―再出発の章―
俺にはずっと憧れてた人がいた。
今思えばその感情は尊敬だった。
強くて、まっすぐなその人を尊敬して、認められたかった。
だけど尊敬ってのは、恋に少し似ていて、その人の近くにいるとうれしくて、でもその人がこちらを見ないことがさみしくもあって、憧れれば憧れるほど苦しくて…。
その恋に似た感情に、俺は焦がれた。
その気持ちを伝えられないまま…、恋でないと気付いて尚、昇華することもできないまま、ジクジクと溜め込まれた思いは、心のそこで凝って、こびりついて固まって、もうすぐ取れなくなる。
その憧れの人に、ちょっかいを出す男がいた。
俺より大人で、よその子どもを六人も養えるほどのお金持ち。その子どもたちは俺の同期生で、その中の、一番特別っぽい女の子は、すこしあの人に似ていた。
その男と、子どもたちの秘密を俺に伝えたのは彼女だった。
騎士科の人間しかしらない事実を、騎士科を出た俺にまで話して、アイリスは珍しくうなだれた。
「どうすればいいかしら…」
そんなことを言われても、俺だって戸惑っていた。ずっと人間だと思っていた友達が人形だったと知ったのだから。
それでも、彼らは俺の友達だと、やはり思えるので、他の仲間たちも同じだと思って、アイリスにそう伝えた。
「みんなをちゃんと守ったってのがネオンたちらしいなぁ」
笑った俺に、彼女も笑った。
俺はそれだけで少し嬉しくて、彼女が俺に悩みを聞かせてくれただけで本当に嬉しかった。俺は以前は彼女に強引に迫ってしまったことがあり、どこか警戒されているのを知っていたから。
ただ心配なのはネオンたちが事件の後から登校していないということだった。
剣王の命で事件のことは誰にも言ってはいけないことになっている。アイリスは直接、剣王に話をし、六人と友達の俺には話をしたいと申し出てくれたらしい。
騎士科の仲間たちは無傷で、心の方も落ち着きを取り戻しつつある。
それに六人は何も悪くないんだから学校に出て来ることはできるのだ。なのに登校しないのは、やはり隠し事をしていたことを気に病んでいるのか。
しかしこの隠し事はアイリスも承知していたらしいし、剣王や軍の中心部まで一枚噛んでいたらしいのだから、見習いとはいえ騎士たる者、剣王や軍、それに上官であるアイリスに逆らってまで友達を責めるなんてできない。いや、騎士でなくとも、仲間たちはネオンたちを責めたりしないだろう。だからネオンたちは気にすることはないのだ。
「今日、学校終わったらヘルデライトさんのラボに行ってみるよ。みんなが行くより俺が行った方がいいだろ?」
「…ありがとう」
彼女の素直な言葉に、俺は微笑んだ。
「あたしの魅力を30字以内で答えて!」
ウイスタリアに迫られ、アゲートは思わず後退さった。
それからしばらく考える。
「…」
「…」
ウイスタリアも黙って待つ。
「…」
「ふぅ…」
しばらく沈黙が続き、やがてウイスタリアが溜め息を吐いた。
「えっと…」
アゲートが頬を掻く。
「やっぱり他に好きな人がいる男に聞いてもダメね」
「は?」
アゲートが素頓狂な声を上げた。
「ネオンでしょ?」
「え!?」
顔を真っ赤にするアゲートを黒曜がからかう。
「そうだったんですか?アゲート!?」
ウイスタリアもからかうような口調で、しかしどこか寂しげに言う。
「他の女はカボチャにしか見えないって?」
「…そんなこと…」
困るアゲートにウイスタリアは笑った。
「いいよ、もう…ごめんね」
「ウィスタは優しいよ」
アゲートが小さく呟く。
「…」
アゲートは続けた。
「…優しいし心が強い。だから側にいると安心する。きっとバジルもそう思ってる」
「…ありがとう。でもあたしは…、優しいとか、安心とか…そういう、なんていうか…お母さんみたいなのじゃないの」
ウイスタリアは目を伏せる。
「…」
「女としての魅力が欲しいの。包み込む愛には疲れたの。あたしが包まれたいの。抱き締めてほしいの…」
「ウィスタ…」
アゲートが名を呼び、しかし続ける言葉がなくて黙る。
「強くいるのはもう嫌なの。弱くなりたい。ただ守られたい」
「守られたい、か…」
朱夏が呟いた。
「あたしは、…強くも弱くもなれないまま、恋が死ぬのを待つのは嫌なのよ」
「俺にとってウィスタは間違いなく守るべき対象ですよ?」
黒曜が首を傾げる。
「ばか、心の問題だよ。力だけならベリルだってウィスタより強いぜ?」
「でもウィスタは心が強いから頼れない。力もあるから抱き締めあうよりも背中合わせを選ぶ…」
朱夏が黒曜をはたき、白夜がしみじみと言った。
「頼りたいけど、甘えはキライなのよね…」
「白夜もテルルも強いのに甘え上手よね?」
言われて二人は顔を見合わせる。
「私たちは、三番目に造られたから、先の二人を頼る者ってインプットしちゃってるの」
「末っ子って甘えんぼが多いだろう?だから博士たちは私たちをそういう性格にしたんだ」
テルルと白夜の言葉にウイスタリアはなるほど、と頷いた。それからメンテナンスベッドを眺める。
「ネオンはまだ目覚めないの?」
「寧音さんの作ったメモリーとアスターの作った核が拒否反応起こしてるんだ」
アゲートが答えた。
「心配そうな顔」
朱夏が笑った。
「アゲートのキスで目覚めるかもしれませんよ?」
黒曜も笑う。
アゲートが怒ろうとした時、玄関のブザーが鳴った。
「客か?」
核の改良に没頭していたアスターが顔を上げる。
「…バジルだ」
アゲートが壁のモニターを見て言う。
「え!?」
ウイスタリアがモニターに飛び付いた。
「なんで?」
ウイスタリアがオロオロと周りを見る。
「わかんない。…いらっしゃい、バジル」
テルルがバジルに声をかけた。
「博士なら今、手が放せないの…」
『テルル、元気そうだね。学校に来てないって、アイリスが心配してたから様子を見に来たんだ』
ウイスタリアの顔色が変わった。
テルルたちは困ったように顔を見合わせる。
「入ってもらえ。バジルには事情を全部話すってアイリスが言ってたから、聞いた上で来たんだろ?」
『聞きました。ヘルデライトさんの初恋の相手のことも』
バジルが笑う。
「…帰らすぞ」
アスターが低く唸った。
「バジル、今開けるから待ってね」
テルルが言い、しばらくしてバジルが現れた。
「…ウィスタ…」
バジルはウイスタリアの姿を見て少なからず驚いたようだ。
「久しぶり…」
ウイスタリアは努めて冷静に挨拶した。
「…ああ」
「ホントに久しぶりね、バジル。バジルがいなくなって、私アゲートと組むはめになったのよ!?」
テルルがお茶を淹れながら言う。
「そうなの?最強コンビじゃない」
「ぜんぜんダメ。こいついざと言うときに故障起こすし。この間も…」
言いかけてアゲートは黙る。
「この間、大変だったみたいだね。テルルは調子悪かったんだ」
「…調子よくてもやられてたわ」
テルルが悔しげに言う。
「彼らは?はじめて会うけど…」
バジルがテルルの額を軽く撫でてから黒曜たちを見る。
「新しい仲間。私たちと同じよ」
「話だけ知ってる。紹介してよ」
「漆原黒曜、南手朱夏、雪絹白夜。あなたの変わりに入った騎士科の生徒よ」
ウイスタリアが言い、黒曜たちを見る。
「この人がバジル・エレスチャル。元・騎士科で、今は銃士科よ」
黒曜が頷く。
「俺たちも話は聞いてますよ。いろいろと、ね」
「黒曜!」
ウイスタリアが怒り、その様子に何か察したらしいバジルが話を変える。
「お前たち、元気そうなのになんで学校来ないんだ?…ネオンは?」
バジルが不在者の所在を問う。
白夜が赤い液体に満たされたメンテナンスベッドを指差した。
中にはネオンが、標本か何かのような美しさで眠っている。
「目覚めないんです。だから俺たちは彼女が起きるのを待ってる」
「一緒に学校行くのよ」
テルルが微笑んだ。
「ってかアゲートが、ネオンが目覚めたとき、自分は学校行ってた、なんてのが嫌なんだよ」
朱夏の言葉にバジルは首を傾げたがつっこんで聞かなかった。
「なんでアイリスに連絡しないんだ?ウィスタも心配して来たんだろ?」
バジルに問われて、ウイスタリアが頷く。
「…みんなが心配してくれてるって思わなかったの」
テルルが俯いて言った。
「怒るわよ」
ウイスタリアに頭を軽く押されてよろめいたテルルは、ごめん、と笑った。
その笑顔がすぐに泣き顔になる。
「馬鹿ね、みんな。あたしたちが今更、あんたたちを嫌うわけないでしょ?」
ウイスタリアは言いながら、優しい目で一同を睨む。
「セリーズが朱夏を心配してるのよ?自分を守ろうとして撃たれたでしょ?無傷に見えたけど、本当は怪我してたんじゃないかって…」
朱夏が困ったように笑った。
「庇ったんじゃないさ。元々俺たちの敵なんだから。ってか、あいつは、セリーズを狙えば俺を確実に撃てるって分かっててやったんだよ」
「朱夏を狙ったのでは避けるかもしれませんからね」
黒曜が言い、俯いた。
「本当にすみません。ペアを組んでいるのに何も連絡せず…」
「本当よ。あんたたちがどれだけ強くても、ペアで戦う以上訓練は怠っちゃダメよ」
久しぶりに聞いたウイスタリアの説教に、バジルが少し笑った。
「相変わらずだな、ウィスタは」
ウイスタリアは半眼になってバジルを睨む。
「相変わらずなのはあんたよ」
「なんだよ?」
バジルが首を傾げる。
「わからないならいいわ。ヘルデライトさんの仕事の邪魔しちゃ悪いし、もう帰るわよ」
立ち上がってアスターとアゲートたちに手を振り、歩き出すウイスタリアを慌てたバジルが、挨拶もそこそこに追いかける。
残された一同は顔を見合わせ、少し笑った。
「ウィスタ?何怒ってんだよ?」
「別に…」
「別にじゃないだろ?こっち向けよ!」
早足で歩こうとするウイスタリアの手を、バジルがとる。
「何よ?ついて来るの?」
バジルの方を振り向き、睨み付けて、ウイスタリアは後ろの建物を顎で示した。
「…女子寮」
寮官が睨んでいた。
アハハハハ
何か言いかけたバジルの後ろで笑い声が響く。
「いいね、男の子!ナイス・ボケ」
バジルが怪訝そうにそちらを見て、ウイスタリアもその肩越しに声の主を見た。
「ねえ、君たちさぁ、何科?ボクたち今度新設される科の一期生になるんだけどさ?ね、ココ?」
一方的に喋る少女の隣りで、少女とそっくりの少女が頷く。
「ねえ、何科?」
再度聞かれて、バジルが名乗る。
「…銃士科のバジル・エレスチャルだよ。今日が入寮?寮官にカードキーもらっておいでよ」
「ありがとぉ。ねえ、女の子は?」
ウイスタリアは少し警戒しながら名乗る。
「騎士科のウイスタリア・フェナス。あなたは?」
「ボクはトト・キャロル。こっちが双子の妹で、ココ・キャロル」
ココがペコリと頭を下げた。
「ねえ、ウイスタリア。君の科にさ、化け物がいるだろ?」
ウイスタリアとバジルが顔を見合わせる。
「なんのこと?」
惚けないでよ、とトトは笑った。
「銃を食らっても死なない、側にいなくても通信で会話し合うやつらがさ?ヒューマノイドっての?人間の戦いを汚す化け物…」
ウイスタリアとバジルの顔色が変わった。
「…君、どこでそれを?」
キャハハ、とトトは甲高く笑う。
「言っておいてよ。ボクらが最強だって。ボクらの科はさ、特別なやつしか入れないから、まだボクたち二人しかいないんだけど、騎士科とは合同訓練が多くなるから覚えておいてよ。PK科のトトとココってね」
言い捨てて、双子は立ち去った。
ネオンはゆっくり目を開いた。メンテナンスベッドに満たされた液体が退いて行き、完全になくなってからドアが開く。
「…ネオン、悪かったな」
アスターに言われてネオンは首を振るが、何を言うべきか分からなくて口を噤み、アスターに抱き付いた。
ラボは薄暗く、他のヒューマノイドたちは眠りについている。
「うれしいのよ」
ネオンが夜を醒ますのを恐れるように囁く。
「これでちゃんと、アスターの子に生まれ変われた。あたしはもう、あなたを縛る寧音の亡霊じゃない」
アスターはネオンの背中を撫でた。
「ネオン…」
ネオンはアスターの首に縋りつき、背伸びをして耳元に囁く。
「だから、アゲートたちと会う前のメモリーを…、」
ぜんぶ消して…、アスターは驚いたようにネオンを見つめる。
「お願い、アスター」
ネオンが首の後ろを開いてコードを取り出し、コンピュータに接続する。
アスターがキーボードに指を添えた。
「さよなら、アスター…」
アスターの指が動き、キーボードを叩く。
「さようなら、寧音…」
ピィーンと、糸を弾くような音の後、ネオンはブラックアウトした。
そのネオンをベッドに戻し、アスターは少し寂しげに笑った。
「ありがとう…」
闇も錦もお気に入りだったので、前回二人を壊してしまったのはとても悲しかったけれど、おかげで今回、ネオンとアスターが先に進むことが出来ました。
新キャラも出てきました。
今後はネオンらと共に新キャラにもご注目ください。
さてさて、この章は別名『恋の章』でして、進展も再出発も後退もしないウィスタとバジルの関係も、いい加減なんとかしてあげたいものです。
秋茄子は、恋愛は好きだけど苦手っていうかわいそうなやつですが、がんばってなんとか決着つけさしますので見守ってやってください。