1-5.水泡に帰す
「お前が優勝したってそんなに意味ねぇよ」
その瞬間、心の中で何か大きなものが崩れていく音がした。
さっきまであんなにうるさかった鼓動も頭の声も、全て消えてしまった。
代わりに、ぶくぶくと真っ黒な闇が膨れ上がっていくのが分かる。心も、視界すらも薄暗いベールに包まれていく。
それでも、なぜか怒りは湧いてこない。悲しみも、屈辱も感じない。
「…あはは、そうですよね。すみません、変なこと聞いてしまって。」
それどころか、自分でも驚くほど穏やかな声が出てきた。
予想していなかった答えが返ってきたからか、プレイヤー unknownは思わず「えっ、あ、まぁ」と口ごもる。
「優勝して、ちょっと調子乗ってましたよ。ガツンと言ってくれて、むしろありがたいです。」
気さくな態度で、拳をがつんと突き上げるジェスチャーまで取る。さっきまで必死だった男とはまるで別人だ。
「ははは…」
感情の抜け落ちた声が、ヘッドセットの向こうに落ちていく。
ザァー…と、雨音だけが虚しく画面から響いていた。まるで映画のワンシーンをみているかのような、…綺麗なグラフィックだ。
無言が続く。
しばらくしてからunknownは、気まずさを打ち払うかのように俺にリボルバーを向けた。
「と、とにかくそーいうことだ。」
「…。」
「じゃ、ここは俺に殺されてくれるってことで…————」
———しかし、
「えっ…ア」
先に引き金を引いたのは俺だった。
見事弾丸はunknownの眉間に命中する。
かすかなうめき声がして、そこでボイスチャットが切れた。
彼は中途半端な顔をしたまま泡に包まれ、消滅してしまう。消滅。それはつまり死を意味する。
「…。」
その様子を 俺は最後まで見届けた。
目の前から最後の泡が消えていくのをしかと見る。
ただ一人、その場で銃を構え続ける凶蚊の手元が映っている。
もう銃声も足音もしない。
殺し切ったのか。
辺りを見回しても、もう誰もいない。真空のような静けさだけが残された。
この地に立つのはついに、ついに…俺だけとなったのだ。
————ガクン、と力がなくなって、勢いよくデスクに腕を打ち付けた。
「……。」
自室の嫌な蒸し暑さが戻ってくる。ボリュームのつまみを回すみたいに、セミの鳴き声や通り過ぎる車の音も段々聞こえ始める。
バイトの準備をしなければならない。
これまで通り、普通の生活が待っているのだから。
そう思ってもなかなか椅子から立ち上がれない。眩しく光る画面を眺めるままだ。
「………。」
けれど、正直分かっていたような気がする。
これまで、FOR:WINSばかりに熱を注いできたんだ。何も努力をしないで、なにか理由をつけてはゲームをしてきた。
優勝すれば全てなんとかなると言い聞かせてきた。
「…………。」
こうなることは分かっていたのかもしれない。
一度優勝したところで、賞金を貰って終わりだ。また数カ月後には新たなチャンピオンが誕生している。
俺の七年間を知る人はいない。
知ろうと思う人はいない。
会場で声援を送っていた観客たちも、社会に戻ればひと言も凶蚊の名など口にしない。いつの間にか俺を忘れていく。
俺が優勝したって、そんなに意味はないのだ。
またバイトして、帰ってゲームして、夏休みが終われば大学。就活。いつも通りの退屈で無価値な日常に戻るだけ。
『…ゲームばっかりで、他のことは全部おざなりだったんでしょう。』
そうだよ、ねぇちゃん。
Fラン大学。親友0人。彼女なし。バイトじゃ役立たずと陰口を叩かれ、学校のテストは平均点より少し下。
それが、優勝した俺の、現実なんだ。
何も変わらない。
分かっていた。
本当は、心の何処かでずっと気づいていたんだ。
今までの七年間は、全部無駄だった、って。
昨日、優勝したあの瞬間がピークだ。あの一瞬の快楽を知りたいがために、七年間無駄にして、将来の希望も捨ててしまったのだ。
少しでも勉強を頑張っていたら…
少しでも友達との時間を大切にしていたら……
あの時、俺の頭に浮かんだ言葉は、その場のノリでも、喜びの末に感極まって出た言葉でもない。
「あー。俺、もう死んでもいいや。」
底のない暗闇。
既に俺の心はどろどろとした真っ黒な闇に覆われていた。
本当に死ぬ気はない。死ぬのも怖い。
怖いからなにもしない。
どうせ死なない。
でも、努力もしたくないんだ。
なんにもしないで、そのまま楽に野垂れ死ねばいいのに……。
「はぁ———人類の最底辺だな、俺ってww」
心にもない笑いが込み上げてきた。
自然とコントローラーを持ち直し、ボタンを押す。
画面の中の凶蚊は、銃口を一度覗いて
ゆっくりとそれを自分のこめかみに突きつけた。
なんの躊躇もない。せめてこのゲーム内では死んでしまえばいいんだ。こんな自分なんか。
そう思って、Back to The Jailを試みる。
自殺。銃があれば簡単に死ねる。
さ、とっとと死んでバイトの支度をしよう。一回スッキリ死ねばちょっとは吹っ切れるさ。
ちょうど残りの弾丸はあと一発だし。
自分に向けて引き金を引けば、ゲームは終わりだ。
ぐっと目を瞑る。
震える指を抑えて、深呼吸する。
……っておい、なんだよ。さっきからチラチラと赤いの…。眩しい、うざいな、俺は早くしにた
———————待て!!!!
待て待て待て。俺が最後の生き残りなんじゃないのか?
戦場にはもう俺しかいないんじゃないのか?
だったらなぜ、
……「勝利」の画面が出てこない?
最後の一人になったら、いつもならとっくに勝利画面と戦績が出ているはずだ。しかし、俺は依然としてアンリディア隔離地区のマップに立ったまま。
つまり、まだ他の誰かが、ここにいる。
いやでも、人の気配がしない。
そういえば自分のキルカウントばかり目に入って、肝心の生存者数を見ていなかった。何やってんだ俺は。
———あと一人いるじゃないか!
しかし疑問が浮かぶ。だったらなぜこの数分間姿を現していない?俺はずっとこの中央広場で立ち尽くしていたぞ。
一気に緊張感が走る。
さっきの赤い光、まさかポインターか。
どこからか俺を狙って…?とにかくソイツを行動不能にしてから————
「あれっ?!」
しかしなぜかBack to The Jailを解除できない。銃を自分のこめかみに突きつけたまま、凶蚊は動くことができない!
こんな時にコントローラーが壊れたのか?
乱暴にボタンをいじるが反応がない。また画面の雨音が激しくなってくる。
「はぁっ…!?くそ、この……っ!」
なんだよ、なんでキリ良く死ぬこともできないんだよ!
なぜだか無性に悔しくなって涙がにじみ出てきた。もう自分の全てが否定されているような気がした。
また赤い光が見える。
最悪だ。もう最悪。
躍起になる。
雨粒はさらに激しく強くなっていく。
なんなんだよ、もういいよ!!
大っ嫌いだこんな人生!!
「死んじまえ!!俺なんか!!」
ダンッ
「んぐっ———……?!」
その瞬間、俺の首を鋭い何かが貫いた。
あまりの重く激しい衝撃に、俺は椅子ごと押し飛ばされる。
なんだ、なにがっ…?
———痛い!!!!熱い!!!!
喉が……!!!!
息ができない、苦しい、生温かい何かが突然あふれ出す。
声を出そうにもゴポゴポと音がしてっ?
冷静さを保とうとする。
姉、姉の顔が浮かぶ。
コントローラーが大きく音を立ててデスクから落ちた。
は?!あんだよこれえ
学校、ゲーム仲間。
やきそばとサイダー。
違うぞ
え?
俺はゲームをしてただけだ。
自殺なんてしてない
しない
そもそも、俺
まだ引き金を引いてない
なんの話だ?
俺
おれ
撃たれた、のか?
さいごに見上げた自室の天井は、いつも通り色褪せていた。
しかし、次第に俺の視界は泡に包まれていき———……
やがて何も見えなくなってしまった。




