70.地下河川
大きくうねる広い川面の上で、エルフたちの心も、足元の樹皮舟と同じように落ち着かず揺れ動いていた。
闇の深淵へ下り始めて以来、彼らは暗闇の中で波を切って進み、時には黒雲を貫いた光から暖かな恵みを受けながら、光の高原では一度も目にしたことのない数々の景色を見てきた。
これから一生を過ごすことになるかもしれない場所。
エルフたちは一つ一つの景色をじっくりと眺め、少しずつ心に刻んでいた。
また一つ、幻想的で奇妙な景色を通り過ぎた頃、前方から手振りによる指示が伝わってきた。
エルフたちはそれを見ると、立っていた姿勢から素早く身を低くし、樹皮舟の底へ身体を伏せる。
魔王様の話では、これから「本当の地下河川」へ入るらしい。
硬さと靱性に優れ、衝撃を吸収する性質を持つ樹木から作られた十数艘の樹皮舟は、ヴィンセントの指示に従って巨大な河川の本流から離れ、細い支流の一つへと曲がっていった。
入って間もなく、その支流は突然、急勾配で下り始める。
前方から何か巨大な力に引っ張られているかのように流れが加速し、樹皮舟もそれに乗って速度を増した。
あまりの速さに、舟体は何度も水面から浮き上がり、低空を飛ぶように突き進んでいく!
樹皮舟の方向を制御できないと気づき、エルフたちの整った顔からさらに血の気が引いた。優れた視力を持つ彼らには、すでに見えていたからだ。
前方。
漆黒の巨大な穴。
川はそこで途切れ、そのまま深淵へ垂直に落ち込んでいる!
隣にいるデヴィットの制止も聞かず、アリソンは身体を伏せたまま少しずつ樹皮舟の先端へ移動した。
顔を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは、まさにそんな刺激的な光景だった。
制御不能の高速の樹皮舟。
曲がることのできない進路。
そして巨大な断崖で途切れる河道!
すべてが重なった極限の速度と危険、そのぞくぞくする感覚に、アリソンは堪えきれず興奮した声を上げた!
巨大な穴へ入った直後、待っていたのは断崖だった。
十数艘の樹皮舟が激流に押し出され、河道の切れ目から一斉に飛び出す!
瞬間、舟体が宙へ舞った!
空中でアリソンはわざわざ首を捻り、下を覗き込んだ。
そこには、すでに暗闇へ適応したエルフの目でも底を見ることのできない深淵が広がっている。光など一切なく、あらゆるものを吸い込んでしまいそうな漆黒だった。
暗闇。
未知。
何が起こるか分からない世界。
そのすべてが、この女エルフを惹きつけてやまない。
見れば見るほど夢中になり、頭もどんどん舟の外へ出ていく。
「アリソン!」
低い叱声が飛んだ。
デヴィットが間一髪で彼女を引き戻し、未知の地底へ落下する結末だけは免れた。
同時に、宙を飛んでいた樹皮舟が次第に下降を始める。
強烈な衝撃が襲った!
突然の激震に、エルフたちは危うく舟から水中へ放り出されそうになった。
だが、生まれつき優れた身体の協調性を持つ彼らは即座に力を合わせ、どうにか態勢を立て直す。
それと同時に、制御不能だった樹皮舟の速度も徐々に落ち着き、河道の流れも再び許容できる速さへ戻っていった。
どこへ降りたのかは分からない。ただ樹皮舟は依然として進み続けている。 デヴィットは、ここも何らかの支流なのだろうと判断した。
目の前は、今度こそ本当の地底だった。
周囲にあるのは、重く、冷たく、湿った岩壁ばかり。先ほどまでのように、顔を上げれば空や黒雲、時には光さえ見える世界ではない。
十数艘の樹皮舟が、広大で暗い地下河川を進んでいく。
なおも興奮しているアリソンを除けば、エルフたちは誰一人として口を開かなかった。緊張と警戒を抱きながら、魔王の指示だけを頼りに、先の分からない暗闇を静かに進んでいく。
だが、多くのエルフが胸中で考えていることは同じだった。
先ほど地下河川へ入る際に舟が宙を飛んだ時。
もし誰か一人でもヴィンセントを信用せず、あるいは何かを警戒して力を抑え、樹皮舟の速度を落としていたなら――
水流によって得られる勢いは、あの巨大な底なしの深淵を飛び越えるには足りなかったはずだ。
つまり。
彼らは知らないうちに、すでに一度試されていたことになる。
出発前、エルフたちはヴィンセントへ闇の深淵について尋ねていた。
大まかな状況だけでなく、ここにはもう一人の魔王がおり、迷宮城全体を彼女が操っていることも聞かされている。
だから彼らには、先ほどの樹皮舟での飛行も、その「本当の魔王」が仕掛けた試練のように思えた。
彼女は、あの寡黙な悪魔ほど話の通じる相手ではないのかもしれない。
ほかの同族と同じことを考えながら、今回の隊を率いるデヴィットは、穏やかな流れの暗い河川へ入った今になって、かえって先ほど以上に心拍が速くなるのを感じていた。
ここにいる五十人のエルフの命。
それどころか、村に暮らす数千の命まで決められる、本当の魔王。
そんな不安の中では、誰にも周囲の景色を楽しむ余裕などなかった。
アリソンを除いて。
彼女は興味津々といった様子で立ち上がり、楽しそうに辺りを見回していた。ここには光の高原では決して見ることのできない、闇に属する美しさがある。
暗い地下河川の先には、青緑色の小さな光がぽつぽつと灯っていた。夜の蛍のように瞬きながら、樹皮舟の進む方向を示している。
周囲に広がるのは奇妙な景色ばかりだった。
高い天井から垂れ下がる無数の尖った岩は林のように密集し、紫や緑の苔が延々と岩壁を覆っている。
河中からはこちらを見つめる生命の視線らしきものを感じることもあり、時折、岩壁の天井から河底までを貫き、上下を繋いでいる巨大な岩柱まで姿を現した。
耳を澄ませば、かすかに振動を伴う奇妙な音まで聞こえてくる。澄んだ長い笛の音が、闇の奥から低く響いているようだった。
地底のどんな生命が、あのような声を発しているのか想像もつかない。
何もかもが、まるで別の世界へやって来たように不可思議だった。
アリソンとほかのエルフたちが正反対の気持ちを抱く中、樹皮舟はようやく岸へ寄り、停止した。
岩岸の脇には、暗い河道の中へ張り出すように広い土地が現れている。
その中央には、中を大きくくり抜かれた巨大な岩柱が立っており、内部には上へ続く螺旋階段が設けられていた。
どうやら、ここが目的地らしい。
ヴィンセントの指示を受け、エルフたちは手慣れた動きで樹皮舟をしっかりと繋ぎ留めた。
今後も使う可能性がある。
それを終えると、ヴィンセントに続いて曲がりくねった螺旋階段を上っていった。
第一層へ足を踏み入れた直後。
エルフたちの目に飛び込んできたのは、恐怖と衝撃を覚えずにはいられない光景だった。
むせ返るほどの血腥い悪臭。
そこには、数え切れないほどの死体が積み上げられていた!
高く重なった屍は丘のようになり、赤い血が四方へ流れ出している。
近くでは、鎌蜘蛛や地潜り虫が、時折新たな死体を運び込んでいた。
見渡す限り、千切れた手足、砕けた肉、黒ずんだ死血。
まさしく、屍山血河だった。
そこへヴィンセントの低い声が響く。
「これは、先ほどまで迷宮城へ侵攻していた侵略者の死体だ。守衛の死体も一部混じっている。これからは、こういうものに関わることも多くなる」
戻る途中、エリカから最近起きたことについて簡単な説明を受けていた。
話を聞いたデヴィットは顔色を悪くし、胸の内に湧き上がる不快感と拒絶を必死に抑える。
これまでは、目の前の魔王と話が通じたこともあり、迷宮城側に加わって知性種族と戦うことに対して、それほど強い実感を持っていなかった。
だが今。
デヴィットも、ほかのエルフたちもようやく実感した。
自分たちは、悪魔の側へ加わったのだ。
「はい、魔……ヴィンセント。ここに死体を集めているのは、何のためですか?」
目の前の血肉に圧倒され、反射的に「魔王様」と呼びかけそうになったデヴィットだったが、途中でどうにか言い直した。
「後で、もう一人の魔王が説明する」
簡潔な答えに、エルフたちの整った顔はさらに青ざめる。
悪魔種族の中には肉や血を好む者が少なくなく、ごく一部では同族を喰らう例さえある。そんな噂を、彼らも聞いたことがあった。
もし今後、ここに積まれた死体を食べて生きなければならないのなら、自分たちは何か別の方法を考えるしかない。
幸い、その時だった。
ヴィンセントも何かに気づいたようで、さらに説明を付け加える。
「これは普段の食料じゃない。エルフが必要なら、地下河川で魚を獲るための人員を用意してもいい。いくつかの坑道や迷宮城の中には、奇妙な姿をした野獣もいる」
食料ではないと分かり、デヴィットは内心で大きく安堵した。
「エルフはそれほど多くの肉を必要としません。出発前に長老たちから植物の種をかなり預かっています。少しでも栽培できる土地があれば、食料は自分たちで用意できます」
「分かった。後でエルフ専用の居住区を一つ割り当てる。そこは好きに使っていい」
それも、つい先ほどエリカから伝えられたことだった。
地底の暗い河道へ入った時から、彼女はずっと、この五十人のエルフを観察していた。
死体を積み上げた血肉の倉庫を抜け、エルフたちはヴィンセントに続いて、さらに一層上へ進む。そこまで来ると、光景はずっと普通になった。
そこは蜘蛛の巣のように複雑な通路と分岐点が広がる巨大な洞窟だった。
記憶力に優れたエルフも少なくない。
それでも複雑すぎる道を次々と進むうちに、皆すっかり方向感覚を失い、ヴィンセントの後についていくしかなくなった。
やがて一行は、非常に広い空間へ辿り着く。
周囲には装飾も、これといった特徴もない。原始的な岩洞そのままの姿で、ひどく静かで空虚な印象を与える場所だった。
ただ、進路を示す青緑色の光だけが各所に灯り、薄暗い空間をぼんやりと照らしている。
正面中央には、階段状に少しずつ高くなっていく高台があった。
その上。
二人が並んで座れるほど大きく、荒々しい岩をほとんど加工せずに作った椅子がある。
そこに、一人の金髪褐色肌の女が座っていた。
鮮紅の双眸が、高い場所からエルフたちを見下ろしている。
青緑の光の中で、その二つの鮮紅は、まるで魂へ直接下される命令のように強烈だった。
エルフたちの心臓が激しく脈打つ。
理由も分からないまま、死を思わせる恐怖が身体を覆う。
「エリ――」
ヴィンセントが最初の一音を口にした、その時だった。
横から誰かが飛び出し、勢いよく彼へ抱きついた!
「お義兄さん! どこに行ってたの! 最近、迷宮城に攻め込もうとする人がいっぱい来て、私すごく怖かったんだよ。お姉ちゃんは何も言ってくれないし、お義兄さんのことがずっと心配で……」
そう言いながら、ドロシーはぽろぽろと涙を流した。
可愛らしく弱々しい顔には、恐怖と不安がありありと浮かんでいる。
初めて彼女を見る後ろのエルフたちでさえ、その深い心配と怯えを感じ取れるほどだった。
だが抱きつかれたヴィンセントは、眉を深く寄せている。言おうとしたことを遮られたからだ。
エルフたちが目の前の状況を理解できずにいる中、岩の椅子に座る金髪の悪魔が口を開いた。
「ヴィンセント、私は先にエルフの件を済ませる」
その言葉の意図を察したヴィンセントは、まだ小さな口で泣き言を続けているドロシーを連れ、その場を離れた。
エリカがエルフたちの対応をしている間に、自分が不在だったこの数日、迷宮城で何があったのかをドロシーから聞くつもりだった。
二人が去ると、デヴィットはすぐ残る四十九人のエルフを率いて前へ進み、頭を下げて恭しく告げた。
「魔王様。私たちは光の高原、静謐の森の村から来た者です。ヴィンセント……様との取り決めに従い、迷宮城が侵略を退けるための協力に参りました」
「私の名前はエリカ。ヴィンセントをどう呼んでいるか、それと同じでいい」
その答えを聞き、デヴィットの重かった心が少しだけ軽くなった。
もしかすると、目の前の相手もあの寡黙な悪魔と同じように話の通じる相手なのかもしれない。
だが金髪の悪魔が放つ圧力はあまりにも強い。いきなり礼を欠く勇気まではなく、デヴィットはなおも丁寧に答えた。
「はい」
予想通りだった。
呼び方のことでようやく少し緊張が解けた直後。金髪の悪魔が続けて放った一言で、エルフたちの胸は再び強く締めつけられた。
「答えて。あなたたちは、さっきの死体と同じように予備のエネルギーになれること以外、その取り決めで迷宮城にどんな利益をもたらせる?」




