受けたこともあるし、騎士団はそういったものを常備しているのかもしれない……。

 考えているうちに、目の前で朽ちようとしている焚き火がだんだん不気味なものに思えてきた。考えすぎ、だろうか。

 アウリスはそう自問しつつ、けれど騎士たちの遺体をもう一度確認して回った。

 アウリスが固まり、考え込んでいると肉だんごが歩いてきた。彼は近づくや否や土を足で焚火の火にかける。火を囲んでいた石がころころ崩れる。

「アウリス、まず火を消せよ。誰に見られるかわからないんだし」

「ごめん」

 肉だんごは開口一番にそんな心配をして、大幅に復帰している様子だった。淡い青の瞳にも生気が戻っている。

「肉だんご。見て回ったんだけど、生きてる人はいないみたいだった。あと、あの頭に布巻いたひとがいない」

「うん、俺も思った。あいつだけ逃げたのかもな。べらぼうに足速かったし」

 アウリスは閉口し、肉だんごが彼女が集めた荷の方を一瞥する。その肩にはそれぞれふろしき包みにした荷が担がれている。

「アウリス、だいじょうぶ?」

「うん」

「東も確認した。誰もいないよ。やっぱり山賊の仕業じゃないかな。金目のものは取られてるみたいだし、それに、……」

 肉だんごが言い淀む。アウリスもなんとなく彼の意図するところがわかったので黙った。さっき全員同じ死に方をした、と言ったが、一人だけ違うひとがいるのだ。肉だんごはそれが、彼女が女で、襲撃者が罪人級の外道だったからだと思っているようだった。

「肉だんご、平気なら少し手伝ってもらえますか」

 アウリスは調査も安全確認もあらかた終わったところで二人でもう一度その木の前に立った。アウリスは最初にひどく狼狽した肉だんごのことが心配だったが、肉だんごは何も言わずについてきてくれた。そもそも、アウリス一人で出来ることではない。

 アウリスは木の上の女の方を見上げる。亜麻色の髪が微かな風に涼しげに揺れている。その奥の水色の目は薄く開いていた。まるでそれが、最後まで相手を睨んでいた証のように思えた。

「降ろしましょう」

「えっ?」

 肉だんごが何故かギョッとした風に聞き返す。

「あの、でもさ……、無理そうだよ。もうそっとしておいた方が、いいよ」

 これ以上死体を動かすのは冒涜だと感じているのかもしれない。アウリスはみなまで聞くことなく手近な枝に乗り移った。両手で代わりばんこに枝を掴み、高い所へ向けていく。

 間もなく女騎士が吊るされる枝まできて、アウリスは思わず息を呑んだ。肉だんごがああして渋った理由のひとつがわかった気がする。女騎士の腕だ。針金のような物で枝に結んであるのはわかっていたが、近くで見ると半端なく周到に、結び目も見えない程ぎちぎちに巻いているのだ。

 アウリスは目の前の無残さに吐き気がこみあげる。こんなもの、とてもほどけない。アウリスはどうにか持ち直し、短剣を手に幾度か試してみる。だが、丈夫な針金は斬れるどころか、切り目さえつくことがなかった。

 肉だんごが心配した声をかけてきて、アウリスは暫く苦闘したが結局あきらめ、木枝の方を斬った。とはいえこちらも丈夫で太い枝だったから、何回も力いっぱい叩かないとならなかった。

 女騎士の下肢を抱いて支えてくれていた肉だんごの隣へ降りる。そうして二人で彼女を仰向けに横たえた。亜麻色の髪が夕日の残滓に煌めいて草の中に零れる。その輝きに、顔の白さがひどく引き立つようだった。

 アウリスは女騎士の顔を見、草地に寝かされたぼろぼろの体躯を見る。

「致命傷じゃない傷が多い」

「うん。きっとたくさん抵抗したんだな」

 抵抗? 毒を盛られていたかもしれないのにか? 

 抵抗できたはずはない。傷が多いのはわざと生かされていたからだ。襲撃者はメーテルにだけ無駄な手間と時間をかけていた。一思いに殺さなかった。

 たぶん、女性に対する特有の方法で、彼女を穢した。

 けれど、それを確認する方法も度胸もアウリスにはなかった。

 拳が痛い程軋む。眉をしかめたままに顔を上げないでいるアウリスの手に肉だんごが手を重ね、行こう、と言った。

「この先で野営を整えよう。アルヴィーンを連れて来るよ」

「うん」

 長居は無用である。肉だんごが一度アウリスの手を強く握り、こちらを幾度か振り返る気配をさせながら歩み去っていく。アウリスは彼の方を見るが、何を言っていいのかわからなくて、また俯いた。

 動悸を無理やり抑え込むために一度目を閉じる。そうして目を開き、女騎士の瞼にそっと触れて彼女の目を閉じさせた。そこでアウリスはふと視線を留める。

 女騎士の唇は既に変色し始め、縦に薄く開いている。その奥に何かある。アウリスは左程迷うことなく指を入れて取り出してみる。指のあいまに翳してみたら、キラリと夕日に光る。

 一粒のイチゴ飴だった。





 コンファーと呼ばれる針葉樹の下で野宿をすることになった。コンファーは無数の触手みたいな枝を垂れ下げた形をしていて、長い帯の如く葉が虫除けの幕になる。

 山奥では肉食の野獣はもちろん、毒をもつ蛇や虫などにも注意しなければならない。昨夜もそれらが嫌う匂いを樹液に纏うというコンファーの下で寝た。コンファーは山賊含め、田舎で世を忍ぶ罪人たちのご神木なのだ。

 アウリスは飯炊きをして大分心が落ち着いていた。騎士団に拝借した食器を使い、出来たのは草と携帯穀物入りの物凄く質素なスープであったが、体調の悪い人間がいる今は丁度いい。

 焚火を囲ってのご飯を通じて、みんなの空気も少しばかり浮上したようで、アウリスは安堵していた。肉だんごなんか文句を言う元気まで出ているらしく、椀の底に残る穀物をまんべんなく掻き込みながら「明日は俺が絶対野兎を取ってやるよ」などと豪語した。アウリスは気持ちだけ頂いておいた。アルヴィーンやセツ辺りなら弓や罠を作るのも上手だが、肉だんごは正直言ってへたくそだ。万年、派遣先で飯炊きに貢献するのと最も遠い位置にい続けているのが彼である。

 ちなみに調味料の方だが、アルヴィーンが持っていたのを使っている。不甲斐ない事だが、アウリスと肉だんごは殆ど身一つでいるのだった。アルヴィーンの驚異的な準備の素晴らしさにほとほとアウリスは感心する。ある意味、山籠もりで一番役に立っているのは怪我人のアルヴィーンだと思う。

 料理を片づけ終えると、肉だんごが既に寝床を整えてくれていて、外套を二枚敷いた昨夜より幾ばかりかふかふかの布団にアルヴィーンが横になっていた。上には更に二枚上着がかぶせてある。アウリスはお礼を言おうとしたが、何やら肉だんごは浮かない顔だ。

「アルヴィーンの奴、夕食吐いちゃった」

「えっ、ほんとうに?」

 体が弱っていて栄養は必要なのに。だが、アルヴィーン本人もそれを解っているから無理して食べたのだ。思わず押し黙るアウリスの腕を肉だんごが引く。

「なあ、ちょっといい? 話したいことがあるんだ」

 アウリスは肉だんごの顔を見た。実は、アウリスも話したいことがある。アウリスはうなずき、肉だんごにちょっと待ってと言い残すとアルヴィーンの枕元へそっと寄る。

 顔を覗きながらおそるおそる身を屈めると、気配を感じたのか硬く閉じていた瞼が開く。琥珀色の瞳が熱っぽく見上げてきて、アウリスは体が強張るのを感じた。こんなときなのにアウリスの呑気な心臓は勝手にとくとく動悸を上げる。

「アルヴィーン、わたしと肉だんごはちょっと傍を離れるから。何かあったら呼んでね」

 アルヴィーンは何か言いかけたようだったが、代わりのように纏う外套のフードを手探りし、それをすっぽり目深く被る。そのままそっぽを向いてしまった。アウリスはその動作の弱弱しさに戸惑いながら、一度うなずくと立ち上がる。

 二人はそれからコンファーの枝の下を潜り、手近な藪の方へ入った。アウリスは手頃な木を見つけ、肉だんごの声が聞こえる程度の高さまで登る。こうしていると、話しながら高台の見張りができる。

 肉だんごは地面で同じ木に凭れ、言いにくそうにしている。

「あのな、アルヴィーンのことなんだけど。あれ、やっぱり毒のせいなのかな」

「そう思います」

 これは断言できる、と思う。自慢だが、アウリスは密かに七課の中で一番毒に詳しい。そこは七年間飯炊き係だったことが大きいが、それ以外にも似た症状を何度か見たことがあるのだ。

 例えば二、三年くらい前に、グレウ師団長が毒で倒れたことがある。冬時で、しかも町から離れた孤立無援に近い山奥のことで医者にかけることもできず、アウリスは彼の看病をした。

 そのときのことを話すと肉だんごはアウリスがびっくりする程驚いていた。

「あれ毒だったの? ふつうに風邪とかかと思ってた」

 確か馬鹿は風邪をひかないと言うことわざがあるはずだが、とアウリスは少々意地悪いことを考える。

 しかし、肉だんごは知らなかったのか。グレウ以外の団員でも何度かあったのだが、もしかして皆恥ずかしがって口を閉ざしているのかもしれない。アウリスは直に看病したから知っていただけかもしれない。アウリスたち七課は仕事場で罪人や、「黒炭」の中での問題児、つまり罪人と取引したり他諸々の違法行為に手を染めたりしている輩と遭遇する。そんな中には卑怯な手管を使ってアウリスたちを貶めようとする相手もいるのだ。

 肉だんごはひとしきり首を捻り、じゃあ、とアウリスを見上げる。

「アウリスはどうすればいいか解る? アルヴィーンを治すのに」

 わかっていたらこんなに苦労していない。アウリスがそういうと肉だんごがぐっと口を閉ざした。アウリスも黙り込んだ。じぶんが少しきつい口調になってしまったのがわかった。ただの八つ当たりだったとアウリスは反省する。

 アウリスは眉をひそめ、一拍おいて口を開く。

「あの、肉だんごが話したかったことって、それ?」

「アウリスは?」

 素っ気なくそっぽを向いたままに聞き返され、アウリスはたじたじとなる。

「うん。わたしも、ひとつはアルヴィーンのことなんだけどね。わたし、アルヴィーンをお医者に診せるべきだと思うの。明日にでも山を出て町に戻ってみたらどうかな」

 肉だんごがびっくりした風にアウリスを仰ぐ。

「えっ、でもそれ、町なんか出たら騎士団に捕まるんじゃ?」

「うん、見つかるかもしれない。でも、このままいても悪化するだけだよ。アルヴィーンはどんどん悪くなってる。お医者に診せないと、もっと悪くなるかもしれない」

 騎士団に見つかる方が死ぬよりましなのだ。もちろん、アルヴィーンを警護する為にお医者の近くで見張るけれど、捕まってしまったらもうそれで仕方ないと思うくらいにはアウリスは思い詰めていた。

 猫じゃらしを助けたい。何とかして、死刑を止めたい。その為にも町に出ないと、山の中で誰にも会わないようにしていたって何も始まらない。いっそ、アルヴィーンのことはお医者に預けて、肉だんごと二人で行動してもいい。

 だけど、そうなったらそうなったで、アルヴィーンが心配だ。騎士団に見つかる方がましと言えど、それでも捕まったら死刑になるかもしれない。毒でなくても殺されてしまうかもしれない。

 アウリスはそんなことをとりとめもなく考えながら、肉だんごにはアルヴィーンにはお医者が必要だという部分だけ、かいつまんで語った。騎士団に捕まるのは怖い。だけど、目下、毒の問題の方がより深刻だ。既に起こっているのだ。

 肉だんごは暫く黙り込んだあと、考え込む風に首に添えていた手を下ろした。

「わかったよ」

「肉だんご」

「王都に誰か知り合いがいたらよかったんだけどな。仕方ないよな。アウリスが言う通りだと俺も思う、明日アルヴィーンを連れて町に出よう」

 アウリスはうなずき、一拍おいて、ありがとう、と言った。肉だんごはやめろよ、と返した。やめろも何も、無茶をすることに変わりはない。王都へ出ることはアウリスと肉だんごの二人をも危険に晒すことだからだ。

 一方、アルヴィーンには意見も許可ももらっていないが、今回ばかりは無視することにする。あれだけフラフラだったら何が起こっているかわからないかもしれないし、もしかすると気がついたら白い天井を見上げていた、というような都合のいい展開になってくれるというわけだ。

 早速明日のことに思い馳せかけていると枝葉が揺れた。見下ろすと、肉だんごが木幹に足をかけている。

「えっ、やめなよ。絶対落ちるよ」

「……ぜ、絶対って」

 肉だんごが絶句する。親切に忠告したアウリスは更に肉だんごが上に来るのに代わってじぶんが下へ行ってあげようと飛び降りた。風で広がった髪を手で押さえる。そうして見ると、暗がりの中で肉だんごは何か言いたげな顔をしていた。

 アウリスは促すように首を傾げて見せた。すると肉だんごはパッと目を逸らし、さっきと同じように後ろ手になり、背中を木幹に凭れた。ここまで言い淀むとは何の話だろうとアウリスは訝しむ。

 その実、アウリスももう一つ、したい話があった。だけどこちらも、どうにも切り出し方がわからなくて悩んでいるのである。

 二人で暫く沈黙していたが、アウリスはひとまず先にどうしたの、と聞いた。肉だんごが足元に落としていた目線を上げ、アウリスを見る。

「さっきの話に戻るんだけどさ。アルヴィーンを医者に預けてから、どうするか考えてたんだ。それで、俺は俺とアウリスと二人になる方が、いいと思う」

「うん、それはわたしも考えてたけど」

「ちがうんだ」

 肉だんごがアウリスを遮る。驚いた顔の彼女を見て肉だんごはため息をつく。

「ごめん、違うんだ。俺、今日そのことをずっと考えてたんだ」

「な、何を?」

 不安を覚えて聞き返すと、肉だんごが顔をしかめ、アウリスの方をまっすぐに見る。青い瞳が星明りを反射して煌々と光っていた。

「俺、アルヴィーンとはやっていけない。一緒にいられないよ。騎士団と会ったときの話しただろ? アウリスは洗濯に出てていなかったけどさ、俺、びっくりしたんだ。本当にびっくりして、でも、あれで思ったんだ。アルヴィーンとはやってけない」

「肉だんご」

 アウリスは言葉が続かなかった。あまりに考えてみなかったことだからだ。だけど、気づくべきだったかもしれない。肉だんごはアルヴィーンが騎士たちを殺した時のことを言っているのだ。

 肉だんごが木の幹を離れてアウリスの真ん前に立つ。アウリスはいつの間にかじぶんの背を優に超してしまったその目線とじぶんの目を合わせる。そこには見慣れたふにゃんとふやけた野菜とは違う、強張った表情がある。

「何か言えよ」

 責めるような口調に、アウリスはますます言葉に詰まってしまう。戸惑い、思わず肉だんごの顔色を伺ってしまう。肉だんごが痺れを切らしたかに眉をひそめる。

「俺はさ、黒炭の傭兵になってよかったと思ってる。罪人とっ捕まえたり、騎士団が動いてくれないような下層民とかの依頼受けて、人助けしたりしてさ。そういう意味だと国家騎士団と変わらない仕事だよ。俺はそう思ってる。でも、アルヴィーンがしたことは違う。許せない。俺たちだって仕事で人殺しを見たり、死体を見たりするじゃないか。だからこそ許せないんだ」

 肉だんごが力強く、感情を迸らせる声でいう。アウリスはそんな彼に相反して冷静になろうとした。

「うん、肉だんごが言ってることはわかるよ。わたしもびっくりしたし、悲しかった。でも、アルヴィーンにはアルヴィーンの考えがあったと思うし、あの場合は仕方がなかったところも」

「それは俺も思うよ。でも、俺はしなかった。同じ状況だけど同じことはしなかった。俺とアルヴィーンじゃ、考え方が根っこから違うんだよ。そういうことなんだ。だからもう一緒にはやっていけないんだ。俺から見たら、あいつ、おかしいよ。あいつ変わったよ」

 肉だんごが苛立ったように捲し立てる。アウリスは一拍おいて返した。

「でも、わたしは一緒にいたい」

 肉だんごがハッとしたように口を噤む。アウリスは眉をしかめ、彼の顔を見る。

「変わったの? 変わったら一緒にいられないの? わたしはそんなことないと思う。そんな風に言ったら、ほんとうに距離が出来てしまうよ」

「距離なんかもう、できてるよ」

 肉だんごが遠慮した様な小さな声で、けれどきっぱりと言う。

 アウリスは俯く。肉だんごの言葉の数々がじぶんの心の柔らかい部分を裂く。裂け目からとめどない悲しさが湧く。出所のわからない無意味な怒りも湧いて、アウリスは肉だんごを睨んだ。苛立ちの方が感じるのが楽だったからだ。肉だんごが目を丸くし、アウリスの眉間をつついた。

「なんだよ」

「べつに、考え中」

「睨むなよ」

「うるさい」

 アウリスは肉だんごの指を払う。肉だんごはすぐまた彼女の眉間を煩くつつく。それを幾度か繰り返し、どちらからともなく疲れて手を下ろした。俯くアウリスの方へ肉だんごが一歩寄り、顔を覗く。

「でも、真面目な話さ。アウリスがアルヴィーンが治った後また一緒に、って考えてるなら。俺は二人と行かないよ」

 肉だんごが宣言し、思わずアウリスはぱっと目線を上げる。肉だんごが小さく笑った。ふやんとふやけた野菜みたいな笑みだった。

「俺は、俺一人より二人の方がいいな」

「肉だんご」

 アウリスはつられて少し唇を綻ばせる。だが動揺したままではどうにも肉だんごと目が合わせづらくなり、すぐまた下を向く。視線の先にある黒い靴が枝を踏み、乾いた音をたてる。

「そろそろ戻ろっか。俺が先に見張りするよ」

「わたしが先でもいいよ?」

「いいよ、そんな疲れてないし」

 アウリスも疲労の度合いは別として今すぐ眠れるような気分でもなかったが、肉だんごに譲ろうかと思いうなずく。

「わたし、お手洗いに行ってくる」

「おお、気をつけて」

「先に野営に帰る」

 アウリスは言いながら肉だんごが歩く隣に並んだ。肉だんごが外套のフードを被りつつ、青い目で空を見上げる。

「今日ちょっと寒くないか?」

「そうかな」

 重ね着する服はたくさんあるからいいじゃない、とアウリスは言いかけたが出所を考えると不謹慎な感じがしたのでやめた。代わりに肉だんごに倣い空を仰ぐ。虹のかけらみたいに妙に色鮮やかなたくさんの星が瞬いていて、そのあいまに、ぷっくり三日月が膨らんだような中途半端な満ち方の月が浮かんでいる。肉だんごが思い出したようにアウリスを見る。

「あれ、そういえば他にも話があったんじゃなかったっけ?」

「え? ああ、はい」

 アウリスは少し考え、首を横に振った。どうせ言おうか言うまいか悩んでいたし、言おうとは思ったけど少しばかり信じがたい話だし、何よりじぶんでもまだ確信がない。一番話が通じそうだとしたら、アルヴィーンだがそれこそ今は無茶である。

 コンファーの枝葉の簾を潜っていくと、焚き火に照らされた小空間に外套がこんもりとしているのが見える。

「俺、前で焚き火もう一つ焚いてくるよ。見張り用」

「お願いします」

 アウリスは手を振り、肉だんごがコンファーの外へ戻っていくのと別れる。物資難からの浮上で火石が見つかったのが一番助かっていた。それ以前は、もちろん誰でもなくアルヴィーンが装備していた僅かながらの火石をちびちび節約して使っていたのだった。

 アウリスはアルヴィーンが万が一寝ていたらと思い、彼の足元の方から木の根元に近づく。根っこは人の胴体程太く、お婆の手を思い出すような皺だらけだった。そのあいまに寝かされた武器をアウリスは物色した。弓の重たさに少々驚きつつ担ぐ。普段あまり使うことがないのだ。他に矢を二本と短刀を一本、ベルトの荒目に差しておく。

 アウリスは準備を終え、アルヴィーンの枕元の方へ近づく。水筒が三つ置かれていて、手前のを手に取り揺らすとたぷん、と音がした。他二つは満たんのようだし、補給はまだいい。

 アルヴィーンは眠っているようで、出てきたときのまま横を向き、外套のフードを目深く被っている。ぴくりとも動かない。

 アウリスは水筒にかかっていたハンカチを水で濡らす。片手をアルヴィーンの枕元に添え、そうしてハンカチをフードの影に覗く唇にあてる。こうしたら少しでも渇きが安らぐかなと思ったのだ。

 アウリスはアルヴィーンの布地に殆ど隠れた顔を眺めた。起こしてしまったらまた気分が悪いだろうから、二、三度、とても緊張しつつ、こっそりと彼の唇を濡らして、離れる。そそくさと枕元を元通りにすると立ち上がる。そのまま足早にコンファーの砦を後にした。

 アウリスが出てくると、焚き火用の敷石を並べていた肉だんごが振り向き、目を丸くした。

「重装備だなあ」

「女の子のお手洗いですから。あの、肉だんご、あまり遠くには行かないけど、ちょっと一人になって考えたいんです。時間をもらっていいですか?」

 遠慮しながら聞くと、肉だんごが片手を軽く挙げる。

「気をつけろよ。アルヴィーンは僕が見とくから」

「肉だんごってね、僕って言ったり俺って言ったりしますよね。前から思ってたけど」

「えっ、そう? ぜんぜん気づかなかった」

「どっちがいいとかあるの?」

「えっ、そうだな……、じゃあ、今日から俺で」

 じゃあ、って軽々しいが、気づいていなかった程だしどうでもいいのだろうか。子供のときは確か「僕」だった。肉だんごのことだからグレウ辺りの真似から始まったのかなとアウリスは思う。

 アウリスは立ち止まり、何となく肉だんごの方を見つめていた。肉だんごが火石を打ちながら、なに、と聞く。アウリスは少しだけ迷ったあと言った。

「肉だんご、一緒に王都に残ってくれてありがとう」

「え? 何だよ急に」

「うん、……肉だんごは、セツ先輩じゃなく、じぶんで行きたかったんじゃないかなって思っていました。デルゼニア領で待っている女の子がいるんでしょう?」

 肉だんごが意表を突かれたかに目をしばたかせる。アウリスが居心地が悪そうに身じろぐのを見て、彼はああ、と気の抜けたような声をだす。

「それはまあ、そうだけど。俺が決めたことだし。今は関係ないよ」

 肉だんごは困った風に下向き、訳なく火打石を擦りあわせた。そして、ミアリはきっとジークリンデ領に向かうよ、と呟いた。医療団が、というよりミアリという女性単身が、七課というよりじぶんを桃源郷で待っていると信じている口調だった。

 それを聞いて、アウリスは少しばかり羨ましくなる。似た気持ちを知っているからだ。肉だんごの願いが叶うといいなと思った。

 歩きだしかけたら、肉だんごが思い出したかに声をかけてきた。

「アウリスはどっちだ?」

「ん?」

「アウリスはアウリスとアウリエッタのどっちがいいの」

 珍しく難しいことを聞く。アウリスは肉だんごに笑って手を振り、林の奥へ進んだ。答えがなかったというより、もしかしたら、今夜じぶんはどちらでもない。

 陰鬱とした木立の中を歩きながら、徐々に神経が研ぎ澄まされていくのがわかる。アウリスは緊張にあてられた手で腰の短刀を抜く。そうして何気なく夜目に見る。

 短刀は浅黒い素材で、刀身の部分がとても長い。というより、持つ部分とのあいだに何故か鍔も切羽らしきものもなく、全体がひとつの刀身みたいだった。こんな奇抜な形の短刀を見たことは、アウリスは今までで一度しかない。一度しかないが、その一度がずっと印象的で記憶に残っているのである。

 だけど、これが決定打になった。これを騎士団の野営跡で見つけたときに確信に近いものを感じた。もちろん、近いというだけで真実かどうかはわからない。そこで試してみようという気になった。

 色々な符号が重なったというだけだ。王都について一連の出来事をよくよく思い返して、初めに気づいたのは、殺してあげようか、と言葉をかけられたときのことである。あのときは怯えた。状況からして、じぶんのこと以外にないと思っていた。だけど、よく思い出してみると違和感がある。もちろん怖かったけど、それだけではない。かけられた言葉があたかも他の誰かのことを言っているような口調に聞こえて、アウリスは困惑したのだ。

 考えながらもしっかり周囲を警戒して歩いていると、ふと馬の嘶きが届く。

 アウリスはぎくりとして足を止めた。咄嗟に見回すと、人を騙すような山奥の静けさと暗さだけがある。だが、確かに馬の声がした。近かった。どうやら、じぶんの気配は絶てても、じぶんの馬の気配までは隠せないらしい。

 アウリスは速やかに短刀を捨て弓に持ち替えた。忙しく矢をつがえる。

 暗がりに目を走らせてみるが、当然の如くまだ相手の姿は見えない。アウリスは弓の弦を張りつめ威嚇する。そうしながら何と声をかけるべきか、一瞬真剣に悩む。

「……ひさしぶりです」

 声が嫌に響く。アウリスは暗がりの静けさと不気味さに怖気づきそうになり、そんなじぶんを叱る。ひとりになったら、きっと現れると思った。心の準備はあるはずだ。振り切るように声を大きくする。

「いるのは解っています。出てこい、へんたい」

 一拍おいて、何か硬く小さなものが顔を打った。ギョッとする間もなくぼろぼろと、虫の死骸みたいにたくさん降ってくる。

 アウリスは咄嗟に飛びのく。真上だ。なめらかに弓矢を頭上へ構える。そうして思わず悲鳴をのむ。

 月明かりが差し込む枝の上で、赤い髪と黒い目の魔物が膝を抱えていた。その姿は夜闇の中で不思議なくらいはっきりと見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ