50話:新たな盟約
クーデターは、あっけなく終わった。
エンヴァ兵の大半は武器を捨てた。王が魔人と密会していたという事実は、彼らの戦意を根こそぎ奪った。
抵抗した者もいたが、ヴァリウス兄上の軍に鎮圧された。
王は——死んだ。
東塔から投げ捨てられた体は、石畳の上で潰れていた。
民の中には唾を吐きかける者もいた。かつて自分たちを搾取し、魔人に売り渡した男への、精一杯の復讐だったのだろう。
俺はそれを、黙って見ていた。
***
数日後、セレナが女王に即位した。
正式な戴冠式は後日行われるが、民の支持は圧倒的だった。
「セレナ様を女王に」という声は、あの夜から止まることがなかった。
即位の翌日、俺はセレナと二人で話す機会を得た。
王城の一室。護衛は外に待たせてある。
窓から差し込む光の中で、セレナは静かに座っていた。
「……改めて、ありがとう」
セレナが口を開いた。
「あなたのおかげで、この国は変われる」
「俺一人の力じゃない。兄上たちの協力があった。何より、お前が立ち上がったからだ」
セレナは小さく首を振った。
「私は、あなたに背中を押されただけ。あの夜、バルコニーに来てくれなかったら——私はまだ、笑顔の仮面をつけたままだった」
俺は何も言えなかった。
「……ねえ、アレン」
「何だ」
「あの影、見たでしょう。東塔から飛び去った——あれ」
俺は頷いた。
あの夜、王が落ちてきた後。東塔の窓から、何かが飛び去るのを見た。
角を持つ影。探究。
「あれが、私たちを支配していたもの」
セレナの声が震えた。
「父を操り、民を苦しめ、私に笑顔を強制した——あれが」
「ああ」
「……怖かった」
セレナは膝の上で拳を握りしめた。
「あれと戦えるの? 人間が、あんなものと」
俺は少し考えてから、口を開いた。
「あれは四天王の一角だ。魔王軍の幹部の中でも、上位の存在」
「四天王……」
「魔王軍には、ああいうのが複数いる」
セレナの顔が青ざめた。
「複数……」
「だからこそ、人間同士で争っている場合じゃない」
俺はセレナの目を見た。
「俺はシンラに戻ったら、王になる。そして——人間側の国を統一する」
セレナの目が見開かれた。
「統一……?」
「ああ。七カ国がバラバラのままじゃ、あれには勝てない。人間が一つにまとまる必要がある」
「それは……シンラがすべてを支配するということ?」
「違う」
俺は首を振った。
「支配じゃない。人間が生き残るためだ。あれを見ただろう。あんなのが複数いる。今のままじゃ、人間は滅ぶ」
セレナは黙って俺を見つめていた。
「今のエンヴァは疲弊している。立て直しには時間がかかる。その間、シンラが支援する。物資、技術、人材——必要なものは提供する」
「……見返りは?」
「当面は同盟でいい。だが、いずれ——エンヴァもシンラに降ってほしい」
はっきり言った。
濁す必要はない。セレナには、正直に伝えるべきだ。
長い沈黙があった。
窓の外で、鳥が鳴いている。
平和な音だった。この国にも、ようやく平和が戻りつつある。
「……一つ、聞いていい?」
セレナが口を開いた。
「何だ」
「あなたが統一を目指すのは、本当に人間のため? それとも——シンラのため? あなた自身のため?」
鋭い問いだった。
だが、俺には答えがあった。
「最初は、自分のためだった」
正直に言った。
「死にたくなかった。だから生き残る方法を考えた。そのために国を強くしようとした」
セレナは黙って聞いている。
「でも、今は違う。守りたいものができた。領民、仲間、この国——全部、俺の手で守りたい。そのために、人間を一つにする」
俺はセレナの目を見た。
「お前のことも、守りたいと思ってる」
セレナの頬が、わずかに赤くなった。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「……分かった」
セレナが立ち上がった。
「シンラと同盟を結ぶ。そして——あなたの動機が濁らない限り、いずれエンヴァはシンラに降る。私が、約束する」
「……いいのか」
「あなたは私を助けてくれた。仮面を外してくれた。その恩は忘れない」
セレナは俺を真っ直ぐ見た。
「でも、もしあなたが道を踏み外したら——その時は、私が止める。いいわね?」
「ああ。約束する」
「ありがとう」
「こちらこそ」
セレナは立ち上がった。俺も立ち上がる。
「それじゃあ、俺はそろそろ——」
「待って」
セレナが俺を呼び止めた。
「何だ?」
セレナは少し躊躇ってから、口を開いた。
「……また、会える?」
その声は、女王のものではなかった。
どこか不安げで、小さな声。
俺は頷いた。
「もちろん。同盟国として、定期的に連絡を取り合うことになる。何かあればいつでも使者を送ってくれ。こちらからも定期的に報告を——」
「……ええ、そうね」
セレナの声が、急に冷たくなった。
「同盟国として。分かりました。よろしくお願いします」
「あ、ああ……」
何だ、この空気。
さっきまで普通に話していたのに、急に温度が下がった気がする。
俺、何かまずいこと言ったか?
「それでは、お気をつけて」
セレナはそう言って、さっさと部屋を出ていった。
俺は一人、取り残された。
「…………」
何だったんだ、今の。
同盟国として連絡を取り合う。当たり前のことを言っただけだろう。
何か問題があったか?
分からない。
全く分からない。
俺は頭を掻きながら、部屋を出た。
***
シンラに帰還したのは、それから一週間後のことだった。
エンヴァの後処理はヴァリウス兄上に任せた。セレナの護衛と、残党の掃討。兄上の得意分野だ。
リアン兄上は先に王都に戻っていた。継承戦の準備があるという。
そう——継承戦だ。
もうすぐ、三年目の報告会がある。
そして、最終的な投票が行われる。
アルカスに戻ると、セバスが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ああ、ただいま」
久しぶりの我が家だ。
エンヴァにいた数週間が、やけに長く感じる。
「エンヴァの件、聞いております。見事な采配でした」
「兄上たちの協力があったからな」
俺は執務室に入り、椅子に座った。
セバスが紅茶を用意してくれる。
「して、殿下」
「何だ」
「継承戦でございますが」
セバスの目が、真剣なものに変わった。
「最終報告会では、なぜご自身が王にふさわしいか、説得力を持って語る必要がございます」
「分かっている」
「貴族たちが心惹かれる何かが必要です。実績だけでは足りません」
俺は紅茶を一口飲んだ。
「……実績だけでは足りない、か」
「はい。ヴァリウス殿下には武の求心力があります。リアン殿下には経済の手腕があります。殿下には——」
「両方ある。だが、どちらも兄上たちほどじゃない」
セバスは頷いた。
「だからこそ、別の切り口が必要なのです」
俺は窓の外を見た。
三年間、いろいろなことがあった。
アルカスの再建。経済戦。ガス作戦。井戸問題。エンヴァ潜入。
その全てで、俺は何かを学んできた。
理屈だけじゃダメだと学んだ。
情だけでも守れないと学んだ。
両方が必要なんだ。
理屈と情は、車の両輪——
「……両輪、か」
俺は呟いた。
「殿下?」
「いや、何でもない」
俺は立ち上がった。
「少し、考える時間をくれ」
「かしこまりました」
セバスが一礼して、部屋を出ていった。
俺は窓辺に立ち、外を見た。
アルカスの街が広がっている。
三年前、荒れ果てていたこの街。今は活気に満ちている。
俺がやってきたことは、間違っていなかった。
そう信じている。
だが、それを貴族たちに伝えるには——言葉が必要だ。
理屈と情。
両方を持つ王。
どう伝えればいい?
俺は腕を組んで、考え込んだ。
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