1.魔女と少女
肥沃な大地を有し、豊かな国ラグルージには魔女が住んでいるという。
ラグルージの辺境、国王の支配が届かぬラグージ地方には、鬱蒼とした広大な森が広がっていた。
この森に件の魔女は住んでいるという。漆黒の髪に赤き瞳の魔女が、いつからこの森にいるのか誰も知らない。いわば一種の不可侵状態となっている森があるラグージ地方は、決して人が近付かない。加えて森だけで田畑に出来る土地が少ないので、誰も好んで住みたがらないというのも事実のようだ。
たたたっと軽やかに森を駆け回る少女の足音。
「マリカ、あったよ!」
若草色の瞳を輝かせる少女の髪の色は茶色、大地の色だ。彼女が振り返った先には黒髪の美女が苦笑いを浮かべて立っていた。
彼女はマリカ、巷で言うところのラグージの魔女だ。
「リイナ、本職の私より早く見つけてどうするのよ、私、商売あがったりだわ」
「私じゃないわ、シルクが見つけてくれたのよ」
少女の隣にいた白い犬がお座りして、同意とばかりにわんっと吠えた。
その間に、少女は土を掘り返し、生えていた植物を見て嬉々と顔を輝かせる。植物は薬草だ。
勿論、そのままで売れるが薬にすれば、高値で取引できる。
器用に彼女は薬草を取り出し、マリカに渡した。
「職に困ったら、マリカの弟子になろうかしら?」
にこっと笑ったリイナの顔と手は泥だらけだ。
「何言っているのよ?あなた、魔力まったくないじゃない」
「そうでした」
てへっとリイナは笑った。「まったく」とマリカはタオルを取り出し、顔についている泥を拭ってやる。
「年頃の女の子が顔を泥だらけにしないの」
「・・・え?でも、マリカはこれが本職でしょう・・・?」
「私は魔女だからいいの!」
きょとんとするリイナに、ぴしゃりと言い放った。リイナは今年、16歳になる。
年頃とはいえ、街より遠く離れた何もない鬱蒼とした森で生活しているためか、彼女には年頃の女の子という自覚が欠落していた。
友達と呼べる存在は、彼女の側にいる白い雌犬シルク。狼の血を引いているせいか、普通の犬よりでかい。
「むしろ、あなたは身体能力高いんだから、武術のほうがあっているんじゃないの?」
森での暮らしが長いせいか、リイナは恐ろしく身体能力が高い。
命綱もつけずに平気で高い木に登ったり、飛び降りたりする。
ひやひやするこちらを尻目に、彼女はけろりとしたものだ。
平気で何時間も森の茂みに隠れて、獲物を待ち続けたりと、狩人そのものである。
「武術かあ・・・、習っても使う機会がないし・・・」
森で生き抜くために、今は亡き父親に一通り武術は教わったが、それ以上は使う機会がないため、習う必要性は感じていなかった。
「あっ」と彼女は思い出したように、
「マリカ、朝、キジをとったから捌いて、後でもって来るね」
「あら、悪いわね」
マリカは職業柄、頭脳労働で動物を捕まえることには適していない。
それでも、たまには肉が食べたくなるので、リイナの申し出は嬉しい。
「いえ」とリイナはにっこり笑った。
「マリカはいつも、食料を購入する薬を作ってくれるでしょ?お互い様だよ」
人と交わらず生きてきた彼女は素直で純粋だ。見知らぬ人間に騙されそうで時々心配になる。
リイナが用意したキジ料理に舌鼓を打つ。こういうのもなんだが、リイナは料理もうまい。
「王都に行く!?」
マリカは赤い瞳を見開いた。「うん」とリイナは頷く。
「春だし、王都で買出ししておかないと・・・」
「もう、そんな時期になるのね」
リイナは年一回、王都に買出しに赴く。王都でその年に育てる作物の苗や種、衣類を購入するのだ。
それは春先の行事である。それ以外は、近くの町で必要な物資を購入していた。
「それでね」と話しかけたリイナを遮るように、
「花祭りでしょう?」
マリカは悪戯っぽく笑った。同性のリイナでさえ見蕩れるほど、色っぽい。
花祭りとは王都で春先に行われる大規模な祭りだ。開催期間は一ヶ月、その間、王都のあちこちで花に関するイベントが沢山催され、王都中が花に包まれる。
リイナは毎年、王都に行く度、この花祭りに数日参加するのが楽しみなのだ。
マリカもそれは理解している。娯楽の少ないこの森は、年頃の少女が住むには退屈すぎるかもしれない。
「行っておいで」と彼女は笑顔でいつも、リイナを送り出す。
「いつ発つの?」
「明日の朝には出ないと、間に合わないかもしれないし」
広大な土地を有するラグルージは、端から端まで移動するのに一ヶ月以上かかる場合もある。
ましてや、移動手段の少ない辺境ラグージ。余裕を持って出発しなければ花祭りに間に合わないかもしれない。
「お金は足りるかしら?」
「マリカの作ってくれた薬があるから大丈夫」
魔女の作った薬は近くの町でも高値で売れる。薬効が高いらしい。
2,3本あれば細々とした買い物ができる。
しかし、高価なものを持っていれば、盗賊の標的にもされるわけで、商人達はわざわざ護衛を雇う。
しかし、リイナには必要がない。
まさか、一人で高額な品物を運ぶとは思わないだろうし、盗賊が出ても彼女は軽く撃退するだろう。
そうと決まればと、彼女は愛用の鞄に色々と必要な物を詰め込んでいく。
保存食は秋に収穫した果物をジャムやドライフルーツにしたものがあるし、干し肉を作ってあるから心配要らない。
それから、マリカの薬。
「はい、一本おまけ。祭りで使うお小遣いにしなさいな」
「え?いいの?」
悪戯っぽくウィンクしたマリカに、リイナは若草色の瞳を輝かせる。
薬瓶を受け取り、「有難う」と微笑む。「どういたしまして」とマリカも笑顔で応じた。
翌朝、リイナは森を発った。彼女を見送ったマリカの心に落ちる不吉な予感。
魔女たる彼女の予感はほぼ的中する。今回はどうか、外れていますようにとマリカは願わずにはいられなかった。
連載開始。